ポートランド日記                                     スズキメディア

9月9日(日)──40日目


 12時過ぎにレンタカーを返しにダウンタウンへ。
 バスは一時間に一本でなかなかこないので、パイオニアプレイスの地下のフードコードで、昼食。
 Cに病院のカフェテリア昼食を買って帰る。

 Cはまだ胃の調子が悪いので、うどんを作る。僕はカフェテリアで夕食を買ってきて食べる。
 Cは、昨日借りてきた日本のドラマのビデオを名残り惜しそうに見ていた。こちらに来てすぐ、目白押しのスケジュールをこなして、しかも分からない英語というストレスがあって、しかも、知り合いににいろんなところに連れて行ってもらって、休みもなく、疲れ切っていたようだ。日本のビデオを見て、少しはストレスが解消できるといい。

 日本なら、月曜から金曜まで仕事をして、土曜日遊びに行ったとしても、日曜日は一日休んでいるから、こちらでは確かにオーバーワークだ。アメリカの食事が合わなくて胃の調子が悪いのは、食事だけでなく、英語に囲まれるストレスにも原因がありそうだ。
 かといって、食欲が落ちているわけではないので、ついつい食べてしまう(これで食欲がなかったらもっと心配だ)。それが消化の悪い物だと、また胃腸の調子が悪くなる。それの繰り返しでなかなか本調子にならないようだ。
 早く良くなって、おいしいものが食べに行けるといいけれど。
 僕のほうはいたって元気。日本料理は食べ飽きていることもあるので、米国料理を違和感なく食べられるようになった。

 深夜に朝日新聞のホームページを見ていて、「映画監督の相米慎二氏死去」という記事を見た。肺ガン、52歳だったそうだ。相米監督は、「セーラー服と機関銃」「台風クラブ」「翔んだカップル」「お引越し」「夏の庭」など、数々の名作で知られる。僕が、一番好きな監督だ。

 20代の頃に雑誌の編集をやっていた頃、相米監督と俳優の伊武雅刀さんの対談という企画を立てて、中華料理店で対談をしてもらった。そのあと、もう一軒行きましょうということになって、西麻布の居酒屋に行って、成り行きで僕が数万円を全部払った。
 相米さんたちは、雑誌社が払って当然と思っていただろうが、下っ端の僕は、翌日そんなのは払えないと編集デスクに言われて、自腹を切った。給料十数万円の頃だから、けっこうきつかった。

 でも、あのとき、居酒屋で相米さんや伊武さんと飲んだのは楽しかったので、損したとはおもわなかった。今となっては、貴重な思い出だ。確か、『魚影の群れ』を撮る前で、二人とも「北の方にマグロを釣りに行っているんだ」と何度も言っていた。
 そのあと、新宿歌舞伎町のゴールデン街に飲みに連れていってもらった。だいぶ飲んだような記憶がある。
 相米さんは、シャイで言葉数も少ないけど(現場では恐いと言われていたけど)、暖かい人という印象。そのあと、お会いする機会はなかったけれど、作品はまめに見ていた。もっといろいろ撮ってほしかったのに残念だ。


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