シンポジウム

1999年7月25日札幌市教育文化会館
主催 学校給食と子どもの健康を守る会

「完全米飯給食が子どもの健康と日本の農業を守る」

学校給食と子どもの健康を守る会代表 幕内秀夫

アメリカが作った学校給食

今、見て頂いたビデオは今から21年前にNHKテレビで放送されたものです。その内容は、家の光協会から「アメリカ小麦戦略」として出版されましたが、今では絶版になっています。私たちは、それを再び見たいとNHKに何度も要請をしてきました。その結果、ようやくこの3月に再放送されたのをダビングしたものです。
ご覧になって分るように日本の学校給食はアメリカが作ったものです。学校給食が始まった頃、アメリカでは小麦が余って困っていました。道路に野積みしてシートをかけて保管する。そこまでしなければならない、保管する場所がない。保管に一日当たり2億円もかかったそうです。
私と同世代の方はご記憶あると思いますが、給食といえばコッペパンと脱脂粉乳でした。今になって思い起こせば、コッペパンは大変不味くバサバサしていた。ミルクを入れ過ぎるとパンはバサバサしますが、当時、脱脂粉乳も余っていたのでパンを作る時、大量に入れた。また、脱脂粉乳は味も素っ気無かったが、家畜の飼料用のものだったそうです。確かに食糧難の時代でしたから、アメリカが助けてくれたという面もありますが、それだけではない。アメリカは助けるだけではなく、小麦食を根付かせるために徹底的な米批判をしました。「米を食べると馬鹿になる」「短命になる」、そうしたキャンペーンを大々的にやった。全国の栄養士はバックにアメリカがいることを知らないで、キッチンカーや保健所、学校などで「米を食べたらダメなんだ」としきりに説いてまわった。それが今の「米離れ」につながっているわけです。

「米離れ」を促進したパン給食

私は今、松柏堂病院などで患者さんの食生活の相談にのるという仕事をしています。相談にのる際、3日間の食事内容を書いてきてもらいますが、いろいろなことが分ります。この仕事を始めて20年になりますが、表面的に見れば患者さんの食生活はどんどん良くなってきています。20年前には「ひどい食事だなと」思わざるを得ない食事内容の患者さんもいました。
さすがに今は、表面的に見る限りそうした方はいません。しかし、今、東京には物は食べていますが、とても「食事」と呼べない、「食事」になっていない人がいます。ほとんど「ご飯」を食べないのです。お酒を飲んでも、最後にお寿司やご飯を食べたいというのが普通ですから、ほとんど「ご飯」を食べないということは考えられないことです。人間はいくら刺し身や魚でお腹一杯にしても、澱粉を取らないと欲求不満が残るように出来ています。私の接する患者さんには乳ガンの人が非常に多い。それは若い人に多く、おばあちゃんに少ない。若い人は「ご飯」をあまり食べない。おばあちゃんは良く食べる。それと乳ガンが関連していると思われるわけです。
なんでこんなに食生活はひどくなったんだろう。札幌の長谷川先生や九州の竹熊先生、それに今日お話頂く真弓先生は「ただ栄養を取ればいいのではない。食生活を含めたライフスタイルの確立が重要なのだ」と指摘されています。そして、諸先生方は「いくら話しても書いても食生活はどんどんひどくなる。どうして、こんなになってしまったのだろうか」と嘆かれ、その要因として学校給食を共通して上げています。
学校給食は成長期の6年間、教育という強制された場で行われています。マクドナルドに強制されて行っている人はいないと思います。自分のお金で好きな人が行っています。学校給食は半分強制です。強制的に食べさせられ、その味を覚え、慣らされていきます。全ての学校給食がそうだとは言いませんが、大方の学校給食はこれまで本当に“給食”と呼べるものを出してきたのか、多いに問題です。私は「ファーストフードの予備校」と呼んでいますが、どこの国の食生活かわからないものを出してきた。私の娘は国分寺の公立に通っていますが、ご飯はほとんど出ません。ご飯が出ないだけではなく、食パンもほとんどなく、大方がドーナツ、アメリカンドッグ、ハンバーガーなどの菓子パンです。おかずが紅白うどん、餃子、焼きビーフン、コーヒー牛乳とふるっています。餃子、焼きビーフンにビールというなら分りますが、学校給食で餃子、焼きビーフン、コーヒー牛乳、それに紅白うどん。ちょっと想像して下さい。冗談ではありません。無国籍、無地方、無季節、無安全もいいところで、これでは「ファーストフードの予備校」です。どう見ても、子どもの食や成長に貢献してきたとは思えません。こうした学校給食をなんとかしなければとんでもないことになります。

米飯給食こそ“当たり前の給食”

最近「新農業基本法」が成立しました。供給熱量自給率は41%まで下がり、100%自給出来る米の消費はどんどん減っています。このまま進めば、更に減り、米の「減反」はもっともっと進む。農水省は「新農業基本法」の議論の中で「消費者が米を、国産農産物を食べなかったから自給率が下がった」と言っています。全くその通りです。消費者は自由意志で何を食べるか選択していますから、何とか米を消費してもらおうと農協等が米の消費拡大運動に取り組んでいます。
しかし、自由意志で選べないところがあります。学校給食です。学校給食で1200万人もの子どもに、半強制的にパンとどこの国の食事だか分らないものを食べさせておきながら“米を食べよう”といくら言っても食べる道理がない。50年間にも渡って「パンとご飯は同じなんだ」という教育をし、「ご飯を食べると馬鹿になる」「ご飯を食べると太る」とか、「ご飯を食べると短命になる」などと言い続けてきたら、食べる道理はありません。フランスの学校給食で、週2度「ご飯」が出ることはありえません。全てパンです。それが普通のことです。しかし、日本では昭和50年頃まで一度も「ご飯」は出ませんでした。しかも、それが“正しいこと”とされてきました。農業団体が「ご飯を食べよう」と一生懸命言ってくれることは有り難いことです。しかし、文部省、教育委員会の管轄だからでしょうか“学校給食は米飯にしろ”とは言っていません。考えて見ると、「ご飯」を食べなくなった要因は学校給食にあるわけですから、そこを何とかしなければならないはずです。
私たちは、子ども達に「ご飯」をしっかり食べさせるのが基本ではないかと思い、全国の学校給食の調査をしました。全国に小中学校が3万校あります。その中で、パンを出さない学校がすでに900校ありました。900もの学校がパンは1年に1回か2回で、私たちのいう“当たり前の給食”になっています。福井県や岡山県では4校に1校がパンを一切出していません。米がほとんど生産されていない東京都などを含めて、全国平均で米飯は5回中2.7回になっています。ところが、米の生産量日本一を誇る北海道は2.43回と全国平均以下です。こんなおかしな事が平気で行われています。

「パン食」問題は日本の食生活全体の問題

パン給食はそんなに問題かと思う方もいらっしゃるかと思います。農業団体や生協なども子どもたちの進路問題や日本の農業を守ろう、自給率を上げようと一生懸命言っています。しかし、何故かパンのことを言いません。皆、売っているからです。
私たちはある特定の食品を叩くつもりはありません。しかし、パンを減らさなければ「ご飯」は入らない、ただ食べろといっても入りません。何か減らすしかない。その時、私たちは「パン」と「ご飯」の違いを確認し、「ご飯」は“当たり前の食”、「パン」はあくまでもお菓子と考えたいと思っています。と言うのは、パンを食べたら砂糖だらけ、油だらけ、しかも添加物だらけだからです。米には防腐剤も膨張剤も入っていません。ポストハーベスト農薬も輸入小麦の問題です。日本でとれる米に収獲後農薬をかけるなど、聞いたことがありません。
それだけではありません。パンにはマーガリン・バター、ジャムが付きものです。パンは含有水分量が少なく、それだけ食べると唾液が取られてしまいます。2年程前、小学生がパンを喉につかえさせて命を落とすという事故がありました。そうめんを喉につかえさせたという話は聞いたことがありません。おかゆも同じです。水分量が多いからです。従って、パンを食べる時には、マーガリン・バターなどで口を油だらけにしなければなりません。パンの時の野菜は野菜サラダと野菜炒めが定番です。また、パンを食べる時の動物性食品は目玉焼き、ハムエッグ、ツナ缶、あるいは魚フライなどです。まさか、しめ鯖や目刺しというわけにはいきません。ふきのとうやワラビなども合いません。いずれも油たっぷりのものばかりです。
更に、パンは加工品で、マーガリン・バター、ジャムやハムなども加工品です。添加物だらけです。日本は湿潤温暖で物は良く育ち、こんな豊かな国はありませんが、有利な物だけではなくカビ・細菌などの微生物も育ち易く、物が腐れ易い。腐れ易いという点をうまく利用してきたのが、腐る前に発酵させる食品、漬物・納豆などの発酵食品です。しかし、漬物・納豆などはどう見てもパンには合わない。パンに合うものといったら、発酵していない物です。日本で腐らせず発酵させずとしたら添加物を使うしかありません。ですからパンとなれば、添加物・安全性の問題になってくるわけです。
ところで、農家の方々に「ご飯」の大切さを訴えても、それほど関心を示しません。先日、埼玉県深谷市で話をしましたが、ネギを作っている方は余り関心がない。群馬にいった時も同じで、コンニャクを作っている方は余り関心がない。おそらく北海道でも同じだろうと思います。しかし、良く考えて見て下さい。パンを食べながらネギを食べるか、コンニャクを食べるか。パンにネギをはさむ人はいるか、コンニャクをはさむ人はいるかと。ほとんどいないと思います。だからパンの問題はパンだけの問題ではなく、日本の食生活全体の問題なのです。

全ての問題の解決の鍵は「米飯給食」が握る

私たちは、当たり前の「ご飯」を給食で増やすべきだと、全国各地でシンポジウムを始めました。昨年12月の東京を皮切りに3月福岡、4月高松、7月広島で行いました。今後も群馬、新潟などで行う予定です。
その過程で、合成洗剤の問題やセンター給食の問題、食品添加物の問題、更に農薬の問題、民営化の問題など様々な問題が出されました。いずれも正しい指摘と思います。しかし、「正論多くして何も変わらず」の感は否めません。
私は、どう見ても「ご飯」を増やさなければ添加物は減らせない、季節感は出せない、合成洗剤問題は解決しないと思います。朝、「ご飯」を食べる人は合成洗剤を使いません。「ご飯」と味噌汁、漬物、納豆に洗剤は要りません。しかし、パンにバター・マーガリン、目玉焼き、サラダとなると洗剤がどうしても必要になります。また、先割れスプーン問題がありましたが、「ご飯」と魚を食べていれば先割れスプーンにはならなかったと思います。スプーンで魚を食べる人はいません。「ご飯」をパンにしたことによって、それだけではなく全体が変わります。給食を巡って、いろいろな問題があることは分りますが、まず「ご飯」を増やそう。「ご飯」を増やさなければ、どう見たって様々なことが変わり様がないと思います。ですから、私たちはそれ以外の問題を敢えて取り上げず、ただ一点「学校給食に米飯を増やそう」と訴えているわけです。農業問題としてではなく、子どもの健康問題として米飯という“当たり前の食事”に学校給食をしたい。そのことが、ひいては農業問題に繋がることになると考えています。
2年程前、雪降る中を熱塩加納村の坂内先生の小学校を訪ねました。まず、驚いたのは9年間でパンは1回だけという点です。皮肉にも私が訪ねた次の日がパンでした。子ども達はクリスマスのケーキのように何日も前から楽しみにしている。パンはそんなもので良いのです。村を回り、農家の方とも話をしましたが、皆、小学校の栄養士さんのことを知っている。おばあちゃんもその子ども達も坂内さんの名前を知っている。大変な驚きでした。いかに地元に良い、地元農業に良い給食、献立になっているか。子ども達の農業に対する思いを育てる給食になっているかを物語っていると思います。そんな学校でセンター給食の話が出たら、農家の方が、村の方が全部反対します。「うちの子どもが在学中だから一緒に署名運動をやりましょう」式「卒業したら関わらない」式の今のセンター給食反対運動とは大違いです。そうしたところでセンター給食などには絶対ならないと思います。
米飯給食を農家の人がどう見ているか、皆、応援していると思います。北海道は日本一の米生産地です。なのに北海道の米飯給食回数は全国平均以下、たったの2.43回です。今日は農家の方も沢山見えられていますが、アメリカのいうなりにパンを出しながら、「センター給食はだめ」と言っても、農家の人や父母が一緒になって反対運動をしてくれるか。また、栄養士さんなどが、本当に子どもの健康を考えてセンター給食に反対しているのか、はなはだ疑問になります。
大学病院の給食は今、4割が民間に委託されています。ただ食事を作るだけなら、人件費などを考えれば当然委託になります。東京に委託になっていない大学病院がありますが、そこでは朝から晩まで、子どものための、赤ちゃんのための、老人のための食生活教室が開かれています。食事を作るだけなら民営化できますが、栄養士さんが中心になってやっている食生活教室は民営化できません。札幌の栄養士さん達も、子ども達に“当たり前の給食”を出さないでどうするのか、地場給食・自国給食を出さないでどうするのか、是非考えて頂きたいと思います。既に、全国で900校もが、今や“当たり前の給食”を出しています。
私たちは“朝ご飯だよ”と言います。そのうち“朝パンだよ”と言わなければならなくなるかもしれません。そうならないためにも、今が踏ん張りどころだと思います。

プロフィール
1953年生まれ。東京農業大学栄養学科卒業。管理栄養士。フーズ&ヘルス研究所主宰。長寿村の研究をきっかけに、民間療法の研究を始める。現在、帯津三敬病院、松柏堂病院などで食事指導を実践しているほか、食生活の個人相談、講演を行う。病気や健康に役立つ実践的な食事法の第一人者として新聞、雑誌などでも活躍中。主な著書:「粗食のすすめ」、「粗食のすすめ実践マニュアル」、「体に良い食事、だめな食事」など多数あり、現在「粗食のすすめ レシピ集」は25万部のベストセラーとなっている。

 

「子どもの健康と食生活」

真弓小児科医院院長 真弓定夫

密接に関連する「食」と「心身」

ご紹介頂きました真弓です。私は昭和30年に医者になり、36年まで東京医科歯科大学で研修を兼ね診療していました。その後13年間、田無市の佐々病院で小児科医長を勤めました。
その間、いろいろな疑問が湧いてきました。今、日本の医療は進歩したと当たり前のように言われるが、果たしてそうか。医療が進歩したら、まず病気が減らなければおかしい。患者さんが減らなくてはおかしい。当然、医療費が減らなければおかしいわけです。しかし、組織の中で働いている20年間、「3時間待ちの3分診療」といわれる程に病院は混んでいました。一向に病気が、患者さんが減る気配はありませんでした。日本の医療費は29兆円にも達しています。それは何故か。今の日本の医療は「マッチ・ポンプ」、つまり、マッチに火を点けて燃え上がった病気というものに対して消化活動を施すことに精力を注いでいるのではないか。
先ほどビデオを見て、幕内さんのお話を聞いて、日本人として当たり前のことをしていれば、アメリカや文部省・厚生省にマインドコントロールされることがなければ、今日のような事態にならなかったのではないかと強く感じています。食と心身とは密接な関連がありますから、アメリカの小麦を中心にした食料攻勢は特に問題にしなければなりません。赤ちゃんを診療していて、30年くらい前からその様子がおかしくなった。小学6年生ぐらいなのに50歳半ばのような顔をしている。かって考えられなかったような行動をとる。それと食は密接な関連があります。当たり前の食事を摂っていれば、今日のような事態は絶対生まれなかった。今、私たちは“当たり前でない食生活”を余儀なくされていますが、それを振り返って相手を責めるだけではなく、皆さんが賢くなって21世紀を担う子ども達の健康を守っていって頂きたいと言うのが、小児科医の切なる願いです。

マインド・コントロールされてきた我が「食」

料理教室は世界各国にあります。フランスにも料理教室があり、そこの料理教室ではおそらくパンを食べるでしょう。600種類を超える調味料がある国ですから、調味料も一杯使うでしょう。フランスの料理教室ではフランス型の料理が9割以上を占めています。食の中には楽しみという要素も入りますから、残りの1割程で世界各国の料理を教えている。イタリアへ行けばパスタを沢山食べます。植物性の油をふんだんに使います。そういう料理がイタリアでは9割方を占めていて、10%で各国の料理を教えている。中国へ行けば中国料理が90%、インドへ行けばインド料理が90%を占めています。ところが、日本だけそうなっていません。NHKや新聞などの料理教室が果たして皆さんの健康を守るものになっているかどうか、真剣に考えて頂きたい。下手をすれば3分の1以上が西洋料理、3分の1が中国料理と呼ばれるものです。
マインド・コントロールされる前にも、日本には料理教室がありました。昭和10年代の料理教室では、今のフランス・イタリア・中国などがそうであるように、9割方、おみおつけの作り方とか、魚のさばき方とかの日本料理を教えていた。残り10%で、例えばパンの焼き方やカレーライスの作り方を教えていたのではないでしょうか。このことをしっかり頭の中に入れて置いて頂きたいと思います。
昭和20年に日本はアメリカに占領されます。当時アメリカは日本を非常に恐れていました。こんな小さな国でアメリカ・イギリス・中国を相手にして戦争をする。真珠湾攻撃に始まって4年間も戦う。そんな日本人の優秀な民族性を削いでいかなければならないと、アメリカは真剣に考えてたわけです。幕内さんは、学校給食の誤りを「無国籍・無季節・無安全」と言いましたが、今の学校給食には日本の文化がないといえると思います。日本人は連綿と受け継いで来た伝統の食文化・衣文化・住文化を崩して欧米化させていけば、日本人の民族性は必ず劣化するだろうとアメリカ政府は考え、実際にそうなってきたわけです。
「米を食べると頭が悪くなる」「米は美容によくない」など、いろいろ真面目に言われました。オウムがおかしいのは誰でも分る。私はオウムの方を知っていますが、個人的にはいい人です。ただし、それが麻原彰晃とかオウム真理教にマインド・コントロールされてしまうと、ああした恐ろしい行為を行ってしまう。人がいくら注意しても耳を傾けない。マインド・コントロールの恐ろしさはそういうところにあります。日本国民の大多数がアメリカ政府によって、それを受け継いだ日本政府や大企業によって、それに一部のモラルの非常に低い学者達によって、マインド・コントロールされていないかどうか。そして、一番大事なことは政府とか企業とか、心ない学者達を責めている間は、何時までたっても、問題は解決しないということです。皆さん方が賢くなって、自分達で対応していかなくては、健康を守れないんだと言うことをしっかり掴んで頂きたい。バック・ビースタクラーという素晴らしい数学者がいます。亡くなる前に非常に厳しい言葉を残しています。「諸々の汚染の中で最も恐ろしい汚染は、消費者の頭の汚染である」。毎日流れてくるテレビ番組や新聞によって、洗脳されていないかどうかをしっかり考えて頂きたい。

「歯」が語る「人」の「食性」

謙虚になって考えて見ますと、我々は人間である前に「人」、ホモ・サピエンスという地球上に生存している一つの種族に過ぎません。全ての動物には、その動物が地球上に発生してから代々に受け継がれてきた食性が確立されています。パンダは笹の葉、コアラはユーカリの葉を食べる。
それでは「人」の食性はどういうものか。われわれはほ乳動物の一員で、4000種を超える哺乳動物の200種足らずの霊長類の仲間に属しています。霊長類も進化の度合いに従って色々分類されています。アイアイ、メガネザル、キツネザルなどの最も原始的な霊長類を原猿類と言います。少し進化すると日本ザルなどの仲間達。更に進化するとゴリラ、オラウータン、チンパンジーなどの類人猿。それが更に進化したのが「人」です。進化する過程に伴って、それぞれの食性も変わってきています。原猿類は動物性の食品と植物性の食品を半々に口にします。サルになると動物性の食品はぐっと減ってきます。類人猿になると、チンパンジーだけはごく僅か動物性の食品を口にしますが、ゴリラ、オラウータン、手長ザルは動物性の食品は口にしません。ゴリラ等は植物性の食品だけで、あれだけ立派な体を作り上げている。霊長類は進化に伴って食性が動物性のものから植物性のものに変わってきたわけです。400〜500万年前、人間がアフリカの森の中で発生した頃には植物性のものしか口にしていなかったのであろうということは十分考えられることです。ところで霊長類以下の動物は、動物園やサーカス等に飼われている気の毒なものを除いて、今でも全て発生当初の生活圏の中で生活しています。類人猿は全て温帯から亜熱帯で発生し、その中で進化し続けてきた。しかもそれは森の中でであった。「人」だけが二足直立歩行をして、森からサバンナに降りた。森の中では身を隠す場所も多いし、木の実や植物性の食品がふんだんにあるから動物性の食品は必要なかった。ところがサバンナに降り立って見ると、森の中にいるように、植物性の食品だけでは生活していくことが出来なくなり、止むをえず動物性の食品を摂らなければならなくなりました。小鳥や小魚を食べた。
サバンナに降り立ってから、どのぐらい動物性の食品を取り続けてきたか、歯を見れば一目瞭然です。今日、学校給食がテーマですから、小学校以上の永久歯だけについて考えて見ましょう。永久歯は全体で32本あります。その中の切歯、兎の歯が8本、8分の2。犬歯、動物性食品を摂るための歯が4本、8分の1あります。ネズミやライオンは犬歯しかありませんから、動物性の食品しか摂れません。逆に言えば、動物性の食品だけ摂っていたから、ネズミやライオンには犬歯しかないとも言えます。残りの20本、8分の5が穀類を摂るための臼歯です。草原に降り立ってからの人類は8分の5が穀類、8分の2が野菜や海草類、残りの8分の1が動物性食品、それを取り続けてきて現在に至っている。日本でも60年前まで、そうした食習慣が受け継がれてきたことを決して忘れてはいけません。何と言っても大事なのは8分の5を占める穀類です。日本人の場合には縄文時代にはヒエ・アワ・キビ等を食べていました。先日、米子でどんぐりのソバを食べましたが、結構美味しかった。ドングリなどを沢山食べていたのでしょう。しかし、弥生文化以降、米が中心になります。以来、日本人の食事の中心は最近まで、ずうっと米だったということを、しっかり頭に入れておかなければなりません。

四里四方のものを食べていれば病知らず

「人」だけが70万年前から火を使いだし、住居に入りました。農耕牧畜を始めました。食物は本来、自分で自分のものを集めるのが原点で、全ての動物は自分で自分の食物を集め、子どもの食べ物は親が集めています。必然的に自分の住んでいる地方の、しかも自動車等を使わず自分の足で行けるところのものを集めています。その範囲の物を食べていれば病気にはならない。昔から「三里四方、四里四方のものを食べていれば病知らず」と言われてきました。その範囲内で取れる物が健康を保つ食物です。そう考えると、たった60年ぐらい前までの日本の食事は如何に優れていたか。今、アメリカに占領される前の日本の食事が欧米で見直されている程です。
ところで、農耕牧畜を始め、人口がどんどん増えてくると、本来の生息地には住めない人が出てきました。フランスは日本よりずっと北にあります。カナダ、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、ロシアなども然りです。北へ行けば行くほど生活しづらくなり、本来の食物は摂れなくなります。当然米作は出来ません。彼らが止むを得ず摂り出したのが「麦」と「肉」です。ここで一つ知って置かなければならないのは、カナダやフランスで取れる小麦と日本で取れる小麦では、全然種類が違うことです。日本はアジアモンスーン地帯、湿地帯ですから、麦は沢山の水分を吸い上げます。麦の葉には気孔がありますが日本の麦ではそれが多い。フランスやカナダは水が少なく、気孔の数は日本の30分の1程度です。パサパサだからパスタに向く。
国産小麦が北海道で沢山取れますが、それは良い食物だと思います。ただし、それはパンではなく、うどん、きしめん、素麺でなければならない。しかも、それは米のように主食には成り得ません。戦国時代の武将は一日に玄米5合食べていたと言われます。当時は2食ですから1食に2.5合の玄米を食べていた。だからあれだけ重い鎧甲を着て、刀を振り回すことが可能であった。宮澤賢治が「雨にも負けず」の中で「少しの味噌と野菜と一日4合の玄米を食べ」といっているほどです。日本では「ご飯」をしっかり食べていれば間違いなく健康は保たれます。軸は「米」で、それに野菜、海草類です。医者の中には動物性食品を一切とらせず、癌の治療などで良い結果を出している人もいますが、一般的には先に話したように動物性食品を摂る歯がありますから、8分の1以内であれば動物性食品を摂った方が良いのではないか、というのが私の考えです。ただしそれも日本の食文化に合った物ですから、主体は魚類になります。

8分の5は「ご飯」、8分の2は野菜、海草類。出来れば地域性・季節性のあるもの、低農薬のもの。残りの8分の1が魚類。これを超えて動物性食品を口にしていないかどうか、是非考えて下さい。マインド・コントロールされることなく、賢くなって、21世紀を背負っていく大切な子ども達を守っていって頂きたいと思います。

プロフィール
1931年東京生まれ。1955年東京医科歯科大学卒業後、同大学病院小児科学教室入局。1961年田無市佐々病院勤務。1974年武蔵野市吉祥寺にて、真弓小児科医院を開院し今日に至る。主な著書:「自然流育児のすすめ」、「自然流生活のすすめ」、「おかあさんアトピーから赤ちゃんを守ってあげて」、「子育ての知恵」、「飽食日本の子どもが危ない」、「子どもは病気を食べている」など多数。

 

「完全米飯給食を実施する学校」

福島県熱塩加納村熱塩小学校 管理栄養士 坂内幸子

 子ども達に良い給食、理想の給食を

熱塩加納村の熱塩小学校で栄養士をしている坂内です。今日は熱塩加納村の学校給食の実態のお話をします。私はこの3月まで、加納小学校に勤務していましたので、加納小学校の話が中心になるかと思います。
熱塩加納村の学校給食の特徴を一言でまとめると、「将来を担う子ども達をピラミッドの頂点に置いて、保護者や先生方、そして子ども達自身も加わって、何が子ども達にとって良い給食なのか、理想の給食なのかを考え、努力している」ことだと思います。それは、一つに、村内産の有機無農薬米を週5回、自校炊飯で出していること、二つに副食には主に村内産の有機無農薬野菜を使っていること、三つに他の食材も安全性を重視して吟味していること、そして四つに多くの村の方々の協力の下に実現していること、に表れています。
私はこの4月、加納小学校から熱塩小学校に転勤しました。「熱塩小学校では加納小学校でやってきたような給食をやっていけるのか」「果たして父母の協力は得られるのか」など、いささかの心配を抱きましたが、根が楽天的ですので、「同じ村内だし何とかなるだろう」と思い赴任しました。やはり心配は杞憂だったようです。早速、4月のPTA総会で「熱塩小学校の給食も加納小学校と同じようになるのか」と期待を込めた質問が出されました。もちろん、「なります。保護者の方々の御協力があれば」と答えました。
そして、一学期が始まったが、「やる」と言った手前、やらなくてはいけない。使命感もあったので、早速二つの委員会を作りました。一つは、学校給食に全面的に協力をして頂く「学校給食協力委員会」。もう一つは「無農薬野菜を学校に納めてくれる会」。これがないと私の給食は成り立ちません。この二つの会を基盤に、熱塩小学校の給食も、理想の学校給食を求めて歩みだしたところです。

父母・地域の情熱で始まった村内産米の給食

さて次に、熱塩加納村産の米を学校給食で使うようになった経緯についてお話します。昭和55年、熱塩加納村では「命の糧」を求めて、有機低農薬米・無農薬米の栽培が始まりました。何年かの後、ある生産者が「村の子ども達は、このお米を食べているのでしょうね」と消費者から質問された。しかし、その米のほとんどが関東方面に出荷されていて、給食には使われていませんでした。当時、学校給食では給食会から供給される政府米を使っていました。加納小学校でも同じです。こうした中で、加納小学校の父母たちは「何とか村の米を子ども達に食べさせられないものか」と村や教育委員会、農協に相談しました。それがきっかけとなり検討が進められ、ようやく平成元年5月から村内産の米を学校給食で使えるようになりました。私は平成元年に加納小学校に赴任しましたので、その経過は見ていませんが地域の方々、父母の方々のすごいパワー、情熱だけは感じ取ることが出来ました。
しかし、平成9年9月、県から突然「村の米を給食米にするのを今まで特例として認めてきたが、今後は認められない」との通知が届きました。父母や地域の方々が一丸となり署名活動をしましたが、願いは叶えられず、12月から政府米になってしまいました。でも、そこで引き下がらないのが熱塩加納村の人です。「何としても子ども達には自分の村の米を食べさせる」と、PTA臨時総会を何回も開き、決議をあげ、ついに10年4月から政府の補助を受けない独自の米飯給食をスタートさせました。現在、「どうせ食べさせるんだったら一番美味しい米を」とコシヒカリの有機低農薬米、熱塩加納村では「さゆり米」と呼んでいますが、を週5回、炊き立てで食べています。

季節感のある無農薬野菜をふんだんに

次に野菜です。無農薬野菜を使うきっかけになったのは、赴任した夏頃、農協の営農部長の小林さんから「村には無農薬きゅうりが一杯ある。給食で使って見ないか」と言われたことです。それまで、熱塩加納村で無農薬野菜が作られていることは知りませんでした。もちろん即座に「使わせて下さい」と飛びついたことは言うまでもありません。
当初、小林さんに一括注文して取り寄せて貰いました。小林さんは営農部長ですので、村のどの農家がどの野菜を無農薬で作っているかを全部ご存じなのです。しかし、職業柄忙しい小林さんに頼ってばかりいられないと「供給者の会」を作りました。農家の方々が、採算を考えないで「子ども達に自分たちの作った美味しくて安全な野菜を食べてもらいたい」との思いで作った野菜ということで「真心野菜」と呼ばせて貰っています。
「真心野菜」を使うには、確かに手間がかかります。無選別で届きますから。例えばアスパラの場合、太いもの、細いものが混ざっているので、一緒には茹でられない。3回位に分けて茹でなければなりません。また、青菜などは無農薬で大量に作っている農家はなく、家庭菜園の延長で、余ったものを提供して貰っているので、4kg必要な場合、1kgずつ4軒の農家にお願いします。そうすると、1軒からはほうれん草、1軒からは小松菜など4種類の青菜が届くことがあります。これも、おひたしにするには4回に分けて茹でなければなりません。大きな茹で釜がありますから、4kg位でしたら1回で茹でられますが、種類が違うのでそれだけ手間がかかります。
また、ミミズやカタツムリなど、色々な虫もついてくるので、下処理を入念にしなければなりません。下処理はそれはもう丁寧にやります。水槽が空いている時がないくらいです。でも、色々な虫と対面できるのも一つの楽しみです。時々、葉っぱにつけて廊下に出しておくと、子ども達も興味深く観察しており、その虫が居なくなったりすると一緒に探したりしています。
大変ですが子ども達も野菜の美味しさを分かってくれています。反省ノートに「今日のキャベツのおひたしは特に美味しかった。いつも美味しいんだけど特に美味しかった」とか書いてきます。
熱塩加納村の給食には、大変季節感があります。給食の前に校内放送で、「ようやく村のトマトが食べられるようになりました。トマトが赤くなれば医者が青くなるように・・・」とか「初物を食べる時は東を向いて笑うと何か良いことがあるから皆んなで笑いましょう」「今日のトマトは今年の給食で食べる最後のトマトです。じっくり、よーく味わって食べて下さい」などと、その時その時に応じた話をします。子ども達に季節感を教えたいからです。
村で取れる時期しか使わない野菜が一杯あります。トマトもキュウリも青菜も取れる期間、「今日もトマト、明日もトマト」と言われる程、目一杯使います。アスパラも5月から6月、ここにも隠れていたのかと言うくらい使います。村の野菜を充分に使える献立にしようと努力しています。野菜嫌いの子どもには、その子の脇にしゃがみこんで頭をナデナデし、「チョット食べてみようかー」とか「アーンしてみよう」とか言って、食べて貰うような工夫もしています。なかなか難しいですが。

学校給食は最良の栄養指導の教材

私は、学校給食の目標を、子ども達が「心と身体の健康を守れる食生活を身につけた大人に成長すること」に置いています。子ども達に出す給食は、最良の栄養指導の教材でなければならない。自分でちゃんと説明できる給食でなければならないと思っています。子ども達に様々な食体験をさせること、また自分で作ったものを食べさせることには、素晴らしい教育効果があります。子ども達には生活科の時間を利用したり、あるいは休み時間を利用したりしながら、グリンピースのさや剥きやダンゴを丸めたりといろいろ手伝わせています。自分が手伝ったものが出ると、「アッ、これ私たちがむいた物だ」などと、食べる時の気持ちに大きな違いが出ます。
また、野菜などは毎日、これは「何々さん家の何々」と表示をつけて展示しています。これも食教育の一つの大きな教材です。「誰々さんのおじいちゃんが作ってくれた。おばあちゃんが作ってくれた」ということを頭にイメージしながら食べる。自分が食べたものの出どころが分かると、気持ちが非常に違ってきます。それは、何も子どもに限られたことではありません。例えばお土産にクッキーを貰った場合、「これ、食べて下さい。私が焼いたのよ」と言われたら、気持ちのもち様も違ってくるのと同じです。その点で、調理師さん達の顔が見える「自校炊飯」も非常に大切です。

このように、熱塩加納村の学校給食は、子ども達を頂点に置いて、皆んなで、子ども達の健康のためにはどうすれば良いのかという事を真剣に考えながらやってきていると言えると思います。

プロフィール
福島県生まれ。福島県立会津大学短期大学部家政学科卒業。加納村立小学校において完全米飯給食を実践。パン給食は過去9年間で一度実施しただけ。1997年、学校給食優良校として【文部大臣賞】を受賞する。

 

「学校給食の新しい役割と米飯給食」

高知県南国市教育長 西森 善朗

地元米を使い、学校給食を身近なものにしたい

私は4年間、高知平野のど真ん中、周囲が見事な田圃に囲まれた小学校に務めていました。その田圃を見ながら、子ども達の給食に何故、目の前で豊かな実りを見せている地元の米を使えないのかと、とても不思議に思っていました。会えば笑顔を見せてくれるあの農家の米を学校給食に使いたい。しかし、一校長の力では如何にも無力でした。
当時の米飯給食は、ほとんどが政府米を使ったものでした。南国市の学校給食はそれぞれの学校で調理をする「自校方式」でしたが、米飯は政府米を使い、炊飯は業者に委託していました。学校給食を市民や父母に、そして子ども達に身近にものにしていきたい。学校への信頼が希薄になっている中で、何とか学校給食を通して信頼を取り戻したい。私はそうした強い思いを持っていました。3年前、新市長が誕生し、私は教育長に任命されました。私の思いを実行に移す良い機会が与えられたわけです。

ついに「自校炊飯」方式の米飯給食が実現

平成9年、地場産米を使った学校給食が実現しました。使用した米は市場評価の余り高くない「ヒノヒカリ」「コガネニシキ」です。職務権限といってしまえばそれまでですが、実現までには多くの方の協力、「今の国の方針なら必ず出来るはずです。私も出来るだけ応援します」「貴方と一緒にやって見ましょう」などの励ましを頂きました。そうした協力、励ましがなければ、とても実現出来なかったと思います。
成功してしまえば何でもなかった様に見えますが、振り返って見ると多くのハードルがありました。新しいことに手を染めようとすれば、多くのハードル、リスクがあるのは当然です。事務方は多くが反対の大合唱だったようです。おそらく「一緒にやりましょう」という栄養職員の言葉がなかったら、出来なかったと思います。また、農業委員会の積極的な姿勢にも大いに助けられました。農業委員会では早くから地元産米使用の学校給食の実施を要請していましたが、相談に行った時、会長さんは「一緒にやろう。県や政府への掛け合いは引き受けた」と言ってくれました。そうした中で、市の農林課やJA、そして県の教育委員会などの中にも“やろう”という気運が生まれてきました。
ようやく平成9年、地元産米を使った学校給食がスタートしましたが、これはほんの入り口です。地元産米は使ったが、ホカホカのご飯、炊き立てのご飯ではなく、長年炊飯をお願いしてきた地元業者の炊いたご飯だったからです。何十年もお願いしてきて、「何としても学校で炊き上げたい。これまでは有り難うございました」というわけにはいかない。何とか業者との信頼関係を維持して、自校炊飯に持っていかなければならない。それが第二のハードルだったと思います。幸い、話し合いの中で、業者の方も「時代がここまで来たのかと思っています」と快く協力を頂き、別な事業に転身してくれました。私たちにとっても大きなリスクでしたが、委託業者にとってはもっともっと大きなリスクだったと思います。新しい事業で成功して欲しいと毎日思っていますし、感謝し続けています。

子どもに大受けだった「家庭用電気釜」の導入

こうして昨年、実験校二校で「自校炊飯」方式の米飯給食がスタートしました。一校は月から金まで週5回がご飯、もう一校は一回だけパンで4回がご飯です。しかし、胸を撫でおろしている暇もなく、新たな問題が出てきました。ガス釜で炊き上げ、炊き上がってから釜を持ち上げ移動しますが、重くて大変だという問題です。4月に新しいガス釜を導入したばかりです。実験校だから途中で方式を変えてもかまわないわけですが、公費ですし、困りました。私は方式を変えることに全く抵抗はなかったが、次長以下、事務局は大慌てです。「変えなければならないかもしれないが、半年はやって見たらどうか」などの意見も出されました。
私の持論は「どうせ変えなければならないのなら、一日も早く」です。早速、学校栄養職員に相談し、「変えよう」ということになったが、どう変えれば良いのか。話している最中にフト思いついたのは、家庭用の電気釜です。今どき、家庭用の電気釜で学校給食をやろうというのだから、変わった教育長だと思った方も多かったろうと思います。早速、栄養士さんと電気屋に行きました。「こういう電気釜はあるだろうか。いろいろな性能はいらない。安くて丈夫な物がいい」と話したら、ちょうど手ごろな物が見つかりました。すぐ高松の支店から取り寄せて貰い、3日後ぐらいから家庭用の電気釜を使った学校給食がスタートしました。
これはものの見事に成功しました。どう成功したか。1クラスに1つずつ釜があり、クラスごとにご飯を炊き上げますが、子ども達は大喜びです。2人の当番がいて、ホカホカのご飯をお茶碗につぐ。これで成功しないわけはありません。驚くほど残飯がなくなりました。大人が如何に良い制度だと思っても、子ども達の支持がなければ高い評価は出来ません。子ども達が、少々オーバーですが一粒も残さず食べてくれる。今でも続いています。これ程「炊き立て」が良いということを私は知りませんでした。

全校で「自校炊飯」の給食を実施

そのことを給食会の理事会で報告し、「もう一校、大きな学校で実施したい」と提案しました。各PTAの会長でつくる理事会では「それ程良いものなら全部の学校でやってもらいたい」ということになりました。私は、市の財政もありますから、少々迷いました。しかし、理事会の熱い思いを受け、全校での実施案を起案し、市長に相談しました。市長の了解を得て3月の議会に提案し、予算が通過しました。しかし、また問題が起きてしまいました。事務局の勘違いで、予算が一桁違っていたのです。予算が10分の1ですから大変な違いで、補正予算でなんとかしなければなりません。身近の議員には「教育長、行き当たりばったりですね。ゼロが一つ違っていれば分かるはずだ」と叱責されました。返す言葉もありません。市長の決断で予算を付けてもらい、議会では少々皮肉られましたが、全会一致で予算を承認して頂きました。
現在、全校で「自校炊飯」の給食を実施しています。子ども達の圧倒的な支持を受け、幸い、テレビや新聞などでも報道して頂きました。経過は別として、市民の圧倒的支持を受けていることも間違いありません。事は簡単です。地元で取れた米、生産者の顔の見える米を自分の孫達に食べさせるわけですから。残飯もほとんど出ていません。昨年度まで給食費は一日当たり245円でしたが、今年度、5円値下げしました。もちろん、質は落としていません。平成12年度から政府の補助がなくなりますが、それに耐えるだけの財政的余裕もあります。委託炊飯から自校炊飯に切り替え、年間1千数百万円の委託費が不要になったからです。
米だけでなく、今、南国市では地元の食材を使った食品開発に心がけています。数年前から地元で取れた大豆を農業学校の協力を得て味噌に加工し、主として中学校の給食に使っています。味噌造りには地元のおばあちゃんの協力も受けています。醤油も地元産大豆を使い、地元で生産することが、先日決まりました。北海道の千歳市とも交流をしており、美味しいジャガイモを送って貰っています。子ども達に美味しいと評判です。南国市からは名産のタケノコを千歳市に送るべく、話をしている最中です。地元の食材に徹底的にこだわり、真心のこもった給食を提供し、子ども達に夢を与えていきたいと思っています。

学校教育に欠かせない食育・食農教育

こうした制度の導入に当たって、一番苦労したのは「前例がない」ということでした。役所では前例のないことをやるのは大変です。しかし、私は「前例がなければつくれば良い。一度つくれば前例」との信念でやってきました。屁理屈との批判も受けましたが「屁理屈も理屈のうち」と何とか了承を頂いてきました。
現在、週5回の米飯給食が小学校3校、幼稚園2園です。4回が1校、残り9校は3回です。出来るだけ近い将来、全校で地元産米を使った米飯給食を週5回実施したいと思っています。それを通じて、子ども達に今一番欠落していると思われる「感謝の心」を育てていきたい。生産者の姿の見える給食を通じて、生産者の苦労が少しずつ子ども達にも分かり、「感謝の心」が育ってきているように見えます。また、安心な学校給食を通じて、保護者などとの信頼関係を築いて行きたいと思っています。
今日は栄養士さんも沢山お見えののことと思います。私がこの仕事を出来たのは、学校栄養職員の助言があったからです。知育・体育・徳育も大切ですが、食育、食農教育も大事です。食育、食農教育を教育の中心課題として大切にしていきたい。是非、プライド豊かな栄養職員であって頂きたいと思います。
最後に兵庫県知事の貝原俊民さんの言葉を紹介し、私の話を終わらせて頂きます。「米余りで水田の4割近くが減反を強いられている。他の産業でこんな操業短縮はありえない。そしてその上、地震と違いジワジワと迫る危機。これを座視していたら、後生に怠慢の誹りは免れない」。

プロフィール
昭和32年より教壇に立ち、平成元年日章小学校、平成2年大篠小学校の校長を歴任。平成6年4月には南国市教育研究所長に就任し、平成8年1月より現職に至っている。食に興味、関心をもたせ、生産者の苦労や感謝の心を育み、学校と家庭と地域が連携して子どもが豊かに学び育つことを願ってきた。平成9年より地域の特色を生かした地域とともに築く学校給食を始めている。 

 パネル・ディスカッション

 「ごはんが守る子どもの健康」

【幕内】皆さんから多くの質問・意見が寄せられています。パネル・ディスカッションはこれらの質問・意見に答えるというスタイルで進めていきたいと思います。まず、最初ですが、札幌市北区の方からです。「子どもがアトピーのため、ご飯と野菜、少しの魚で育てています。現在3歳1ヶ月、身長、体重は平均。風邪もめったに引きません。でもこのような食生活で良いのか、不安になります。このような食生活を続けていっていいのか、少し迷っています」という質問です。真弓先生、お願いします。

【真弓】食生活はそれで良いと思います。ところでアトピー性皮膚炎、アレルギーは自然界にない病気です。野生動物にアレルギーはない。アレルギーの語源は1906年にヒィフケがいったアロスデロボです。アロスは不自然な、奇妙な。デロボは斑で「風変わりな斑」という意味です。アトピーのアは否定語。トピーはトポスで場所。ですから「場違い」という意味です。
自然界にない病気が何故、人間だけにあるのか。人間が他の動物にない不自然な生活をし続けてきたからです。火を使う。住居に入り、農耕牧畜を始める。他の動物にない便利な生活をすることによって、ごく一部の人にアレルギー性疾患が出てきた。更に電気や石油を使いだした。アレルギーは、食事だけでなく、他の環境要因、「便利さ」と裏腹に激増してきた。
私は外来にくるお母さん方に、「薬を食べさせて下さい」といい続けています。薬の上に草があります。ご飯、海草、野菜をたっぷり食べさせて下さいと言っています。下に木があります。果物、木の実です。最近、果物をちょっと摂り過ぎているが、ご飯、海草、野菜をたっぷりと、果物、木の実を少量楽しんで生活すれば病にはなりません。体調を崩した時も、すぐに医者にいかないで、例えば下痢をしたら、水とニンジンで三日ぐらいで治ります。咳も大根、ニンジン、ネギ、黒豆で十分対応できます。
アレルギーには食事だけでなく、例えば衣類、空気を遮るようなものを身につけていないかどうか。また、北海道では厳しいと思いますが、出来るだけ外と内の温度差を少なくするなど、総合的に対応して頂きたいと思います。

【幕内】次は苫小牧の方からの質問です。「完全米飯給食実施校が900もあると聞いて驚いています。私も学校給食を変える運動をしていますが、現場の栄養士さんの意識を変えることで米飯を増やすことができるのでしょうか。もっと大きな壁があり、栄養士さんも制限されているように感じていますが、いかがでしょうか」という質問です。西森さん、お願いします。

【西森】何か新しいことを試みる時には大きな壁がある。しかし、栄養士さんを味方に、協力していただかなければ何も進まないと思います。振り返って見て、一番大事なのはそれぞれの市長村の首長が燃えてくれ、共感してくれることです。そうしたら大抵のことはできる。学校給食は教育の一環ですが、教育分野だけで考えても小さなことしか出来ない。首長部局やJAなどと連携を取りながら進めていけば、規制緩和・地方分権の時代ですから、大抵のことは可能だと思います。

【幕内】和歌山県や京都府には、戦後ただの一度もパン給食をしていない学校がある。もっとも、和歌山県では平成4年頃から給食がスタートした学校も多くあるが、パン給食という話は一度も出なかったそうです。ですから「やらないで難しい」と思っている面があるのではないでしょうか。
次は、札幌市の学校給食調理員さんからの質問です。「完全米飯給食の学校では麺は全く献立にないのでしょうか。また給食費はいかがでしょうか」。坂内さん、お願いします。

【坂内】加納小学校に10年間いましたが、主食として麺を2回、パンを1回出しました。食には“遊び”の部分も必要ですので、クリスマスのお楽しみ献立として、また6年生のお別れ会時、麺・スパゲッテイを出しました。子ども達の希望を取ればパンや麺は多いが、しかし、加納小学校でパンを出していた時代、子ども達はパンを喜んでいなかった。残す子が多く見られたからです。それで、弁当持参の給食、そして自校炊飯の給食に変わってきました。
今の子ども達は米飯ばかり食べているので、ない物ねだり的に“パンを食べたい”といってくるので、一度パンを出しましたが、ただのパンではありません。山形県産小麦粉で作った山形の「こだわりパン」です。その時、思わぬハプニングがありました。試食もし、発注していたのですが、二日前にパン屋のさんの主人が急病で倒れてしまい、納品出来ない。仕方なくその日はご飯にしましたが、子ども達はどうしてもそのパンを食べたい。「早く良くなって僕たちのために美味しいパンを焼いて下さい」と子ども達はパン屋さんに手紙を書いた。それを読んだパン屋さんは感激し、やっと今年3月になってパンを出すことが出来ました。
給食費ですが父兄負担は265円です。南国市より少し高いですが、自給肥料で育てた豚肉や無農薬野菜を使っているためかと思っています。父母は喜多方ラーメンが600円、700円する時代ですから、高いとは思っていません。また、平成3年に地元産米使用の特例が打ち切られ、政府の補助金がカットされたが、4年の4月からJAや村産業課から一食当たり10円程、今は6円に下がりましたが、補助金を受けています。

【幕内】市内白石区の方から「子ども達にはご飯を食べさせていますが、私はパン食です。ただし、パンといっても握りつぶせるような柔らかいものではない。水分をたっぷり含んだライ麦パン、あるいは国産小麦・天然酵母・水・塩で作ったパンです。おかずはひじきの煮物や黒ゴマ和え、アジやイワシの塩焼き。こうした食はいかがでしょうか」という質問です。
私も時折パンを食べます。この方と同じ焼き方で「ハルユタカ」を使っています。パンの食べ方としては良いと思います。しかし、学校給食となった場合、話は別です。まず、国産小麦は値段が高いので父母が納得するか。また、おかずはアジ・イワシのマリネ、油だらけのものになると思います。
次は市内東区の方からです。「娘二人は22歳と23歳になりますが、生まれた時からアトピーです。食生活に大きな関心を持っているが、農薬の使用された野菜を沢山とるべきか、ダイオキシンの心配があっても魚を食べるべきか、迷っています。また、娘たちは将来子どもを出産して無事に育てられるか、生まない方が良いのかと悩んでいます」という質問です。真弓先生、お願いします。

【真弓】非常に難しい問題ですが、特に妊娠期間中などは「生体内濃縮」されたものをなるべく摂らないようにすることが重要です。食物連鎖の中で、ダイオキシンや農薬は濃縮されていく。例えば牛の場合、牧草のダイオキシン・農薬汚染を仮に1とすると、牛肉では10倍以上、牛乳は100倍にもなる。同じく、鶏肉では10倍以上、卵ではものすごい濃縮度になる。海草を1とするとイワシでは10倍。マグロがイワシを食べたとすると、マグロでは100倍になる。ですから、ご飯・海草・野菜やイワシを食べていればダイオキシン・農薬汚染をそれほど考える必要はない。牛肉・鶏肉・卵・マグロなどの場合は非常に危険性があります。
アレルギーは自然界にない病気です。大腸菌はこれまで大部分が人間の味方でした。私たちは、大腸菌なしに生きていけない。しかし、大腸菌が住めない体にしてはいないか。地球上で人間だけが生きているのではない。森羅万象の中で“生かされているんだ”という点を忘れてはいけない。西森さんが言われた「感謝する心」を忘れてはいけない。命を頂いているのですから、「いただきます」「ありがとう」という気持ちを絶えず持っていなければならないと思います。
先祖代々の日本の食・衣・住文化に合った知恵をしっかり身につけていれば、アレルギーはかなり軽減するのではないかと考えています。

【幕内】次に「学校給食の民間委託反対札幌連絡会」の方からの「札幌市で学校給食の民間委託が昨年4月に提案されました。早速、民間委託を止めさせる連絡会を作り、今年1月に嘆願署名を提出したが否決され、この4月から始まっている。阻止するにはどうしたら良いか」という質問です。坂内さん、西森さん、いかがですか。

【坂内】私が民間委託に反対するのは学校給食が「教育」だからです。ですから私たちが求める学校給食は民間委託では実現できない。民間委託にすれば、学校給食の頂点に子どもはいません。子ども達はやがて日本を背負って立つが、子ども達の将来の健康、心の健康をどうするかを考えた時に、民間委託は考えられません。父母や地域が一丸となって動く必要があると思います。加納では父母の方々の力が強く、私も動かされている感じです。「自分達の子どもはこうしたい」ということがはっきりしていれば、民間委託にはならない。そこがしっかりしていないと、フラフラと流されてしまうのではないかと思います。

【西森】民間委託は財政問題から来ていることは間違いありません。様々な領域で、財政改革に組まなければならない状況に置かれています。どこから、切り込むか。南国市では学校給食に対して世論の圧倒的な支持があり、民間委託という声はゼロです。しかし、学校用務員がこの4月から民間委託になりました。これからは、ただ“8時半から5時まで”という感覚で調理の仕事をしていたら、民間委託になる可能性は大です。子どもの成長過程を担うかけがえのない仕事なんだという職業意識を調理職員が持たないと、いつか民間委託の話が出てくると思います。今の財政事情の下、聖域はない。切り込んでくるところは切り込んでくる。それに耐えるだけの世論の支持が必要です。何十年の公務員の意識を変革するのは大変だと思います。既得権は大事にしますが、一方で時代がどう変わっているかを理解しないと、民間委託は必ず具体的か課題として浮上してくると思います。

【幕内】広島市でも同じシンポジウムを行いました。広島は組合が強いところだが、質問の半分は民間委託でした。私は「労働問題ではない。子どもの健康問題なのだ」と強調しました。子どもの健康問題が先にあってこそ、自校方式が良いのか、民間委託が良いのか、があると思います。子どもや地元にどういう貢献をしているのかがなければ、民間委託を止めさせるのは難しいと思う。私は社員食堂のメニューをいろいろ変える仕事をしましたが、作っているのは民間業者ですから、反対などは一切ありません。あっという間に変ります。民間業者はやってくれと言ったらノーとは言いません。給食が本当に子ども達の健康や教育、地域の農業を守っていたら、民間委託にはならないと思います。
次に中央区の方から「学校給食で米飯が進まない最大のネックは何か」という質問が出されています。坂内さん、お願いします。

【坂内】地域の結束だと思います。今、子ども達の健康が危険な状態にあり、どんな食事が良いのか、大体分かっていると思う。意識を高め、地域が結束して働きかけることが重要し思います。

【幕内】私は米飯を増やそうという運動を札幌でやったことがないからだと思います。

【西森】札幌は180万という大都市で制度を変えるのは至難の業です。最初から大きな声や動きにならないと思います。しかし、身近なところから連帯を強めながら運動していけば可能だと思います。

【幕内】静岡市の方から「米飯が優れているのはどこか」という質問が出されていますが、私から答えます。病気になったら何を作るか、お粥です。赤ちゃんに最初に食べさせるのもお粥です。子どもが登山に行く時、ほとんどのお母さんが持たせるのは水筒とおにぎりです。それに比べておかずはバラバラです。このように日本人の主食が米だからです。最後の質問ですが「最近、出生率が下がっている原因は何か」。真弓先生、いかがですか。

【真弓】食事の影響も非常に高い。民族に合った食事でない場合には、精子や卵子の中に子どもを産める能力が低下してくる。もっと大きいのは、いわゆる“利便なもの”の影響です。3年前、クリントン米大統領が「一般の人は携帯電話を使用しないこと。仕事上やむを得ず使う時、耳元から2.5cm話して使うこと。精子が直撃されるので後ろのポケットには入れないこと」と演説しています。ヨーロッパではもっと前から言われています。日本ではやっと言われた出した程度です。電気毛布・カーペット・コタツを使っている妊婦と普通のシーツだけの妊婦とでは奇形児の発生率が6:1です。当然不妊率も6:1です。生涯特殊出生率が1.7まで下がってきました。1.6を切ると修復不可能と言われています。小子化の問題は深刻な問題です。民族に合った食・衣・住にしないと小子化は防げないと思います。

【幕内】最後に一言ずつお願いします。

【坂内】加納小学校に栄養士がいなくなってどうなったか。私がいたときには献立表を一週間に一度ずつ出していました。栄養士がいなくなればそれは出来ず、一ヶ月1回の基本献立表になりました。しかし、それ以外は変わっていません。地域全体で子どものための理想の給食を追い求めてきたからだと思います。理想の給食を追い求めていく必要があると思います。

【真弓】私が今、一番関心を持っているのはインディアンの生活です。彼らは、地球も星も生きていると思っている。だから母なる大地を掘り返して鉱物などを掘り出してはいけない。人間も動物も含めてみんなの土地と考えている。何かを決める時には7代先の人々にどう影響するかを考える。なぜなら、我々が生きているのは、7代前の祖先が子孫のことを考えて水を土を守ってきてくれたからだと考えているからです。こうした考え方は日本にもありました。しかし、たった60年間の間にすっかり崩れてしまった。米は食べ物だけの問題ではない。環境全体の問題を含めて、少なくても孫、曾孫のことを考えて、米離れに歯止めをかけて頂きたい。そして、昔の日本文化を取り戻す方向に行って頂きたいと思います。

【西森】先日、別な集まりで「食材」を「材料」と見るのか、「命」と見るのかという話が出ていました。私は食材を単に材料ととらえていたので、大変驚きました。それに「与えられた給食」から「地域とともに築く給食」というように位置づけを変えていく必要がある。食育、食農教育を学校教育の中心領域に持っていき、新しい教育を築いていきたいと思っています。

【幕内】こうした会を開いて頂き、有り難うございました。子どもでも誰でも分かることは日本では米が沢山取れていることです。それを、成長期の子どもに食べさせていない。何でお腹を満たしているのかというと、トウモロコシ、コーリャンなど、もちろんそれを肉や乳製品などにしてですが、第三世界の人達の主食となるものです。これを変えなければならない。私たちは米飯を増やすという一点だけで運動をやってきました。この問題を解決せずして、他の問題の解決はないと考えるからです。ご不満もあると思いますが、食生活を幹・枝・葉と考え、主食という幹に鉈を振るいたいと思います。有り難うございました。