1.期間:2001年4月13日〜4月23日
2.場所:CANADA B.C州 レベルストーク
3.滑走標高差:44、850m
4.参加者:22名
5.内容
山(岳)スキー仲間の先輩から8年前に紹介されていたCMH(Canadian Mountain Holidays社 )ヘリスキーに、報奨休暇(5年毎)を利用して行ってきました。
5.1 出発まで
山岳スキーの先輩からは、十分にトレーニングをして行くようにとアドバイスがありました。実際に行ったのは、シーズン中のスキーのみでした。実際行ってみると参加者はトレーニングを普段から行っているのか または 欧米人はその食生活・エネルギー(体力)の違いなのか トレーニングを行っていた方がより楽しめることがわかりました。参加申し込みをする前に、インターネットで検索し、参加者のホームページを見て情報を仕入れてから参加しました。
参加希望の4月の2ケ月前の2月から予約・情報の収集を始めました。これは、勤務先の報奨休暇の制度が今年から変更になり、休暇日を決めるのが遅れた為でした。山岳スキーの先輩から、2ケ月前では選べるほど無いのではというアドバイスがありました(希望する地域を選ぶには、6〜12ケ月前がよい)。このため、端数 または キャンセルを当てにすればなんとかなるのではないかと考え、旅行代理店が情報を出しやすい問い合わせの方法を採用しました。思ったとおり端数の空きが4月中いくつか見つかりました。その中で今回の場所を選んだのは、11日間という休暇中でも連絡が取り易いエリア 及び パンフレットに掲載された写真の印象が良かったことから 「レベルストーク」を選択しました。申し込みを行い、出発の1W前に詳細な日程表・マニュアル・日本からのメンバー表が送られてきました。メンバー表を見るとレベルストークに行くのは日本人は、私一人でした。
5.2 出発
4/13(金):
成田空港のANAカウンターにCMHジャパンから指定された時刻に行くとCMHジャパンの住川さんが待ってました。今回の参加者11名。このうち6名は何回も参加しているリピーターでした。成田空港で集合した10名(1名はカルガリー空港で合流)は、住川さんの説明・航空券受け取り後、エアカナダの飛行機でバンクーバーで乗り継ぎ、CALGARY空港に到着し、到着ロビーの所で現地添乗員の出迎えを受けました。この時現地添乗員からデルタホテルの鍵を受け取り、帰りの出発カウンターの場所の説明を受けました。パック旅行に参加した経験のほとんど無い私にとっては、パック旅行は本当に手取り足取りだと感心。添乗員の案内で、空港傍のデルタホテルに到着。ホテルのロビーにはCMHのデスクがあり、通常参加者は
ここで登録を行いホテルの鍵を受け取ります。デスクの傍には掲示板があり、明日のバスの出発時間が表示してありました。今回日本からの参加者は、ボビーバーンズ2名・バカブース4名・カリブース4名・レベルストーク1名の11名でした。カリブース参加者の内2名は、スキージャーナル社から取材に来たカメラマンとモデルとなるスキーヤーでした(
2001年10月号に掲載予定 )。夕食は付いていないので常連の小泉さん御夫婦を含む8名と現地添乗員
計9名でタクシー・自家用車に分乗してカルガリーのダウンタウンの中国料理店へ夕食を食べに行きました。関西から参加の常連の角橋さんは、京都にCMHのガイドを迎え京都案内もしたことがあると語っていました。角橋さんは、会社を経営されていると話していました。常連の方から、CMHスキーの要点の説明を食事中に受けました。レベルストークは今回22名しか入らないので、スキーが十分できるのではないか、またレベルストークは12年前小泉夫妻が行った時は、初めての日本人ということで地元の新聞が取材に来たということも話していました。
食事後、タクシーに分乗し、ホテルに帰りました。デルタホテルは相部屋なのですが、同室の常連の桂さんは、常連同士で飲んだのか部屋に戻ってきたのは1時間後でした。
4/14(土):
同室の桂さんと朝食後、荷物を部屋から降ろし レベルストーク組は10:00
ロービー集合。ホテル前に待っているバスに荷物を積み込む。バスがホテルを出発後、席の周辺の人と挨拶をかわしました。バスの中では、CMHの係員からスキー板のレンタル申込書・スキー技術のアンケート用紙を渡されました。あらかじめ日本人参加がいることが伝わっているため、用紙には日本語で書かれているものもあり、選択可能でした。注意事項を漏らしては、自分のみならず
Grのメンバーを危険な目に合わせると考え、日本語の説明書を選択しました。バスの中では
映画 と CMHヘリスキーの説明ビデオを見ました。また、簡単なビーコンの使用方法の説明とヘリの注意についての説明がありました。5時間ほど移動で、レベルストーク到着。REGENT
INNホテルのフロントで名前を告げ、室の鍵を受け取り部屋へ。運んでくれる荷物を待ちきれないので、荷物を部屋に自分で運びました。階段の途中の掲示板には本日の予定が書いてあり、初日はCMHとホテル主催のカクテルパーティー+夕食会でした。到着後、スキー靴を片方もってCMHのショップへ行き、板の選択とビンディングの調整の為、靴を渡しました。REGENT
INNでの夕食はあらかじめ予約が必要ですが( 他の ロッジでは不要 )、初日の夕食は適当に相席となるので、席を心配する必要はありません。先程の掲示板には、翌日の班分けが貼ってある。通常11名×4班となるが今回は、2班に分けられ私は遅い班になっていた。カクテルパーティーの時間になっても始まる様子もなく、常連とおぼしき参加者(ゲスト)達はビール・カクテル・ソフトドリンクを飲んだりしていました。システムの良くわからない私は、夕食の時間まで待ってました。夕食の会場のドアが開き、バスの中で挨拶をしたカナダ人親子(3人)とドイツ人弁護士の親子と同じ席に座りました。夕食はフルコ−ス(毎回)で、食べきれないほどでした。色々話したのですが、私の話がちゃんと伝わっているかは非常に怪しかったです(こんなんで本当に大丈夫かな?)。
4/15(日):
6:40分に目覚ましをセットしたのですが、時差ボケの影響から、4〜5時頃には目が醒めていました。7:00から、ストレッチ時間。地下の部屋(20畳ほど)にいくと12名位が集まっていましたた。30分ほど行った後、そのまま朝食会場へ向かった。朝食会場の掲示板にその日の天気情報
と 「今日は雪の状態をガイドが確認するため、1時間出発が遅くなる」 とう指示が書いてありました。初日は、ビ−コン訓練から始まります。4月はレベルストークの街中には雪がないので、スキーの準備をして出発。ホテルを出るとまず体重測定。それから車にスキーを積み込みました。ホテルから5〜25分程度の場所にあるヘリパッドへ。ヘリ(乗員1名を入れ、18名乗車可能)に乗り込み、モナシー山脈の山中へ15分程ヘリで移動。そこは一面の銀世界であった。バスで挨拶をかわした米国人のJERRYとビーコン訓練を1時間ほど行い、各班に分かれてスキーを開始。この時期の雪は3〜4月の北海道の雪のようでした。雪は、2500m位では本州の新雪位の雪(軽い)。2000m位ではサンクラスト・ウィンドクラスト・ザラメが現れます。1回の滑走標高差が500〜1、000mあり、途中ガイドがゲストを誘導するために待っていますが直ぐに滑り出すので、ほとんど1ピッチで滑ります。天気は快晴。昼は移動用のヘリとは別のヘリが食事を運んで来ます。このヘリは食事後、午後滑らない人を乗せて帰っていきます。3時ころまでスキーを行い、ホテルへ戻りました。REGENT
INNは夕食の予約が必要なので、ホテルに戻った時に、フロントで予約する必要があります。この時は、一緒にビーコン訓練を行った米国人のJERRYにお願いし、一緒に夕食を食べました。部屋に戻ると居眠りをしてしまい、JERRYから電話で起こされてしまいました(大失敗)。夕食の112にはJERRYとホテルのオーナーが先に席に座っていました。夕食の間
JERRYとホテルオーナーの会話が続きました。その時CMHのマネージャーが席に来て、空席があるので私に早い班へ替わらないかと打診に来ました。食事をしたJERRYと別の班になると翌日夕食の相手を捜すのが面倒になると考えたのと、時差ぼけで体が慣れていないので、そのままの班を希望しました。JERRYから翌日班を替わるのかと聞かれました。参加者の名前を覚えきれないので、紙にメモを書き留めておくようにしました。
4 /16(月):
本日もガイドが雪の状態を確認するため、出発が30分遅れた。天気は晴れ。今日は写真を撮りまくり・滑りまくる。昼食前、早い班で一人疲労した参加者(ゲスト)が発生したため、ガイドから班交代を依頼されたが、同じ仲間と別れるのは残念だったので断ってしまいました(
後から考えれば失敗でした )。午後、2名が早い班へ、2名が( ゲストは1名、もう1名はCMHショップの店員
)遅い班に移動して来ました。移ってきたBIJORNはスウェーデンから来た人で、競技スキーヤーだがオフピステ(Back
Country Ski )は初めてなので、勝手が違い大変だとこぼしていました。3時30分頃までスキー。この間別のゲスト(STEVE
)が右足を捻挫。STEVEは夕方ホテルに戻った時に医者に行き、2日後この怪我のため帰っていきました。スキーからホテルに戻った時、午前中一緒だったBiLLから夕食に誘われた。以後の天気で明日以降雪が降るという情報を聞き込んだので、CMHのマネージャーに、早い班に移して貰えないか依頼したが、既に空席が埋まっていてダメだった。
JERRYも同じテーブルに加わった。席にはガイドのLILIも一緒だった。ストックにストラップがついていない理由を聞いたところ、雪崩にあった場合、ストックにストラップが無い方が脱出しやすいからだという話であった。一緒に食事をしたDiCK・BILLはテキサスの弁護士であった。
4/17(火):
本日は街中の天気は雨であったが、山の上は天気が良いということで出発。今日は、営業を終了したクートニーエリアの北へ向かった。天気が悪いので今回の班のうち1/3はお休み。今日はガイドの雪確認が無いため、朝食後30分程度で出発。あまり時間が無い。午前中は樹林限界以上を滑っていたが、午後は林間コース(
tree run )を滑った。午後3時頃までスキー。「天気が良すぎるため滑走距離が延び、保証標高差30、500mは明日一日滑れば達成しそうです。滑走保証標高差を超えると、63カナダ$/1、000mの割り増し料金がかかる」ことをガイドが説明した。これは結構高い。この後、金曜日は、10、000m位滑ったので、この一日で50、000円位になったことになる。しかし、参加者が少ない(私たちの班は5名)ため、今日のヘリはまるで貸切り状態でした。夕食は昨日のBILL・BIJORN達と同じGrで。BIJORN・PERはスウェーデンの会計事務所で働いている。夕食は大ジョーク大会。ほとんど理解できない(
悲しい!! )。BILLからは「ジョークが理解できないなら頭を剃れ」と言われる始末。次回は、ジョークを準備しておこうと考えた。夕食後BIJORNに誘われ、飲みに行った。
STOCKERS BARは、何とストリップステージがあるBARであった。丁度踊り子が踊っていたが、その様子は映画の中で見る光景と全く同じであった。その後ビリヤードをやろうということになり、ホテルの隣のPUBへ行った。ここで8ボールをやったがルールを今一つ忘れていた。4ゲーム位やったが僕は眠くなり
待っている間キューに持たれて居眠りをしてしまった。飲み代を払った記憶が全く無かった。
4/18(水):
本日も街中の天気は雨であったが、山の上は天気が良いということで出発。午前中は前日滑った林間コースを滑った。昼食中降雪が多くなり視界が悪くなったのと、割り増し料金考えて午後はスキーをキャンセルし、ホテルに戻った。時差ボケの疲れでホテルに戻ったら、夕方まで寝てしまった。夕食は昨日のBIJORN達と同じGrで食べた。夕食時席にドレスを着た女性が、映画撮影が終了した後でカラオケに行かないと我々のテーブルに誘いに来た。その週レベルストークへ映画撮影に来ていた女優であった。夕食後映画撮影を見に行ったがなかなか始まらないので、ホテルに戻った。
4/19(木):
本日は天気晴れ。今日は1日中滑った。午後 早い班のドイツから来ていたスノーボードの親子(
STEPHAN とGIDEON)が相次いで怪我。父親はあばら骨を骨折して滑るのを一度パスしてヘリの着陸場所で待っている時に息子
( GIDEON )が怪我をしたという無線が入った。スノーボードの親子とホテルに帰るヘリで一緒になったので様子を聞くと、GIDEON(中学生)は、右手首不完全骨折していた。GIDEONはホテルに帰った時医者に行き、ギブスをしていた。しかし、金曜日ギブスをしたまま、参加していた。今日も夕食は、BIJORN達と同じテーブルで食べた。
怪我人やキャンセル者によりヘリに空席ができた為か、休暇のガイドやガイドの友人がヘリに同乗することになった。今日のヘリスキーには、MANAGERの姉のLESLEYが乗ってきた。LESLEYはヘリスキーは初めてだと言っていたが、Back
Countryでの滑りは何の問題もない。これを見ていると、オフピステが下手なのは単に一般の日本人のスキー技術のレベルが低いだけではないかと考えました。(後で別の人から、滑っている斜面の環境の違いが大きいと指摘を受けました)
4/20(金):
本日も天気晴れ。今日も1日中滑ったが、午後の後半の雪は日本で滑れるようなザラメ雪。天気が良いので他の参加者は喜んでいたが、単調な雪にだんだん飽きてしまい、ガイドに「ホテルに帰りたい」と告げた。しかし「あと2回滑らないとホテルには帰らない」と回答してきた。がっかり。しかし、これをゲストの不満と考えたようで、この日の最後の滑走はCMHのコースに入っていない新しいコースを滑った。結構傾斜のある部分が途中にあり、中学生のSTEFFANY(かなりうまい)は恐怖のため、途中でベソをかいていた。帰りに今日のコース名を別の参加者が聞いたところ、名前が無いと言っていた。しかし、後で掲示板の滑走記録を見ると「カシミール(Khashmir)」と書いてあった。最終日の夕食は、初日の夕食と同じ場所で、サヨナラパーティーが行われました。夜
翌日のスキーの割り増し料金を払えるかで、カード会社にカナダから日本へ電話した。実は割増料金を一桁勘違いしてしまったからであった。夜の11時頃(日本時間は夕方)DCカードに連絡を入れたが、「日本は土曜日でカード会社の窓口の受付が終了し、担当者が使用可能金額の変更は不可能です。」と回答したため、土曜日のスキーをキャンセルすることにした。
4/21(土):
本日も天気が良いが、割り増し料金を考えキャンセル。参加者のうち8割が、キャンセルしていた。キャンセル客のうち、何名かは、午前中いカルガリーに戻るバスを予約していた参加者が含まれていた。最終日の昼食は、ホテル内で食べる。昼食後CMHのデスクに行き、滑走標高差を超過した分の割増料金・CMHショップでの商品購入代・チップを支払いに行った。また、ホテルの酒・マッサージ等の料金は別にフロントに支払いを行った(
他のロッジではCMHデスクに一括支払う )。春の時期は、CMHショップの商品の一部は30〜50%引きになっているので、お買い得のものがいくつかありました。午後3時のバス出発まで、レベルストークの街中をぶらぶら。街は山中の田舎町だが警察署はちゃんとあった。これは、街中に無い他の場所ではできないメリットでした。15時30分に新しいお客を連れたバスが到着し、折り返しのバスに我々は乗車し、カルガリーへ戻った。カルガリーのデルタホテルのCMHデスクで部屋の鍵を受取ったところで、別の場所に行っていた日本人10名と再会した。
4/22(日)〜4/23(月):
カルガリー・バンクーバーを径由、成田空港へ。バンクーバー空港から成田空港までの機中で隣の席に座ったおばさんは、孫に会いにサンフランシスコに行き、日本に帰る途中であった。バンクーバー径由でサンフランシスコへ行ったのは、最も航空券が安いからだという。すごい!日本語以外全く話せないが、孫に会いたいという一念で、行きも帰りも一人で旅をしていた
という。
***感想***
1. 3日目(水曜日)までは、時差ぼけで結構つらかった
2. 1週間いると、同じような雪質 ( 上は コーンと呼ばれる 本州の軽い新雪
下は サンクラスト・ザラメ )ではだんだん飽きてきてしまいました
3. 毎朝のストレッチは、体をほぐすには丁度よかった。ストレッチを
欠席していた参加者が怪我をしたので、有難さを痛感しました。
4. ジョークを理解でき、また話せるともっと楽しめました。
5. 次回は、軽いパウダースノーの時に参加したい。
6. 22人( 通常は44人 )だったため、班が2つとなりヘリの回転が良かった。
また、班数が少なかったので 「シュプールを接近して滑るように」というガイ
ドの注意もあまり無く、結構自由に滑らせてくれました。
7. 参加費がツイン仕様だったにもかかわらず、(部屋が空いていたため)ダ
ブルベットの部屋を一人で使用できたのはラッキーであった。
8.夕食は6時30分頃から食べ始めても、会話をしながらフルコースを食べる
ため、夕食が終わるのが9時頃になる。その後、パブに行って飲んだりするが、
私は眠くて1日しか付き合えなかった。
9 日本人一人では排他的な雰囲気があるかと思ったが、そのような感じはほと
んど無かった。一名後から来た人からバカにされたような目で最初見られたが、
スキーを一緒に滑ったところその感情は無くなったようでした。
**12年前 NZに行った時も、宿のロッジで一緒になったNZのスキーヤーから
「下手な日本人がヘリスキーに来る」といってバカにされた。その時も、次の日
一緒にスキーをすると「その滑りなら全く問題ない」と太鼓判を押してくれた。**
+++ 理解できたジョークを一つ +++
ドイツ・日本・イタリア人が休憩中
ドイツ人に電話がかかって来た。ドイツ人は歯をはずし、「もしもし……」と話し
出した。これは、ドイツ人の発明であった。3分後、日本人に電話がかかって
来た。日本人は眼鏡をはずし、「もしもし……」と話し出した。これは、日本人
の発明であった。また3分後、電話がかかってきた。今度はイタリア人にで
あった。イタリア人は、「ファックスを見に行かなきゃ」と出て行った。
( イタリア人は発明ができないから、いままでのものを使うしかない )
ハハハ……………
(でも、なぜイタリア人だと面白いのか私は、よくわかりませんでした)
+++++++++++++++++++
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5.滑走標高差一覧
4/15: 6,300m ( 8本 )
4/16: 8,200m ( 12本 )
4/17: 7,100m ( 11本 )
4/18: 4,900m ( 7本 )
4/19: 8,400m ( 13本 )
4/20: 9,950m ( 16本 )
4/21:
0m
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合計 :44、850m
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6.写真
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![]() ホテル外観 |
火曜日の写真
![]() BiLL |
![]() BAN |
![]() 斜面が続く中を滑る |
![]() 昼食時(後ろのヘリは食事運搬用) |
![]() |
![]() |
![]() 右の男性(Dick)はドアマン 左(AXCEL)、中(PATRICK) |
![]() スキーを投げているのはKURL |
木曜日の写真
![]() JERRY(1)--71才だが、滑りはパワフル |
![]() JERRY(2) |
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![]() 今日も快適なスキー |
![]() Nic(米国空軍)とsteffany(カナダ)の兄妹 |
![]() Jerry、Ban,Bjorn &Per(スウェーデン) |
![]() 長い斜面が続く(上の点は人です) |
![]() ガケやクレバスを縫って滑る |
金曜日
![]() 30°程度の斜面が続く
(長い!!) |
![]() 同じ班のメンバー 手前(PATRICK) 後 左からSTEFFANY、 LESLEY(マネージャーのJINNYの姉) KURT、AXCEL、NIC、JERRY、 KURL(手を上げている)
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![]() ガイド達と 左から LILI、BIJORN、PER、JINNY、 SELKIRKヘリのパイロット TADO、STEVE
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リンク