第3日(妙香山→平壌)


5月1日(土)

 妙香山を朝出発し、平壌に向かう。ルートは来たときと同じである。途中、あちこちで車が故障しているのに出くわした。パンクもあれば、オーバーヒート、バッテリーがあがったなど、原因はいろいろであるが、とにかく故障している車の多いことは事実である。そもそも交通量が極端に少ないのに、こんなに故障している車をよく見かけるということは、大変な故障率、ということになる。

 それのみならず、平壌までの中間地点くらいまで来たときに、軍の車と他の車とが交通事故を起こしているのを見つけた。どうやら怪我人はなかったようだが、車の前面は大破していた。皆が面白がって写真を撮ろうとするので、P案内員が、「写真は撮らないで!」と言ったが、皆それを無視してシャッターを切ったので、P案内員は明らかにカチンと来ていた。

交通事故現場。

 平壌に戻ってきたのは、午前11時頃であった。まず、我々は平壌国際文化センターの土産物店に行った。すると、ここで、中国語を話す団体と出くわした。てっきり妙香山で出会った台湾の団体だと思って、

「昨日もお会いした台湾からの団体の方ですか」
と声をかけると、憮然とした表情で
「中国だ」

と言われた。中国本土から来た団体であった。P案内員の知り合いがこの一行の中にいたらしく、P案内員はその人と流暢な中国語で立ち話をしていた。

 お土産屋では、商品の値段はウォンと中国元とで書かれていた。もちろん、どちらでの支払いも可である。1ウォン=4元のレートであった。Cさんの話では、ドルや日本円でも支払いはできるはず、ただし、お釣はパックントンで来るということであった。果たして、中国元の現金ならお釣も中国元で来るのだろうか。

ビルの上に「朝鮮は一つだ」の文字。ビル中ほどには、「自力更生」の文字。

こちらは、「偉大な首領、金日成同志万歳」の文字。

労働新聞本社ビル。

 その次に、マンスデ(万寿台)の丘を訪れた。ここは、例の巨大な金日成主席の銅像のあるところである。銅像の高さは25メートルであり、これは、挙げた右手の先までの高さである。この金日成像の両側には、2つの革命闘争記念塔が立てられている。左側の塔には「百戦百勝のマルクス−レーニン主義の旗印万歳」、右側の塔には「金日成将軍万歳」と書かれている。

 皆が、金日成像の写真を撮ろうとすると、

「まず、主席に献花してご挨拶するのが先です。写真はそのあとから!」

と案内員たちに怒られた。その時のL案内員の「献花」のアクセントがおかしかったので、我々はボクシングのような仕種をしながら

「では、まず主席と喧嘩しましょう」

とL案内員をからかった。

万寿台の丘の金日成主席像。

 我々は全部で10人の一行であったので、案内員たちは最低でも花束を3本献花したかったようだが、花束は1本10ウォンもするので、我々は渋って、花束2本を主張した。我々は巨大な金日成主席像の前に並ばされ、EさんとFさんの奥さんの2人が代表で銅像に献花した。そのあと、銅像に向かって深々と頭を下げた。

金日成主席像前にて。

 この一連の儀式が終わって、やっと自由に写真を撮ることが許された。金日成像の前で記念撮影をしたり、丘の上から平壌市内を撮ったりした。市内を流れるテドンガン(大同江)の向こう側にそびえる、チュチェ思想塔もよく見える。その横には、チュチェ思想塔と同じくらい高くまで上がる噴水も見えた。恐らく、100メートル以上水を噴き上げていると思われる。なお、金日成像の後ろには朝鮮革命博物館があるが、これは日を改めて訪れることになっていた。また、近くのチョルリマ(千里馬)銅像は、どういう訳か近づくことができない。

バスの窓から撮影した、千里馬銅像。

 昼食は、大同江のほとりにあるオンリュグァン(玉流館)というレストランで、かの有名な平壌冷麺を食べることになっていた。玉流館の1階は地元の人が利用する食堂になっているが、我々は当然一般人からは隔離されて、2階の特別室で食事をすることになった。そのときちょうど、平壌空港で分かれた4日間コースの人たちと一緒になった。4日間コースの人たちも、今日の昼はここで冷麺を食べることになっていたからである。

 冷麺が出てくる前に焼肉が出されたのには笑ってしまった。焼肉と冷麺の組み合わせは、あまりにも不釣り合いである。何も、そこまでして肉が豊富なことを強調しなくても、と思うのだが。ただ、その肉は、日本でも滅多にお目にかかれないほど柔らかくておいしい牛肉だった。これは正直に認めよう。

玉流館の平壌冷麺。とても美味!

 私としては、今回の旅行中、初めてキムチが出たことが嬉しかった。出てきたのはムルキムチ(水キムチ)で、韓国のムルキムチは大根のことが多いが、こちらのは白菜のムルキムチであった。大変美味。最後に平壌冷麺が出されたが、これも我々の期待を裏切らないおいしい冷麺であった。韓国にも平壌冷麺はあるが、韓国で食べるものと大差なかった。皆がだめもとで

「お代わりしたいけど、ただにならない?」

とP案内員を通じて聞いてみると、何と、あっさりOKになった。冷麺を平らげてしまうと、最後に、エスキモーアイスクリームが出た。

玉流館の壁に張ってあったカレンダー。
「偉大な首領、金日成同志は永遠に我々とともにいらっしゃる」
「偉大な領導者、金正日同志の万寿無彊を謹んでお祈りいたします」
「強盛大国」
などと書かれている。

 食事が済んで、玉流館のテラスに出てみた。大同江や、大同江に架かるオンリュダリ(玉流橋)、それに対岸の東平壌地区が見渡せる。中州のルンラド(綾羅島)で憩う人々も見える。そうである。今日はメーデーで、この国では祝日なのである。それで、街角のあちこちに国旗がはためいているのである。大同江からの眺めは良かったが、大同江の水そのものは汚かった。玉流館には若くて美人のウェートレスがいたのであるが、そのウェートレスがたまたまテラスに出てきた。それで、我々は大同江を背景に、入れ替わり立ち替わり一緒に記念撮影をしたので、しまいにはそのウェートレスに呆れられてしまった。これ以後、我々は、どこに行ってもきれいなお姉さんの写真ばかり撮っていた。

街角にはメーデーを祝う国旗が掲げられている。

メーデーを家族で楽しむ人々。

 帰ってから写真を現像して気がついたのであるが、玉流館の近くで撮った写真の中に、路上の売店の写真があった。何か食べ物を売っていることは分かったので、撮った写真である。「*焼き 10チョン」と書かれた紙片が掛かっているのが見えるが、遠い上に紙片がこちらから見て斜めを向いているので、写真をいくら拡大してみても「*」の字のところは読めなかった。

路上の売店は人々で賑わう。

 午後からは、まず、チョソル・ロドンダン・チャンゴン・キニョムタプ(朝鮮労働党創建記念塔)を訪れた。ここは、大同江を挟んで万寿台と向かい合う位置にあり、偉大な首領金日成将軍様の銅像がいつでもこの朝鮮労働党創建記念塔を眺められるようになっているのだという。塔には、鎌(農民)と筆(インテリ)と金槌(労働者)を表わす3つの造形があり、それをリング状の造形が取り囲んでいる。リングの側壁には、「朝鮮人民の全ての勝利の組織者であり向導者でもある、朝鮮労働党万歳」の文字が書かれ、後ろの高層アパートの屋上には、「百戦百勝」の文字が見える。

 ここでも、我々が到着すると、間髪おかず、女性説明員が現れた。その説明によると、リングの外径50メートルは朝鮮労働党創建50周年に、リングの内径42メートルは金正日総書記の生年1942年に、リングの表側に敷き詰めてある石の数216個は金正日総書記の誕生日2月16日にそれぞれ由来している。また、モニュメント全体は、労働党の回りに固く団結しているチョソン人民の様子を表す、という意味が込められているそうだ。

朝鮮労働党創建記念塔。リングの周りには、「朝鮮人民のあらゆる勝利の創造者であり、向導者でもある朝鮮労働党万歳!」、後ろのビルには、「百戦百勝」のスローガン。

 朝鮮労働党創建記念塔前のムンス(紋繍)通りには、市電が通っていた。行き先表示を見ると、「ムンス(紋繍)−トソン(土城)」と書かれていた。ちなみに、平壌駅前を通っていた市電は、「マンギョンデ(万景台)−ソンサン(松山)」と行き先表示されていた。市内では、市電のほかに、バス、トロリーバス、そして地下鉄が庶民の足になっているようであった。そのうち、地下鉄は最終日に乗せてもらえたが、他の交通機関はいくら案内員に頼んでも、「それはちょっと」と言われて乗せてもらえなった。

紋繍通りを行き交う市電。

 その次に、チュチェ思想塔に行った。これは、金日成主席の70歳の誕生日を祝して建てられたもので、塔身の部分が高さ150メートル、その上の烽火の部分が高さ20メートル、合計170メートルの高さの巨大な塔である。塔の途中には、金文字のハングルで「チュチェ(主体)」と書かれている。やはり後ろの高層アパートの屋上にスローガンが掲げられていたが、そのスローガンは「一心団結」であった。

チュチェ思想塔。高さ170メートル。

 塔の建設に使われた花崗岩は全部で25550(=365×70)個で、金日成主席0が生まれてから70歳になるまでに生きた総日数を表しているそうである(閏年はどうなったのだろうか?)。チュチェ思想塔の、大同江に面した側には主席を讃える詩を彫った石碑があり、その石碑の高さは4メートル、幅は15メートルで、主席の誕生日4月15日を表し、彫り込まれた詩が12節からなるのは、主席の生まれた年1912年を表している、という説明がP案内員からあった。その際に、P案内員が、2度に亘り、塔を建設したときの主席の年齢70歳を80歳と間違って説明し、リピーターの人から

「70歳でしょう。こんな大切なことを間違うとは、ガイドにあるまじき行動。後で報告しますよ」

とからかわれていた。P案内員は、平静を装って、

「あっ、ちょっとした勘違い」

と軽く流そうとしたが、顔を見ると、その表情はこわばっていたし、後でお腹を押さえながら

「(主席の年齢を間違えたことで)お腹が痛くなった」

と言っていたから、実際には相当ドキッとしたようである。

 ここでは、女性説明員は現れないな、と思っていると、出ました、出ました、塔の入口のところで日本人妻の1人である小林久子さんが我々を迎えてくれた。塔の外回りはP案内員が説明したが、塔の中は小林久子さんが説明をするのである。

 小林久子さんは在日朝鮮人の夫とともに1960年にこちらに渡り、以後、北朝鮮に住むこと39年になるのだそうだ。小林久子さんは、以前、中村敦夫のテレビ番組で北朝鮮訪問特集をやっていたときに見たことがあったので、「あっ、あの時の人だ」ということはすぐに分かったが、もう相当のおばあさんなので、誰も一緒に記念撮影をしようという人はいなかった(でも、最後には、小林さんと一緒に全員で集合写真を撮ったのだが)。

チュチェ思想のガイド、小林久子さんとともに。

 チュチェ思想はいかに偉大で高尚な思想であるかという小林さんの説明を聞きながら、塔の中を歩いて行くと、一番奥にエレベーターがあり、そこから一気に地上150メートルの塔の上まで上がることができるようになっていた。チュチェ思想塔の上は展望台になっており、平壌市内が一望できる。最後に、塔の中の売店でお土産を少し買って、塔の見学を終えた。

「数年前まで日本人はよく来てくれましたが、最近は、共和国を訪れる日本人がめっきり減ってしまいましたね」

という小林さんの言葉がいやに印象的であった。

チュチェ思想塔の上から大同江上流側を眺める。綾羅島、5.1競技場が見える。手前側の橋は「玉流橋」、奥の橋は「綾羅橋」。

同じく、大同江下流側。大きい建物は羊角島ホテル。橋は「大同橋」。

平壌駅の方角を見ると、我々の泊まっている高麗ホテルも見える。手前の噴水は大同江の中に作られたもので、高さ100メートルも水を噴き上げる。

 このあと、我々は再び大同江を渡り、西平壌に帰ってきた。次の見学場所はケ−ソンムン(凱旋門)である。これも、金日成主席の70歳の誕生日を祝して作られたもので、高さが60メートルある。パリの凱旋門よりも高い、と言うことが全朝鮮人民の自慢であるらしい。大きいものを作るのが好きな民族である。でも、現在の技術を用いれば、パリの凱旋門よりも大きい凱旋門を作ることぐらい、何でもないことである。

凱旋門。

 この凱旋門の左の柱には「1925」、右の柱には「1945」の2つの数字が書かれているが、1925とは金日成主席が祖国解放闘争を始めるために満州に渡った年、1945とは、祖国が実際に解放されて金日成主席が朝鮮に凱旋した年を表している、という案内員の説明であった。凱旋門のアーチの部分には、「金日成将軍の歌」全文が彫り込まれている。この凱旋門は、金正日総書記が、自分の父親である金日成主席のために作らせたものだそうだ。

 この凱旋門の近くには地下鉄のケーソン(凱旋)駅があり、一般人民でごった返していた。凱旋門はあまりに大きいため、近くからでは全体が写真に入らない。それで、地下鉄駅の方まで行って写真を撮りたいと皆が申し出ると、一般人民と我々とを接触させることを好まない案内員は、こともあろうに車道の真ん中で写真を撮れ、と言った。車はほとんど通らないから、まあ、そんなことも可能である。我々は車道の真ん中に集められて、凱旋門の写真を撮った。でも、いくら交通量が少ないとはいえ、本当はかなり危険なことである。

 凱旋門の隣には、キミルソン・キョンギジャン(金日成競技場)があり、その前が少し広い広場になっていた。ケーソン・チョンニョン・コンウォン(凱旋青年公園)というらしい。ここは、1945年10月14日に、金日成主席が凱旋演説をした記念すべき場所で、その様子を描いた巨大な壁画があった。

金日成競技場。

凱旋青年公園。

 ここは、凱旋門からはわずか200メートルくらいの距離であったが、我々はバスに乗せられてそこまで行った。しかし、着いてみると、競技場前の広場にはあまりにもたくさんの人がいたので、案内員たちはついに隔離政策を放棄しなければならなくなってしまった。そこで、我々は人込みの中に入って行ったが、実際のところ、5分や10分人込みの中に混じって歩いてみたところで、この神秘な国の何かが分かるものでもない。

 その次に行ったのが、万寿台芸術劇場の近くの噴水公園である。平壌第一百貨店の近くでもある。ここでは、子供が沢山遊んでいたので、子供と一緒に写真を撮ったりした。皆、第一百貨店に行きたがったが、

「第一百貨店には、日本にもないような品物が沢山あるので、見学不可」

という、分かったような分からないような説明であった。日本にもないような品物、とは一体何を指すのだろうか。ここも、1994年以前には、外国人でも自由に訪れることができる場所であったのに、である。きっと、北朝鮮国民には見えて、日本人には見えない品物が山のように置いてあるのだろう。

噴水公園近くにある金日成主席の肖像画。
下には、「偉大な首領、金日成同志は永遠に我々とともにいらっしゃる」の文字。

 そんな訳で、我々は代わりにラグォン・ペックァジョム(楽園百貨店)に行くことになり、バスで移動した。楽園百貨店の隣には、高麗航空のオフィスがあった。百貨店に入ってみたが、建物は2階建てで、商品の種類も少なく、今では、中国の田舎でももっとマシ、というレベルであった。面白いことに、ここは外国人専用ではないらしく、現地の人、それも、幹部ではなく、一般人とおぼしき人がかなり買い物に来ていた。しかし、店内は写真撮影禁止なので、写真は撮れなかった。商品が少ないことが分かるといけないからだろうか。

楽園百貨店。

 今日の最後のスケジュールは、青年ホテルの近くの平壌サーカス劇場でのサーカス観覧である。我々がサーカス場に到着すると、中国人の団体が大勢来ていた。聞くと、450名の団体だという。中国からだと陸路で来られるので、安い旅費で来られるから、職場単位で北朝鮮観光に来る例は多いのだそうだ。座席についても、周りはほとんどが中国人であった。その他、ドイツ人が少しだけいた。

 サーカスでは、空中ブランコ、皿回し、棒登りなどの曲芸や、熊や馬を使った芸を見せてくれる。空中ブランコの中でも、4人の女性があごの所にだけロープをつけて超高速でぐるぐる回転する技は、見ていて冷や汗ものであった。もしロープが少しでもずれれば、首が絞まって死んでしまうではないか、と真剣に思った。この国は、どういう訳か送電線に執着があるらしく、あちこちに送電線の絵が描かれているのであるが、このサーカスにも送電線をテーマにしたものが出てきた。そのほか、タク・サウム(闘鶏)の出し物のように、あからさまに韓国を馬鹿にした内容のものもあった。

 今まで平壌と妙香山とを見てきたが、どこに行ってもいろいろなスローガンが掲げられている。私の記憶に残っているものや、写真に写っていたもののうちから主なものを挙げると、

「偉大な首領金日成同志万歳」、
「偉大なチュチェ思想万歳」、
「21世紀の太陽金正日将軍万歳」、
「栄えある朝鮮労働党万歳」、
「わが党の軍民一致思想万歳」
などの万歳シリーズ、

「百戦百勝」、
「一心団結」、
「強盛大国」、
「自力更生」、
「転換の年」、
「思想革命」、
「技術革命」、
「文化革命」、
「3大革命」、
「自主統一」
などの4文字シリーズ、

「朝鮮は一つだ」、
「我々は幸福だ」、
「鋼鉄の将軍金正日」、
「我が国は人民の楽園」、
「この世に羨むもの無し」、
「党が決心すれば、我々はやる」、
「我々の信念、我々の意志」、
「金日成大元帥様ありがとうございます」、
「勝利者の信心高く、強盛大国建設へ」、
「侵略戦争には解放戦争で」、
「党と首領に忠誠と孝誠を全うしよう」、
「全員駿馬に乗って全速で走れ」、
「わが党の光り輝く革命伝統を継承発展させよう」、
「我々の運命の永遠の守護者、偉大な金正日同志万歳」、
「純潔な良心と義理で金正日将軍様を仰ぎ奉ろう」、
「金正日将軍様さえいらっしゃれば我々は勝つ」、
「党の教えに従い、新しい勝利に向けて総進軍前進」、
「来たる年を強盛大国建設の偉大な転換の年として光り輝かせよう」、
「強盛大国建設の誇り高き成果で21世紀を迎えよう」、
「あなたさえいらっしゃれば、逆境など何でもない。あなたさえいらっしゃれば、我々は勝つ」、
「後代の人々に、統一した祖国を譲り渡してあげよう」、
「偉大な首領金日成同志は永遠に私たちと共にいらっしゃる」、
「偉大な金正日同志を首班とする革命の首脳部を命がけで死守しよう」
などの短文・長文シリーズがあった。

また、特にメーデーに関するものとしては、
「慶祝5.1節」、
「全世界労働者たちの国際的名節5.1節万歳」
などを見かけた。

 我々は、指定された観光地でバスを降りる以外は、全てバスの中に缶詰にされているから、なかなか平壌市内の様子は分からない。それでも、観光地から観光地まで移動する間の車窓から、人々の生活の様子、一般商店の品揃え、行き交う人々の服装などを何とか見ようと思っていた。ところが、昨日はいきなり妙香山に連れて行かれたので、人を見る機会がなく、今日はメーデーで祝日だったので店は開いていないし、人々も、なんとなく特別に着飾っているようで、あまり参考にならなかった。そして、明日は日曜日だし、板門店にも行くから、やっぱり人々の様子は見られそうにない。

 部屋に戻ってから、テレビをつけてみた。テレビは2チャンネルある(日によっては3チャンネル放送していることもある)。朝は放送がなく、昼は場合によって1チャンネルだけ放送していることがあるが、主たる放送は夕方からである。片方のチャンネルは夕方6時から、もう一つのチャンネルは夕方7時から放送しているようであった。カラー方式はPALである。

 この日はメーデーであったので、ニュースでは、あちこちで開かれたメーデー記念運動会の様子が放送されていた。また、訪朝中のソウルの地下鉄労組の議長という人が運動会の一つを参観し、アナウンサーからインタビューを受けて

「南ではメーデーを自由に祝うことはできない。このようにメーデーを祝うことができる北の人々は本当に幸福だ」

と述べていた。

児童百貨店。「私たちは幸福です」「慶祝5.1節」「智徳体」などの文字が見える。さらに、「全世界労働者たちの国際的名節、5.1節万歳」とも書かれている。

 一方、ラジオの方はAM、FM共に数チャンネルあり、終夜放送をしているチャンネルもある。

 この日の晩、よど号事件の犯人の1人で元日本赤軍の安部公博さん本人が我々のホテルに来ていたらしい。Dさんは、今日刷り上がったばかりの機関誌「おげんきですか」の5月1日号をもらって、2時間も話し込んでしまったと言う。同じく、金子さんという人(よど号事件の犯人の1人で、カンボジアで逮捕された田中義三さんの奥さん)がホテルに来て、4日間コースの人と話しをしていた。よど号関係者たちは、訪朝した日本人に自分たちの活動を宣伝したり、機関紙を渡したりするために、高麗ホテルや、近くのカラオケ店にはよく来るらしい。

 このあと、一部の人たちは案内員を誘ってテドンガン(大同江)ホテルのカラオケに行った。カラオケは、韓国では「カラオケ」と言うが、ここ北朝鮮では「ホァミョン・パンジュ・ノレ(画面伴奏歌)」と書いてある。A君はカラオケに行ったが、私は眠かったので参加せず。

大同江ホテルのカラオケ。


   


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