三善晃氏が10月4日、心不全のためお亡くなりになられました。 私がまだ高校1年生で、同じクラスの人間から合唱部(私の高校では音楽部と称していました)に一緒に入ろうと誘われ、新入生歓迎会用に上級生が練習していた「心の四季」の中の「みずすまし」、それも合唱パートではなくてピアノのアルペジオの美しさに惹かれて合唱を始めてみたのです。当時はエリック・クラプトンとか、ELPとか、ディープ・パープルとかいった洋楽を聴いておりまして、クラシックなんか音楽の授業でしか聴かない。合唱だって音楽の授業しか歌ってこなかったし、合唱部に入ってからも「大地讃頌」なんか格好いいねなんて言っているような高校生でした。その年の秋、NHKのたしかFMだったと思いますが、全日本合唱コンクールの実況録音を放送しておりまして、ほかの合唱団はどんな曲を歌っているんだろうという興味もあってエアチェックしてみたのです。課題曲のSalve Reginaやラシーヌ讃歌など外国の曲が並んでいるなかで、その日の放送の唯一の日本の曲が「ほらがいの笛」でした。洋楽を聴いているような高校1年生が突然「ほらがいの笛」を聴いたっていいと思うわけがありません。実際全然わかりませんでした。暗いテーマ、複雑な和音、頻繁に変わる拍子、わけのわからないピアノ。当時の自分には理解を超えた音楽でしたし、その時はけっしていいとは思わなかったのを覚えています。でも何かが気になったんです。その何かは今でも心の隅でもやもやしてなんだかわからないままですが、当時、その何かが高校生を「五つの童画」のLPや楽譜を買いに走らせ、擦り切れるまで繰り返し楽譜を見ながら聴かせることになったのです。そしてきっとその何かが合唱のLPや楽譜の収集に駆り立て、今の自分があるように思います。 三善晃さんの作品や作風・評価などはほかの詳しい方がお書きになられるでしょうから、私は全く個人的な思いを記させていただきました。 肉体は死して朽ち果てるとも「五つの童画」は永遠に不滅です。 謹んでご冥福をお祈りいたします。 (2013/10/6掲載) | |
松村禎三氏が8月6日の午後、肺炎のためお亡くなりになられました。 一定の音形を執拗に繰り返すことで呪術的な独特の曲を作りました。代表的な合唱曲としては「暁の讃歌」がありますが、東京混声合唱団の桂冠指揮者である田中信昭さんとの対談で、『たとえば《暁の讃歌》なんかでも、バスが始めから終わりまでDでしょう。1回も転調しないんだよね。「1回くらい転調したらどうですか」って、野田暉行さんに言われた』(ハミング12月号、昭和56年12月1日発行第7巻第12号より)とあるように、非常に長い持続を持った曲で、日本の合唱曲の中でも異彩を放つ名曲だと言えるでしょう。 謹んでご冥福をお祈りいたします。 (2007/8/19掲載) | |
世界的な作曲家としては合唱曲にも興味を示しており、合唱作品もいくつかあります。それは1956年のハンガリー動乱にさいしてウィーンに亡命する前は、ブダペスト音楽院で作曲を教えるかたわら合唱団の指導も行っていたからでしょう。そのころの作品はハンガリー民謡の編曲や民謡を取り入れた作品を発表していました。当時、ハンガリーは共産党の統治下にあり、クラシック音楽への弾圧も強く、また新ウィーン楽派の音楽は厳しく規制されていたため、新しい音楽に関する情報は極度に少ない中で、クラスター手法の萌芽ともいえる形で「夜」を作曲していました。 西側に亡命後の合唱作品としては、「レクイエム」や「永遠の光」があります。これらはキューブリック監督の「2001年宇宙の旅」の中で使用されており、特にあの石盤のテーマ(?)として使用されたレクイエムの中の「キリエ」は、作曲者や曲名は知らなくても、多くの人が耳にして印象に残っている作品では無いでしょうか。1980年以降にも「三つのファンタジー」、「マジャール・エチュード」、「ナンセンス・マドリガル」などの無伴奏合唱曲を作曲していますが、やはり合唱曲の代表作品としては「レクイエム」と「永遠の光」を上げたいと思います。 謹んでご冥福をお祈りいたします。 (2006/6/25掲載) | |
東京混声合唱団音楽監督でもあった岩城宏之氏は、世界的な指揮者でありながら合唱の指揮も多く行っています。特に印象に残っているのは、1989年の第119回東京混声合唱団の指揮です。合唱団員が誰も並んでいないステージに岩城宏之さんが登場して、お辞儀をしたかと思うと、客席に背をむけて、指揮棒を振り始めたのです。すると客席のあちらこちらから声が鳴り始めたのでした。シュネーベルのContrapunktus I の演奏でした。演奏の後、Stuttgart Schola Cantorum の演出という種明かしがありましたが、得難い体験をしました。その後も東混の定期に出演して、尹伊桑、Fortner、Kagel、Cage、Messiaen、Ligeti 各氏などの一流の作曲家の合唱作品を生で聞かせてもらいました。演奏の合間の軽妙なトークがもう聞けないのが残念です。 謹んでご冥福をお祈りいたします。 (2006/6/25掲載) | |
10月16日、萩原英彦氏が永眠なされました。萩原氏の合唱曲というとすぐに思い浮かぶのが「光る砂漠」ですが、その他にもピアノ付きや無伴奏の合唱曲を多く作曲されておりました。選び取られる詩作は、矢沢宰にしても、ブッシュ・孝子(白い木馬)にしても、また細川宏(花さまざま)にしても、若くして死した方の詩作、あるいは死の予感、あるいは宣告という状況の中で記された詩作が多くなっています。また、これらの混声合唱とピアノのための組曲は、ピアノのカデンツァによって合唱が分断されるほど、重要視され、また多用されている点で、中田喜直氏の女声合唱曲の書き方に影響を受けていると言えるでしょう。これらの多くは女声合唱に編曲されて歌われてもいます。一方で、女声合唱のオリジナル作品は、上記の混声合唱とピアノのための組曲よりは小粒ですが、美しいメロディーとハーモニーに溢れている作品が多いと言えましょう。他に、無伴奏合唱のための動物たちのコラールシリーズがありますが、やはり音楽的な内容の深さと言う点で、「光る砂漠」を代表曲にあげたいと思います。 謹んでご冥福をお祈りいたします。 (2001/11/9掲載) | |
5月17日未明、旅先の中国にて團伊玖磨氏が永眠なされました。團氏の合唱曲というとすぐに思い浮かぶのが「筑後川」でしょう。ポピュラリティを獲得した合唱組曲で、この曲も高田三郎さんの「水のいのち」のように、多くの人が歌ったことがある曲だと思います。朝日新聞にも代表曲として出ていました。ただ、mtakは「岬の墓」と「原體剣舞連」をお勧めします。「岬の墓」は曲のもつ骨格の骨太さでは日本の合唱曲中随一ではないかと思いますし、実際、よく歌われている名曲だと思います。一方、「原體剣舞連」はその曲が持つ乾いた抒情など、他の多くの日本の合唱曲には無い良さを備えながら、あまり歌われてはいないようで残念です。 謹んでご冥福をお祈りいたします。 (2001/5/17掲載) | |
2月4日、パリにてIannis Xenakis氏が永眠なされました。Xenakisさんというとコンピュータミュージックというイメージが強いですが、思いのほか合唱曲も書いています。その中でも一番はNuits(夜)ではないでしょうか。ギリシア時代の氏自身の政治活動、投獄、亡命の体験が、この曲に濃く表出されていると思います。こういった経験があるにもかかわらず、氏の作品には政治的要素が強い曲はそれほど多くありませんが、この曲の劇的なまでの緊張感はものすごいものがあります。ご冥福をお祈りいたします。 (2001/2/6掲載) |