宇多田ヒカルと倉木麻衣の「パクリ」騒動大西 赤人“パクる”とは、元々は犯罪者などの用いる隠語だったのだろうけれど、いわゆる「俗語」として一般にも広まった言葉である。辞書を見ると、語源は「パクリと食べる」「パクパク食べる」に由来し、意味としては、「かっぱらったり、ゆすったりして、不当に奪い取る」と「検挙する」との二種類が示されている場合が多い。しかし、近年では、特に若い世代を中心に、もっとありふれた使い方として、音楽や映画やテレビ・ドラマや漫画や小説などに関連し、――「お、この曲、どっかで聞いたことあるぞ。判った、××××のパクリじゃん」とか「あれ、このドラマの人間関係、映画の『○○○○』とソックリだぜ。度胸あるよな、平気でパクッてるんだもんな」というように――趣旨は「盗作」に準じながらも、もう少し軽微な表現として頻繁に見聞きするようになった。 もちろん、曲がりなりにも創造の世界なのだから安易な「パクリ」は論外なはずなのに、音楽で言えば、ゆずが売れればゆず風、椎名林檎が売れれば椎名林檎風、平井 堅が売れれば平井 堅風――のスタイル、メロディー、歌詞、タイトル、歌唱、etc、etc――が次々に出てくる。そのあまりのお手軽さに、『こんなに思いっきりパクッて、自分でイヤにならないのかしらん?』と感じさせられたりする。一つの斬新な“売れ線”が出現すると、それに沿って無難な二番煎じ、三番煎じが連なる。それは「盗作」というほど悪質ではないかもしれないが、創造としては澱んでしまっている。 さて、少なくともヒット・チャートにおいては間違いなく現在の日本のミュージック・シーンを代表する共に17歳の女性歌手――宇多田ヒカルと倉木麻衣との間に、「パクリ」騒動が持ち上がった。6月26日に放送されたフジテレビ系列の人気番組『HEY! HEY! HEY!』に宇多田が出演した際、司会のダウンタウンの一人・浜田雅功が、倉木を宇多田の「パクリ」と名指し。宇多田も“最初に聞いた時、自分かと思った”という調子で応じたりしたものでトークは大いに盛り上がったのだが、倉木サイドは激怒、フジテレビや浜田に抗議したようだ。今のところ、フジや浜田が謝罪の意向を表わしており、宇多田自身もホームページなどで“自分もはじめはミーシャの「パクリ」と言われた”“浜田さんは言い過ぎ”という具合に倉木を擁護する気配なので、ひとまず事態は穏便な収束に向かっているようだ。でも、宇多田ヒカルと倉木麻衣って、やっぱりどう見ても似ていますよね? 倉木の曲が、音符として宇多田の曲と直接に類似してはいないにせよ、雰囲気とか歌唱法とかアメリカ先行デビューの話とか、共通の要素はたしかに見受けられる。つまり、先に述べたように「パクリ」には、非常に刺激的な「盗作」とは少し違ったニュアンスがある。もうちょっと別の綺麗な言い方をするならば、影響されたとか触発されたとか誘発されたとか、英語を使えばインスパイアー(inspire)。その意味では、宇多田自身、ミーシャについてもそうだろうし、アメリカのヒップ・ホップやR&Bの言わば「パクリ」は否めないところだ。 「総ての芸術は模倣から始まる」と言われるように、偉大な先例が存在する場合、多かれ少なかれその例に倣うことはやむを得まい。僕自身の卑近な例を述べれば、当初、14歳の頃にショートショートを書きはじめたのは、星 新一、フレドリック・ブラウン、レイ・ブラッドベリなどの作品に読みふけった後の事であったから、スタイルも内容も明らかに強い影響を受けていた。それこそ「パクリ」という言葉さえ当てはまらなくもないだろう。しかし、先人の足跡と完璧に決別した創造もまた、ほとんど不可能と思われるし、即ち要は、仮に模倣――ある種の「パクリ」からスタートしたとしても、 “亜流”を越えて自ら勝負し得るオリジナリティーをいかに(早く)見出すことが出来るか、ということになるのだろうか。 と、いささか偉そうに言っている大西がその域に達しているかどうかについては、論評を避けておきますが……。 (2000.7.10) 前に戻る/次を読む/目次/表紙 |