播州室津港
室津には3年ほど前、赤穂に向かう際に一度通ったことがある。
七曲がりと呼ばれる海沿いの、コーナーの連続する国道を走っているときに、ふと、横手を見ると、左手に室津港の景色が見えた。ちょうど正月で、港には、色とりどりの旗をつけた船が整然と並んでいて、そのバックの狭い平地に、家々が、これも整然と建ち並んでいて、ほんの一瞬ではあったが、その光景が深く瞼に焼きついていた。
その光景が忘れられなくて、再び訪ねて見たいと思っていたが、なかなか機会に恵まれず、今回、その念願の室津を訪ねることが出来た。
タンクバックにセットしたカーナビの案内にしたがって室津に向かう。
山陽姫路西インターで高速を降りて、南に向かい国道250号に入る。
姫路市を抜け、揖保川を越え、御津町に入り、しばらく走ると海が見えてきた。
海沿いの、七曲と呼ばれるカーブの連続する道を走る。
室津港手前の堀市という海鮮物の店に入り、穴子丼を食べる。ご飯の上に焼いた穴子をのせ、たれをかけただけものだが、これが実に美味しい。
この店では、港で水揚げされたばかりの海鮮物を、海を臨むテラスの上で焼いて食べることが出来る。時間があれば、ゆっくり新鮮な海の幸を味わうのも良いだろう。
国道を外れ、室津の街中に入る。
路地の脇には江戸時代、西国大名の参勤交代の際に使われた本陣跡が並んでいる。原則として一宿一軒の本陣が、ここ室津には特別に6軒もあったという。それだけ海上交通の要衝であったということだろう。
適当な場所にバイクを停めて、町を歩く。坂を登るとそこが浄運寺だった。
浄運寺は法然上人の二大霊場の一つで、門前には遊女友君の塚があった。
友君は、木曽義仲の夫人の山吹御前と伝えられており、上人の説法を聞き得度し、念仏往生を遂げたと伝えられている。
室津の町は、山が直ぐそばまで迫っている。
急な坂道を抜け、播磨灘に面した道を歩いてゆくと、半島の先端の藻振鼻に達する。沖合いに唐荷島が見える。
玉藻刈る 唐荷の島に 島廻する 鵜にしもあれや 家思わざる
山部赤人がこの島を通過するときに詠んだこの歌の歌碑が建てられていた。
室津港の南に鎮座している賀茂神社の境内を抜ける。
参道には九州の大名が寄進したというソテの林があって、ソテツ群生林の北限にあたるため、県の天然記念物に指定されているという。
この賀茂神社は京都の上賀茂神社の分社として建てられたというが、本殿と拝殿が境内を隔てあって建てられているのが特徴で、境内の建物は国指定重要文化財に指定されている。
この神社はいつ建てられたか不明だが、平清盛と共に厳島神社に参詣した高倉上皇の厳島神社御幸記に、「やしろ5、6おおやかに並ぶ」と記されているところから、その当時からこの地に祀られていたのだろう。
賀茂神社の境内を抜けると、溝口御番所跡があった。
江戸時代、室津は姫路藩の飛び地であって、藩士が昼夜行き交う船をチェックしたという。
御番所跡のそばには、西国の大名が大阪城を築く際に誤って港に落としたという大阪城の残石が、恨めしげに置かれていた。
港の中を歩く。
三方を山で囲まれている天然の良港で、港の水面は鏡のように静かで、その上に船が整然と並んでいる。
もう夕方で時間も遅いせいか、人もほとんどいない。
江戸時代には、参勤交代の西国大名の乗船、下船地として賑わい、箱根に次ぐ宿場町として「室津千軒」と呼ばれたというが、今ではその面影も無い、本当に静かな港だった。