1989年の夏?スキー


1. 日程
  8月11日 成田→オークランド→ウェリントン→クライストチャーチ
  8月12日 クライストチャーチ→Mt.Hutt ski 場→メスベン
  8月13日 Mt.Hutt ski 場
  8月14日 Mt.Hutt ski 場
  8月15日 Mt.Hutt ski 場
  8月16日 メスベン→クイーンズタウン
  8月17日 クイーンズタウン→メスベン
  8月18日 メスベン→クライストチャーチ空港→オークランド
  8月19日 オークランド→成田空港→東京 

2. 行動ルートへ移動します
     (190k)


3. 旅行 紀行

    8月11日(晴)

      会社の同期入社の秋山君と寮をでる。武蔵境の駅まではバスに乗る。
      秋山君はスキー用のキャスターバック・僕はレンタルで借りたスーツ
     ケース(特大)にスキーウェーアーとスキー靴他を詰めて、汗をかきな
     がら重い荷物をかかえて成田に向かった。二人ともはじめての海外旅行
     であったが、僕の「なんとかなるよ!」の言葉で到着日と帰る日のホテ
     ルだけを予約して、真夏のスキーを目指して行った。
      トラベラーズチェックも購入していなかったので、東京駅八重洲口の
     確か大阪銀行に寄り購入した後、箱崎までタクシーにのった。箱崎でリ
     ムジンバスに乗ったときは、もう飛行機に乗った様な気分であった。
       成田空港に着き、引替証と航空券を交換するために団体旅行用のカ
     ウンターに向かったがまだ時間が早すぎたので、誰もいなかった。しか
     たがないので、二人でラウンジでずっと待っていた。出発が夕方なのに
     僕らは2時過ぎにはもう空港に来ていたのであった。

       ****当時は、まだ格安航空券が普及している訳ではなかったので
         早い時間に行って待っていなければならないのであった。**

     夕方になり、搭乗時間になって僕らは、手荷物検査を通り飛行機に乗
     った。ニュージーランドスキーが現在(1996年)ほどメジャーで
     はなかったので、機内のお客さんは半分以下であった。そこで僕は席
     を移動し、ジャンボの真ん中の席で横になって寝ることにした。

       ***今から思うと、秋山君はその年の春に 社内の英語研修に***
       ***参加したとはいえ、二人とも初めての海外旅行で切符だけ***
       ***買って、よく出発したもんだと思う。         ***


        機内泊


    8月11日

     朝6時頃にオークランド空港に到着した。出口には旅行会社の人達が
    旗を持って、ツアー客を向かえに来ていた。我々は個人旅行なのでそん
    なものはない、Informationで国内線の空港に行くバスの乗り場を聞き、
    まずは両替だ。両替で小銭を入手し、教えられたバス停に向かった。
     バス停には、バスが停まっていたが運転手がいない。とにかく乗って
    待っていようと乗り込み、ずいぶん待っていると運転手がやってきた。
     運転手に金を払うと、僕ら二人を乗せて出発した。国内線の乗り場に
    やってくると僕らと一緒にNZに来た日本人ツアー客は搭乗手続きを済
    ませ、くつろいでいた。僕らは銀行を捜したりして、すでに疲れてると
    いうのに。この時はツアーがうらやましかった。
     日本から予約したクライストチャーチに行く飛行機は午後出発で待ち
    時間が4時間(この時は朝8時頃)以上あり、ぼーと待っているのもば
    かばかしいので、カウンターで早い便に替えてもらった。変更してもら
    った便は、首都のウェリントン経由であった。飛行機の出発を待つ間、
    僕は当時NZに住んでいた、いとこに電話をし、緊急時の連絡窓口をお
    願いした。飛行機は定刻に出発した。飛行機は、5・60人乗りの小型
    機であったが、機内で出されたパン・ミルク・ジュースが旨く、さすが
    農業国だと感心した。途中機内からは頂上が雪で覆われた山が見え、ス
    キーが待ちどうしくなった。ウェリトンに到着すると、スチュワーデス
    が降りてくれと言う。機内を掃除するのだそうだ。我々は待合室で出発
    を待つ訳だが、待合室から外に簡単に出れてしまうような空港であった。
     とても首都の空港とは思えず、ドライブインの様な感じであった。
    再び僕らは、飛行機に乗りクライストチャーチに向かった。クライス
    トチャーチは、キャセイパシフィック航空の飛行機が駐機していた。
     空港内のレンタカー窓口を通りすぎ待ちの中心部に向かうバス停に
    行った。ところが待っている人に聞いても、やってきたバスの運転手
    にクライストチャーチに行くのかと聞くときまって、「SQUARE」と
    言う。地図をみてもそんな場所はない。バス停が違うのかと思いちょうど
    バス停にやってきた日本人の学生に聞くと町の中心のことを「SQUARE」
    というのだという。やっと次のバスに、この学生とともに乗った。 この学
    生は親切な奴で、僕らが明日向かうメスベンの宿を紹介してくれた。秋山
    君は乗り気ではなかったが、とにかくTEL番号と住所を教えてもらっ
    た。 さらにこの学生が宿泊しているというユースホステルも見せてもら
    った。ホールにはカウンター式のキッチンがありちょうどイタリア人?
    の女学生がスパゲティーを作っていた。ユスホステルの前の大学で行われ
    ていたバザーを見学した後宿泊予定のホテルに行った。ホテルは12,000\
    払うだけある豪華なものであった。
 
     Quality Inn泊

 

    8月12日

     バスの出発が早い(朝6時)ので、朝食なしでホテルを後にした。
    「地球を歩く」に乗っていた映画館の前にゆくがなんの表示もない。不安に
    感じながら待っていると日本人のカップルがやって来た。聞くと僕らと同じ
    バスを待っているという。定刻より10分位遅れて、マイクロバスがやって
    きた。このバスに全荷物を持って、乗り込みMt.Huttスキー場に向かった。スキ
    ー場までは約1時間半の道のりであった。朝が早かったのでバスの中で眠っ
    てしまった。目が醒めた時には、バスが停まっていた。秋山君に聞くとチェ
    ーンを付けているという。しかし窓の外には雪がない?チェーンを着けてバ
    スが出発し、スキー場に登る道のゲートをくぐってしばらく行くと回りに雪
    が現われてきた。先ほどのゲートを通過してからさらに30分位走ってスキー
    場に着いた。荷物預かり所を捜し、荷物を預け、スキーウェアーには、トイレ
    で着替えた。スキーの板はレンタルで借りたが軟らかい板しかなく、持ってこ
    なかったのを後悔した。
      (しかし、真夏にスキーを抱えて成田へ行くのはとても無理だったが)
    午前中スキーをし、昼食をとり午後再び滑っていると段々と天気が悪くなって
    きた。レストハウスに避難していると、放送がありスキー場をクローズすると
    いう。僕らは慌てて荷物を取りに行き、朝バスを降りた駐車場に行きメスベン
    へ向かうバスを捜した。ちょうどメスベン行きの表示をしたバスを見つけた
    ので運転手に聞くと、切符がないと乗せられないという。そんなー。駐車場から
    バスも車もどんどん出て行く。このままではスキー場から出られなくなってし
    まう。秋山君が別の乗せてくれるというバスを見つけてきてくれたので、とにかく
    それにの乗った。車内でキップを買いメスベンへ向かった。
     メスベンの待ちの中心で降り、インフォメーションを捜した。メスベンのインフォ
    メーションで安い宿を紹介してもらった。ところで僕らは宿まで歩いて行くんだが
    どれぐらい時間がかかるのかと聞くととても無理だという。しかし、インフォメー
    ションが閉める時間だから送ってくれるという。なんと親切。
     僕らは親切に甘えることにした。宿までは確かに遠くとても荷物をもって歩くのには
    ちょっと遠かった。宿は町はずれにあり、宿から向こうは牧場であった。
     宿の宿泊費は、朝食代込でツイン4000¥/人で、安い宿なのでNZの人が来て
    いた。安い宿とはいえバーコーナーがありここにはビリヤードの台もあった。
    このバーコーナーには、薪の暖炉があった。火にあたっていたら、宿の女性から
    「Lazy Japanese」と小言を言われてしまった。        というのも火の前で
    ぼーとしているだけで薪をくべなかったからであった。うんー、薪ストーブが家
    にある生活をしていれば、当然だわな。学生時代山小屋番をしていた時は、
    当然していたもんな。
     秋山君は、NZの人と仲良くなり、明日一緒にスキーに行く約束をしていた。
    このNZの人は、美容師をしている人であった。僕が、ヘリスキーをしたいんだ
    と言ったら、下手な日本人はやめたほうがいいと忠告されてしまった。説明のし
    ようがないので、実力は明日一緒に滑って判断してもらうことにした。この人は
    明日の僕らの分のバスも予約してくれた。えらい親切だ。



     Methven Country Inn 宿泊
      
      [  Methven Country Inn ]写真----(準備中)



    8月13日

     朝二人とも完全に寝坊した。昨日のNZの人が向かえに来てくれて起きたくら
    いだった。急いで食堂に行き朝食をとった。その間さきほどの人は、バスの予約
    を変更してくれえたうえに、僕らを待っていてくれた。なんと親切。
     朝食を急いで取り、再び昨日のスキー場へ。天気は今日は良かった。
    また、昨日と同じようにレンタルスキーを借りる。どうもスキーがやわらかいのだ
    がしかたがない。まずは圧雪したゲレンデ内を滑る。スキー場は圧雪した部分より
    そのままのところのほうが多いように思う。スキー場のロッジの中には携帯電話が
    置いてあった。まだモニター期間ということで電話料金が無料だという。帰りの飛
    行機のリコンファームをしていなかったので、この機会にそれを行おうと列に並ん
    だ。並んでいる人達も携帯電話は初めてらしく、もたもたしていた。もちろん僕ら
    も初めてだ。実際に触ってみると番号を入れてから、発信ボタンを押さなければい
    けないのだけれど、まごついてしまった。傍にいたおじさんの手を借りて、日航の
    オークランドの支店に電話を入れた。出たのはニュージーランドの人らしく、英語
    であった。とにかく用件を話さなくてはいけないので、リコンファームしたい・出
    発便の番号・出発日を相手に伝えた。なんとかなったみたいだ(結局ちゃんと伝わ
    っていた)。今日は、ちゃんと切符があるので昨日より余裕があった。夕方にバス
    に乗り町に戻った。共同のシャワーを浴び夕食を食べ、ロビーでゆっくりくつろい
    だ。ロビーには暖炉があり、バーカウンターがあり、テレビ・ビリヤード台がある。


     Methven Country Inn 宿泊

    8月14日
     今日はちゃんと起きた。例のニュージーランド人と一緒に滑る。一人はドイツの
    ボルクルの板を持っていて、これはいいスキーだと自慢していた。あいかわらず、
    ゲレンデの東側の斜面はフランススキーチームが占有している。ボルクルの板を自
    慢していたやつは、僕の後ろを滑っていて転倒したときにスキの板を傷つけ、それ
    を僕のせいだとイチャモンをつけてきた。前を滑っていて、後ろの人間の滑りに責
    任があるなん上級者で聞いたことがない(初心者相手なら、責任の一端はある)。
    そこで、「転んだのは自分のスキ−技術の問題だ」と言ったら、怒り出して帰って
    しまった。変な奴はどこにでもいるもんだ。例の美容師のニイチャンもあきれてい
    た。二日間一緒に滑ったことで、ヘリスキーは大丈夫だと彼からお墨付をもらった。
    「よし、今日下におりたら申込所に行き申し込もう」と決心した。
     スキー場から帰って、秋山君とメスベンの町の中心部まで歩いて行った。二日前
    町に着いたときは、中心部から宿まで遠いと思ったが、再度歩いてみるとさほどで
    もなかった。町で洋服屋(さすがにセーター類の種類が多かった。)・ヘリスキー
    の申込所・スポーツ店を回った。洋服屋で秋山君はセーターを購入していた。ヘリ
    スキーも申込所へ行ったところ、明日の予約は満杯だという。空きがあるのはあさ
    ってだということなので、その日に予約を入れた。つぎにスポーツ店を覗いてみた。
    中を見てみるとスキー道具が安いかと思ったが、日本での一年落ちと同じ程度の値段
    なのと最新型が無かったのにはがっかりした。ヘリスキーの申込所へ行ったところ
    明日の予約は満杯と言われた。あさっては、空きがあるというのでヘリスキーはあ
    さってにすることにした。次にスポーツ店に向かったでレンタルスキーを借りるこ
    とにした。スキーのレンタルをカードで行い、申込書にカードと同じ漢字で書いて
    いいかと聞いたところ、「OK」と言ってくれた。そこで「伴和弘」と書いたのだ
    が、実際に申込書を渡したところ、漢字が読めないので、「ニックネームとして、
       JAPAN」にするという。「ナニー! 署名の意味がないじゃないか」と思った
    がしかたがない。漢字は模様のようだとおっしゃっていた。そうかも知れない。ス
    キー板と半券を受け取り店を出た。途中のガソリンスタンド?僕はジュースを買っ
    て歩いていたところ、同じ宿に泊まっているニージーランド人(二人ずれ)が、拾
    ってくれた。車内では英語をしゃべっていたが、つい秋山君と話すときに日本悟を
    使ったら、二人はえらく驚いていた。まるで悪口でも言われたかの目をして、二人
    とも振り返った。そうだ、仲間がいるときには全員が判るようにしゃべらなくては。
    宿に戻ると日本人がもう一組来ていた。どうやら新婚旅行で来ているように僕には
    見えた。かれらは夕食以降まったく姿を見なかった。今日まで一緒だった例の美容
    師は休暇が終わり帰っていった。


     Methven Country Inn 宿泊

    8月15日

   今日もバスに乗り、Mt.Hutt スキー場へ向かった。今日は、ゲレンデ外へ行こう
    と出発のときから決めていた。ゲレンデの最頂部へゆくと「EXPERT ONLY 初心
    者ダメ」と書いてあった。秋山君に大丈夫だと話し一緒にオフピステに入っていた。
    南側の斜面(日本でいうところの北斜面)の上部はパウダースノーであったが途中
    からクラストした斜面になってきた。また雪の下に岩の出ているときがある。ぼく
    はそれにスキーをひっかけさらに岩に尻をぶつけてしまった。アイタタ。オフピス
    テはこれぐらいにしておこう。まだ明日のヘリスキーがあるんだ。今日は早々に
    スキー場を後にした。宿に帰ると「ジャグジーあり」という貼紙があった。宿の
    おばさんに聞くと、入れるよという。追加料金を払うことを告げ、へやに戻り準備
    をして、外に出ていった。そうなのです外にあるのです。外気温が氷点下5度くら
    い。更衣室がないので外で手早く服を脱ぎ、ジャグジーに入ろうとするが、お湯が
    循環していない。捜すとちょっと判りにくいところにスイッチがあった。泡が出始
    めると気分は、Skierの世界。星空を見ながら明日の天気を祈った。適当なと
    ころで切り上げ、手早く体を拭き、室内の共同シャワーに急いだ。シャワーを浴び
    た後、また暖炉のあるロビーへ行った。ロビーには、昨日車に乗せてくれた人達も
    いた。ロビーにいた人の中で、リヒテンシュタインから来ている女子学生がいた。
    なんでも世界一周旅行中だという。ウラヤマシー。僕は彼女と話しているときに、
    リヒテンシュタインをルクセンブルクと間違えてしまっていた。英語がうまいの
    で、「小さい頃から勉強しているの?」と聞いたら、リヒテンシュタインはスイス
    と同じで学校で何カ国語かを習うという。小学校でドイツ語+英語、中学校でさらに
    フランス語というように。そりゃ話せるようになるわ。昨日車に乗せてくれた人達
    も会話にまじり、話し始めたのだけれど、ネイティブスピーカーは話すはやさが早
    い。とてもついて行けないので、さっきの女の子に訳してくれ(!!)と聞いてし
    まった。その子は要約(!!)して、ゆっくり話してくれた。さっきの人ゴメン。
    気を悪くしたみたいで、それ以降話しが沈滞してしまった。
     さあ、きょうはこれぐらいにして、明日のヘリスキーに備えよう。


     Methven Country Inn 宿泊

    8月16日
     目が醒めて、窓から山を見ると、雲がかかっている。一昨日の案内所の人の話し
    によると、天気が悪いと飛ばないという。教えられた番号に電話すると今日は中止
    だという。がっかりしたが、とにかく遅い朝食をとることにする。スキーに行くバ
    スはすでに出発しているため、食堂には誰もいなかった。秋山君と今日どうするか
    を食べながら相談した。バスはもう無いし、この町にはタクシーもなさそうだ。せ
    っかくだから、レンタカーを借りてドライブに行こうということで話しがまとまっ
    た。宿のおばさんに相談するとレンタカー屋に電話をしてくれるという。借りれる
    車があることを確認できたので、町までまた歩いて行った。レンタカー屋に行くと、
    日本人だから日本車がいいだろうということで、NISSANのマーチ(!)を貸
    してくれた。二人はせっかくここまで来て日本車(!)と心のなかで思いながら、
    出発した。とりあえず目的地は、Mt.Cook 経由Queens Townということにした。牧場
    の中を走っていると、遠くでは羊が牧草を食んでいる。「本当にニュージーランド
    に来たんだ」ということを実感する。これは秋山君も同じだったんではないだろう
    か。後から考えてもこの時のドライブが一番印象深かった。車でどんどん走って行
    くと、途中でヒッチハイクをしている二人連れを見つけた。この時は、僕が運転し
    ていたのだけれど、その直前までこの道を走っていて対向車は1時間に1台程度で
    あった。時速100kmで彼等の横を通過してしまったのだけれど、ルームミラーで
    後ろの彼等を見ると本当にがっかりしていた。ブレーキを踏み、「秋山君に乗せて
    やろうぜ」と誘い、「ええで」と同意してくれたので、ギアをバックに入れて彼等
    のところまで戻った。戻って「どこまで行くんだ」と聞くとMt.Cookまでというの
    で、乗せて上げることにした。彼等は車に乗り込んだ後「日本人に乗せてもらった
    のは始めてだ」と感心していた。そんなに、日本人はヒッチハイカーを乗せないの
    だろうか?「学生か?」と聞いた時の彼等の返事にはびっくりした。なんとMt.Cook
    ホテルの従業員だという。エーなんで社会人がヒッチハイクをしているんだ〜と思
    った。ニュージーランドは社会人がヒッチハイクをしながら移動しても大丈夫なほ
    ど時間がゆったりと流れているのだろうか?とおもいつつ走っていった。彼等にど
    れぐらいあそこで待っていたんだと聞いたら「Quite long long time!!」との賜わって
    いた。これは本当だろうと納得した。しかし彼等はどうやってあの牧場の真ん中ま
    で来たんだろうと秋山君といぶかった。Mt.cookに近づくとカール?が開け、山が
    間近に迫ってきた。地図で確認してMt.Cookの方向を見ると斜面に氷河を持った高い
    山が見えた。さらに進みMt.Cookホテルの傍に来ると、ホテル内のロビーからの眺め
    が良いと彼等は親切にも教えてくれた。教えてもらったとうり、ロビーの窓からの
    Mt.Cookの眺めは良かった。ホテルのロビーには、ツアーバスで来ていた、旅行者
    が来ていた。ホテルを出発して一路Queens Townを目指した。ガイドブックで見ると
    名前のとおい美しい町だという。実際にこの町を僕が見たときは、「名前に間違い
    はない」と思った。本当にきれいな町であった。町に入った時にはもう18:00頃
    であった。秋山君と相談し、とにかくヘリスキーが明日予約できるか確認しようとい
    うことになった。予約できたらもう一度走って、明日ヘリスキーをやる。ダメなら泊
    まろう。電話boxを捜すが見つからない。近くのホテルに入り、長距離電話を依頼
    することにした。一昨日日航の支店にリコンファームを僕がしたので、今回は秋山君
    が電話することになった。電話をしたところ明日はダメだが、あさっては空きがある
    という。あさってはもう帰ると話しをすると、「Unlucky!」とな。しょうがないので、
    今日はここQueens Townに泊まることにし、宿を捜すことにした。例のごとく僕は、
    「車で捜せばいい宿があるよ」と秋山君の耳に吹き込み、走るとなんといい宿
    (Lomond Lodge)があった。一階の受け付けに行くと宿の人が出てきて部屋を見せて
    くれるという。すでにここがGood Locationだということが判っていたが、見せてもら
    うことにした。部屋を見たが、文句なし。「OK」と言う。宿の主人に聞くとここ
    は、夕食は出さないという。町に近いので食事は、町でということだ。納得し鍵を
    もらう。部屋は広い。日本で言うところの3DK位の広さの1DKで、応接セット
    +ダブルベット2つ+キッチンである。シャワーを浴びている間にお湯を沸かそう
    とポットに水を入れスィッチをONするとなんと、服を脱いでいる間に沸いてしま
    った(200Wの威力はすごい)。
      しばらく休んでから、今日別の宿に泊まることをメスベンの宿に連絡しなけれ
    ばいけないことを思い出す。そのことを宿の主人に話すと連絡しておいてあげると
    言う。というわけで、僕たちは、Queen's Townの街へ出かけることにした。街へは、
    宿の前の道を少し下ると、街の方に下りてゆく階段があった。街までは、すぐであっ
    た。街には人が結構来ていた。もちろん日本人旅行者も。2人で街を歩きながら、夕食
    をとる場所を捜した。しばらく歩くと、魚料理のレストランがあった。聞くと予約制
    であるが、しばらくすれば空くという。そこで予約を入れて、街をぶらぶらしながら
    待つことにした。僕は、街なかの本屋に入った。そこには地図が置いてあった。それ
    は、多色刷りできれいなものであった。結局Methven近辺の地図を買った。
     時間になったので、先のレストランへ行った。レストランの中は結構混んでいた。
    ウェィーターがメニューを持ってきたが、それは日本語で書かれたセットメニューで
    あった。秋山君は、セットメニューを注文していたが、僕は他にも注文したかったの
    で、英語で書かれた通常のメニューを持ってきて貰うようにウェィーターに頼んだ。
    持ってきてくれたメニューを見るとバラエティーに富んだ料理が載っていた。たぶん
    内容を説明するのがたいへんなのでメニューを別けたのか、または チップを込みに
    して表現するためだったのかもしれない。 この時頼んだのは、伊勢海老の料理がメ
    インであった。料理は美味しかった。

     食後、しばらく街をぶらぶらしてから、宿に帰った。宿に帰ったら今日の移動に疲
    れていたのですぐに寝てしまった。

     真夜中に、僕はふと目が覚め、ベットを下り、ベランダに出てみた。夜空には満天
    の星があった。その中には南十字星もあり、この美しい国、ニュージーランドを見守
    っているように思えた。


             Lomond Lodge Motor Inn 宿泊

          泊まった宿が所属しているチェーンへ移 動します

    8月17日
    朝、起きて窓から外を見ると、バックに山を抱えた湖が見えた。昨日は、暗くなってか
   ら到着したので湖の美しさに気づかなかったのだが、氷河が融けた水をたたえた湖は、
   この街がQueens Townという名を貰ったのにふさわしい美しい湖であった。荷物をまとめ
   宿を後にし、車に乗って街へ降りていった。

       街で簡単な朝食を摂った後、せっかく来たのだからなにかレジャーを楽しもうとインフォ
   メーションを覗いた。そこで、紹介していたのは、河を高速のボートで突っ走るパワーボー
   トであった。Shotover Riverが最も有名だというのは、後から知った。この時はそのこと
   を知らなかったので、参加したのは別の河であった。



    その後、今度はロープーウェーに乗り、街を一望できる山の上へ登っていた。ロープー
   ウェーの山の上の駅は、コンクリート打ちっぱなしの無愛想な建物であったが、そこから
   見下ろすQueen's Townとその回りの景色はよかった。街の後ろには、湖があり、その後ろ
   には小さい半島(そこには、ゴルフ場もあった)が見える。この景色を見ていると、
   スキーだけでなく、観光をして本当によかったとつくづく思った。


    昼が近くなってきたので、帰りのことを考え、Queen's Townを後にした。通るのは
   基本的には昨日と同じコースであるが、前半だけCROMWELLという街を通るコースを取
   ることにした。昨日は気が付かなかったバンジージャンプの橋を見つけたのは、街を出て
   から1時間はたっていないところであった。好奇心に駆られ、車を停め見にいった。橋
   の上から見ると、これは高い。足がすくんでくるほどであった。しばらく見ていたが、
   まだまだ先が長いので、バンジージャンプはやらず、出発した。帰りのコースでは、
   CROMWELLという発電所?ダム?を作るときにできた街に寄った。この街はできて新しい
   にも関わらず驚いたのは、博物館があることであった。展示しているのは、先の発電所や
   ダムの模型が中心であった。英国人は博物館好きと聞いていたが、それをかいま見た気が
   した。この博物館は図書館と一緒の建物にあった。図書館も覗いて見たが、立派なもので
   あった。ニュージーランドは道路もよいし、街の整備も非常にいい。これほどの国造りが
   できるのはすばらしいと思う。振り替えるとなぜ日本がニュージーランドと比較するとあ
   れほどでしかないのが不思議なほどであった。

    途中で、店によりフィッシュ アンド チップスを昼食に買った。ところが、2人とも
   何を考えたのか、TWO FISH AND CHIPSを頼んでしまった。店のおばさんも驚いていた
   が、受け取った僕らも驚いた。昨日食べたものとは、大違いのでかいFISHが二匹が新聞紙
   に包まれていた。ジュースとフィッシュ アンド チップスを車に積み込み、Methven
    Country Innを目指して走った。昨日走っていた時には、こんなに遠くまで来ていたこ
   とを意識していなかったのだが、戻りは非常に遠くに感じた。(考えてみれば、あたり
   まえで 600kmも走らなければならないのだから)。常時フルスピードでマチーを走ら
   せた。それでもMethven Country Innについたのは、夜の9時近かったと思う。車は
   明日帰すことにした。


     Methven Country Inn 宿泊

    8月18日

    さあ、今日はもうMethvenを後にする日だ。朝食を取り宿の宿泊代を精算して、レン
   タカーに乗りMethvenの街なかの、レンタカー屋へ行き、車を帰した。バスが出る時間
   まで時間があったので、喫茶店のようなところに寄り、コーヒーを飲むこにした。ここ
   では、ケーキやバイキング形式で食事ができるようになっていた。
    再び、クライストチャーチに向かうバスに乗った。途中見覚えのある景色を見かけた
   が、どういうルートを通っていったのか良くわからなかった。クライストチャーチの街
   なかのバスターミナルにバスは到着したが、目指す空港へのバスに乗るところは、また
   別の所にあったので、荷物を持って歩いてSQUREへ向かった。まだ、飛行機の出発時間
   にまだ余裕があるので、秋山君と別れ、買い物に行くことにする。秋山君は、CDショッ
   プへ行っていた。僕は、最初本屋によった。ここで驚いたことに、英国のサルマンラシュ
   ディー氏の「サタニックバース」が売っていた。さすがに、ここまでは、イラン人は販
   売中止の圧力をかけてこなかったようである。本を見ていると店員が近づいてきて、しき
   りに勧めてきた。ぼくがペーパーバックはないかと聞くと、「ない」という。しかし、
   他ではてに入らない(確かに、日本でも、翻訳していた筑波大の教授が暗殺されたこと
   により、日本語版は結局販売されなかった。洋書も販売されなかった。)と言い、僕も
   もっともだと思ったので、購入することにした。次に、スポーツ用品店(山用品店)へ
   行った。ここには、東京ほどでもないが、山が多い国柄か、道具が充実していた。その
   次には、デパートに寄ってみた。デパートは3階建てであり、こじんまりとしたものだ
   った。最後は、近くの食良品店により、お土産のチョコレートを購入した。約束の待ち
   合わせ時間が近づいたので、集合場所(SQURE)に戻り、ここから空港へ行くバスに乗
   り継いだ。空港からは、予約してあったオークランドへの直行便に搭乗した。オークラ
   ンドへ到着したのは5時頃であった。オークランド空港から街に向かうバスに乗り継い
   だ。街に到着してからは、「地球を歩く」を頼りに、目指すホテル( Quality Inn
   ANZAC Avenue )へ行った。
    ホテルは値段は高く・機能的すぎて、Methven Country Inn や Lomond Lodge
    Motor Inn の安く快適ななところが懐かしくなってしまった。


     Quality Inn ANZAC Avenue 宿泊

    8月19日
       今日はいよいよ、ニュージーランドを後にする日となってしまった。朝起きると昨日
   の疲れからか、寝坊をしてしまった。昨日いとこの友人の人が、空港に送ってくれると
   申し出てくれていたので、急いで荷物をまとめ、ロビーに降りていった。その人は、時
   間通りにホテルへ来てくれた。空港に向かう途中、ニュージランドの歴史では有名なワ
   イタンギ条約が結ばれた古戦場を案内してくれた。そこは、石造りの砦もあったが、芝
   生が植えられ、公園のようになっていた。空気は冷たいが、天気は良くすがすがしい朝
   であった。
    空港に到着すると、えらく混雑していた。JALのカウンターの前には、セーラー服
   を着た女子高校生が多数おり搭乗できるのか、不安になってきた。しかし、カウンター
   でリコンファームを告げるとちゃんと切符を渡してくれた。いよいよ、日本に向かう。
   飛行機に搭乗すると、行きの便とは大違い、満席であった。先の女子高校生に聞くとフ
   ァームステイの帰りだという。うらやましい。12時間の行程のあと、成田に到着した
   が、日本の暑さにはまいった。機内で、夏服に着替えたとはいえ、一歩空港の建物の外
   に出ると真夏の太陽が待ち受けていた。僕らの夏休みは、これで終わったのであった。



   ******感想*******











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