鯖街道

若狭〜朽木村


朽木村市場
丸八百貨店

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 鯖街道というのは、若狭で取れた鯖を京都へ運んだ飛脚の通ったところからそう呼ばれることになったらしい。
 鯖街道と一口で言っても,無数にあるらしいが、今回はその代表的なルートである若狭街道(国道367号)を走ってみた。


舞鶴道を綾部インターで下りて、国道27号に入り、続いて県道1号小浜綾部線に入る。交通量の少ない谷間の道を、淡々と抜けて行く。
 大飯町で再び国道27号に入る。
 若狭本郷駅前にある道の駅のような大飯町情報交差点ぽーたるで休憩する。
 このぽーたる内には、大阪の花博で走っていたSL義経号のレプリカが展示されている。
 また、花博にあった風車の駅が、若狭本郷駅の駅舎として使用されている。







            

 


 小浜市内を抜け、国道303号に入る。山がだんだん近くなってくる。
少し走ったところに熊川宿があった。
 国道を外れ、旧道に入る。街道沿いには数百メートルに渡って、古い町屋が連なっている。
 この熊川宿は、天正17年に浅野長政が、諸役免除をして宿場町として栄えたという。
  季節外れのせいか行き交う人もほとんどいない静かな町で、ただ、水路を流れる水の音だけが聞こえていた。  



 

 

 


 県境を抜け、今津で国道367号に入り、険しい山道を走る。
この道は、元亀元年に越前の朝倉氏を攻めた織田信長が、義弟の浅井長政の裏切りより敗北し、退却したというルートで、戦国史史上、もっとも有名なルートと言っても良いルートだろう。
 峠を越えた谷間の町が、朽木村だ。安曇川の清流に沿った街道沿いの集落で、この村の道の脇にも、水路が設けられている。 昔は、旅人がこの水路の水で、馬の足を洗い、地下の者が野菜などを洗ったという。
 市場と呼ばれる集落を歩く。 朽木村の中心として、かつてはこの街道を行き交う物資の集散地として栄え、多くの商店や旅館が軒を連ねていた。
 その中でもこの朽木村のシンボルともいえる丸八百貨店が、当時の姿のまま保存されていて、街道ゆかりの資料展示コーナ-が設けられ、特産品の販売も行われている。


 町を外れ、国道367号を南に進む。
日曜日の朝市で有名な道の駅くつき新本陣を過ぎ、しばらく進んだ岩瀬の集落に曹洞宗興正寺がある。
 鎌倉時代に曹洞宗の開祖道元禅師が、朽木氏の祖先に建立をすすめ、以後代々朽木氏の菩提寺となった曹洞宗の巨刹で、本尊の釈迦如来坐像は重要文化財に指定されている。
 この寺の境内に続く一角に国の名勝・旧秀隣寺庭園があった。
 足利幕府12代将軍足利義晴が、乱を避けて朽木谷に身をひそめたが、その際朽木氏が将軍を慰めるため作った庭園跡で、ほぼ築堤当時のままの姿で残っている。
 足利義晴は、管領の細川氏にたびたび追われ、各地を転々としたが、この山奥の村の庭園を眺めていると、ほとんど無力に近かった、この流浪の将軍の哀れな生涯が重ね合わされて、何やら哀愁が漂っている感じがした。

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