第2日(平壌→妙香山)


4月30日(金)

 高麗ホテル31階の部屋からの眺めは最高である。高層アパートの林立する平壌市内が見渡せる。通りを行き交うバスや市電も見えるし、朝早くから出勤する人々の姿も眼下に見える。それに、平壌駅のすぐ近くなので、駅を出入りする列車も見える。

高麗ホテル31階からの眺め。

 朝食は7時から、となっていたので、7時少し前に1階に降りて行った。ロビーには、案内員が控えていたほか、同じツアーの人がすでに何人か来ていた。我々のグループの案内員は3人いるが、交代でロビーに控えているようである。要するに、自分の担当するツアーグループの人が勝手に外に出ていかないかどうかを交代で見張っているのである。全くご苦労さんである。我々が外に出るときは、必ず案内員がついてくる。単独での外出はできない。

 案内員に、外に出ていいかを聞くと、ホテルの近所だけならばいい、という返事であった。そこで、皆でホテルの前に出てみた。朝の空気がひんやりとして、爽やかである。ホテルの向かいには食堂が並んでいる。左からルンラ・シクタン(綾羅食堂)、スンリ・シクタン(勝利食堂)、ヤクサン・シクタン(薬山食堂)と書かれた3軒のレストランが並んでいる。

 すぐ近くにある交差点のところでは、青い制服のアンジョヌォン(安全員(=警官))が出て、交通整理をしている。女性安全員、即ち婦警さんである。車などほとんど通らないのに、交通整理をしているのである。交差点に横断歩道はない。代わりに地下道があって、歩行者は全員地下道を通って道を横断していた。たまに地下道を通らずに道を横断しようとする人がいて、例外なく婦警さんに怒られていた。自転車の人も交差点では自転車を降りて、自転車を担ぎながら地下道に降りていくのが見えた。自転車に乗っている人が少ない訳が分かった。

車も人もほとんど通らない平壌市内。

 問題は、「ホテルの近所」の定義だった。せっかく未知なる国に来たのだから、行けるところは全部行きたい。近所とはどの辺りまでを指すのか。案内員に確かめると、交差点のあたりまでは行っても良いが、地下道を通って向こう側に行くのはやめて欲しい、という答えであった。では、地下道の中はいいのか、と聞いたが、はっきりとは答えてくれなかった。要するに、ホテルから20〜30メートルくらいならば1人で行っても良いが、それ以上は行くな、ということらしかった。

 そのうちに、朝食の時間になったので、一階奥の「コリョ・ミンジョク・シクタン(高麗民族食堂)」に出掛けていった。手前側の左手には、本当に伝統様式の食堂が作られているが、我々は奥の普通の作りの食堂に案内された。

 入り口にはピンクのチマチョゴリのウエイトレスが立っていて、やはり我々を笑顔で迎えてくれた。ペク・ヨンオク(白英玉)さんという。朝食に出たのは、朝鮮料理というよりは中華料理に近い、油で炒めたようなものが多かった。おかずに出たのは肉、卵、野菜、明太子などである。ご飯の方は、白米のおかゆで、さらにパンも置いてあった。飲み物は、「シンドク・セムムル(新徳(?)ミネラルウォーター;セムとは泉、ムルとは水のこと)」が置いてあったし、ミルクも出た。いきなりミルクが出たので、そんなものかと思っていたが、リピーターの人が

「おい、ヨーグルトでなくてミルクだよ。牛乳だろうか、それとも羊乳だろうか」

と言っているところを見ると、珍しいのであろう。ヨーグルトはある程度日持ちするが、ミルクは新鮮なまま運んで来なければならないから、割合珍しいようである。他の国では何でもないような当たり前のことが、この国では、

「我が国はこんなに豊かです」

という宣伝材料になるのである。朝っぱらから肉料理が出るのも、同じ理由である。それに、この国では卵は特に貴重品なので、外国でもそうであると思っているらしく、外国人用の食事には、これでもかと卵ばかりが出てくる。私はずっと卵料理の数を数えていたが、必ず毎食卵料理が、それも、多くの場合2種類出てきた。

 卵以外に多いのは、ジャガイモである。これは、金正日総書記が、米に代わるものとして、ジャガイモ量産運動をやったからである。食事のたびに、ジャガイモの料理も必ず2〜3種類出てきた。リピーターの人によると、今回のこんなのは全然ましで、革命聖地でありしかもジャガイモ産地でもある白頭山に行ったりすると、いい加減嫌になってしまうそうである。そのほか、今日出てきた明太子はおかゆに入れるととてもおいしかったが、キムチが出なかったのは残念であった。

高麗ホテル。

 私は、外を一人歩きしてみたくて、諦めきれなかったので、リピーターの人に、案内員なしで外出できる可能性について聞いてみた。しかし、リピーターの人の口からも、一人での外出は不可能、との答えが返ってきた。まず、ホテルの入り口には常に案内員がいて我々を見張っている。たまたま我々の案内員がいなくても、他のツアーの案内員が誰かいるから、やはり見つかってしまう。それを仮に通過したとしても、ホテルの外には、ガードマンが数人立っているから、そこで見つかってしまう。万一、それを運良くクリアーできたとしても、各交差点には安全員が立っているから(本当に、平壌市内のほとんど全ての大きな交差点と、かなり多くの中小の交差点に安全員が立っているのである!)、やはり見つかってしまう。さらに、後に述べるように、市民を装った私服の監視員までいるのである。外国人が案内員無しで外に出て、本人はうまく抜け出したつもりでも、実際にはすべてが当局に筒抜けである、ということであった。

 もう一つ、外出時に問題になるのはお金である。我々は、外国人専用紙幣であるパックントンピョを使うのであるが、北朝鮮の一般人民が使うのはこれとは違うお金で「インミンクォン(人民券)」と呼ばれ、朝鮮民主主義人民共和国中央銀行発行の紙幣である。中国にもかつて、「外貨兌換券」と呼ばれる外国人用紙幣があったことがある(今はない)。しかし、中国の外貨兌換券と北朝鮮のパックントンピョとは、決定的に違うことがある。中国の場合は、一般商店でも外貨兌換券が使えたし、その際に、お釣が人民幣で来ることも多かった。また、市内では、かなりおおっぴらに、外貨兌換券と人民幣との闇交換が行われていた。しかし、北朝鮮では、パックントンピョはホテルや外貨専門店でしか使えず、お釣も必ずパックントンピョで来る。しかも、そのような店は、外国人と一部の特権階級の人々のみしか入れないようになっており、一般人はパックントンピョを持っていても買い物ができないばかりか、逆に、持てないはずのパックントンピョをなぜ所持しているのか追及されて、自分の身が危なくなる。従って、我々旅行者と一般人民との間のパックントンピョと人民券の闇交換もありえない。少なくとも、おおっぴらにはやっていない(でも、旅行者と特権階級の人々との間での闇交換はあるかも知れない)。これは我々外国人についても同じで、もし、何らかの方法で我々が人民券を手に入れることに成功したとして、案内員の目を盗んで意気揚々と一般商店に買い物にでも行こうものなら、たちまちにしてその店から当局に通報されてしまい、持てないはずの人民券をなぜ持っているのか厳しく追及されることになるのである。

 リピーターの人の話や、帰ってから本で読んだところによると、これらの締め付けは、近年、特に厳しくなってきたとのことである。1994年以前は、市内を歩くのも比較的自由であったので、観光客でも、よく平壌駅に1人で行ったり、駅前百貨店でパックントンピョで買い物をして、お釣を人民券でもらい、その人民券で、また別の買い物をしたりした人もいたらしい。しかし、1994年に核査察問題、金日成主席の死去など重大な出来事が相次ぎ、観光旅行が一時中断した。その後、観光旅行は再開されたが、その時に、マスコミ関係者が一般観光客と偽って大量に入国し、本人に言わせると自主取材活動、当局に言わせるとスパイ活動を行った結果、北朝鮮当局はかなり頭に来て、以後、観光客を完全なる監視下に置くことにしたらしい。それ以降、自由な外出は全くできなくなり、また、パックントンピョと人民券との互換性もなくなってしまった、ということであった。

 食事が終わって外にもう一度出てみた。交差点の向こうには鼓笛隊が出て、勇ましい音楽を演奏していた。出勤する人を激励するための鼓笛隊である。演奏している曲は、金正日総書記を讃える音楽だそうだ。平日はほとんど毎日出るそうである。また、平壌駅の方からは、演説が聞こえてくる。最初は放送かと思っていたが、駅前広場に演説台とスピーカーとが用意されており、そこに女性演説員が出て、毎朝肉声演説をしているのであることが後で分かった。

毎日出る鼓笛隊。通勤の人々を励ますために、金正日総書記をたたえる音楽を演奏する。

 今日は、北朝鮮に来て初めての観光であるが、いきなり、平壌から140km離れたミョヒャンサン(妙香山)に行くことになっていた。

 午前8時出発。まずホテル前のチャングァン(蒼光)通りを真っ直ぐ行き、平壌駅前のロータリーをぐるっと回って、ヨングァン(栄光)通りに入った。駅前で撮った写真には、「勝利者の信心高く、強盛大国建設へ」と書かれた立て看が写っていた。面白い事に立て看は時々変わっているようで、帰る前の日に同じところを撮った写真には、違う立て看が写っていた。

ピョンヤン駅。

朝のピョンヤン駅。ひとけのない平壌市内で、ここだけは人でごった返している。

 栄光通りには店が沢山あったが、その中の一つに「駅前魚商店 食料品売り買い商店」と書かれた店があった。売るだけでなく、買う方もやっているのだろうか。

 通りには満員の市電が通っている。歩行者は極端に少ないのに、満員の市電がひっきりなしに通っているのは、やや不思議であった。市電の停留所の附近にだけ、人がかたまっている。皆、おおむね整列して並び、市電を待っていた。

 そのあと、スンリ(勝利)通りを北上し、郊外に出て行った。途中、丸い建物が見えたのでP案内員に何か聞くと、宇宙科学博物館、との答えであった。ぜひ見学したかったが、今回のコースには入っていなかったし、A君が後で尋ねたところによると、今は見学は許可されないそうである。ただ、Cさんから教えていただいたところによると、この建物を「三大革命展示館」と紹介している書物もあるそうで、実際どうなのかはよく分からない。

高速道路から見える畑の風景。

高速道路から見える農村。

 昨日、空港から来た道を北上し、空港のあるスナン(順安)の少し手前で高速道路に上がった。一般道も、高速道も、行き交う車は極めて少ない。途中の畑では、農民が出て耕しているのが見える。まだ、苗は植えていないようであるが、畝はきちんと作ってあった。食糧難が伝えられるから、もっと荒れているのかとも思ったが、さほどでもない。もちろん、この辺は高速道路から見えるから、特別に援助を受けているのかもしれないが。そのほか、羊の放牧をしている人や、池で釣りをしている子供も多く見かけた。自家用車はなく、自転車も極めて少ないから、地元の人々は、ほとんどがてくてくと道を歩いていた。

地元の人は、高速道路をてくてくと歩いていた。

 大変面白いのは、我々のバスに向かって、時々手を挙げる人がいるということである。この国にはバスというものが極端に少ないので、皆、道を歩いているわけだが、こうやって手を挙げると、止まる車があるのであろう。つまり、ヒッチハイクと言えないことも無い。でも、私は、ヒッチハイクと言うよりはもっと日常的なもので(ヒッチハイクが非日常とは言わないが)、一般車とバスとの区別が限りなくはっきりしていない、と言う方が正しいのではないかと想像する。アフリカなどでもそうである。地元の人は、いとも簡単に普通のトラックを止めてその荷台に乗って移動している。もちろん、お金は払う。北朝鮮も似たようなものではないかと感じた。

 高速道路はずっと続いているものではなく、ミョヒャンサン(妙香山)のところで終わり、それも、突然、プチッと終わっていた。これを見ても、この高速道路が、外国人を通すために特別に作られたものであることが分かる。

 高速を降り、川沿いの道を少し行くと、我々の宿泊ホテル、香山ホテルが現れた。

香山ホテル。

 バスを降りると、何か、独特の香りがしてくる。A君も、

「佐納さん、何か匂ってません?」

と言っている。このあたりには香木が多いから、それの香りであろう。だからこそ、妙なる香りの山、なのである。

 香山ホテルは、たしかに大きなホテルではあるが、ロビーは暗く、建物の作りもあまり良くなかった。部屋は、8階の10号室であったが、中国の中級ホテル程度の設備であった。でも、Cさんから聞いた話では、ここは北朝鮮に3つしかない特級ホテルの1つらしく、この暗いロビーでも、他の中小のホテルのロビーに比べればまだ明るいのだそうだ。

 ここのホテルには、我々のほかにも台湾の団体やハワイから来たと言うアメリカ人数名(但し全員黒人)のほか、KEDOの関係で、韓国の代表団が3人ほど来ていた。アメリカ人でも来られるのだろうか。あるいは、黒人に限り、来ることができるのだろうか。

 部屋に荷物を置いた後、我々はすぐにまたバスに乗せられて、国際親善展覧館に連れて行かれた。ここには、金日成主席に世界各国から送られた品物が保管されており、その一部が公開展示されている。

 我々のバスが国際親善展覧館に到着すると、待ち構えていたように、説明係の女性がすぐに現れた。これは北朝鮮滞在中、どこに行っても同じであった。どこを訪れても、我々が到着するや、10秒以内に必ず女性説明員が現れた。

 「皆様、国際親善展覧館にようこそおいでくださいました。この国際親善展覧館には、わが朝鮮民主主義人民共和国の建国者であらせられ、チュチェ(主体)思想の創始者であらせられ、民族の太陽でもあらせられ、抗日革命闘争の英雄でもあらせられます偉大なる首領金日成将軍様に世界各国から贈られた膨大な数の品物を展示してあります。世界中のほとんどの国から、偉大なる首領であらせられます金日成将軍様に品物が贈られて来ておりますので、ここを訪れれば、パスポートを持たずして世界一周旅行ができる、とさえ言われております。この国際親善展覧館建設に際し、偉大なる首領であらせられます金日成将軍様におかれましては、何度も当地を御視察になり、その度に、我々に幾多の貴重なご指導をお授けくださいました。...」

というようなことを、説明係の女性が立て板に水の如く説明を開始し、案内員が日本語に訳して行く。当たり前のことだが、全て、金日成主席をたたえる内容ばかりである。

 この国際親善展覧館の正面玄関両脇には2人の兵士が機関銃を持って警備に当たっていた。正面玄関の扉は、1枚の扉が重さ4トンもある荘厳なもので、開け閉めするときには、手袋をしなければならない。女性説明員が、

「どなたかこの扉を開けてみませんか」

と言うので、皆顔を見合わせたが、だれも立候補者はいなかった。それで、P案内員が、どういう訳か、リピーターのCさんを指名した。P案内員が、

「(4トンと思って)思いきり引っ張ってはいけません」

と言うと、Cさんは、

「ええ、軽いことは知ってます」

とすかさず答えていた。当たり前である。リピーターはそれくらいのことは当然知っている。私のように、初めて来た人間ならば、思いきり引っ張ったかもしれないが。

国際親善展覧館の、一枚の重さが4トンもある荘厳な扉。

 中に入ると、カバンとカメラをクロークに預け、靴の上から履く布製の靴カバーを受け取る。これを履いておけば、床を汚さないばかりか、摺り足で進めば床磨きにもなって、一石二鳥である、と言うわけだ。

 我々はまず、入ってすぐのところにある大部屋に通された。ここには、金日成主席の巨大な石膏像が置いてある。この前に我々は2列に並ばされ、偉大なる首領金日成将軍様への挨拶のお辞儀をさせられた。お辞儀をする前に、P案内員が、

「郷に入らば、郷に従え」

と言った。ここに来てもお辞儀をしない外国人観光客が多いのであろう。2列に並んだ我々は、石膏像に向かって深々と頭を下げた。ところが、A君は、お辞儀をしなかったらどうなるのか実験してみたくて、頭を下げなかったそうである。すると、この部屋に初めからいた監視員の女性(説明員とは別の人)から、キッという目つきで睨み付けられたという。

 お辞儀が終わると、この部屋に展示されている数々の品物について、女性説明員から説明があった。世界各国からの贈り物は、基本的には国別に整理されて展示されているのであるが、特に価値の高いものに限って、この大部屋に展示されているのだそうだ。女性説明員は、

「世界各国からこんなに高価な品物がこんなに沢山寄せられるとは、金日成将軍様がいかに偉大で世界各国から慕われていたかを端的に表わすものである」

と言うようなことを言っていた。シリアから贈られた品物がやたらに多かったことが目についた。

 廊下には、金日成花と言う名の薄いピンク色の花の写真が展示されていた。この国には、本当にそういう名の花があるのである!そればかりではない。金正日花と言う名の花もあるし、後で述べるように、正日峰という峰もあるのである。

 その後、説明係の女性が、

「見たい国はありますか」

と言うので、誰からともなく、「日本」とか、「中南米」とか声が上がった。

 それで、まず、日本から贈られた品物を展示した部屋に行った。部屋の照明は自動になっており、ドアを開けたときには真っ暗だが、入室すると照明がつき、しばらくすると照明が消えるようになっている。これも、この展覧館の自慢の一つなのだそうだ。しかし、この自慢の自動照明設備はしょっちゅう誤動作を起こし、入室してもすぐに照明がつかなかったり、逆に、ついてから消えるまでの時間が固定されているので部屋の中を参観中に電気が消えてしまうこともあった。

 日本から贈られた品物は、壷や茶碗の類、色紙や掛け軸と言ったものが多かった。旧社会党関係者などの政治家や姉妹都市の訪問団が外交辞令で持ってきたものや、「第一物産」というような朝鮮総連系の会社が贈ってきたものばかりであったが、女性説明員はそんなことは知らないから、「第一物産」は日本を代表する大企業だと信じている。

「皆さん、第一物産を知ってますか。こんな有名な会社からも、偉大な首領金日成将軍様への贈り物が届いたのですよ」

と得意になって説明している。

 続いて、カンボジアやラオス、インドネシア、インド、イランなど他のアジア諸国からの贈り物が展示された部屋を参観した後、金日成主席の死去後に中国から贈られた、実物大の精巧なロウ人形にお目にかかれることになった。国際親善展示館には、北朝鮮国内の人も職場単位で大勢訪れており、この人たちも、偉大な首領さまのロウ人形との面会を許されていた。我々よりも前に、このロウ人形の置かれている部屋に入った団体を見ていると、かなりの人が出てくるときに感極まって泣いていた。

 我々も、この部屋に通された。入った瞬間、おおっ、と思った。その精巧さは、筆舌に尽くし難い。どう見ても本物で、とてもロウで作られているとは思えなかった。部屋の奥の方が庭園のように作られ、そこに木が植えられて、その中に、微笑みながら立っている金日成主席のロウ人形が置いてある。これだけ精巧であれば、一見の価値あり、と思った。バックの絵は、白頭山のサムジヨン(三池淵)である。

 そのロウ人形の前に進んだ我々は、今度は一列に並ばされ、服装をきちんと整えさせられて、またまた礼をしなければならなかった。我々外国人は何の感慨もないが、この国の人にとっては、このロウ人形にお目通り願えることは、恭悦至極なる幸せなのである。

 その後、我々は、「南朝鮮」、即ち韓国から贈られた品物を展示した部屋に通された。この部屋は、公開されてまだ一週間にも満たないらしく、外国人でこの部屋を参観したのは、我々が恐らく最初であろう、ということであった。案内員たちも、この部屋には初めて入った、と言っていた。

 この部屋に置かれているものの半分は、金剛山観光開発に絡んで訪朝した韓国の現代財閥の代表者たちが持ってきた韓国製の自動車や電気製品などであった。残りの半分は「トンイル・ヒョンミョンダン(統一革命党)」と書かれた旗や出版物であった。女性説明員は、

「南朝鮮でも、大多数の人民は、厳しい政治的弾圧を受けながらも、このように偉大な首領金日成将軍様を敬愛しているのです」

と強調していた。

 そのあと、我々はエレベーターに乗って、国際親善展覧館の展望台に行くことになった。ところが、我々がちょうどエレベーターに乗り終わった瞬間、停電が起こって、エレベーターは動かなくなってしまった。女性説明員は困ったような顔をして、どこかに様子を見に行ったが、数分すると、停電は復旧した。それで、我々は展望台に上がった。ここには喫茶室と売店もある。

国際親善展覧館内の売店。

 ここで、台湾から来たという団体に出会った。そのうちの1人が日本語が話せるので、話を聞いていた。その人の話によると、これは、中国東北区と北朝鮮の旅2週間というツアーらしく、旅行代金は全部で約20万円らしい。そうだとすると、我々よりもかなり割安なツアー料金になる。台湾からは一度マカオに行ってから平壌に来るので、航空運賃もかなりかかるだろうし、中国と北朝鮮の両方を訪れるから、ツアーの日数も我々の8日間よりも長い。それでいて、我々よりも安いのである。

 展望台で少し休憩した後、我々は再び下に降りて行って、今度はスターリンから金日成主席に贈られたという車を見に行った。窓ガラスはすべて、厚さ8センチの防弾ガラスになっているらしい。その部屋には、他にも車が置いてあったが、一番最後に置いてあったのが、力道山から金日成主席に贈られた車であった。

 そのあと、中南米諸国からの贈り物を見に行くのかと思ったが、「時間の関係で」と言われ、我々の要望は却下された(中南米をリクエストしたのはBさんとCさんで、帰ってきてからCさんに聞いたところでは、ニカラグアの「ワニのおもてなし3点セット」を見るのが目的だったそうだ)。

 それで、私たちは一度外に出て、国際親善展覧館敷地内にあるもう一つの建物を見学した。こちらの方は、世界各国から、金正日総書記に贈られた品物を集めて展示してある。玄関のドアは電動式で、中に入ると、やはりカバンとカメラを預けて、靴カバーを付ける。女性説明員が、

「こちらの建物は、偉大なる首領金日成将軍様の主体思想と革命精神とを引き継がれた親愛なる指導者であらせられ、21世紀の太陽であらせられ、朝鮮労働党総書記であらせられ、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長であらせられ、朝鮮人民軍最高司令官でもあらせられます偉大なる金正日元帥様に、世界各国から贈られました品物を展示したものであります。...」

と説明を始めた。

 最初に通されたのは大きな部屋で、やはり、部屋の真ん中に金正日総書記の巨大な石膏像が置いてあった。その石膏像は、椅子に腰掛けた金正日総書記の像であったが、少し斜めに腰掛けていた。テレビに出てくる金正日総書記はいつもふてくされて斜めに腰掛けているが、それとそっくりであったので吹き出しかけた。またまた我々は2列に並ばされ、その石膏像に向かって深々と礼をさせられた。

 そのあと、世界各国から金正日総書記に贈られた品物を見て回った。内容は、先の金日成主席に贈られた品物と大差なかった。ただ、贈り物の数と贈ってきた国の数が電光掲示になっており、品物が増える度に、カウントが増えていくようになっている。

 そのあと、各国別の贈り物を見に行くことになった。女性説明員は我々に気を遣い、さっきの金日成主席館で見られなかったからと、こちらの金正日総書記館では中南米諸国からの贈り物を見に行きましょうと言った。でも、それでは意味が無かったのである。

 国際親善展覧館の2つの建物の見学が終わったので、我々は再びバスに乗り、ホテルに戻った。ここで休憩並びに昼食。昼食は完全なる中華料理であった。朝鮮料理が食べたかったのに、残念である。

香山ホテルでの昼食。

 昼食後、今度はミョヒャンサン(妙香山)の古刹、ポヒョンサ(普賢寺)を見学した。11世紀、すなわち高麗時代に建てられたお寺だという。

 ここでも、我々が着くや否や、女性の説明係が現れて、説明を始めた。寺には、曹渓門、解脱門、天王門の三つの門があり、その先に十三重の塔と大雄殿とがある。大雄殿は、朝鮮戦争のときに焼けたが、再建されたらしい。説明の内容は、寺の由来など歴史に関するものもあったが、朝鮮戦争のときにアメリカがこの寺のように貴重な文化遺産を如何に爆撃して破壊しようとしたか、そして、アメリカにより破壊された文化遺産が、偉大なる首領金日成将軍様のご指導により、如何に早く再建復興されたか、ということが主であった。

普賢寺の大雄殿と石塔。

 大雄殿を見た後は、パルマン・デジャンギョン(八万大蔵経)の写本を保管した建物に案内された。その途中、朝鮮半島の形をした庭木の横を通った。チェジュ(済州)島、ウルルン(鬱陵)島のほか、トク(独)島、すなわち、我々がいう所の竹島もちゃんと作ってある。しかも、庭木は平壌の所が一段突き出ている。それで、平壌の少し下を見ると、心なしか、ソウルの所が若干くぼんでいるように見えた。

朝鮮統一を願って、朝鮮半島の形に作られた庭木。

 八万大蔵経の原本である木版は、高麗時代にケソン(開城)で作られ、本来ならば北側で保存されているべきものであるが、朝鮮戦争の時にアメリカ軍に略奪されてカンファド(江華島)に持って行かれ、その後、南側のヘインサ(海印寺)に移されたので、こちらにあるのは、木版から紙に印刷した写本だけである、という説明があった。

「これを保管するため、専用の建物を作りなさい、という、偉大なる首領金日成将軍様のお教えに従い、この建物が建設されて貴重な経典がしっかりと保管されている」

と女性説明員は張り切って説明していた。確かに、八万大蔵経の木版は韓国の海印寺にあり、私も以前カヤサン(伽ヤ山;ヤの字は、にんべんに耶)に行ったときに見たことがある。しかし、帰ってからある人に伺ったところによると、八万大蔵経は契丹の侵入を仏の力を借りて阻止するために作られ、テグ(大邱)のパルゴンサン(八公山)に保管されていたものがモンゴル軍に焼き払われたので、カンファド(江華島)で再刻され、その後一貫して(現在で言う)南側に保管されている、という説明が韓国のガイドブックには載っているそうである。

 寺を見終わって駐車場に戻ると、小学生の団体が来ていた。きちんと2列に並んで、こちらを見ている。手を振ると、こちらに向かって全員が敬礼をしてくれた。

遠足の小学生たち。

 寺を見た後は、妙香山の散策となった。マンポクトン(万瀑洞)入口から山道を登り、ピソネ・ポクポ(飛仙の滝)まで行くことにした。空を飛んでやってきた仙女が、ここの滝つぼで水浴びをしたという言い伝えがあるらしい。山道の途中には、「鋼鉄の将軍、金正日」などの政治スローガンがいくつも書かれている。しばらく行くと、「妙香山は天下第一名山 金日成」という、金日成主席の直筆も彫られていた。

「妙香山は天下第一名山」という、金日成主席の直筆。

 それにしても、3人の案内員は、いともすいすいと山道を登って行く。我々日本人は、息も絶え絶えだ。食べ物の豊富な日本から来た我々はスタミナがなく、食べ物のない北朝鮮に住む案内員たちはスタミナがある。不思議だ。あるいは、我々は太りすぎていて登れないのだろうか。

妙香山の登山道。

 太っている、と言えば、たしかに我々は現地の人よりは若干太っているように見えた。しかし、だからと言って、現地の人ががりがりに痩せているわけでもない。案内員はもちろん、平壌市内を歩く人も、平壌からここまで来る道中に見かけた人も、国際親善展覧館で出会った他の団体の人も、そして、さっき敬礼をしてくれた小学生たちも、いかにも栄養が不足している、と感じるほどまでには痩せていない。後に、九月山や信川といった田舎にも行くことになるが、そこでも同じことであった。ただ、平壌市民に比べ、田舎の人は全体に背が低かったことは事実である。飢餓状態に陥っている地域はあるのかもしれないが、我々がそのようなところに案内されるはずはなく、我々が見ることができた地域だけに限るならば、食料供給に深刻な問題がある、と言うところまで行っているようには見えなかった。

 北朝鮮の実状は、見ただけではなかなか分かりにくい。と言っても、現地の人との接触は一切断たれているから、聞いてみるわけにもいかない。我々が会話することができるのは、朝鮮国際旅行社の案内員を始め、外国人用ホテルや外貨商店の従業員など、ごく限られた人々だけなのである。そういう人々に対しては、何を聞いても公式見解が返って来るだけなので、質問するだけ無駄と言うものである。我々も案内員にいろいろな質問をぶつけてみたが、案内員はただただ公式見解を繰り返すか、質問をはぐらかすだけであった。皆が、

「金正日総書記に子供はいらっしゃるのですか」

と聞くと、P案内員は、

「そんなことは考えたことも無いです」

と言っていた。

飛仙の滝を見る。

 山の散策を終えてホテルに帰る途中、沢山漢字を書いた立て看板があったが、これは、金日成主席が息子の金正日総書記の50歳の誕生日(1992年2月16日)に際し、息子を讃えて詠んだ漢詩ということであった。車は一瞬のうちに通りすぎたので、その時には漢詩の全文は分からなかったが、後でDさんから教えてもらったところによると、その内容は、

  白頭山頂正日峰
  小白水河碧渓流
  光明星誕五十週
  皆賛文武忠孝備
  万民称頌斉同心
  歓呼声高震天地

  一九九二年二月十六日 金日成

というものである。白頭山にある正日峰(これも、本当にそういう名前の峰がある)の美しさを讃え、同時に自分の息子の素晴らしさを讃える、という内容である。ただ、残念ながら中国語で読んでも韻は踏んでいない。


   


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