福沢幸雄をご存知ですか?


私の手元には、「コースに“かげろう”燃えて」という古ぼけた本があります。

どんな本だと思いますか?
昭和
44415日初版発行。655版発行と記されています。
構成オートスポーツ編集部。
発行所株式会社三栄書房・・・。

 これは、昭和44212日ヤマハのテスコースに散ったレーサー福沢幸雄の記録です。
昭和
43年の日本グランプリで2位を走行中に、ドライブシャフトを傷めてピットロード前でリタイヤし、悔しそうに後輪を蹴るさまはいまでもよく覚えています。当時は私も車好きの小学生。とうてい勝負にはならない日産のR381についで2位なら最高だと思ってテレビにかじりついて一生懸命応援していました。私はその当時、大のトヨタファンでしたから・・・リタイヤはほんとうに残念でした。モノクロテレビのため黒っぽいトヨタ7としかわかりませんでしたが、
後日、ダークグリーンであるのを知りました。来年の日本GPでも活躍してくれるだろうと思っていました。
福沢諭吉のひ孫で、母はギリシャ人という血統のよさとハンサムな青年。
服飾メーカー「エドワーズ」の営業部長とデザイナーも兼任。そして、男性モデル。
ほんとにかっこいいなあと思いました。
レーサーになりたいなどと当時本気で思っていたのは彼のせいでしょう。

じかに目にしたこともありません。走る姿もテレビでの日本GP一度のみです。
しかし、そんな当時のクルマ大好き少年を魅了した「サチオ」の事故の記事を目にしたときはショックでした。
当時の新聞に車が激突したという標識の支柱が写真に出ていました。
それは前年の4月にエフワンのジム・クラークの死を知ったときとは比較にならないほどの衝撃でした。
やはり日本人・・・ですからね。
その後川合稔や中野雅晴、風戸裕、鈴木誠一らの死のときも悲しくなりましたが・・・
サチオのときがいちばんかな。・・・あとは、アイルトン・セナですね。

 サチオは茨城にも来ていたんです。マニアの人なら誰でもご存知のトヨタ2000GTのスピードトライアルは
有名な谷田部の高速試験場(現:つくば市谷田部の自動車研究所)で行われました。
そんなスピードトライアルのビデオを手にしたのは数年前のこと。
「世界記録への挑戦 スピードトライアル1966」と題された35分のビデオを再生してみたときは感動しました。
いまになってたとえビデオでも「サチオ」の姿を見れるなどとは思ってもいませんでしたから。
しかも・・・カラーですよ。

それと、そのほかにも宝物があります。彼の死後10年以上が過ぎた神田の古本屋の軒先でなんと、「サチオ」の写真集を見つけたのです。私はいくら大ファンでも世間一般的には・・・知るひとぞ知るの世界だったのでしょう。


ノーベル書房の「追悼写真集 福沢幸雄の光と影」で昭和44年5月3日発行。定価1200円のものでしたが500円で入手しました。134ページのA4サイズですがカラー写真は3枚しかありません。あとはすべてモノクロです。・・・
手にしたときはすでに写真のように外箱はぼろぼろでした。劣化してしまったんですね。
いくら時代が時代とは言ってもちょっと悲しいです。でも、写真がたくさんあるだけでも嬉しいものです。

そして最後の宝物はメイクアップ製ハンドメイドの1968年日本GP仕様のトヨタ7。当時バンダイのトヨタ7のプラモを懸命に幸雄仕様にしていましたが・・・やっと念願かないました。