ポートランド日記                                     スズキメディア

9月15日(土)──46日目


 今日から、ダウンタウンのファースト・クリスチャン・チャーチで英会話のクラスが始まるので、8時44分のバスで出かける。9時前に着いたので、先週も行ったPSUのファーマーズマーケットを一周してから、教会に行った。
 教会にはいると、階段を上って奥のほうに連れていかれた。集会室のような部屋で、三々五々みんなが集まっている。生徒として来ている人は日本人が多いようだ。先生としてきているのは、白人のお年寄りが多い。名前や住所、電話番号を書いて登録すると、それぞれの先生とペアになって、小部屋に分かれて、授業が始まった。

 僕がついたのは、トム・ブランドさんという人。「どんなふうに勉強したいのか?」と聞かれたので、「日本人は、学校で10年間も英語の読み書きを勉強するけれど、話すのと聞くのはちゃんとやらない。アメリカに来て、新聞は読めるけれど、テレビで話していることがわからない。話すのと聞くのを勉強したい」というと、「それでは、新聞の記事を読んで、ディスカッションをしよう」ということになった。
 記事は、火曜日の同時多発テロのあと、アラブ系のアメリカ人が迫害されているという内容。ディスカッションは、戦争の話になって、トムさんは、今はリタイアしているが、陸軍(アーミー)にいた人で、日米開戦の頃は高校生で、戦後、長崎に行き、そのあと大牟田に駐留していたことなど話した。

 息子さんもアーミーで、ワシントンDCにいるが、ペンタゴン(米国防総省)の建物ではないので、火曜日の事件のときには大丈夫だったそうだ。娘さんは、和歌山で英語学校の先生をしている。
 僕も、自分は戦後に生まれたが、父は軍隊に行ったことを話した。トムさんは、第二次大戦中、日系人は収容所に入れられて大変な思いをしたので、すまなく思っている、今度のことでは、アラブ系の人たちにそういうことがあってはならないという話もしていた。
 アメリカ人と第二次世界大戦について、話をするのは初めてなので、少し緊張した。何といても、敵国だったのだし、トムさんは元軍人だ。でも、そんな僕の躊躇とは関係なく、トムさんは、昔を思い出すような感じで淡々と話していた。
 機会があれば、日本に駐留したときの話など、もう少し詳しく聞いてみたい気もした。

 Cが付いた先生は同じく、白人の男性であったが、80歳で、言葉が口の中でこもってしまって、なかなか聞き取るのが難しかったようらしい。
 二時間、ぶっ続けで英語で話をするのは、非常に疲れた。そのことをCにこぼすと「これで、日頃の私の苦労がわかったでしょ」と言われた。

 英会話教室のあと、ダウンタウンのパイオニアプレイスで買い物。ゴディバの店があったので、チョコレートを買う。
 昼は、パイオニアプレイスの隣のビルの「TODAI(灯台)」で食事。シーフード中心の日本料理店だ。入っていくと、「イラッシャーイ」と声をかける、でも、店員が日本語を話せるわけではない。先週、パイオニアプレイスに始めてきたときに、見つけて、一度入ってみようと思っていた。
 今日は、ビュッフェ形式で食べ放題らしい。寿司(日本のより少し小ぶり)、焼き鳥、天ぷら、などの日本料理の他、餃子、中華風の炒め物などもある。
 二人で飲み物も入れて、39ドル(4700円くらい)は多少高いが、好きな物を選んで、いろいろ日本料理が食べられるのはうれしい。こちらの日本料理は、寿司と天ぷらと唐揚げがセットになっているようなのが多いから、いまいち食指が伸びないが、この方式ならOKだ。
 食事のあと、いつものエンタープライズでレンタカーを借りて、ビーバートンのフレッドマイヤーと宇和島屋へ買い物に行く。

 11日の事件以来、玄関に米国の国旗を立てている家が増えた。特に全部が半旗というわけでもない。悲しみや追悼の気持ちと同時に、連帯、11日を忘れないぞという意味なのだろうか。


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