雪の中をさすらいの旅を続ける僧がありました。
信濃の国で修行をしておりましたが、あまりに雪深くなったので鎌倉に戻り 春にまた 出かけようと悪天候の中 佐野の渡りに辿り着きました。
あまりの大雪に僧はその辺りに家に泊めてくれるようにと頼みます。
応対したその家の妻は主が留守なので一存では泊めることが出来ないと言います。
僧は主の帰りを雪の中で待つことにします。
そこへ戻った家の主は 僧の頼みを「御泊めするのは容易いことだがあまりに貧しく見苦しい暮らしぶりなので」と断わり、この山を十八町程行くと山本の里という宿があるから日の暮れぬうちにそこまで行かれるがよかろうと勧めます。
僧は立ち去りますが、主の妻は自分達が零落したのも前世で仏の戒めを怠ったためであろうから、せめて旅の僧に宿を貸せば後生は報われるかも知れないと言います。
妻の言葉に主は雪の中を僧を呼び戻しに追いかけます。
大雪のことで僧は進みかねて袖にかかる雪を打ち払いながら難渋している様子です。その姿を見て
駒とめて 袖打ち払う かげもなし 佐野の渡りの 雪の夕暮れ
と主は古歌を口ずさみます。この歌の佐野は大和の佐野でこの東路上野の国の佐野ではありません。
追い付いた主は僧に 雪の暮れに迷い疲れるよりは 見苦しくとも一夜我家に泊まられるようにと言います。
主は客となった旅僧に粟飯をすすめます。
夜更けて寒さが厳しくなりますが焚き火をして暖をとる薪さえ無い貧しい暮らしです。
主は秘蔵の盆栽を伐って火を焚き僧にあたるようにすすめます。
僧は篤い志に感動して主の名を尋ねます。主は佐野源左衛門常世の成れの果てであると名のります。名高い武将が何故このように零落れたかとの重ねて問いに佐野源左衛門は一族に領地を横領されたためと答えます。鎌倉に一大事があればすぐにも馳せ参じ、合戦ともなればまっ先に敵に立ち向かって ここで飢えつかれて落す命を戦って討死することができるものをと嘆く源左衛門に、僧は鎌倉に来ることかあれば自分を頼るようにと言いおいて雪の中を去っていきます。
後日、源左衛門は旅人から鎌倉に召集のあったことを聞き、自らも痩せ馬にまたがって鎌倉を目指します。
痩せ馬にむち打ってようやく辿り着いた鎌倉には諸国から馳せ参じた侍達が星のように居並んでいます。時の執権北条時頼の使いに御前にまかりでるようにと呼ばれ、古びた鎧に錆びた長刀のいでたちをあざ笑う侍達の前を源左衛門は悪びれることなく進みます。
あの雪の日の僧は、最明寺殿こと北条時頼の旅の姿でした。時頼は源左衛門の言葉を試すために侍達に召集をかけたのでした。その志にむくいるため、時頼は奪われた領地を源左衛門に戻し、雪の日に焚き火で燃やした盆栽の梅、松、桜に因んで加賀の梅田、越中の桜井、上野の松枝の三箇所の荘園を与えました。
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