<2003年2月>

2003年2月28日(金)午前1時8分。武蔵境の自宅にて。

 風邪をひいた模様、というのも、喉がしきりに渇くのと鼻の穴が異様に乾燥しているような気がするため。熱、頭痛、せき、くしゃみなどはなし。とにかく乾燥が苦になる。
 そのためにふだんは加湿器をがんがんかけているのだが、1ヶ月くらい前だろうか、一日何回も水を入れ替えて”強”で加湿していたところ、部屋の天井が黒ずんできた。黴か?と思ったのでしばらくやめていたのである。ただ、やっぱり肌がかさかさするのと喉がしきりに渇く。いつも家に帰ってくると2リットルの麦茶を冷蔵庫から出してきて、朝にはほとんどなくなっている状態だから、夜だけで2リットルは飲んでいることになるのだが、それでも喉が渇く。肌も妙に湿っている場合はじゅくじゅくしたりするのでよろしくない、ということで、乾燥していればあまりかゆくなることはないのだが、それでもかさかさするので肌をなでるようなことは頻繁にやっている。あと困るのは唇がよく切れる。目もなんとなくぼしょぼしょする。花粉症にはなったことがないのでたぶん乾燥の問題ではないかと思うが、ロート抗菌目薬ではなかなかうまく症状を緩和できていないような気がする。

 今日は寒い日だった。特に風が強い。昼は弁当をタッチの差で若い人にさらわれてしまったので、やむなく外へ行った。思いっきり外に出たわけではないが、寒かったね。それ以上に今日久々に寒さを実感したのは、ある会議で麻布二の橋まで行った時だ。3時前に会社を出たのだが、飯倉近辺のアップダウンがきつい上、電動自転車のバッテリーが片道でもう切れかかってしまい、6時頃帰る時はうんと寒い上にいつもより余計に漕がなくてはいけないので大変往生した。二の橋界隈なんて行くのは本当に久しぶり、あの辺にある麻布山善福寺という寺に福沢諭吉の墓があるので、慶応の受験の時に合格祈願に行って以来だろう、たぶん。麻布十番は布屋太兵衛のそばとか食べに行っているけれども。
 三井綱町倶楽部というのが二の橋のところにあることを初めて知った。これ、東京人の昔の建築物の見学会とかでよく出てくるもので、どこにあるんだろうと思っていたのだが、麻布であったとは。湯島の岩崎家住宅と並んでかなり有名な建物である。外からも覗けたのはよかったのだが、暗くなっていて見にくかったのは残念だった。あと、あの辺意外に小さな家が多い。道も狭い感じだし。焼けたと思うんだけども、焼けなかったんだろうか?いつも思うのだが、山手線の内側は基本的に10階建て以上のビルを原則とすべきだと思う。あくまで職住近接が理想だし、通勤混雑・渋滞なんてあまりよろしいものではない。その原因は都心の土地利用が下手くそ、特に山手線の内側に小さな家があるのを見過ごしている点にあると思う。本当なら相続税などを通じて整理されるものだと思うのだが、最近は相続税を下げたりしている。全くもってけしからんことだと思う。そういう人間から見れば、麻布近辺なんてのはもうちょっとでっかいビルをバンバン建ててしまった方がいいのではないかという気になってくる。
 あとは、愛宕グリーンヒルズという建物がいつもよくいくバーミヤンからそんなに遠くない、ということを発見。バーミヤンまでは歩いていくのだが、これなら愛宕グリーンヒルズまでも歩いていけるので、今度チャレンジしてみようと思う。愛宕神社にも行ってみたいが。

 夜は慌てて二の橋から自転車で戻ってきてすぐ三軒茶屋へ。世田谷パブリックシアターで富良野塾「屋根」。ある夫婦が大正時代の初夜に始まり子供が生まれ、育ち、大きくなって戦争に行って亡くなり、別の娘は炭坑夫のもとに嫁ぎ、息子は流行に乗り遅れまいと借金を重ね、最後は折角開墾した土地さえ息子のために捨て夜逃げせざるを得なくなる、という物語である。あまりにメッセージ性、戦争のかなしさ、というのかむごたらしさ、というのか、と、モノ社会、使い捨て社会に対する批判が強すぎて、一本調子だったような気がする。その点、「今日、悲別で」の方が印象は強かった、というか強烈だった。ただ、そうだろうねえ、こういう夫婦っていそうな気がしたなあ。舞台が富良野だから開墾の苦労もあっただろうし、女郎に娘を売ったりするのもあるんだが軍隊に進んで入る人たちの存在なんかもたぶんこんなんじゃないんかなあ、と思う。当時の軍隊の幹部って東北とか、田舎出身の人が多かったわけでしょ。で、「やよはげめよ」みたいな感じで頑張って方向がどこかでずれちゃったんだろうなあ、結局負けちゃって。農村におけるトラクターの導入とかもそうだよね。すっかり借金漬けになってしまった百姓、というか、地方自身が自治体なんかも含めて借金漬けになっているような気がするんだが。
 そんな中でこの夫婦は堅実に生きようとする。それはそれで尊い事だと思うけれども、果たして地方で堅実だけで生き抜いていけるのだろうか?ハウステンボスも潰れちゃったけれども、堅実にやっていたらそれこそただただ沈んでいくだけなのかなあ、という気もするのです。ハウステンボスは借金が多くなった、けど、ほかの過疎に苦しむ農村とかと比べたらどちらがよかっただろう?ただ借金漬けだから、という評価だけでは片づかないような気がするんだけれどもなあ。
 あまり訳のわからない感想になっているのだけれども、見ながら「ちょっと一方的かな」と見方を意識して微修正するように心の中でいろいろ考えてました。カーテンコールは倉本聰さんも出て来て、終演後はロビーでたくさんの人の挨拶を受けていました。たぶんこれ、富良野塾のOBがいっぱい見に来ていたんだろうと思う。なんだか非常に仲間内の会みたいな雰囲気があって、終演後の挨拶もOBのゴキゲン伺いなんだろう。

 渋谷で本を立ち読み。河口俊彦さんが「大山康晴の晩節」という書き下ろしを出版したようなので、ずっと読んでいた。将棋界でもなんでもそうだろうが、リアルタイムでは書けないことが後では出てくることが多い。当時の「対局日誌」では大山日本将棋連盟会長が勇退する辺りのところは別に何も書いていないはずだが、今回の本では中原さんが引導を渡しに行った事が書かれていたりする。まあ河口さんも大山先生が亡くなってから10年経つので、この辺ならいいや、ということで書いたのだろう。同様に、中原、米長が亡くなってまたしばらく経てば、今噂される権力争いや林葉スキャンダルなどについても出てくるのだろうと思う。
 しかし中原、米長の現在の成績をみるにつけ、やっぱり大山先生は偉かったのだと思う。棋力、というよりたぶん執念みたいなものだったのではないだろうか?勝負にただ執着すればあれくらい勝てるのだ、という見本のような気がする。ただ、最近はそこまで勝負に拘るの?他の人生もあるんじゃないの?という疑問が自然と出てくるのでなかなか勝てない、ということなのではないだろうか?
 そんなことを思うのも、何げに羽生竜王の勝負への執念が恐ろしい感じだからである。棋風は違うように思うが、羽生さんは大山先生の対局が何局かあった、その中で勝負術みたいなのをつかんで会得していったのではないかという気がしている。
 自分はそこまで勝負、というか、仕事についてもそうだと思うのだけれども、執念をこめて、という感じじゃあないな。だからミスが多いし鬱病にもなるんだろうと思うが、でもそんなに執念入れてやって、ちゃんと評価されるのかい?ということになると自信がないなかで、リスクヘッジはかけとかないとねえ、とつい思ってしまう。プロジェクトXが流行っているが、あれにしたって今あんなことやったらマネジメント能力欠格、ってことになるんじゃないかねえ。突発的な事項も含めてケーススタディをやるべき話なのだから、本来。

 ちょっと話が外れてしまったが、明日は外回りをしようと思う。夜は王子ホールに行くか、机の掃除をするか。

2003年2月27日(木)午前1時28分。武蔵境の自宅にて。

 酔っぱらってしまい頭が痛い。
 宴会に出たのはよいのだが、日本酒の燗酒をコップで飲んでしまった。量はそんなにでもないのだが、少しでもちゃんぽんをやってしまうと大変な目に遭うのはいつものパターン。今もって頭が痛い。二次会にも誘われたが丁重にお断りする。
 「責任をもって管理するように」と偉い人に言われたコートを間違えて渡してしまったのが非常に痛恨。仲居さんがえもんかけに掛ける前まではしっかり見えるところに置いていて、えもんかけもきちんと見ていたつもりだったのだが、微妙に位置が違っていたようだ。非常にショック。後悔しきりである。
 帰りは渋谷でブックファーストとHMVへ寄る。ブックファーストではたくさん本を買うつもりでお金まで下ろしていったのだが、なかなか見つからず、というか、何の本を買うか忘れてしまったので非常にショックを受ける。「三輪寿朗」という名前だけは覚えていたのでそれからたぐって1冊(あともう1冊)だけは買ったけれども、記憶が消えてしまったようで非常にいかがなものか。
 HMVではドヴォルジャークの弦楽四重奏曲全集、交響曲全集、マーラーの交響曲全集、などなど大量に買う。なにせダブルポイントデーであり、ちょうど国内盤の15%引きセールもやっている。
 吉祥寺まで井の頭線、「ぶぶか」で油そばを食べ、帰宅。

 いろいろコメントしたいこともあるのだが、しばらく待ってください。
 とにかく頭が痛い。そして、気持ち悪い。
 明日はいよいよ世田谷パブリックへ「屋根」を見に行きます。富良野塾20周年の本が出ているのだが、これも欲しいと思っている。会場で買うつもり(あと演劇関係では粟根まことさんの本が面白い。是非とも読んでいただきたい。)。

 らも師匠が保釈されたようだがハイテンションだったそうで、うーむいかがなものか。自分は鬱ではあるが躁鬱、というまでは行っていない(頭が悪いという症状はあるが。)。躁鬱ってのはかなり大変なんだろうなあ。拘置所で無事に暮らせていたんだろうか。

2003年2月26日(水)午前1時49分。武蔵境の自宅にて。

 今日の夜は演奏会がなく、本来は世田谷パブリックシアターでやっている富良野塾の「屋根」を見に行こうとしていたのだが、夕方にかけてテンションが上がらなかったのに加え、会社のウィンドウズのバージョンアップをやっていたせいで結局見に行かず、紀伊国屋によって新書と文庫を買った後、康竜でラーメンを食べ、HMVでCDを見たが結局買わないで、イトーヨーカドーで買い物をして帰ってきた。これでも、紀伊国屋に閉店の8時まで、HMVで9時までいたため、帰宅時間は10時過ぎ。ふつうの家庭だと7時くらいに会社を出れば8時過ぎには夕餉を楽しんでいるのではないかと思うが、どうも時間をロスしているような気がするのが残念なところだ。

 朝から北朝鮮のミサイルの話が相次ぎ、驚く。「日本海へ落ちた」という報道なのですわ、と思ったのだが、よくよく新聞の地図(載っていないところが多かった。)をみると、北朝鮮沿岸としか言いようのないところで、一応日本海の一部ではあるが、あそこまで「日本海」だと主張するのはちょっと無茶じゃないかなあ、と思う。まあ、どちらかというとイラク問題に目が向いてしまっている日本人の目を現実に引き戻すのにはよかったのではないかと思う。
 防衛庁長官とかに情報が上がるのが遅れたとか言う報道があるが、事務方が知っていたのだからまあいいんじゃないだろうか。確かにアメリカとかだと何かあると必ずトップが出てくるのだけれども、これはスポイルズ制をとっていることも大きいのではないかと思う。アメリカとの比較しかないように思われるので、英仏独とかとの比較もしてみたいところだ。
 自分が無知なのは恥ずかしい限りだが、もし北朝鮮が不穏な情勢になった場合に、日本は自分の軍事力だけで対応可能なのであろうか?ぼくはどうもそれは無理だろうと思っていて、結局は日米安保に頼らざるを得ないのだろうということになる。昨日の田中康夫だったか今日の石原慎太郎、宮崎哲弥だったか忘れたが、「日米安保ではアメリカは動かない場合がある」という人がいるが、実際どうだろう?極東の中でも経済国としては大きい日本を見殺しにすることは考えにくいように思うのだが。ただ、だからアメリカから離れていいのか、というとそうではないだろう。日本が自分で自分を守りきれない、そして自分で守りきれるように軍事を拡充することについてはアジア諸国からの懸念がある(とされているが、最近は変わってきたようにも思うが。)中ではやっぱりアメリカの属国とか言われてもついていかざるを得ないのではないかという気がする。もちろん、言うべきことは言うべきなのだろうが、共同安全保障を行っている以上、最終的には共同歩調をとるべきではないだろうか。
といって、今のところはイラクを攻撃するのに大義名分が非常にあいまいであるので、査察を継続させるよう、アメリカに求めることはできないのだろうか?フセインも国連関係機関の指摘を拒否するものもあるようだし、最終的に査察が不十分なものに終わることは十分予想されるのだけれども、イラクをある程度手詰まりにさせてからでも攻撃は遅くない、迎撃ができるのであれば、という気がする。

 昼間、初めて銀座の北のHMVに行った。ちょうど沖縄県の物産売場の「わした」ショップで黒砂糖を買った(食べたかったので。)後で寄ったのだが、クラシックが結構充実しており感激。しかもBGMで流れていたのがベートーヴェンピアノ協奏曲第5番「皇帝」だったりするものだから、なかなか興奮。充実、というのは、ドヴォルジャークの弦楽四重奏曲、マーラー全集(いずれもブリリアントクラシックス)などが揃っていたからだが、今日明日とダブルポイントデーなので、明日渋谷でまとめて買い込もうと思う。ほかにはドヴォの交響曲全集とかメンデルスゾーンとかも狙っている。ブリリアントは異様に安く、これでは国内盤に特別値引きとか価格を下げたりするケースが頻発するのもやむを得ないだろう。

 中日はオープン戦だが、読売に勝った。10対9。yahooのプロ野球速報でずっと気にしいしい仕事をしていたのだが、逆転が相次ぎ、なんとか勝ててよかったと思う。落合が打たれたり山井はめちゃめちゃだったりと、あまり成果はなかったように思う、むしろホームランが相次いだ読売の方が収穫があったかな(外人投手がめった打ちにあったことも含めて。)、という気もするが、まあまず勝てばいいだろう。

というところか。

 

2003年2月25日(火)午前1時26分。武蔵境の自宅にて。

 しばらく更新できなかった。

 土曜日から何をしていたか簡単に触れると、
 【土曜日】N響Cプロを聴く。2時〜。NHKホール。指定席はオケピット席を除いて売り切れ、自由席もほぼ満員に近いという珍しい混雑振りだった。2月一月を振りきったブロムシュテットの最後のプロ。リヒャルト・シュトラウス「13管楽器のセレナード」、ニルセンのクラリネット協奏曲(ソリスト磯部さん。眠る。)、シベリウス2番。シベ2が大変よかった。曲が終わるのを惜しむような気持ちでいた。この1ヶ月間、ブロムシュテットにとっては異国の地で奥さんが亡くなる報を聞くという悲しい知らせがあり、キャンセルもせずに今振っている。たぶん明日の飛行機、ひょっとすると今晩の飛行機かもしれないがルツェルンに帰るのだろう、ついに一人で生活することになってしまったブロムシュテットの思いをおもんばかりながら、シベ2の壮麗な弦に聴きいった。
 終了後、オーチャードホールへ。夜の東フィルの当日券を売っていればあらかじめ買っておくつもりだったが、当日券売場のシャッターは閉まったままだったので、時間をつぶすため駒場まで歩いていく。bunkamuraのところをまっすぐ行くと駒場の矢内原門のところに出る。このコースはもう学生時代にうんと歩いたコースであって、土曜日にあった某サークルの帰りには渋谷(ラケルかパティオ。初めの頃は「でんえん」だった。ちなみに「でんえん」は今、マイアミになっている。)で食事をすることが常だったので、学館(学生会館)からずっと歩いてきたものである。
 久しぶりに通ったが、道の拡幅工事をやるみたいで、南側の店は後ろに下がっている。その影響か、広島風お好み焼きの店として有名だった「みやじま」はなくなった模様。山手通りを超えると、「東京大学管理地」「入札予定地」などの看板が目立つ。この辺は普通の家が建っているが、もともとは東大構内(というか一高校内)で戦後のどさくさに紛れて住み着いた人だとか聞いた憶えがある。
 昔はまっすぐ行くと砂利道になってその突き当たりが矢内原門だったのだが、矢内原門に行く道はなくなっていて、昔の診療所に行く門の方にしかいけないようになっている。しかも、前は開きっぱなしの門だったがきっちりとした門扉がある。進んでいくと、診療所はあとかたもなく、替わりに柏陰舎が新しく建てられていた。これでは一二郎池はないだろうなあ。行くと1年留年すると言われたのも関わらず二度も三度も見に行ったので平均点が危なくなってしまった因縁の池だが、首都高の工事の関係で埋め立てられてしまった模様。ただ、教科書販売所はまだ残っていた。
 駒寮はあとかたもなく、昔の中寮のあとに4階建ての新しい建物が建っていた。寄ってみると「駒場図書館」とある。今日の目的は、この新装なった教養の図書館で戸矢くんの本を読むことだったのだが、残念ながら閉館中。しかたがないので、学館に寄ってみるが、シーフードヌードルの販売コーナーは健在だったが、椅子や机が綺麗になっているし、コピーコーナーが広くなったりしていて、まだ前の感じは残っているがやっぱり時の流れは感じさせた。
 それより驚いたのは学友会の建て看に「同窓会館の撤去を阻止する」というようなことが書いてあったこと。おお・・・同窓会館なくなるのか・・・・。いかがなものか・・・・。あのすき焼きを食べられないかと思うとなかなかつらいものがある・・・・。まあそんなに旨い食べ物でもないのだが・・・・。
 駒寮もない、図書館も変わった、まあ1号館とか生協とか食堂とか(あと、トレーニング体育館も変わっていなかった。)は残っているんだが、これだけ周りの風景が変わってしまうと、なかなか同じサークル出身とはいえ同じキャンパス感を共有するのは難しいだろう。水泳部のようにかっぱをやったり、応援部のように学生服を着たり六大学、という強烈なものがあるならともかく、我々さわらび会のようにそういうものがない連中にとっては、OB会だからといって結束するのはやっぱり難しいのかなあ、とか改めて実感した。
 裏門から抜けてまたbunkamuraへ。駒裏も首都高の工事でセブンイレブン(一番近い酒コンビニだった。)がなくなったりしてかなり変わっている。bunkamuraの下の「メトロポリタン展」を見ようかと思ったが混んでいたのでやめ、ドゥマゴでケーキセットを食べようかと思ったらここも混んでいたので、1階のカフェでケーキセットを食べながら本を読む。
 6時半頃、オーチャードホールに上がり、東フィルの当日券を買う。B席4500円。
 今日は岩城宏之さんの指揮でラフマニノフ・プロ。目玉はラフマニノフの交響曲第2番。
 なのだが、相変わらずパガニーニ主題のなんとかは寝てしまったし、ラフ2もぴんとこなかった。ホールの問題?疲れてたからかなあ?昼はよかったんだが、夜は非常に腹の立つ印象で終わってしまった。
 おはちで夕食、タワレコとブックファーストに寄るが、何も買わなかった。

【日曜日】早起きして8時から「名曲の楽しみ」。また寝てしまうが、ムラヴィンスキー指揮のチャイコフスキーの5番の音が非常によいので驚く。このCD、自分も持っていて、同じスピーカーから聴いているのだが、FMからの音の方がよいように思える。本来、逆のはずなのだが、音が大きいからなのかな?
 9時半に家を出て、新橋演舞場へ。立ち見覚悟だったが、3階Bの本席(といってもいつも立ち見しているところの目の前の席。3階最後列。)が取れたので買う。2520円。
 今月の昼の演舞場は@熊谷陣屋、A鏡獅子、B曽根崎心中、と、どれも外せない。だから今朝は気合いを入れて早起きせざるを得なかった。陣屋なんかは、普通の陣屋なら飛ばしてしまうところなのだが、今回は40何年ぶりだかで橋之助が四代目芝翫型でやる、ということなので、見ておかなければいつ次みられるかわからない。
 で、その感想なのだが、基本的には九代目團十郎型との違いは@拵えが違う、A制札を持っての見得のとき、制札の持ち方が逆(芝翫型は掲示板を上にして持つ、團十郎型は下。)、といったところだというイメージだったのだが、ほかにも藤の方に挨拶する時に熊谷が飛び上がって平伏したり、「十六年は一昔、夢であったなぁ」と屋体の上で言ったりする(團十郎型だと花道スッポンのところで言う。しかも「十六年は一昔、ああ、夢だ夢だ」となる。)ところもあり、どちらかというと芝翫型は文楽の人形遣いを彷彿とするものがあり、興味深かった。橋之助もよいが、菊之助の相模がよい。扇雀の藤の方は声がよくない。松緑の義経は台詞が一本調子だが、まあまだ許せる。吉弥の弥陀六は上手いことは上手いが、羽左衛門の弥陀六とかを知っているとちょっと物足りない。昔の武将という感じがあまりしないので。これは主役をやった人とそうでない人との違いなんじゃないだろうかと思うが、脇役が払底しているように思われ、今後大丈夫だろうかちょっと心配。

 鏡獅子は福助。別に上手いとも思わないが、特段下手とも思わない。ちょっと体を殺せていない感じはするのと、袱紗捌き(四方捌き)で袱紗の扱いが乱暴なのが気になった。

 曽根崎心中はこれまた陣屋と鏡獅子に集中しすぎて疲れてしまったのか、飽きる。もともと何回も見ている演目である上、今回、鴈治郎の声が妙に甲高いのと、妙に積極的な女性過ぎるのがうさんくさい。いくらなんでもあそこまで積極的な女性像を描かなくてもよいのではないかと思う。吉弥の九平次は本役で、非常に憎々しい。寿治郎のお玉は本来笑わせられる役なのにあまり持ち味が出ていない。この辺は桜彩さんのお玉が非常に印象に残っている。翫雀はよかったと思うよ。
 道行が異様に長く、辟易。さっさと心中せんか!!1時間40分強の芝居なのだが、もうちょっとカットできると思うがなあ。

 本当は歌舞伎座で千本桜を見るつもりでいたが、くたびれたので、じゃんがららあめんでぼんしゃんを食べてから、新宿の東急ハンズへ行った。3月中に共用スペースに積まれた本を片づけなければいけないので、本棚を買わなければいけない。
 スチール棚を見に行くが、とにかく混んでいて、いろいろ相談できる環境になかったので、早々に退散。通信販売で目をつけている棚があるのだが、3万円と高くて躊躇しているのだが、この状況だと思い切って頼んでしまった方がいいかも。スチール棚も結構お金がかかりそうである。何しろ単品を組み合わせていく形なので。
 ところで、皆さんに伺いたいことがあるのだが、皆さんスーツの古着はどうされているのだろう?実は、古くなってズボンの尻のところが破れたスーツがわんさかとあるのだが、捨てたものだか思案している。捨てるとすれば古着で捨てるのだろうが、スーツを捨てる人なんて聞いたこともない、といって、リフォームとかには余り布が必要なのだろうが、そんなものはどこかへやってしまっており、たぶん難しいんじゃないかしら。それに、リフォームしなくても新たに買ってもいいので。
 掲示板で結構ですので、皆さんの古着スーツの始末を教えてくだされ。

 収納で頭が手一杯なので、本を買わずに帰宅。ヨーカドーで夕飯を買って帰宅。
 6時半からサザエさんを見る。あと、7時からはFMでやっていたウィーンフィルの定期演奏会の生中継を録音しつつ聴く。シューベルトの交響曲とドヴォルジャークの9番「新世界より」で、アーノンクール指揮。ウィーンフィルは定演の後、アメリカに演奏旅行に行くのだが、旅行に「新世界より」を持っていくらしい。もともとこれはドヴォルジャークがニューヨークの音楽院長だかに招かれた時に作った曲なので、里帰り、という形になるのかな?ウィーンフィルの日本語ホームページを見ると、カーネギーホールでも、またワシントンのケネディセンターでもやる模様。(後はクリーブランド、デトロイト。ちなみに他の演目はブルックナー4番「ロマンティック」、ベートーヴェン6番「田園」など)
 最近我が家のCDラジカセのFMの受信状況が格段によくなったのだが、今日も好調。
 9時からはN響アワーを見る。部屋の紙袋や音楽チラシの整理をしつつ(埃がたって痒くなる。)、ラジオに移行し「五木寛之の夜」まで。

【月曜日】
 昨日埃をたてたので、朝は喘息の発作で目覚める。出社途中に昨日のウィーンフィルの演奏のテープを聴きながら行くが、ちょうど会社に入った頃に「新世界より」の第1楽章が始まってしまい、妙に高揚した気分で仕事を始める。とにかく素晴らしい演奏。弦の艶もいいし、管も大きい。録音しておいてよかった。
 夕方にかけて鬱。
 夜はサントリーホールでコルボ指揮の「ヨハネ受難曲」。大変聴きたく思っていたものであり、幸いC席(4000円)を獲得できたのだが、会場はかなり空いていて、ぼくの感想も「頻りに疲れた」というもの。休憩なしで2時間ぶっ続けだったからかなあ。でもこれだと4月に聴く予定のマタイ受難曲の3時間はどう乗り切ればよいのか?まあ土曜日なので十分寝ていくしかないのかな?
 今日は夕飯の焼きそばをサントリーホールで食べようとしたところソースが零れてネクタイやらズボンやらがダメになったりして、とにかくついていなかった。

 帰りも「新世界より」の続きを。とにかくよい。勢いがあるというか、弦も管も艶のある音が出ていて大きくやっている。解説でも「壮麗な」といっていたがまさにそのとおりだといえよう。正直、かなり興奮しました。CDで出してくれないかなあ。

 というわけで終わりです。

 昨晩はぐっすり眠り、9時過ぎに土曜ワイドの乙女探検隊で花緑くんが出ていたのでちょっと目覚めたがまた眠り、きちんと起きたのは10時半過ぎだった。
 若干掃除、というか、今、共用部分にも本が積まれているので、あと1ヶ月で片づけなければいけない。

2003年2月22日(土)午前1時38分。武蔵境の自宅にて。

 昨晩「イラク情勢については明晩」とお約束したわけだが、非常に疲れていて眠いので、勘弁してください。
 ちょっと韓国の態度がわかっていない(今日改めて昨日の新聞を読み返したが載っていない。)のでなんとも言いようがない。

 今日は朝も眠く、夕方にはやや鬱気味。
 昨日書いたとおり、夜は7時から本多劇場で東京乾電池の公演を見ることになっていたので、6時15分に退社。千代田線で代々木上原まで来た上で、小田急線に乗り換えたのだが、なかなか小田急線大変だね。各停なら空いてはいるが東北沢という駅で何本も急行に抜かれたりして時間がかかるようだし、だから急行に乗ったのだが、もうえらい混雑ぶりだった。中央線だと本数がかなり出ているのでまだ緩和されているように思うが、小田急線は複線の中に特急から急行、準急、各停まで入れ込んでいるのでそんなに頻度がないようだ。
 下北沢でもなかなか降りられず(そんな中、ドアのそばで「これ以上乗って欲しくないよね」などとほざく若い女性2人。そんなこと言ってるより、てめえらが一旦でもホームに降りねえとこっちが降りられんのだって!!)、ようやく降りて息をつく。これだと渋谷から井の頭線の方がよかったかな?
 箱根そばで肉そばを食し、本多劇場へ。当日精算を済ませて手にした切符は本席だがほぼ最後列のセンターだった。周りはどこかの役者かテレビ関係者みたいで出演者の綾田さんの話とかをしている。
 で、芝居「雨上がりの夜空に」は、ベンガルさん、綾田俊樹さん、藤山直美さんほか。スジとしては記憶喪失の人たちが湯治に来ている湯治場、という設定で、3人が絡むのだが、結論は面白くなく、退屈に近い。途中からだろうか、背中が痛くなったり尻の穴がむずむずしたりして、足を伸ばしたり尻を動かしたり、後ろの人にとっては迷惑この上なかっただろうが、とにかくくたびれた。笑えるところはいろいろあったのだが、なぜ疲れてしまったのか。まあ今日結構動いたのでもともと疲れていた、ということはあるのだが、脚本に一本の筋が流れておらず、結局アドリブでしか大きい笑いが取れなかったことが理由ではないだろうか?あと、ベンガルさんの場合、細かい笑いなので見逃すとポカン、ということになる、ということも原因かな?直美さんも勘九郎とかと絡んでいる時に比べれば抑え気味かなあ、と思った。
 正直、かなり失望した。途中で携帯電話をONにして時間確認してしまったくらいだし。

 終演後、久しぶりに「大阪屋」で自宅で食べるようにたこ焼きを買い、吉祥寺で本を読み、「ぶぶか」で油そばを食べ、帰宅。

 昼間からなのだが、頭痛がする。ピピピピピ、という感じで断続的に痛む。理由不明、これも疲れの原因かな、とも勘ぐっている。
 明日は2時からのNHKCプロの後、7時からオーチャードホールで東フィル。ラフマニノフ・プロを岩城さんで。今日のCプロの評判はよかったようだし、楽しみだ。そして、行くまではじっくりと休養したいと思っております。

2003年2月21日(金)午前2時9分。武蔵境の自宅にて。

 夜も遅いので、簡単に。

 結局背広のポケットには「能楽への招待」(岩波新書)を入れることにし、昼飯の時とかに読んでいた。前に入れていた本と違ってこちらは軽く読めそうな気配である。読みたい本は溜まっているのでどんどん読んでいかないと。

 仕事の合間を縫って、明日の本多劇場の東京乾電池の公演と、4月19日にカザルスホールを開けてやることになったバッハ・コレギウム・ジャパンの「マタイ受難曲」のS席、N響の4月からの会員席を予約する。マタイについては、本来4月18日にオペラシティでやるので、休みをとってでも行こうと思っていたのだが、どうも売り切れになったらしく、急遽19日の追加公演が決まった。19日は土曜日であるのでこちらの方がいいのに違いはないが、S席11000円、A席(売切)9000円とちょっと高い。まあ今閉館しているカザルスを開けてやるのだからいたしかたないか。カザルスは行ったことのないまま閉館してしまったので、こういうときに一度でも行っておきたいと思う。また、N響については、異動があった場合のリスクも考えて、これまではAプロ1日目(木曜日)だったのをCプロ2日目(土曜日)に替えた。まあ、暇ができれば平日でも行けばいいのだし、そういう場合は会員であると10%引きになること、機関誌のフィルハーモニーを買わなくて済む(くれる)ことが有利に働く。同じように2003年度は読響の芸劇マチネなど、休日だけやる公演の定期会員になろうと予定しているところである。読響の場合は他の公演に振替もきくし、何しろ通常の券が割引になることが大きい。

 夜は7時からの東京シティフィル。於オペラシティコンサートホール。オペラシティはなにしろ初台という辺鄙なところにあり、これまで行ったことがなかったので、仕事場から何分でいけるか見当がつかなかった。1時間前、つまり6時に出る予定だったのだが、明日の仕込みが伸びたのでやや不安を感じながら6時15分に退社。大丈夫か?と思ったが、15分で地下鉄新宿に着き、京王新線への移動で10分、初台まで5分弱で、余裕をもって着くことができ、ほっとした。かなり走ったりしたのだが、まあ間に合えばいい。ただ疲れたのが後に尾をひくことになる。
 当日券売場にはたくさんの人が並んでいた。売り切れになったら嫌だな、と思ったが、なんとか入手。S席5000円、A席4000円、B席3000円が残っていて、3000円は3階の脇のようだったのでパスして、1階中頃のS席にした。
 オペラシティには何回か来たことがあり、なにしろ隣接の新国立劇場のTHE PIT(小劇場)とか中劇場にも芝居を見に来ているのだが、オペラシティのコンサートホールに入るのは初めて。相性が悪いホールで、過去何度か、当日券を買いに来たところ売り切れで涙を飲んでいる。写真はみたことがあるが、天井が高いホールとの印象をもっていた。
 実際入ってみると、1階席の場合はそのまますっと入っていけるのだが、天井が高くて教会みたいに天井の先がとんがりになっている、壁や天井が木でできており、サントリーホールほど古く(というか「使い込まれた」というのが正しいか)なってない。また、休憩時に覗いたときの感想ではトイレが両端にあり多いことと、ドリンクコーナーが1階と2階にかなり広々としたサイズであることが印象的だった。トイレの場合、サントリーホールのよくないところは大便所が4つしかないため、大便をしたくても並んだりややもするとできなかったりするのが多いことであるが、ここではその心配もないように思える。あと、何よりも素晴らしいと思ったのは、天井が高く、1階に座っていると教会に座っているような気分になったことである。逆にちょっとどうかな、と思ったのは、2階3階だとちょっと舞台からも遠ざかるなあ、ということと、3階両サイドになってくると、舞台が見切れてしまうこと。シアターコクーンのような芝居小屋の場合見切れるなんてことはしょっちゅうだが、コンサートホールではあまり見ないのでやや残念に思った、が、かなり安く提供しているようだからあまり無理を言ってはいけないのかもしれない。

 今日の演目は武満徹「弦楽のためのレクイエム」、「夢の縁」(ギターソリストは鈴木大介)、そしてフォーレの「レクイエム」(ソプラノ佐々木典子、バリトン大島幾雄、二期会合唱団)である。ぼくの目当ては三大レクイエム(モーツァルト、ヴェルディと)の一つでもあるフォーレのレクイエム。ただ、今回のねらいとしては今日が武満徹の命日であるからであり、シティフィルにしては珍しくオペラシティでやるのも、オペラシティのコンサートホールが「タケミツメモリアル」の冠称がついているからだということをパンフレットで知る。後で聞くところによると武満さんの奥さんや娘さん、親交のあった谷川俊太郎さんとか岸田今日子さんも来ていた由(2ちゃんねる情報)。

 ただ、自分は武満さん、というか現代音楽は苦手。音の流れにどのような意味があるのかがさっぱりわからない。というわけで、「弦楽のためのレクイエム」はぼーっとして聴き、「夢の縁」とアンコール曲の時は見事に爆睡していたため、何がなにやらさっぱり憶えていない。背もたれはあまり高くなかったが、なんとか苦労して頭を背もたれのところに乗っけて寝た。そういえば、シートピッチはサントリーなどに比べると広いようである。

 フォーレのレクイエムは非常によく、いろいろなことを考えさせられた。
 何がよかったかというと、オケが間違えなかったように思われたこと。ヘタレ代表格のホルンなどの管があまり出てこなかったのが大きかったのではないか。第二にソリストが実力を発揮したこと。佐々木さんも大島さんも二期会の主力であり、特に大島さんのバリトンは非常に響いた。夏にやった「ニュルンベルクのマイスタージンガー」にも悪役ベックメッサー役で出ていたが、うまい人だ。第三に二期会合唱団のよさ。やっぱり餅は餅屋というか、大学コーラスやアマコーラスに比べてプロの実力をみせた、というべきか。
 で、何を考えていたかというと、やはり「聖戦論」であって、これほど美しい曲を作って死者を悼み葬る伝統を持つキリスト教社会がなぜ他宗教の者に対する攻撃には寛容、むしろ積極的な態度をとることがあるのか?イスラムや仏教徒がキリスト教社会によって殺される場合があるとして、キリスト教徒はどのように正当化するのだろう?まあそれが異教徒に対する「聖戦論」で解決するだろうと思うのだが、それがいかがなものか、とか(まあよろしいことではないのではないかというスタンス。)、それからさかのぼってそもそも「死後」とはどのような世界なのか、そしてこれだけ科学の進んだ現代において、以前より「死後」の世界を想像するという行為は減退しているようなイメージをもったりしていた。
 終演後、隣のおばさんも言っていたのだが「この時期だけに、浸みるものがあるね」というのはかなり当を得ているように思われ、このレクイエムは武満さんではなくこれから戦争などで死に逝く人たちへのレクイエムなのではないかと思ったのであった。実際、指揮者の矢崎彦太郎さんのプレステージトークでも「政治的な話はあまりしたくないが、フランス(彼はフランス在住)からみたイラクは隣みたいなもので、日本やアメリカみたいに遠い国、というイメージではない。」と言ってイラク問題に触れていたし。
(ただ、断っておくが、ぼくは何がなんでも戦争を回避すべき、とか全く戦争をすべきではない、という考え方ではない。自分たちの生存を脅かすような存在があるならば、断固として抑止を行うべき、そして攻撃が行われたら戦うべきであり、そのための軍事力は強化すべきである。抑止の手段として核抑止しかないのであれば、自分では核を持たないまでもアメリカの傘の下に入ってもいたしかたがなく、そのためある程度アメリカと妥協するのもいたしかたないだろう。−この話は時間のある明日の晩じっくりやります。)

 帰り、オペラシティの上の階のレストラン街を覗くが、景色はいい(53階のバーからはパークハイアットが目の前に見えるなど新宿の夜景が一望できておすすめである。)が値段は高く、地下の食事屋もありきたり。甲州街道沿いを徘徊するが、日本野鳥の会が初台にあることや、「新宿の母」の占い相談室が初台にあることは発見したもののうまそうな店を発見する事はできず、壱番屋でカレーを食べた。久しぶりに食べたが旨かった。
 新宿に戻り、HMVで最近の新譜を5枚ほど購入。本当はブリリアントクラシックスから出ているモーツァルトの交響曲全集(11枚くらい?2箱)が全部で5000円弱なのでそれを買おうかと思ったがなかったのでやめ。チャイコフスキーのピアノ協奏曲1番などもどれがいいか判断しかねたのでやめた。ついでに伊藤秀志の「大きな古時計」を見たが、売っていなかった。

 というところで帰宅。三鷹の駅で特別快速から快速に乗り換える際に、吐瀉物を踏んづけてしまい、極めて鬱だった。ドアのところに吐くなよ(怒)。

 では、明日は早く起きることにしよう。そういえば、「管理人は少子化問題などに言及する前に己の結婚について考えるべきではないか」という声が周囲であがっていると聞いたが全くの余計なお世話であるので苦言を呈しておく。あと、我がドラゴンズよりもひどい憂き目にあっているロッテオリオンズ関係者のみなさんには哀悼の念を捧げておく。この事件で思ったことは、自分の身に降りかかった場合は非常に鬱だが、人に降りかかった場合はいささか滑稽な印象も抱かせるものである、ということである。たぶん中日がミラー問題で苦闘している時、他球団ファンは滑稽に思っていたのだろうなあ、ということを痛切に感じさせられる事件であった。ほんとうに、よおくわかったよ。

2003年2月20日(木)午前1時31分。武蔵境の自宅にて。

 あまり書く気が起こらないので、簡単に。

 「シュンペーター」(岩波新書)読了。もう4ヶ月以上も持ち歩いていたので、ようやく読んだか、という気分である。替わりに入れる本は何にしようか?青山二郎の本が上下巻でそばに置いてあるのでそれにしようか。高橋源一郎の小説教室(岩波新書)も候補の一つである。

 夜はサントリーホールへ。名古屋フィルハーモニー、略して名フィルが年に一度の東京公演。コバケンこと小林研一郎指揮で仲道郁代さんのソロでチャイコフスキーのピアノコンチェルト1番と交響曲5番。コバケンは今年度で音楽総監督を退任するので、音楽総監督として最後の公演になる。(4月からは沼尻竜典が常任になる。)
 名フィルというと、毎年正月の「ナゴヤ・ニューイヤーコンサート」への出演(このときは松尾葉子さんが振る。)など、名古屋ではかなりメジャーなオケであるが、全国的にはどうだろう、N響、読響、東フィル、新日フィル、都響、日フィル、シティフィル、大フィル、札響、群響、紀尾井シンフォニエッタ、アンサンブル金沢、などなどと比べるとあまり知名度的には低い気がする。ぼくのイメージ的にはずっと外山雄三さんが指揮をやっていた、という印象があるが、飯守泰次郎さんとかも常任をやっているようである。
 まあそんな具合なので、当日券は簡単に手にはいるだろうと思っていたのだが、今日サントリーホールの当日券状況をホームページで確認すると、売り切れである由。まあ、コバケンにとってチャイ5は十八番的なものがある(チェコフィルと録音したCDの評価は高い。)のと、S席で5000円、最低でも3000円、という安さも売り切れの原因かもしれない。だから、一応行ってみて、全く箸にも棒にもかからない状況だったらそのまま紀伊国屋に行って本を漁ればいいや、と思い、サントリーホールに着いた。
 当日券売場のブースが開いているので訊いてみたら「10分くらい前に売るかどうかがわかります」と頼りない返事。キャンセル待ちの整理券も配らないようだし、10分前にみんなで競って並ぶのか、と思ったら「もし残られるのならお名前をこのメモに書いてください」と。なんだかほのぼのしてる、というか、制作大丈夫かなあ、と危惧。
 そんなところへ女性が寄ってきて「切符があるのですが、いかがですか」とのこと。あまり気乗りはしないのだが、切符を見せて貰ったら1階中頃のセンターでもあったので、妥協してもいいや、と思い、買う事にした。ラッキーなことにこちらが5000円でイイですよ、と言ったら「いや、3000円で結構です。」と仰るのでありがたく3000円で商談成立。
 中に入って久々に1階のゲートを通って客席に。入っていくと何やらよく見たことのある人が周りの人と挨拶を交わしている。トヨタの豊田章一郎さんだ。SPもいないようだが、とんでもなく偉い人なのでびびる。豊田さんはぼくの前の前の席に座っているのであった。びびるあまり、いつもならリュックとコートを席の下に入れるのだが、慌ててクロークに預けに行く。先ほど3000円でいい、と女性が言ったのは、招待券だったからかもしれない。トヨタは名フィルの資金援助をしている(ほか、ウィーンフィルの主要メンバーと組ませて公演とかもさせている。)ので、招待なのだろう。よくよく考えれば1階の中頃(真ん中の通路のすぐ後ろ)だし、招待しそうな席である。以前いつだったか、フジテレビの智田アナをみたのもこの辺だったな。
 ひさびさの1階なのでなんとなく落ち着かない。2階だと背もたれが高いので頭をもたれさせることができるのだが、1階はできないので、開演前の睡眠がとれず難渋。いつもだとネクタイもとっぱずしてワイシャツ1枚で腕まくりするのだが、豊田さんのそばということもあり、ネクタイまでは取りかねた。

 チャイコフスキーのピアノコンチェルトは初めて聴くように思ったが、実際第1楽章のはじめを聴いてみると非常にポピュラーな曲だった。ホルンがちょっとへたるときがあるが、許容範囲内。それよりピアノが非常に気合いが入っていて、タッチが微妙にずれるところはあったが、熱のこもった、という言葉がふさわしい名演であった。オケもへたれになることがなく、集中できていたように思う。第2楽章、半分くらい寝てしまったが、全体的に名フィルとは思えないほどの演奏であった。終演後、「ブラヴォー」が飛ぶ。まあこれはこんなもんだろうと思う。

 チャイ5は眠らずに聴いたのだが、なんというのだろう、初め絶望にうちひしがれている状況から最後第4楽章、主旋律は初めのものと同じなのだが明るさを見いだして前にとにかく進んでいこう、というような意気込みを強く感じさせるような演奏であった。特に第1、第2楽章が素晴らしかったように思う。第3はさらっと流して、第4はちょっと乱れたかな、というところもあったが、全体として非常によくできたものだと思う。客の意気込み、というか御行儀というのか、もよかった。携帯は鳴らず、咳もあまりなく、一部チラシを落とす音がきこえた(意外に目障り)が、第2楽章の終わり、徐々にディミニエンドしていってピアニッシモで消えるのだがその間しーんと無言、客の名演への期待みたいなものを強く感じさせられた。
 とにかく、日フィル&コバケンよりもすごかったかもしれない。年に1度の東京公演、そしてコバケンとの最後の演奏会(まあ、桂冠指揮者には残るのだが。)ということもあってオケがかなり気合いが入っていたのかも。トランペットほか管がよく頑張ったほか、弦も深みというかえもいわれぬ厚みみたいなものはないものの、よく歌っていた。ヴァイオリン特に人数多かったしね。

 終演後、またもや大拍手、ブラヴォーの嵐。これも当然といえよう。
 拍手にこたえてカーテンコール、コバケンの挨拶(恒例)、アンコールは「ダニーボーイ」とチャイ5第4楽章の最後だったが、「ダニーボーイ」はまさに、コバケン&名フィルという一つの時代に別れを告げる別れの歌のように思われた。なんというのだろう、小澤もいいのかもしれないが、コバケンには人の佳さと素人受けする心があるように思う。ひょっとするとあと何年もしてカリスマ指揮者として朝比奈隆の衣鉢を継ぐのは小澤でなくコバケンなのではあるまいか。そして、こういう名フィルとの力のこもった演奏に同席する事ができたのは、非常に幸せなことであった。
 コバケンの挨拶の中で「豊田名誉会長もおみえになっている」旨、紹介があった。御本人はチャイ5の第4楽章でパンフレットをみていたから、退屈されたのかしらん?愛・地球万博(とコバケンは言ったが「愛・地球博」が正しい。)の話も出たので博覧会トップとしては非常によかったのではあるまいか。

 5000円という価格が非常に安すぎるのではないかと考えられるほど、予想外の名演、神演であった。

 帰り、タワレコでレコ芸と音友を立ち読みして帰宅。
 明日はオペラシティでシティフィルのフォーレのレクイエムを聴く予定。

2003年2月19日(水)午前1時18分。武蔵境の自宅にて。

 朝から鬱。鬱で何もする気も起きず、しばらく気を落ちつける。小一時間ほど遅れて出社。
 午前中は鬱がひどくなる一方で、理由がわからないので対応のしようもなくおろおろする。
 昼飯を食べたら非常に気分がよくなってましになったので、要は腹が減っていただけ、というのだろうか?

 7時15分まで仕事をして歌舞伎座へ。歌舞伎座横の「宮城野」で鴨南(1050円)を食べる。ここは旨い。店の人も愛想がいいのだが、今日の人は暖簾をくぐってもいらっしゃいすら言わず黙って相席となる机を指さしただけだった。最近あまり寄らないからかな?
 今日から舞台写真が入った筋書を買って、幕見で義経千本桜の四の切を見る。正式な場面名は「川連法眼館」というのかな?
 梅玉の義経が非常によく、感心。門之助とかの義経と違い強さがはっきりわかるし、意志の強さも感じさせる。これぞ総大将、という威勢をみせてくれる。この役は脇役であるので女形に毛が生えたような人とかつっころばしが似合う人がやるときが多いが、今回、梅玉という、柔らかだが口跡よろしくしゃきっとした人が演じて、非常によい義経をみせてもらった。台詞の言い回しもよく、上上吉ではないだろうか?
 菊五郎の忠信は、いわゆる音羽屋型というやり方で猿之助みたいに宙乗りをやるわけでもなく天井からぶらさがって出てくるわけでもない。勘九郎も勘九郎型のようなもの(猿之助型と音羽屋型の折衷みたいなもの)をつくったし、まあそんなに音羽屋型は面白い、というわけでもない。今後のために、今回のやり方であれっと思ったところを書いておくと、@「さてはそなたは狐じゃな」の後の飛び出しは上手奥から出て来た、一旦下手の柴垣に入った後の飛び出しは御殿の縁の下から出て来た。A弁明をするために下手の舞台(ここから狐になる時落ちる)に向かう時に一回極まった。B「初音の鼓と名付けたも」のところで「たもたもたも」と言った(今見ている国立劇場の上演資料集を見る限り、六代目菊五郎はつけていたらしい。)。というところである。
 忠信も狐も結構であったが、印象的だったのは忠信はほかの役者がやるとただただキリリっとした武士、という感じになるが、今回菊五郎はちょっとだけなよっとした、柔らかい忠信であった。あと、狐は狐言葉があまりなかった。節回しもこういうアクセントでやっていくのかあ、というように思ったが、これは猿之助や勘九郎の方がよかったように思う。高音を菊五郎は出す事がつらくなっている(女形の時はかなり苦労している。)ので、その辺は適宜言いやすいようにしているのかもしれない。
 静は芝雀である。「さてはそなたは狐じゃな」のところがちょっと裏声になってしまって見苦しかったが、台詞回しもよく、意外にしでかしたのではないだろうか。あとは法眼役の家橘が意外によくない。重みがないのだが、ニンでないように思った。対して妻の飛鳥の右之助は安定していた。法眼の「こりゃ待て飛鳥」というところは「女房」と言うところなのかどうかは調べてみないとわからない。
 今日の声は会のメンバーはいなかったようだ。下手3階後方に完全に声からも掛ける間からも素人とわかる人がいて閉口。花道から本舞台に入ってしまったあとで「おとわやぁ」とやってみたり、忠信の引っ込みのところもおかしかった。先日演舞場でも思ったのだが、そんなに声を掛けなくても芝居としては結構成立するもんだと思うので、あまり何でもかんでも掛けるものではない、今の掛け方は全体的に掛けすぎか?という気もしたので、出退場はともかく後はよほど大きいきっかけでない限りは黙っていた。といっても、大体筋はわかっているのでタイミングなんてのはほとんど定型化しているのだが。

 四ッ谷経由で帰宅。

 戸矢くんの新刊「金融ビッグバンの政治経済学」についての記事が朝日新聞「気流」に載った。今週発売の「エコノミスト」に榊原英資さんが書評を載せたという話はKくんからのメールで知っており、そこには「気流」の話も書いてあったのだが見落としており、朝日新聞をチェックしていて大変驚いた。
 まずはありがたい、という感じでみていたのだが、夜、そば屋で改めてコピーを眺めているうちに「ちょっとステレオタイプにはめようとしているところがあるかな」という違和感を感じるようになってきた。
 この朝日新聞の記事では、「世界に通用する学識を持ち合わせた行政官。それは、永田町や霞が関という閉ざされたムラの論理で政策を作りがちだった従来の官僚像からの脱皮を意味する」とあるのだが、果たしてそうだろうか?これまでの官僚が世界に通用する学識を持っていなかった、というのは本当だろうか?
 自分も取引の都合上官僚のみなさんともお話をするチャンスをいただくことがあるが、特に偉い、局長さんなどの官僚さんとお話をしていて感じるのは斬新な感覚と幅広い視野、そして世界も見据えたバランス感覚の存在のように思われる。これまででも世界に通用する学識を持ち合わせた行政官は多くいたのであって、「気流」を書いた安井孝之氏のいう「従来の官僚像」というのは何かステレオタイプ的なうさんくささを感じる。
 まあ、ここのところは青木昌彦氏が本の初めの「刊行によせて」で書いている「彼は霞が関における行政官の新しいロール・モデルとなりえたであろう」から引っ張っているのかもしれないのだけれども。
 あと、「戸矢さんが入省した95年に大蔵省バッシングは始まった。幹部職員の退職、自殺、逮捕−。組織は内部から揺らいだ。コピー取りなど雑用に明け暮れた1年生官僚としても、行政官のあるべき姿を深く考えざるを得なかったに違いない。」とあるのだが、今回の論文の対象興味はそんな大蔵省の腐敗とかから始まってたんだろうか?単純に金融ビッグバンという変化に対する興味じゃないのかねえ、というよな、なんか違和感を感じた。
 正直、なぜこういう研究を始めたのかについては「筆者が大蔵省に勤務するなかで生じた関心に基づき」以外にぼくは見つけ出していないのでなんとも言いようがないのであるが、この違和感は、ぼくがひねてるだけなのかなあ?なんか朝日新聞の匂い、マスコミの匂いが眺めれば眺めるほどぷんぷんとしてきたんだけど。
 記事を載せていただくのは大変嬉しいことだと思ったんだけど、なんか気になったので書いておく。

 もう一つ新聞から。
 yahooを見ていたら、yahoonewsで「まんず、びっくり!秋田弁で”古時計”」という記事が目につき、読んでみると、名古屋の地方タレントである伊藤秀志が「大きい古時計」の秋田弁バージョンを出して人気沸騰、という記事だった。
 まあ、東海3県のサンクスで売り出した、ということは聞いていたのだが・・・(CBCのホームページにも載っている。)ここまで大きくなるとは思わなかった、というのが正直な感想である。
 秀志っつったらもう、中学高校時代にCBCラジオの金曜日、午後9時から夜中の0時40分まで「ラジオでフライデーと 夜はこれから」をずっと聴いていたしその後は昼に移って「もぎたてのカボチャたち」とか、「ラジオ三昧」、そしてこの記事にも載っているが「ツー快!お昼ドキッ!」も休みの時は聴いていることが多い。関西の人は嘉門達夫、河合奈保子とやっていたMBSヤングタウンの火曜(ヤンタン火曜)にも出ていたので知っている人がいるかも(といってもう15年くらい前だからなあ。)。
 「金太の大冒険」で一応メジャーであるつボイさんの弟子であるがどうも最近は低空飛行、冴えんなあ、という感じだったし、出すCDはどんどん廃盤になってしまうし、という状態だったので、非常に意外。
 こんな「大きな古時計」より、「結婚しました」とか、「師崎」とか、一番好きなのは「田舎者」というアルバムに入っているはずである「ピアノ」という唄だがこの方がずっと浸みると思うんだがなあ。なんか中途半端な時代遅れ、という感じの曲が多いのだが、今、「田舎者」は廃盤になっているそうなので(出た当初は名古屋のレコード屋に一杯出たのだがすぐなくなってしまった。ぼくは金がなく買えなかったが、高校の頃の友人で、今CBCでサンデードラゴンズの制作をやっている木下くんが買ったはずである。)、是非とも「田舎者」も「送り火」(当時なので「オグリビー」との渾名がついた。)も再発売してほしいものだと思う。
 しかし秀志とはねぇ。当時のアシスタントの永井恵とかなんとか京子(0時過ぎに「京子の部屋」というコーナーがあった。)はどうしているのやら・・・・。

 アレックス・オチョア選手の中日ドラゴンズ入りが決定したそうで、とりあえずほっとした。間違えてオヒョイが入ったら冴えんのお、とか思っていたので。しかも、選手登録名は「アレックス」だというのもよかった。正直、「かっとばせぇ、オチョア」なんてわけわからんやん。アレックスだったら「ゴーゴーアレックス、ゴーゴーアレックス」とかいう技も通用するわけで、「ゴーゴーオチョア」なんてやるよりはずっとよい。
 しかし打てるのかなあ?山田監督はクリーンナップと言っているようだが、どうみても6番、ってとこじゃないかな?大リーグでの成績を見る限りだと。打点も少ないし。ただ、4番を誰にするか、ということになって、リナレスが動けばいいのだが、クルーズの場合だと左、ということで、
1 井端(遊、右)
2 荒木(二、右)
3 福留(右翼、左)
4 クルーズ(一、左)
5 立浪(三、左)
6 アレックス(左翼、右)
7 谷繁(捕、右)
8 関川か大西か蔵本(中、関川の場合左、大西と蔵本は右)
という感じで左右が固まってしまうので、よくない。左だらけで大失敗した2000年のオーダーを思い起こさせるものもあるし。
となると、立浪4番なのかなあ?立浪4番、谷繁5番、6番クルーズ、7番アレックス?これだとジグザグ打線でいいのだが、谷繁の打率が悪いのと、なんのために外国人をとったのやら、という気がして非常に萎える。

 どうも今年はうまく行きそうな気がどうもしない。ナゴヤドームも入場料が安くなって、非常に見やすくなったのだが、どうもけが人が相次ぎそうな気がするし、打線が打てそうな気が全くしないんだが。桜井が新人王をとれるほど頑張ってくれれば非常にいいのだが、たぶん変化球にひっかかって慣れるまで時間がかかるだろう。
 下手すると最下位じゃないかなあ、という気もしてくる。

 ようやく今年の開幕戦、東京ドームでの巨人−中日戦(3月28,29、30)のチケット発売日が決まったようだ。3月1日(土)とのこと。7時半に東京ドームの抽選補助券を配るそうなので、朝から東京ドームに並ばないといけない。特に今年は自由席がなくなってしまったので大争奪戦が予想される。それとも新宿のマイシティのプレイガイドかなあ、という気もするが、どっちがとれるだろう?
 併せて座席表も見たのだが、これだと本当に巨人の応援のための球場で、ビジターにあまりに多くのプレッシャーがかかってしまうように思う。どうみてもビジター応援席が狭いよ。絶対ビジターファンが溢れると思う。立ち見でそんなに吸収できるか?さあ、ちょっと無理じゃないかな?
 どうも読売新聞グループは全体としてのバランスの重要性を見失っているような気がする。こういう企業がマスコミという第三権力の中枢を握っているということは、かなり危険、というか異常な事態ではないか、と思う。おかしいよ、今回の座席変更は。

 イラク問題についても書いておきたかったのだが、一言で言えば「核抑止が役立つのなら、核抑止でイラクと北朝鮮を抑え込んでいくべき」ということ。今日はもう3時になろうとしているので、この辺でやめておいて寝ることにします。

2003年2月18日(火)午前0時41分。武蔵境の自宅にて。

 鬱。
 別に夜の宴会で失敗してしまったわけではない。
 なんとなく自分の能力に絶望する。たぶん酒をたくさん飲んだのでこんな感じになったのではないだろうか?

 前から書いているとおり、ぼくは英語がさっぱりわからない。中学高校の頃には必死にハラセン(原仙作著の英文法標準問題精講)の小テストに挑み、大学の入学試験も含めて乗り越えてきたのだが、それらはほとんど忘れてしまった。加えてもとからリスニングは大の苦手で、耳が悪いのではないかと思っているくらいである。
 ただ、これからは(というかこれまでも)英語が読み書きできないと客観的な情勢分析ができないのではないだろうか、という気がする。誰もが認める国際標準語であろうし、日本語の文献だけを読んでいるのでは限界がある。バイアスがかなり掛かっていると思われるので。あと、今回のミラー問題なども含め、自分の考えを日本だけではなく海外でも訴えることができるようにしたい。
 しかしさっぱりわからん。以前にベルリッツにも半年通ったが、効果はなし、というか、その当座は愉快に話すことができるのだが、外に出るとちんぷんかんぷんである。そして、授業料が高かった(半年でボーナスをとられるほどだった。)し、遅刻が多かったので、コスト的によいとはいえなかった。まあ、遅刻が多いのは自分が悪いのだが。
 周りは英語ができる人が多い。留学をする人も周りにはたくさん現れている。
 いかん、と思っているのだが、定期購読している英文雑誌すらページを開くことができない。

 先日、ある調べものをしていて、英語の文献を読まなくてはいけなくなったのだが、どうにもちんぷんかんぷん、結局「英語がわかりません」ということを言い訳にして逃れてしまったのだが、果たしてそれでよかったんだろうか?

 英語に限らず、この10年くらい、自分は果たして賢くなっているのだろうか?
 これだけ芝居を見て音楽を聴いているのだから、感覚が鋭敏になっている自信はある、が、当たり前の話だが感覚が鋭敏になっているから賢くなっている、という命題は成立する場合としない場合がある。
 もし賢くなっている、としよう。じゃあ証拠は?となるとぐっと詰まる。何か資格を取ったわけでもない、何か賞をとったわけでもない。何か実績?思いあたらんなあ。
 やはり周りにはいろいろと資格をとった友人達がいる。資格にチャレンジしている友人達がいる。あまり会社では見かけない(たぶん陰でやっているのでしょう)が、大学の頃の友人などと話をしていると、あまりにもの学究心の旺盛なことに自分を恥じてしまうことがある。フィナンシャルプランナー、証券アナリスト、などなど。
 前までは「資格なんてなくても、自分が何をやってきたか売り込めばそれなりに商売になる」と思っていたのだが、どうも最近は何をやってきたか、はっきりしなくなっているし、果たしてそれが売れるのかどうか、疑問にもなってきた。ということになると、何か資格でも持っていたほうがいいのか・・・・。
 そのとっかかりとしてTOEICを受けることにしたのだが、そもそもちんぷんかんぷんである。

 できれば英語の字幕を拒否することなく見てみたい。
 できれば輸入盤のCDを堂々と購入してライナーノートとかもさらさら読んでみたい。
 メトやブロードウェイでも芝居を見たい。ピカデリーサーカスでも見てみたい。
 ハーバードだって行ってみたい。海外の勉強、というのがどういうものなのか、体験してみたいと思うこともある。

 以前はアトピーのせいにして海外に行くこと、そして滞在することは諦める、というか拒絶してきたのだが、最近は忙しくないせいかアトピーも悪化していない、となると海外でいろいろ体験してみる、というのもいいのではないかという気がする。まだアメリカに行ったことがないので、イラクに対してこうまで強気な態度をとるアメリカに行ってみて、どうするとああいう国民ができあがるのか、見てみたい。
 あと、例えばブロムシュテットやアシュケナジなんかももともとはスウェーデンやソ連出身だったにもかかわらずスイスで暮らしているのだが、こういう海外で永住する、ってのもなかなかよさそうに思えてくる。彼らはルツェルンというところに住んでいるようなのだが、なんだか安全そうでよさそうじゃないですか。

 となると語学をマスターしなくては。
 というわけで、今朝も朝の電車の中でCDを聴いてきたのだが、ちんぷんかんぷん。ちょっと焦ったので帰りに渋谷のブックファーストで3冊も本を買ってしまう。正直、かばんが毎日重くてたまらないのだがその原因は日々持ち歩く英文雑誌と語学の本だといっても過言ではない。

 人間の一生とはいかに完全な人間になれるか精進していく作業ではないかと思うのだが、果たして自分は進歩しているのか。年功序列賃金をいただいているわけだが、果たして日々能力が上がっているのか?(能力が上がっているといって年功序列賃金を肯定する人がいるけれども、見ている限り、大半の人はそんなに能力は上がっていないと思う。きついいい方をすれば、生活給的考え方によりかかっているだけだ。)
 また羽生竜王の話をすることになるが、先日終わった王将戦七番勝負、羽生挑戦者が4番棒に勝って佐藤康光さんから王将を奪回した(併せて記録上は半香に指し込んだことになる)のだが、玉形が固まらないうちから攻めてみたり、とにかくチャレンジングであった。で、それで勝ってしまうところがすごい。竜王戦第6局から数えれば竜王戦2連勝、王将戦4連勝、棋王戦2連勝(継続中)と8連勝なのである。王将戦第4局はもう、攻めて形を決めてから玉を固める、という、どういえばいいのやら、ただただ辛いというか不敵というか、憎々しいほどの指しっぷりであった。これを考えるに、おそらく、終盤でそこそこひっくり返せる、ある程度の微差でいけばマジックを繰り出して勝てるという自信があるからこれだけチャレンジングに取り組んでいけるのだと思う。実に羨ましい話ではないか。
 ぼくもこれくらいの力がつけばいいと思ってるんですがね。で、その発端として、筋肉質の体を作ることと、語学、あと感受性を研ぎ澄ますことなどがあるわけだ。ただ、なかなかうまくいかない。
 あまり「頑張る」という言葉が好きではない。「頑張」っても、結果が出なければダメだから。
 こつこつやっていくしかないのか、そして、それは成功するのか、そんなことを考えていたら非常に鬱になった。

 昨晩は3時頃、「愛川欽也のパックインミュージック」を聴きながら寝たのだが、4時半に目覚めてしまった。おかげでパックの最後を聴くことができた(いつの間にかうつみ宮土理が入っていた。)のはよかったが、もう目が冴えて眠れない。仕方がないので、城山三郎さんの「気張る男」を読んでいたら、あっという間に読了してしまった。この手の小説を読むのはやたらに速いのである。それで、この小説の主人公である松本重太郎は丹後の田舎から身一つで京都に出て来て、丁稚奉公をつとめながら勉強をし、次第に店を出し金融業を営み、関西財界の大立者に一度はなるのだが、これだって偉い話ではないか。読んでいるうちに自分がなかなか力がつかないのを恥ずかしく思った、ということもある。
 とにかく、自分を厳しく鍛えていかなければならないと改めて心に思う。人間、成長しなければただ無駄飯を食っているのと同じだけなので。

 というわけで、寝ます。今日は朝7時から洗濯をやったりしたのですが、明日も早起きして少しでも勉強を、読書をしていこうと思います。

2003年2月16日(日)午後11時31分。武蔵境の自宅にて。

 昨晩「明日は新橋演舞場に詰める」と書いたが、あの後、今日日曜日は2時から東京芸術劇場で都響のショスタコーヴィッチの演奏会があることを思い出し、バルシャイの指揮でショスタコの交響曲の中でも特に有名な5番「革命」の方が演舞場よりも優先順位が高いので、演舞場は来週にすることにした。ただこれだと国立小劇場の文楽公演を全部見るのが難しくなる。まあ仕事の状況をみて一日年休をとるのも手かもしれない。明治座のコント55号「江戸の夕映」は見に行きたかったのだが、結局いろいろ日程を入れてみるとやはり枠外に押し出されてしまった。明治座、遠いからなあ・・・・。

 というわけで、相変わらず8時に起き、「名曲のたのしみ」で見事に眠ってしまった後、9時からの「21世紀の名演奏」のテーマでいつもどおりまた目が覚め、午前中は洗濯をしたりごろごろしていた。昨日は日が照っていて洗濯日和だったのだが洗濯をせず、今日は洗濯物が溜まっていたのでやったら雨、と、全くついてない。シャツ(といっても袖とボタンがあるやつ)の首のところが擦り切れたシャツが多くなって、そうでないものも黒ずんできたのでそれらを中心に洗濯。ちょっとは汚れが落ちたかな?またユニクロかGAPでシャツも買ってこないといけない頃になってきた。同時にネクタイも2本を代わりばんこにしている状態(ほかのはほつれたりしてしまった。)なのでこれまたデパートで買ってこなければいけない。先日伊勢丹の株を1000株ほど買ったので、その株主優待券が届くのを待って買おうと思っているのだが、まだまだ届かないようだ。

 「アッコにおまかせ」で新之助の隠し子騒動について見る。評判悪いなあ。なんかあっけらかんと語っていたからじゃないかと想像するが、あれは彼流の照れ隠しのような気がする。
 朝のニュースをみるためわざわざ繋いでインターネットをみていたら、ミラーはレッドソックスにトレードだということである。非常に納得がいかない、というのも、報道によれば、中日はフロリダ・マーリンズから移籍金の「返還」を受け、ミラーをマーリンズに戻す代わりに、レッドソックスがマーリンズに移籍金より多い額をマーリンズに払い、その一部をミラー側が負担する、ということだそうだが、これではただただマーリンズが儲かっただけではないのか?第一、移籍金は昨年の秋に払っているわけで、それの金利だってマーリンズは得ているだろうから、その分は最低限もらわないと困る。あと、チーム構成がここまで大きく狂った事についての責任はミラー(と紳士協定を破ったレッドソックス)にあり、その分の金銭補償はもらわないといけないのではないか。
 大リーグ選手会がマリーンズの日本開幕戦とりやめの圧力を掛けたようだが、それならやめればいい(と中日ファンは思う。)。
 今回の騒ぎで改めて思ったことは@日本の新聞はアメリカのどうでもない新聞の記事を大々的に報道しすぎるのではないか。A日本のコミッショナー事務局はなにをしていたのか。Bもう少しこの問題について球界全体で問題にすべきだと思ったが、なぜそうしないのか、ということだろうか。
 巨人がもしこの具合になったらもうちょっと話が違ってきていただろうと思う。こういう状況、というのは、プロ野球全体にとって不幸なことなのではないだろうか?
 一部報道には「金額は未公表」とされているものもあるようだが、メンツの問題もあろうが、できるだけハッキリさせたほうがいいと思う。あと、紳士協定が破られるほどアメリカの球団はあてにならないということであり(まあ、アメリカは契約の国ではない、ということを証明したことになる。)、法的義務づけを強く求めたい。

 で、あとはオチョアは来るの?という問題に移るが、キャンプも終盤に入り、来週にはオープン戦も始まる、というこの時期に、選手ってとれるんかいな?「オチョア獲得へ」と書いてあるだけであって、カージナルスとマイナー契約を結んでいるオチョアをそんなに簡単に引っ張ってこれるのか?大丈夫かいなあ、と不安に思う。
 まあ、ミラーには絶対レッドソックスでは活躍してもらいたくない(というか、今後の人生真っ暗になってしまえ、呪ってやるとか思っている)のと、中日のフロント、特にあまりいい評判をきかない西川社長(愛知県バレーボール協会会長に野球の経営ができるのか、甚だ疑問)と国際部関係者の粛正を求めたい。
 あと、自分に言い聞かせたい事としては、早く英語をペラペラ読めるようになって、インターネットも英語サイトとかで直接取材してこないとダメだなあ、英語の勉強ちゃんとしなきゃ、ということである(3月のTOEICの試験の料金をふらふらと本屋で払ってしまったので、なんとかせざるを得ない。)。いろいろ本を買ったりしているが、リスニングはさっぱりわからない、というのが現状だ。

 12時半過ぎに家を出て、池袋へ。1時半に着いたので巣鴨信用金庫の通帳記入を池袋支店でする。もう8年前、成増に住んでいた頃に家賃を払うために作らされた通帳だが、成増を離れて以来記帳をしていなかった。あと、定期預金がもうそろそろ10年になるため、下手をすると取引が10年以上ない、ということでチャラになってしまうのではないかと思ったのだ(郵便局だと10年手がついてないと連絡が家に行って、それで反応がないとチャラになってしまうように思う。)。
 今回、記帳をみて思ったのは、利息が激減している。通帳によれば平成6年に10万円を定期で預けて1年後(平成7年)に1401円、平成8年に1685円、平成9年に361円、平成10年及び11年にそれぞれ201円、平成12年に121円、平成13年及び14年にそれぞれ96円、といった具合である。利率をみると1.7%とあるが、思い起こせば恵比寿に住んでいた頃(平成3年4年)は恵比寿駅前の証券会社の中国ファンドの利率が7%とかいうときもあったから、それに比べればうんと下がっている。これでは年金生活者とか貯金で食いつないでいく人がうまくいかないわけだ。
 だからといって、株とかにしても下がりまくりである。いったい、日本の富はどこに行ってしまったんだろう?「ひまわり」の絵とかに紛れて海外に飛んでいってしまったのだろうか?
 まあ、自分はありがたいことに食えているので問題ないが、なんていうか、もうちょっと利息が上がっても、というか、これだけ利率が低いのならもうちょっと投資が活発になってもいいのかなあ、という気がするのだが、みんな却って臆病になっているからダメ、ということなのだろうか?

 まあいいや、ともあれ、通帳記入をやってから芸劇へ。1時50分だが、まあ当日券も都響なのでふんだんにあるだろう、できれば2000円の席があればいいな、と思いながら、芸劇の長い長いエスカレーターを上った。上り切ったところが受付だ、が、妙にたくさんの人が並んでいて、その一番前のところに「当日券売場」の看板が。まずい。
 よくみると、今日の公演は売り切れで、キャンセル待ち対応になる、とのこと。しかもキャンセル待ちが出る確率がものすごく低い、とのこと。まあ普通、キャンセルは出て20枚、というところだろう。しかしどうみても並んでいる人は40人、という感じである。この時間にあぶれてしまうと2時半の文楽公演に間に合うかどうかだが、当日券はないはずで、そうなると4時半までまるまるフリーになってしまう。
 正直、サントリーでマーラーの10番を聴いた時に買っておけばよかった、という想いが頭をかすめた。あまり前売りを買う習慣がないのでこういうことになるのである。
 ところが、初めのキャンセル待ちが20枚でたのを皮切りに、どんどん並んでいた人が切符を買って中に入っていく。20枚出た、ということだったので、いつになったら「ここまでです」のコールがされるかと思っていたが、無事に自分のところまで回ってきた。しかも覚悟していたA券とかではなく4000円のC券だった。買った直後に予鈴が鳴った。

 席は3階の前の方で、以前ここで東京交響楽団の第九を聴いた時の位置とほぼ同じである。周りがどんどん人で埋まっていったこと、あと「メイト」と書かれた券だったことを考えると、都響会員が飛び込みで入った時に備えて抑えてあった席のようにも思えた、が、そんなこと普通するかなあ?カンでは売った枚数が少なめだったのではないかと思うが、どうなのだろう?40人くらいをキャンセル待ちと称して待たせるならあらかじめ最終的に売った券を早めに売って中に入ってもらっていた方が管理上も楽だったんじゃないかと思うが。
 それはさておき、今日はショスタコーヴィチ特集、ということで、曲目は、@歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」より「パッサカリア」、Aチェロ協奏曲第1番(ソリスト古川展生)、休憩後B交響曲第5番「革命」である。指揮はバルシャイ。
 隣にぱっと見で汚らしいような人が座ったので、ちょっと背中を起こして顔を前に出し、その人が視界に入らないようにしながら曲の始まるのを待っていたら、「パッサカリア」がいきなりの大音響で始まった。ドイツ・オーストリア系とは違う、ほんとうにびっくりするほどの大音響で、いかにもロシアンティックな音楽が始まるのだと実感。あっという間にクラリネットの叫びが終わり、曲が終わる。本当にあっという間だったが、まあ歌劇の中の一部なので仕方がない。続いてチェロ協奏曲。これは名曲であり、以前に堤剛さんで聴いている。その前回と同様、途中半分くらいは寝てしまう。いかんのだがショスタコの場合途中は甘いメロディの事が多いように思われ、初めと終わりは大音響なのでそこだけ目覚めていることが多い。これはCDを持っていないのでいいのがあれば買っておきたいと思う。演奏はチェロは初めはあまりまとまっていなかったように思うが、後半はまあまあ、でも、何かチェロの叫びのようなものはあまり感じなく、堤さんの時の方がよかったように思った。あと、ホルンがへたへた、ヘタレ過ぎである。
 休憩後、いよいよショスタコの5番。
 これもちょっとうたたねをするが、感想としてはやっぱりホルンを含めた管がどうかなあ、というところ。弦はまあよかったかな?ちょっとムラがあったようにも思ったけど。ただ、第4楽章は非常によくまとまっており、体が震える思いがした。終演後拍手喝采だったが、そんなによかったかなあ、というところ。

 4時終了で、雪が降る中、すぐ地下鉄に乗って東銀座へ、そして新橋演舞場へ。演舞場に4時35分に着。5分遅れで夜の部の立ち見に滑り込む。
 演舞場の場合は幕見がなく、本席が売り切れた後は立ち見席が出る。1050円也。いいかげんずっと立っているのは疲れるが、いたしかたない。夜の部の演目は@毛抜A雪の道成寺B杜若艶色紫。
 「毛抜」は松緑の粂寺弾正。ちょうど入ったら弾正が花道を出て来たところだった。声が飛ぶ。いつもなら飛ばすところだが、誰が何の役をやっているのかちんぷんかんぷんなので、飛ばしようがなく、気分が萎えてしまう。だから今日は「掛けない日」にしようと思い、自粛。ツケ打ちの時に何回か掛けたけど。「毛抜」くらいだと流れは大体わかっているので掛けやすいのだが残念。
 演技については、松緑は声がおかしい。変に声が嗄れてしまうところあり。イキもおかしいところがあった。ちゃんと文節で切ってないというか。妙に愛嬌を出そうとして失敗しているのか、それとも声の出し方がもともと悪くてそれがそのまま出てしまったのか、わからないが、声の問題が一番大きかった。あと、橋之助の秦民部の影が薄く、亀蔵の八剣玄蕃がひたすら元気で存在感を出す。歌六とかでみると民部も本当の忠臣、という感じにみえるのだが、橋之助はこういう役をヤリ慣れていないからか、なんだか非常に影が薄かった。弟秀太郎は扇雀、ちょっと歳を取りすぎではないか?若衆にはちょっとみえないがな。巻絹は福助。まあこれはよかったのではないだろうか。そんなところ。
 休憩時に雨をかきわけ近所のなか卯で食事。
 「雪の道成寺」はひたすら退屈。こんなつまらない踊りがかつてあっただろうか、とか、「ブー」をいつ出してやろうかとか、とにかく憤懣やるかたない感じで見ていた。作者の萩原雪夫氏はかつて歌舞伎座の筋書で、六代目にあてて「雪の道成寺」を書いたのだが六代目はなくなってしまい、梅幸にやってもらった、とか書いていたと記憶するが、よくこんなものを演じたものだ。こんな愚作を書くと萩原氏の評価が逆に落ちるのではないか、そんな作品である。今回も、永山さんが萩原さんへ気兼ねして出させたのかな?菊之助がこんなのを希望するとは思いがたい。
 なぜダメか、というと、舞台道具が鐘の下に何やら台がついていて、鐘が吊られたようになっていないというのがまず不自然。まあこれは鐘の中から清姫の霊が飛び出てくる以上しょうがないのかもしれないが、なんで台なんぞをつけんといかんのか?次、清元が適当に道成寺の唄を引っ張ったりしていて踊っていても何を目的に踊っているのかがよくわからん。これは清元の理解能力のなさなのかもしれないけれども、それにしてもいつの間に清姫の霊は成仏する事になっとったんじゃ、という感じである。また、着物が替わるのだが、これくらい引き抜きでやれよ、一応、道成寺なんだから。最後、幕切れになんで七三せり上がりで清姫の霊が出てくるのか?
 といったところで、踊り以前の問題。菊之助にしても松緑にしてもよくやっているんだろうが、筋が筋だけにかわいそうなくらいである。
 最後が杜若。これは初めて見るもの。大向こうは見事になし。木戸御免になっている会の連中は怠慢である。たぶんただで入って、掛けないで見ている奴らもいるような気がする。
 これは鶴屋南北の作、ということだが、全体としてそう怖いとは思わなかった。籠釣瓶と伊勢音頭とをないまぜにしたような感じ。筋がちょっと整理されていない(願哲がお六の家に乗り込んでくるが、抑えられて家の中に入っていくところの因果がよくわからなかった。あと、最後、なぜ水を使う必然性があるのか、使うならもうちょっと本格的に使った方がよかったのではないか。)気はしたが、まあよく復活上演をしたものだと、意欲を買いたい。
 役者については、福助が伝法なところをみせてよいが、意外に八ッ橋のところ、御殿女中になりすましたところが合っていて良かった。ただ、声が裏返るところは今回少ない(それが八ッ橋の好演の理由)ながらもあり、こんなんで歌右衛門は大丈夫なのか、と不安にさせられる。門閥でなかったら話題すら上らないだろう、たぶん。亀蔵もここではあまり端敵っぽくなく影が薄い。七之助の金五郎が初々しくてよい。翫雀扇雀はまああんなところでしょうね。翫雀は人の佳さが出ているところはよい。願哲の橋之助はよくやっているほうなのだろうが、もうちょっと愛嬌が出る方がいいのではないかしらん?吉右衛門ならもうちょっといい愛嬌が出そうに思った。

 終演後、築地市場から大江戸線で新宿へ。山頭火でラーメンを食べた後、帰宅。

2003年2月16日(日)午前0時45分。武蔵境の自宅にて。

 今日は久しぶりにのんびり。午後5時まで家で本(昨日買った藤沢秀行先生の奥さんの「勝負師の妻」)を読んだり、ごろごろしたり。
 当初予定ではもう1日ずっと家にいることも考えたのだが、息苦しくなってきたのでクリーニング屋に行き、ついでに表参道のスパイラルホールでやっている「ワーニャ伯父さん」を見に行った。全席自由席で当日券5500円也。(前売は5000円)
 スパイラルホールは以前珍しいキノコ舞踊団の公演で行ったか、野田秀樹の二千一人芝居のときは結局行く事ができなかったので、久しぶりになる。今回は柄本明さんほか。演出は佐藤信さん。佐藤さんの演出は意外にあまり見ていないように思う。
 舞台はホールの真ん中につくって前後ろに階段状の座席。全席で1000は絶対にない。500あるかどうか。大きなテーブルが置いてあってもう役者さんが演技の一部のようなものを開始していた。「静かな演劇」調だ。
 第1幕(といっても幕はなく、脇にいる人(一応下男の設定。)が「第1幕 ○○」とか場面をしゃべる。)の殆どをうとうと眠ってしまったので、なかなか人間関係がつかみづらかった。芝居はまず人間関係を何気ない会話から紡ぎ出していくので第1幕を眠ってしまったのは痛かった、がしかたがない。で、休憩に入る第2幕目終了までは言葉も聞き取りにくい(これは特に自分と逆方向を向いての台詞のときに顕著。)し、そんなにいいかなあ、とちょっと不満、疲れてきたので帰ろうかと思ったくらいだ。
 休憩時、松金よねこさんみたいな人が隣でほかの演出家(佐藤さんではない)らしき人と談笑しているのが目に入り、つい避ける。どうも芸能人とかがそばにいると嫌だ、というより弱い。意識してしまうので。煙草を吸う人が多かったが、なんだか演劇関係者が観客の多くを占めているように思ったな。
 休憩後、第3幕、第4幕。あまり切迫感は感じなかったが、チェーホフの名作を趣向をこらして一つの表現に仕立て上げていたのは興味深かった。普通にリーディングとかをやるならいくらでもあることだが、読み合わせ会場で行われる読み合わせ、という設定で芝居に引き込む、というやり方、そして最後も読み合わせ会場であることを示して終わる、という構成、幕と幕の間には演技していた役者も含めて舞台転換、小道具の準備とかを行うことで観客の気分をも転換させた手法、照明の使い方、など、シンプルな道具でいろいろな場面を演出できていたように思う。
 役者の演技としては、柄本さん、斉藤晴彦さんの演技は狂気に近いものもあり上手いのはいうまでもない。遊んでいる部分もあったがあくまで逸脱しない範囲だったし。まあこれは置いておいて、ソーニャ役の前川麻子さんの幕切れの台詞が非常に情がこもっていてよかったように思う。逆にアーストロフ役をやった朝比奈尚行さんは白髪というカツラとこの場の女性に思いをかきたてさせる医者役という設定があわない上、観客に手を振ったりして内輪ネタに走ったり、また人物造型も不透明に思った。
 全体としてのイメージはやっぱりチェーホフだなあ、というところか。毎日毎日苦労しながら生計をたてていく田舎の農夫とそれを搾取しつつ成果のあがらぬ学問に没頭する者、という対置から、もう19世紀〜20世紀初頭のロシアっていう匂いがぷんぷんする。「櫻の園」でもそうだが、ロシアの設定からは自由になれないところにシェイクスピアと違うチェーホフの限界があるのかもしれない、と書いたらちょっとえらすぎか?

 7時開演で9時45分終演だったので、渋谷のぼてぢゅうで焼きそばを食べ、新宿の青山ブックセンターを覗いて何も買わないで帰宅。

 本当は羽生4連勝で新王将の話とか、ミラー問題についても書きたいのだが、面倒くさくなってきたのでやめる。
 明日は新橋演舞場に籠もるつもりなので、早起きが必須。

2003年2月14日(金)午前0時59分。武蔵境の自宅にて。

 今朝、ラジオで例の新之助の記者会見の様子を聴いた。
 子供ができたときに結婚する気がなかったとあっけらかんと言っていたのだが、するってぇと何ですかい、29歳の女性とは遊びでつきあってた、まあセックスフレンドだったってことですかい?そりゃあ豪勢なもんだねえ、と思う。大体普通のサラリーマンだったら(まあセックスフレンドを作るのが難しいだろうというのはさておいて)養育費なんてなかなか出せない。特にまだ25歳のサラリーマンが隠し子、なんてまず養育できるのか、そんなに稼ぎがあるのかね、という感じを持つ。まあ、ぼくだってセックスフレンドとか隠し事か持ってみたいもんだねえ。彼みたいに舞台に出ればそこそこ稼ぎができるからこそ(染五郎も同じ)隠し子って話になったんだろうな。
 いつも新之助は「じいちゃん」こと十一代目を尊敬していて、観客の中には伝説の「海老様」に生き写しなのではないかという声も聞かれるわけだが、結婚する前に子供を作るのまで真似しなくても、という気はする。しかも十一代目の場合はすごい寡黙な中で真心と真心で繋がりあったのではないかと想像する(違うかも)わけだが新之助の場合はフリーセックスにおける子供でしょ、なんか違うと思うなあ。
 あと、一晩明けて思ったのは、今、成田屋は義経千本桜の権太を演じているわけだが、この役ってのは、博打打ちで親の弥左衛門から勘当された権太が、親の苦難であり親が恩を被った平重盛の嫡子維盛の難儀に、まだ親に顔をみせたことのない女房小せんと倅善太を使って解決する(敵方梶原平三景時の目をくらます。)、そしてそうと知らない弥左衛門に刺されて、真相を述懐しつつ最期を遂げる、という展開である。よくよく考えれば今の成田屋の立場というのは弥左衛門にそっくりなわけで、今こういう形で世間に公表せざるを得なくなる中、成田屋はどう思いながら権太を演じているんだろうかなあ、ということ。あまり考えないかな?でも、何か弥左衛門の気持ちがわかるところはあるのではないかしらん?

 帰りがけに女性セブンも読んでみましたが、やっぱり十一代目のことが書いてあった。日刊スポーツのウェブ版には「きのね」の話まで載ってましたな。やっぱりみんな考えることは同じだったらしい。それにしても、米倉涼子と熱々だなんて羨ましい限りである。確かぼくの同期で米倉涼子と写真を撮った人がいたはずだが、隠し子、という仕儀にはならなかったのだろうか?まあ男ぶりの違いなのか何なのか?

 週刊誌がらみで言えば週刊文春に載っていたわかぎゑふさんの中島らも氏逮捕についてのコメントも読んだ。まず感想としては、ふっこさんは週刊文春の写真ほど老けてない。なんか写真がばばくさくて、口紅が妙に強調されていてなんか変だった。もっときれいな人だがな。
 それがまず一つ。あとは、まあ苦労していたことが書いてあったわけだが、「殴ってやりたい」ってのが本当だろうなあ。あと、あんまりうんこを垂れ流したりしたとか躁のときの大変さを語らない方がよかったかな。ぱっと読む限り、「最近はあまり会っていなかったようで、会った時も大変だったみたいだけど、この頃からヤクやってて危なかったんじゃないかな」とイメージを抱きかねない。聴いた話によれば1月くらいに新宿でやったライブの時は野坂さんと対談もあったけど、そんなにめっちゃめちゃではなかった、という話なんですがね。
 まあ、存分に殴ってやってくださいますよう。

 昨日新宿の青山ブックセンターで見た時にちくまとか講談社文芸とかの文庫新刊が出ていて、なかなか面白そうな本が多かったのだがお金がなかったので、今日お金をおろして昼に寿司(銀座福助、1.5人前で1260円也)を食べたあとで旭屋へ寄ってざあっと買ってきたので紹介しておく。
 城山三郎「気張る男」(文春文庫、476円+税)、内田百間(日ではなく月)集成5「大貧帳」(ちくま文庫、1000円+税)、高橋治「泥鰌と粋筋」(角川文庫、514円+税)、広谷鏡子「恋する文楽」(ちくま文庫、780円+税)、安藤鶴夫「安藤鶴夫随筆集・歳月」(講談社文芸文庫、1100円+税)、野口晴哉「風邪の効用」(ちくま文庫、600円+税)、なぎら健壱「ぼくらは下町探検隊」(780円+税)。
 簡単にコメントを言っていけば、まず城山さんの文庫本は出たらなるべく買うようにしています(大体すぐ読んでしまう。石田禮助の伝記物がよかった。)。百間集成は毎月ものなので。高橋さんはトーチューの相撲のコラムを書いている人で(というか、「風の盆恋歌」などの作家でもある。)、曙の体重増について苦言を呈しまくるのでうるさいおっさんやと思い一時大嫌いだったのだが、確かに体重増で曙はダメになったのでちょっと見直して買ってみたもの、広谷さんの本は単純に文楽についての興味から。あんつるさんについては、よくぞ文庫で随筆集が出たものだと思い、大変感激した。鯛焼きのしっぽのところに餡が入っていて感動した事で有名な人だが、もう死んでからかなりたって、だんだん忘れ去られそうになっている、矢野誠一さんとか生きている人の本ばかり出るようになってあまり顧みられなくなっていたので文芸に入ったのは嬉しかった。野口さんのは風邪に対する興味から買った。なぎら健壱はなんとなく面白そうなので買った、というところである。
 あと、欲しかった本が何冊かあったのだが、ハードカバーだったので、これ以上読まない本が増えてもしょうがないと思ったので諦める。だが、いつも旭屋に行くと、国会図書館が作った「蔵書と蔵書印」の本があって、7000円くらいするのだが、まあいろんな人(例えば渡辺崋山とか)の蔵書がどんなのがあってどんな蔵書印が押されていたか、というのを事細かに、しかも印のところはカラー(というか朱刷り)になっているのが面白く、立ち読みをする。いつか買いたいものだと思う。あとは90年代のアメリカの復活についての本が出ていて、どうしようかと思ったが、資本市場改革の本をまだ読んでいないのでやめた。あと、埴谷雄高さんの「死霊」の第1巻(文庫)が発売され始めた。これは迷ったが、読むかなあ?と思ったのでやめる。ほかは小林秀雄作品集、沢木耕太郎コレクション(スポーツ他のノンフィクションドキュメントが面白い)を揃えようかと思っているのだが、全集ものはうんと増えてしまうので思案しているところ。
 明日くらいには「モーストリークラシック」も発売されるだろうし、また本が増える予感がするが、まあ、酔っぱらった時はまたうんとこさ買ってくるだろうから、そのときに備えて何冊かは買わないでおいておこうと思っている。

 今日の夜は6時15分くらいまで電話の応対を不機嫌にすすめており、非常に迷ったのだが、来週になると行くチャンスもなくなってしまうかと思い、シアターコクーンでやっている「ニンゲン御破算」を見に行った。松尾スズキ脚本、演出で片桐はいりとか宮藤官九郎、そして本体の勘九郎が出ている芝居である。
 行くまでに赤坂見附で丸ノ内線を降りたら即座に銀座線のドアが閉まったり(普通乗換の便を図るものなのに、いかがなものか)、表参道でも同じことがあり、かなりテンションが落ちる。加えて「ニンゲン御破算」の本席は売り切れており、当日券対応だと座れて8500円、立ち見で2500円〜3000円、ということで、立ち見料金はともかく、大人計画の公演で8500円はないやろ、おまいらいつからそんな上等な劇団になったんじゃ、と思うとまたしもテンションが落ちる。で、立ち見でなければ帰ろうと思っていたのだが、きくところによると開演7時で終演が10時半、なんと休憩込みで3時間半(休憩が15分×2なので上演時間は3時間)も芝居をやるのだそうで、そんなに立ってられるかなあ、と不安も高まり、さらにテンションが下がった。
 まあでも、勘九郎が出るので見ておいた方がいいかな、ということで、己を奮い立たせてコクーンまで行き、当日券売場に並んだ。
 偶然、1枚だけ2階立ち見(2500円)があった。しかも、立ち見席(中二階、二階の上手、下手の脇にある)の中でも壁にもたれかかることのできる上手の一番後ろの席がとれた。これはなかなか運のいいことである。壁にもたれかからなければたぶん3時間はもたないので。
 というわけで、3時間(休憩時間中はサンドイッチ(600円)も食べたがあとはほとんど座っていた。)立っていたのだが、3幕に分かれていたので、あまり足の痛みは感じなかった。むしろナイロンとかの公演で2時間半ぶっ通しで本多の階段席に座らせられるよりは疲れないかも。
 ただ、見切れる部分は多かった。上手3分の1はほとんどダメな上、前列の奴が手すりにのっかかってみたりするので視界は更に狭くなり、かつ前の帽子をかぶった若者があっちゃこっちゃ動きながら見るのでなかなか目の前が定まらず、落ち着かないといえば落ち着かなかった。まあこっちも見えない対策で動くのでどっちもどっち、といえばそうなのだが、正直手すりにのっかる姉ちゃんは注意しようかと思った(途中で手すりに頭をもたれかけて寝ていたのでうんざりした。)。困ったのでアンケートに書いておいた。
 芝居の感想だが、まず、高い。チケットの高さ、そしてパンフレットが1500円、というのはどうみても高い。せいぜい1000円だと思う。そんなに中身ないんだし(あらすじも1幕のところしかなかったし。)。あと、中身的にも松尾スズキと勘九郎がいかにもいい料理屋で飯喰いながら対談する、ってのがあって、これ、松尾さんのキャラにあってんのか?どっかの居酒屋の方がいいんと違うの?とか突っ込んでしまった。ぼくは大人計画は苦手で、一度本多劇場で「母を逃がす」だったか見たことがあるのだが(確か感想を書いたはずだ。)、どうもさっぱりわからなくて(なんか突拍子もない筋が多かった。)それ以来ほとんど気にしてこなかった人間なのだが(クドカンも最近まで「みやふじかんくろう」だと思っていたくらい。)、それでも大人計画ってやっぱり本多とかせいぜいスペースゼロとか、っていう芝居じゃないの、と思っているので、コクーンのような高い劇場でやるのはどうよ、と思ったりする(あと、最近腹をたてているのは、ナイロンが青山劇場でやること。あんなでかい劇場でやるもんじゃないんじゃないかしらん?せいぜい本多か紀伊国屋。)。
 なんか東京の劇作家、演出家って恵まれすぎてないかなあ。すぐテレビに出して貰えて(これはテレビ界の人材不足が大きいと思う。)、売れたら高い小屋でやるってのはどうだろう?確かに面白いものもある、けど、地方だって面白いのはあるのに、そっちは売れないまま、ってのはどうなのかなあ、と思うんですが。松田正隆、土田英生、とかもそうだし、ぼくが昔から知っている人間としてはやっぱり佃典彦さん(B級遊撃隊)。松尾さんやケラよりもいい、というのはあるよ。(まあ、鐘下辰男さんとかは別格)
 小劇場演劇とか区切っている時代ではないのかもしれんが、下北で出て来たような劇団はせいぜい5000円、ってところが許容範囲じゃないかと思うんですが、どうだろうか?

 中身については、おもしろいところはある(「母を逃がす」よりはよし)のだが、どっかんどっかん笑えるようなところはなかった。あと、台詞の力をもうちょっと考えた方がいいと思う。NODA・MAPなんかは台詞のおもしろさに酔っている中で、その台詞にいつの間にか伏線を張られていって最後にどかーんとテーマが出てくる、という楽しさ、ある種深刻さがあるのだが(これは平田オリザの「静かな演劇」にも通じるものがある)、どうも台詞の力でしっかり伏線がはられていく、という感じでなかった。これは平均的に役者の台詞がきこえづらいことも要因かも。
 大道具については遠近法とか使ってみたり、本水を使って運河みたいにしてみたり海に見立てたりするところはうまいと思った。ただ、はじめと最後に使ったスクリーンは字が小さくて見づらい。これはくどいようだが本多のサイズ(あるいはシアターアプルのサイズ)ならこれでもいいのだろうが、コクーンのサイズだとちょっと無理があると思う。
 役者については、勘九郎は、休憩時にトイレに並んでいた女性とかも言っていたけど「やっぱり違うよね」。何か他の役者と違う異質のものがあったのはやっぱり生まれなんだろうな。特に感じたのは台詞のしゃべり方。テンポというか間がぼくにとっては慣れた芝居のテンポになっているようだった。途中でお岩さまの真似とかするわけだけど、この辺のイキのツメ方とかはやっぱりうまいなあ、とみた。でも、なんかあまりふっきれてなかったよう。だんだん勘九郎演ずる右之助が自分を見失っていくのだが、その辺の狂い振りがはっきりしない。
 脚本自身、まあこれが松尾さんの特長でもあるのだろうが、複数の構造を同時並行させ、互いに介入させたりするのだけれどもどうも最後の収束がうまくいかなかった、スパッと落とせなかったのが悪いのではないかと思う。キャラの個性がハッキリしなかった、というのもあるかもしれない。
 演者としては松尾さんの南北と宮藤官九郎の黙阿弥(土方歳三はさっぱりわからなかった。)がいいちょいやくぶりを発揮。南北は最後にも出て欲しかった。そうすればヒチコックみたいになるから(その辺がうまく落ちてない)。片桐はいりはやっぱり上手い。あとは田畑智子の「お願いしますよ」は印象的だったがほかはもうちょっとキャラを濃く出していった方がよかったんじゃないか、という気がした。
 というわけで、8500円は高い。やっぱりどうみても6000円、ってとこじゃないかなあ。おすすめはしません。どれか一本、というならスパイラルホールでやってる柄本さんの「ワーニャ伯父さん」とか本多で始まった東京乾電池+藤山直美のほうが絶対いいと思う。(特に後者。来週行く予定。)

 おはちでじぶに定食を食べ、HMVでCDを見た後、帰宅。帰ってきたのが0時過ぎだったので、そろそろ寝ます。
(本の具体的名前とかさまざまな料金を書くのって、やっぱり見苦しいような感じがするんですが、いかがなものか?)

2003年2月13日(木)午前0時59分。武蔵境の自宅にて。

 では、第二弾。
 書きたいことがいっぱいあるので、いろいろ行きましょう。
 なぜこんなに書く時間があるかというと、2ちゃんねるを見ないようにしようと思ったからである。というのも、まあ、ぼくも「名無しの笛の踊り」とか、匿名でやっているのだが、その投稿を貶す投稿があったからである。まあこっちはネタをかましたのだが無粋な貶し方であったのでちょっと頭にもきた。ということで、しばらく、といっても1ヶ月くらいで飽きてしまうのかもしれないが、当分は2チャンネルを見ないようにしようと。

 となるとなかなか見るサイトもない。まあ「江戸沢」とマスコミ各社、N響の第2ヴァイオリン奏者の根津さんのページ、くらい。だから、ここもちょっと書き込んでいかないと。当然の如く早く寝るようにもしたいと思う。

 まず、最新の情報から。
 「新之助に隠し子がいた」という速報が日刊スポーツとかスポニチのサイトに出ている。なんでも午後11時半から会見をしたそうで、母親は29歳の元歌手ということである。染五郎が何年か前に隠し子発覚、ということで騒ぎになったので、その話を書いているところもあるようだ。
 これについては、まず大笑い。
 というのも、先代(十一代目)團十郎、今の成田屋の父親、新之助の祖父に当たる人だが、この人も子供がいることを隠していて後で公表して結婚した、ということがあったので。宮尾登美子の「きのね」という小説は名前は変わっているものの先代團十郎夫人(今の成田屋のお母様)を題材にしているのでそれを読んでいただくとわかるかと思うが、いわゆる「海老様」として戦後の話題をさらった十一代目も子供、つまり今の成田屋と妹の紅梅さんなんだが、の存在を隠していて大騒ぎになった。サザエさん(朝日新聞連載)の題材にもなっている。これが大騒ぎになったのは、契っていたのが團十郎家(というか親の七代目幸四郎家)のお手伝いさんだった、ということもあったのだが、まあ、十一代目はお手伝いさんを奥さんにしたわけである。
 ここで新之助と染五郎に対する疑問が湧く。なぜ子供を作った人と結婚しないの?
 あともう一つ、なんで契った人が染五郎は元女優、新之助は元歌手、ってった具合に「元」がつくの?これは子供ができたので芸能界を追放されたのかな?
 1つ目の疑問については後援会の問題とかがあるのかもしれないが、甚だ疑問。染五郎もこの前婚約発表したけど、これも素人さんだったでしょ。それだったら子供作った人と一緒になればいいんじゃないかなあ。別に「できちゃった婚」で十分じゃないか。
 2つ目の疑問はわからん。
 しかしまあ、ぼくも隠し子なるものを作ってみたいものである。別に隠し子でなくてもいいのかもしれないが、隠し子とか、愛人とかいるってぇと、なんか粋にみえないかなあ。こう考えるのが問題なのか?
 でも、最近思うんだが、やっぱり女性との交際をいろいろやってそうだなあ、という人はなんとなくわかる、というか、顔がてかってたり、なんか引きつけるような雰囲気があるんじゃないかという気がする。で、その引きつける雰囲気というのは女性だけでなく男性も引きつけるものがあるだろうから、仕事的にも有利なんじゃないかと思う。なんだか石部金吉にとっては羨ましい限り、憎たらしい限りなのだが、どうもそんなもんじゃないかしらん社会なんて。
 ああ外れてしまったのでこの話題はこれでおしまい。できれば隠し子に十四代目團十郎を継いで貰いたいと思う次第なり。

 次の話題は、WEB日記の是非について
 今朝の読売新聞にWEB日記が大人気であるという記事が載った。確かにこのページもいろんな方に読んでいただいていて、ありがたい限りである。ただ、この中の坪内祐三のコメントに苦言を呈したい。
 彼は「日記の中でも人気があるのは、見たものの名前とか値段とかが詳しく書かれているものではないか」とコメントしているのだが、そうだろうか?例えばぼくは今日のお昼に日比谷公園の松本楼でビーフカレー大盛(840円)を食べたのだが、そんなことあんまり興味持つかね?特に値段なんか、別に調べればわかる世界なのだから、同世代人には興味薄い事なのではないだろうか?荷風の「断腸亭日乗」とかで銀座の風月堂でなにやらを食べた、いくら、(彼は結構風月堂で食べている。)とかいう記述は歴史考証になると思うが、例えばうちの日記帳みたいなのに840円、とか書いても別に歴史考証としての重要性はないんじゃないかなあ。
 むしろこういうWEB日記で面白いと思うのは、生活のひとときにみせるその人の考え方が表れているところなんじゃないだろうか?別に過激な「思想」に昇華したものでなくてもいい、今日ここここを歩いていたらこんな人がいて、これはどうよ?と思う、とか、そういうことに対して読者の皆さんは興味を示されるんじゃないかと、ぼくは思うんですけど。

 ということで、生活の中での感想を一つ。
 今日の晩ご飯はまず6時半前にアークヒルズのサブウェイで豆とかの入ったスープ(なんというか忘れた?グラムチャウダー?トマト色してるやつです。)と玉子のナンサンドみたいなのを軽く食べて済ましたのだが、演奏会終了後、さすがに腹が減ったので新宿へ。本当は山頭火で食べる予定で行ったのだが、なんだか最近よく行っているので店員さんに顔を覚えられてしまって変な応対をされると嫌だな、と思ったので同じ階にある「あかさたな」へ行ったわけですよ。まあ、同じラーメン屋だし、ラーメンも390円と山頭火の半額だったし。
 で、そこはかなり混んでいたのだが、座ったところの隣に座ってたおっさんが、こっちがラーメンが来るのを待っているとウェイターさんを呼んでこう言ったわけです。
「マスターに伝えて欲しいんだが、喫煙コーナーと禁煙コーナーを分けてくれ。それと、このラーメンまずい。390円にしてはまずい。」と。
 ウェイターさんはただただ「すいません、すいません」と単調な返事をしているだけなのだが、こっちはラーメン頼んでいる人間として、ちょっとどうよ、と思う。
 まあ、分煙の話はわかる、ラーメンがまずいのも確かにそうかもしれない、実際ぼくが食べた時も伸びてて麺の味がなかったような気はしますよ、でも、そんなこと店でいわんでもええやん。そもそも390円なんて安いラーメンそうないんだし。
 よほど「ならあんた、390円でうまいと思うラーメン屋連れてってみい」とからかってやろうかとも思ったが、大人げないのでやめて、ラーメンを啜っていた。
 で、このおやじ、隣で見ていると、そんなに粋にも食べてない。「そらおまえの喰い方が悪いんじゃ」とやってやろうかと思うが、こんなところで傷害事件を起こしてもしょうがないので、黙って食べる。
 おっさん立った。そして服を着る。もうこっちは「さっさと出てけー」としか思っていないんだが、なんやら、全く関係ない子供連れの女性に何やら発言していった上、レジのところでまた管を巻いているのがみえた。たぶん「まずい」発言をやっているんだろうけど。
 ・・・・何かストレスが溜まっているのかねぇ。大人げない、というのが第一の感想、当然の如く粋でもない。で、次に思ったのは、こんなおっさんおったらそこの子供はうまくそだたんよなあ、と。
 最近、若者がなんちゃらとか、子供がなんちゃらとか言っている人が多いのだが、ぼくが見る限り、若い人よりもおっさんおばはんの方が生活態度が悪いんじゃないかと思うんだけれども。
 新幹線の中ででっかい着信音を出すのは大体おっさん、でっかい声でしゃべって顰蹙を買うのもおっさん、地下鉄とかで席を譲らないのもどかーんと座ってるのも大体おばはん。
 こんなんでちゃんとした子供、若者が育つと思うか?
 うちの親とかもターゲットに入ってくるのでつらいものがあるが、昭和ヒトケタの人間くらいから、なんか気質がいやらしくなったんじゃないかと思うんだがなあ。で、その辺の人の子供の団塊の世代も当然あかんようになって、今に続く、になっているんじゃないだろうか?
 最近の若者とかが叩かれても対処のしようがないですよ、大人もみっともないんだから。
 礼儀とか公意識とか言うけれども、これをちゃんとやっていくためには、本当にぼくら若い世代がよっぽど意識してやっていこうとしなければ、過去の悪しき人たちの流れをここで断ち切るくらいの意識がいるんじゃないかなあ?それは非常に難しいことだ、が、もしやらなければいけないのであれば、それはやらないとしょうがない。
 おっさん達の罪は深い。

 今日は自殺やら人身事故が多かったようである。
 まず、アパートで人が何人か自殺していた、ネットで自殺したい人を募ってやってたみたいだ、ということについて。
 なんか、しらん人と一緒には死にたくないなあ。
 まあ、自殺が難しいことはよくわかる。大体、こわい。死んだらどうなるかわからんし、そもそもどうやって死ぬんじゃ、という方法論とかを考えると、飛び降りるのも飛び込むのも怖い。ましてや吸う息が奪われるというのももっと怖い。
 そこで誰か他にも死にたい人がおって、その人と一緒、ということだと確かに死にたいという意思は強く持てるのかもしれない。
 だがですね、やっぱりなんでしらん人と一緒に死なないといかんのかな?なんかなあ、という気分がする。
 別に恋した人と心中せえ、という訳でもないんだが、かといってしらん人と一緒に死ぬの?ぼくはやだなあ、と思うがな。

 これに関連して、今日はJR四ッ谷駅の中央快速線で飛び込みがあったそうです。
 確かにあそこは飛び込みたくなるような気分にさせられる駅で、トンネル(迎賓館の下のトンネル)をがぁーっと東京行きの電車が入ってくるのでなんだか吸い込まれるようにぽん、って気になってもおかしくない駅だ。特に新宿よりのホームのところは結構高スピードで電車が入り込んでくるし。
 ぼくもつらいときはそんな気分になるときもあるのだが、やっぱり怖い。とにかく何か不慮の事故で落とされるのでも怖い気がする。だから、ここの駅だと結構ホームが狭い中、できるだけ真ん中を歩くようにしている。とにかく怖い。
 そんな中で飛び込んでしまう、というのはなかなか度胸というか思い切りがいるんじゃないかしらん?
 普通の人だったらとにかく怖い、という心理にしかならないんじゃないかと思うんだがなあ。

 あと、中央線は特に飛び込みが多いのだが、オレンジ色の車体、ということにも何か原因があるんじゃないかなあと思う。何か人体を引きつけるものがあるのではないか(笑)。
 これについては、人身事故のおかげでやたらに中央線が遅れるので、前からホームドアをつけろ、と言っているのだが、いろんな車両が走るので、ドアの位置が違うのでつけられない、ということである。ただ、これ以上人身事故が続くというのは、やっぱりホームの構造にも問題があるんじゃないのか?警備員をつけるよりも、ほとんど同じ電車しか走らないようなところは簡易的なものでもいいのでホームドアをつけた方が、損益(代替輸送とかするので損になる。)を考えてもいいんじゃないか、と切に思っているのだが。
 逆に、自殺する人には「電車が遅れて迷惑する人のことも考えてくれ」と言いたい。

 今シーズンの東京ドームの外野自由席が廃止になるそうです。レフトは700席だけビジター球団応援席にして、あとは外野指定席、立ち見券が出るようですが、それだけだと。
 あまり椅子に座った経験はないけれども、困る。
 というのも、東京ドームの指定席はほとんど当日に売り切れてしまって、しかも一般にはほとんど手に入らないため。
 前売の当日にたくさんの人(学生が多い)が並んで抽選やって、それをダフ屋他が買い占めて、高く売ったりするんだよね、確か。実際、大手町のある旅行業者で倍くらいの値段で指定席を売っていたのも見たことがある。要は、ダフ屋行為の助長でしかないわけです。
 それだったら、自由に買える自由席券で、座りたい人はただ早く来て座れば座れる、という方式の方がいいですよね。
 700席のビジター球団応援席に座ればいいじゃないか、という意見があるかもしれないが、これは確実に応援団が席取りをする。たぶん「応援団のための席だ」とか言うわけです。だから、結局一般の客にとってはおいしいことが全くない。応援団は損はそれほどしない。
 「応援団の席取りが目立つ」ということであれば、そもそも、応援団にそう指導すればいいわけで、だから指定、という理屈はないはずだ。
 むしろ、暴力団との黒い関係を指摘された東京ドームが、またダフ屋の商売を儲けさせるようなことをやるんだな、ということです。
 あと、困ることとしては、レフトスタンドの真ん中辺りで馬鹿な巨人ファン(子供に多い)が馬鹿騒ぎをするんだな、たぶん。
 基本的にライトはホームチーム、レフトはビジターチームを応援すべき。そういう風にスタンドが分かれているのだから。それを、レフトで一生懸命ビジターチームを応援している連中の中で、座っている連中が「きーよーはーら」とかやるんだよね。志気に影響するよな。大体これまででも左中間辺りだとオレンジのメガホン振る馬鹿が多いというのに。
 レフトではビジターを、まあそうもいかないのであれば静かにホームチームを応援する、というようなマナーを徹底させる、あるいは、馬鹿騒ぎをするジャイアンツファンをぼこぼこにしていい、というのであれば、今回の措置を認めないわけではないが、そうでない限りは、改悪だとしか思えない、そう思います。

 じゃあ寝ます。反論などあれば、掲示板にてお待ちしております。

2003年2月12日(水)午後11時32分。武蔵境の自宅にて。

 またしばらく空いてしまった。実は日曜日の夜に書きかけたのだが長くなりそうだったので音を上げてしまったのである。
 木曜日は夜は宴会、金曜日の夜はN響Aプロ、N響の名誉指揮者でもあるブロムシュテット指揮でブラームスの2番ほか。ブラームスはさすがによかったと思う。

 土曜日は昼は1時から国立能楽堂へ能の普及公演を見に行ってきた。国立能楽堂の中に入るのは初めて。前までは二度三度行ったことがあったが、茂山千作師の公演で売り切れていたりしたため、なかなか中に入れなかった。いつも能・狂言の公演は売り切れている、という印象がつよく、これまで本格的な能・狂言は見る機会がなかった。NHKホールに能舞台を作ってやった公演(NHK古典芸能鑑賞会)とかは見たことがあるが、印象は全然違うだろう。
 正面(4300円)の券を買い、中に入ると、同じ国立劇場グループでも三宅坂の国立劇場とは違って薄暗い空間であり、間違っても二階などは存在しない。能・狂言の場合は客席を「見所」ということを初めて知る。
 能楽堂は天井がちゃんとあって、その中に能舞台と橋掛かり、白州とその中に松が植えてある、というつくりで、松羽目の真ん前のところが正面、斜めに見る形で中正面、横から見る形で脇正面、とある。あと、正面と脇正面の後ろには別室があって、そこにも椅子が置いてあり人が座っているのだが、これは昔で言えば大名が見る席のようだ。あとで見てみるとSb席というらしい。
 正面の最後列の通路側に座るとほどなく、解説のおじさんが舞台に登場。普及公演だけは演目の前に関連したお話がある。今回は蝉丸について。蝉丸神社が大津近辺に3カ所ある事を知り、また、古文書も登場したりして大変興味深かった。
 続いて狂言「因幡堂」茂山千之丞ほか。妻替えに失敗する男の話。狂言はやはり面白い。現代にも通じる話だったりおかしさがあるからだろう。書き出すと長くなるのでやめる。
 休憩時間に食堂でハヤシライスを食す。続いて能「蝉丸」観世榮夫ほか。
 謡が中心になるのでなかなか自分の脳内テンポと合わなかった。途中は寝てしまったし、「三味線ないのかなあ」と思ったくらい。勧進帳とかの長唄だと語りっぽい唄のところもあるけどすぐに三味線が入ってメロディーになるが、今回はメロディーがないのがつらかった。
 演じ方についてはまあこれは何回か見ていかないとわからないと思う。初見の感想としては、能面をかぶっていてもなんだか口が動くように見えるときがあるのが不思議だった、ということだろうか?
 1時間を超えるものだったためちょっと長く感じた。3時50分終演。
 こういうものは何回か見ていかないとわかっていかないものであるので、これからもちょいちょい見ていこうと思う。何冊か入門書も買ってあるので、それも見ながら、ぼちぼちやっていこう。
 夜は都響定期でバルシャイのマーラー10番。P席だったが非常によかった。

 日曜日は朝早く起きたので、11時に歌舞伎座に行って義経千本桜の昼の部をみる。鳥居前、渡海屋・大物浦、道行初音旅(清元と竹本)。忠信が菊五郎、知盛は吉右衛門、静は芝雀(鳥居前)、雀右衛門(道行)。やはりこれは道行初音旅がよかった。雀右衛門の花道の動きもなかなかよかったが、むしろ菊五郎のきびきびとした忠信の方を評価したい。鳥居前ではあまり力強くなかった菊五郎だが、道行では柔らかい忠信の持ち味を見せたように思う。あと、團蔵が弁慶、藤太で3演目全てに登場。弁慶は左團次休演の配役変更だが、お疲れ様である。
 終演後、新宿経由で下北沢へ移動。本多劇場でリリパット・アーミーU「空天華」の千秋楽。火曜日からやっていたのだが、水曜日に中島らも氏が大麻所持で捕まってしまい、大変になった劇団である、というのも、座長のわかぎゑふさんがらも師匠の元マネジャーだったり、もともとリリパ自身がらも師匠を座長として吉朝やんとかひさうちみちおとかが入った異業種交流劇団みたいだったからだ。
 芝居自身は中華芝居なのであるが、長かった、というのが第一。あまり面白くなかった、というのも、前だとらも師匠だったりひさうちさんとかがおもろい、というかどぎつい味を出していたのだが、今度の役者衆だとコング桑田さんくらいがキャラが濃いくらいで、あとは普通の役者さんという感じだったから。もうちょっと個性、というかキャラ濃くやってほしかったな。
 日替わりゲストが新感線の粟根まことさん。この人好き、この人の味を見にいったということでもあったが、役は特になくわかぎ嬢との対談。やっぱり大麻の話(劇中でも「麻薬撲滅」とかアクションシーンの背中に入れたりして遊んでた。)。新感線も松竹座の公演中にいしだ壱成が捕まったのでその話。そういやあ新感線もリリパUも関西の劇団。まあなんと言ってよいのやら。
 あと、升毅がアドリブで登場。この辺は自分は弱い。MOTHERやったよなあ、とか思う程度で、MOTHER自身ぼく見てないんで、会場は喝采だったんだがよくわからんかった。こういうところで最近芝居あまり見てなかったなあ、と反省する。後で調べたらMOTHERは解散していたのであった。
 終演後の挨拶も大麻一色。まだ大阪に帰ってないのであまりちゃんとした情報は掴みきれてないとのゑふ嬢の話だが、この人、接見に行ったらどつくやろうなあ、と思いながら見てた。
 終演後、下北沢の箱根そばでそばを食べて帰宅。

 月曜日は朝からダウン。午前中は休養に充てて、午後から出社、の予定だったのだが、1時から外で会議が入っていることに11時半に気づいて慌てて会社に行ってすぐ外出。5分遅れで会議に入ったのだが余った椅子がなく、非常に恥ずかしく、申し訳ない思いをした。
 夜は宴会。さして飲まず、終わった後原宿まで歩いて光麺でラーメンを食べて帰宅。光麺は池袋が本店(西武の南)で本店はいつも並んでいるのだが、土曜日の昼に食べた代々木の店も原宿の店も空いている。なかなか不思議である。うまいんだが。

 火曜日、つまり昨日だが、午前中は完全休養。土日はともかく、平日で1時過ぎまで家にいたのは1年ぶりくらいではないだろうか。ラジオで「吉田照美のやる気MANMAN」まで聴いていたのも1年ぶりくらい。去年鬱状態で会社を休んだときに聴いて以来のように思う。去年を思えば健康状態、というかやる気もかなり回復したように回顧した。
 1時半過ぎに家を出て、床屋に行って散髪。あまり伸びていないように外からはみえると思うが、実は後ろの部分が結構伸びていて汗が頭にたまるようになってきた。汗が溜まるとかゆくて仕方がないので早めに処理するために床屋へ。バリカンで後ろと脇を刈り上げてもらい、上も短めに切ってもらい、かつスイてもらう。これが肝心。髪の毛の密度が濃いように思われるため、伸びてくると頭が一種温室のようになってしまうのだ。
 3時に終わったので、歌舞伎座に行き、幕見で「木の実・小金吾討死」、「すし屋」を見る。團十郎の権太、富十郎の梶原、秀太郎の小せんほか。團十郎の権太はにくにくしくはあるのだが、何年か前に見た富十郎のものに比べるとイキがまだまだ。日曜日に情熱大陸で中村獅童のことをやっていて、その中で三津五郎が「車引」の松王の手の位置を厳しく指導していたが、こういうのを見るとやはり「型」も大事なのかなあ、などと思う。東蔵の若葉の内侍もあまり平維盛の奥方にはみえないなあ、上品さに欠ける。信二郎は声が裏返ってあまり若さを感じない。富十郎の梶原は白塗りが珍しいと言われていたが、そんなになんとも思わない、がやっぱり大きいように思った。

 今日はN響Bプロ。ブロムシュテット指揮で、モーツァルトの交響曲24番、ベートーヴェンのピアノ協奏曲1番、ニルセンの交響曲(何番か忘れた)。売り切れだったのでキャンセル待ち整理券をもらったところで券を売りたい人が近づいてきて、B券を4500円で買った。B券といっても正面の最後列だったので、C券のLA,RAと比べるとどうだろう?ぼくはLA,RAの方が好きだな。
 会場の案内でブロムシュテットの奥さんが先週末にスイスのルツェルンで亡くなったことを知る。先日、ETV2003の「マエストロの肖像」で下半身が不随でブロムシュテットが料理まで作って二人で仲良く暮らしているのを放映していたが、これでブロムシュテットは一人になってしまい、さぞ寂しかろう、と思う。
 で、今日の感想なのだが、いまいちでした。ベトのピアノ協奏曲は半分以上寝てしまったのでなんとも言いようがないが、モーツァルトはヴァイオリンの音がずれていたような、そしてニルセンはもともとそんなに感動しない、わかりにくい曲ではあったのだが、何か歯車が噛み合わないような印象を受けた。

 とここまで書いて、ほかいろいろ書きたい事もあるのだが、風呂の後で書ければ書くし、書かなければそのままです。

2003年2月6日(木)午前1時24分。武蔵境の自宅にて。

 今日は早出当番であり、8時半に出勤する義務があったのだが、寝坊をして10分遅刻。もっとも、早朝出勤していた方がいたので事なきをえる。
 しかし実に早起きが苦手である。先晩も早めに寝ているのだ。しかしなかなか朝起きることができない。
 寒い、という理由もある。背中が痛い、という理由もある。だが、一番の問題は「気合いの有無」ではないかという気がする、というのも、不思議に「どうあがいても起きなければならない」ときはきちんと起きているからだ(まあ当たり前です。)。
 たぶん、ですよ、毎日早起きができないのは、早起きするインセンティブが沸かないからだろう。
 対策はいろいろたてている。目覚ましの音は限りなくでかい。ラジオのオンタイマー、テレビのオンタイマーなどもついているので、以前は隣人から苦情が殺到したくらいである。
 あとは何が大切か、もう「誰かに電話を掛けてもらう」くらいしかないであろう。
 そこで緊急募集する。「朝起こしてくれる人募集!!」ただし、女性に限る。むさい男の声で起こされるのはぞっとしない。
 このHPを読んでいる女性が何人いるのかわからないが、興味がある方は是非メールしてください。

 今日は一日ぼーっとしていたように思う。鬱ではなかったが、あまり物事がうまくはかどらず。

 本当は今日の晩は将棋のA級順位戦のラス前の日(一斉対局)なので、将棋会館へ大盤解説をみに行く予定だった。しかし、今日になって連盟のHPを確認すると、入場料が2000円もするらしい。普通タイトル戦(今、王将戦七番勝負(佐藤王将対羽生挑戦者)と棋王戦五番勝負(羽生棋王対丸山九段)をやっている。)だと1000円なのだが、今日は5局(なにせ一斉対局なので)全部解説するらしいので高額になっているようだ。ついでに言えば3月1日に開催予定の最終局は指定席3000円、ということになっている。
 しかし、いくら5局解説とはいえ、2000円は高い。まあ、うちで2ちゃんねるでも観ていれば誰かが速報してくれるんじゃないか、という気分になり、行かないこととする。
 いつも通り新宿に出る。夕飯を食べるところに迷う。
 新宿だと大体いつも、アルタ裏の康竜(ラーメン)、三国一(味噌煮込み)、桂花(ラーメン)、アルタの五右衛門(スパゲティ)、地下街のぼてぢゅう、三丁目のてんや(天丼)、南口の山頭火(ラーメン)、西口の魚がし日本一(すし)、というところが多い。しかし、あまり連続しては行かないようにしている。大体1週か2週に1回、という感じ、というのは、あまり店員さんになれなれしくされるのは嫌なので、適度に距離をおきたいためだ。
 ここ1週間〜2週間くらいの間に、大体この辺りの店は回ってしまっていたので今日はかなり困った。荻窪、吉祥寺、といったアヤをつけることは可能なのだが、今日は腹が減っていてそれどころではない。
 散々迷ってとりあえず高島屋まで来た。こうなると候補はつばめグリルかグルメロムレット。
 なのだが、地下に潜ってしまった。主に弁当とかを売っている店ばかりだが、中に食べられる店もあるのではないかと思って。
 ウエストとか塩瀬とかの店をすり抜けている内に、なんだかお菓子が食べたくなってしまう。ついに坂角のブースで捕まり、ゆかりと、なんとかいうえびせんを買ってしまった。ふだん高いからあまり買わないようにしているのに、空腹とは恐ろしいものである。おまけに清月堂の「おとし文」やら華正楼の中華菓子(うまい。シュウマイも高いがうまい。)とかにもそそられてしまい、思わず買おうとしたものの、さすがに理性が働いて止めた。
 地下のイートインのコーナーはカレーとかがあったものの、なんだか落ち着かないのでやめた。
 12階へ上がる。とりあえずHMVへ。今日はダブルポイントデーなので、最近出たベルリオーズの全集(11枚セットで3600円)、とシューマンの交響曲全集(2枚で1500円)を買う。いいかげんブルックナーとかマーラーも飽きてきた、というと失礼なようだが、ちょっと疲れてきたので、目先を変えてしばらくベルリオーズでも聴こうかと思う。ちょうど生誕何周年だかの記念に当たるはずだし、今年は幻想がよく演奏される(実は明日もコバケンの幻想がサントリーである。売り切れなのでいけないが。)ので、勉強しておこう。
 CDを買った後で、つばめグリルかグルメロムレットか迷った上で、値段が安い、という理由でグルメロムレットへ。
 あまりサービスがよくない。水を持ってきてくれと言ってもうんともすんとも応答がなかったり。この店、前もそうだった、ので、もう来るまいと心に決める。アフターの紅茶も薄かったし。
 ヘッドホンを取り出してCDの箱を開封し、「幻想」を聴きながら読書。あまり落ち着かないし、汗ばんできたのでやめる。
 窓に面した席だったのでしばらく新宿の夜景を眺める。
 眠くなってきたので店を出た。

 青山ブックセンターで日経エンタティメントのラジオの聴取率のところを立ち読み(大阪の「ありがとう浜村淳です」と「サイキック青年団」、福岡の沢田幸二の「PAO〜N」、名古屋のつボイ、宮地、札幌の「日高悟郎ショー」などが取り上げられていて懐かしい思いがする。これで「アタックヤング」が取り上げられていれば最強)して、吉祥寺の本屋で林望さんの文庫と永さんの職人の文庫を買って帰宅。

 A級順位戦だが、2ちゃんねるは機能しなかった。
 というのも、デマが多すぎたのである。何がなにやらわからない。これではダメなので、3月1日はちゃんと将棋会館に行く事にする。
 1時前に毎日新聞の速報が出て、
 佐藤棋聖王将、谷川王位、島八段、丸山九段が勝って、羽生竜王対三浦八段の一戦は11時過ぎに千日手になり、0時10分から指し直しているそうである。
 いやはやなんとも・・・・解説は終局までなので、もし行っていたら泊まるハメになるところだった。くわばらくわばら。
 名人挑戦争いは佐藤棋聖王将が6勝目を挙げ、5勝が藤井九段、谷川王位、羽生対三浦の勝者。最終局で谷川対藤井のカードがあるので、佐藤が勝てば挑戦決定、負ければプレーオフ(2者か3者)になることになった。
 もっとも挑戦争いより面白くスリリングなのは降級争いで、2人の降級枠を森下八段(2勝)、郷田九段、島八段、丸山九段(3勝)が争う、という状況になった。森下は勝っても順位の差で郷田と島が勝つと降級、という厳しい状況、順位的には丸山(1位)>森下(5位)>島(9位)>郷田(10位)、なので、最終局は順位をめぐる熾烈な勝負が期待できそうである(ちなみに郷田対佐藤、というなかなか厳しい対局になっている。)。
 毎年思う事だが、毎年2人落ちるわけだから厳しいものだと思う。ヨネさんが落ちたとき、ヨネさんは勝ったものの対抗の井上八段も勝ったので落ちた事もあった。

 ミラー獲得を中日が断念したという報道が出ている。
 非常に残念。代わりはどうするのかね?
 福留の祖母の不幸といい、今年の中日はあまりついていないような気がする。ひょっとすると最下位なんじゃないだろうか。

 らも師匠、ではない中島らも氏が大麻所持で逮捕されたと聞いた。
 非常に驚いているところ。
 らも師匠とはもう10何年前、まだ売れてない頃にMBSラジオの「文珍のアクセス塾」の講師としてやってきて「家は燃えても骨だけ残る」のコピーに爆笑して以来、いろいろと楽しませて貰ってきた。リリパットアーミーでの快演ぶり、といい、各種著作物のふんにゃらぶりといい。
 まあ、この人、麻薬やっててもおかしくないところがあるし、別にこの人については許してやってくれないかナー、というムードがあるので、他の人が捕まった時ほど怒りは感じない、むしろ麻薬を使ってもしゃあない特別な人として認定してくれんかなあ、という気がしている。
 でも、薬物はやっちゃあいけない、というのは確かなんですが。

 じゃあ、寝ます。

2003年2月5日(水)午前1時14分。武蔵境の自宅にて。

 今日も鬱でした。
 眠いし、明日早いのでもう寝ます。
 おやすみなさい。

2003年2月3日(月)午後10時30分。武蔵境の自宅にて。

 鬱。
 というのも、仕事がうまくまとまらないため。
 今日ある先輩にお会いしたところ「優雅な管理人くん」と言われてしまい、確かにほかの人に比べれば優雅な暮らしなのではないか(まあ、去年くたばってしまったのが大きいのだが、これほど夜あっちゃこっちゃ出掛けている人もなかなかいないだろう。)と思ったのだが、一応仕事で考えたりうまくいかないで頭を抱え込んでしまうこともあるわけである。
 トイレで考えようと何回か籠もったものの効果なし。
 こういうときになんていうんですかね、自分はマークシート世代なのではないかと考え込んでしまう。答えの出る問題はすっと答えるのだが、応用もできないような藁をもつかんでいくような問題はまったく手が出ない、という。発想のきっかけすら出てこない、という感じ。とりあえずいろいろ調べてみて調べたことをポコポコ打ち込んでいくのだが、あまり「これっ」という発想が出てこない。これは受験用に頭をトレーニングしすぎてしまって、じっくり考える能力が足りないんじゃないか、とか思うとまた鬱である。とにかく問題は解決できないのだから。
 羽生竜王の話ばかりして恐縮だが、こういうときに彼は「これっ」という手が出てくるんだよなあ。いわゆる「羽生マジック」というやつである。将棋界の1億円プレーヤーと1サラリーマンを比較してはいかんわけであるが、もうちょっと才能よく生まれてこなかったものかと恨むのみ。
 明日も仕事は続くのであって、なかなかつらい作業になってきた。

 夕方、煮詰まってしまい、さっさと逃げる。
 今日は何も入っていないので、紀伊国屋のサウスのほう(高島屋にくっついているところ)に行って楽典を買おうと思っていたのだが、やっぱり難しすぎてやめる。どうもよまなそうな気がする。楽典とは音楽のルールブックだといってよいが、そもそも調がさっぱりわからないし、完全五度だ長何度だ、などとなるともうお手上げで、アレグロ・ノン・トロッポとかになってしまうと、アレグロはわかるものの(「速く」である。)、ノントロッポってなんやねん、日本語でかかんか、と怒鳴ってしまいそうになる。しかし、この辺りがきっちり読めていかないとスコアが読めない(これもタワレコとかに行くたびに楽譜コーナーに行ってドヴォルジャークの8番とかの楽譜のはじめのところを睨んでいるのだが、さっぱりわからん。)し、そうだと作曲家の意図を正確に把握できないままああだこうだ、ということになり、極めて不誠実である。
 世の中にはスコアが読めないで美学的観点から印象批評をやるプロもいるようだが、どうも感心しない。別にスコアが読めるからどうの、ということでもないのかもしれないが、でもやっぱり作曲家の意図を再現するのが演奏なわけだからそれがわからないと指揮者と演奏者に申し訳ないよな、という気がする。
 正直、こういうことについての講座みたいなのを三鷹市がやっている「茂木大輔のシェフのおすすめ」とかでやってくれないかと思うのだが、そうもいかないらしい。一度、サクソフォンのプロである従兄弟に正月とか盆にみんなで食事をするときに訊きたいと思っているのだが、いつも酔っぱらってしまうので忘れてしまっていたりする。

 いろいろなものをみるのに作者の意図、演者の意図を把握しながら観る、というのは芝居の世界でも同じだと考えている。そのため、可能な限り芝居の脚本も買ってはいる、のだが、これまた毎月勉強し、自分の理想イメージを思い描いた上で観る、というのは全くない。これをやり出したら仕事ができなくなるか、観る芝居の本数が減ってしまうだろう。だからパッと見で感想をここに書いているのだが、御存知の通りなかなかクリアな感想になっていない。
 正直、なかなか悩ましい、難しい。
 というわけで、音楽の勉強も逃げてしまった。

 いつもぼくが毎月入手するものがあって、それを月初めに買ったり貰ったりして歩く。
 1つは将棋の雑誌、これはもう今年で17年目を迎えたのだが、なかなか棋譜は読まないことが多く、「新・対局日誌」やら観戦記を眺め読みする程度。だからいつまでたっても棋力は・・・・である。2つ目はシアターガイド、これがないと行く芝居の見極めができないし、時間が空いたときの芝居の物色などもやる必要があるのでいつも持ち歩いている。3つ目は東京人、粕谷一希さんが編集を退いて前ほど面白くなくなった(建物の企画が多すぎる。あと、丸谷才一さんの鼎談コーナーが最近ないのが残念。)が、一応買っている。あと、4つ目はこれは貰ってくるのだが銀座百点、これは洒脱なのが気に入っていて、松坂屋の向かいにあるクロサワという携帯電話屋にわざわざ行って貰ってくる(あるいは三原橋の日乃出寿司で鯖バッテラを買うか鳥ぎんで釜飯を食べるか松崎煎餅で300円のザラメ煎餅を買うついでに貰うか、昔は鳩居堂プレイガイドで貰ってくるのが常だった。)のが常である。今月もクロサワで貰ってきた(百点句会と銀座サロンが面白かった。黒鉄ヒロシのエッセーもよい。)。
 というわけで、昼はジュンク堂で将棋の雑誌とシアターガイドを入手し、夜、紀伊国屋で東京人を入手する。
 これで月初めの恒例行事は終わり。あとはちくま文庫で毎月出ている内田百ケン(門に月。これくらいの漢字がないのがわからん。)集成の5巻がいつ出るか、とか、新潮文庫の新刊は月末に出たのであとは文春とかが何かあるか(一番興味があるのは講談社文芸文庫)、とかをチェックするだけである。

 紀伊国屋を出たらちょうど7時だったので、久々に文化放送にチャンネルを合わせて「さだまさしのセイヤング」を聴いた。前聴いたときは桑田が出ていたので気分が悪くなり切ってしまったのだが、今日は文化放送からの生放送、こうならば聴かなければならない。ということで、食事も下に潜らないところで考えないといけない。
 ということで、これまた久々に高円寺の天下一品で食べることにした。吉祥寺の天下一品の方が駅から近い、あるいは歌舞伎町の天下一品もあるのだが、玉子がサービスでつかない分、高円寺の天一を愛用している。(吉祥寺だと「ぶぶか」に行ってしまう、ということもある。)
 行き方が二つあって、一つは新宿から中央快速線、もう一つは中央・総武緩行線なのであるが、いつも高円寺、阿佐ヶ谷、西荻窪に行くには緩行線を使うべきと主張しているので、緩行線を使った。のだが、来たのが中野行きで中野で3分くらい待たされるハメになった。おそらく快速線があるので緩行線は三鷹−中野間を間引きしているのだろうが、これではますます緩行線は使われないに違いない。正直中央快速線の混雑ぶりはひどいので、希望としては、東西線の直通をやめて、三駅は通過、緩行線は全部三鷹行きにするのがよいのではないかと思っているのだが。
 まあ、緩行線を使うことの難しさ、というのはなんとなくわかった。

 天下一品でとんこつらーめんチャーシューのせを食べて帰宅。「TVタックル」の上田哲と佐々淳行さんのやりとりが面白かった、というか、やっぱり北朝鮮とかの話については上田哲はもっと責任を感じてよいはずだし、なぜ何回も「官僚」を連発するのか理解に苦しむ。
 てめえだってNHKの官僚じゃねえか・・・・。原口某も法案はちっとも出してないようなので塵でしかないと認識している。

 今日から11時から教育テレビでやっている「人間講座」で永さんの音楽史が始まったので観た(もう既に1時半を回っています。これを書くのは時間が掛かるのだ。)。
 いやあ、この前本屋で買ってきたテキストとほとんど同じ調子でしゃべってる。たぶん口述筆記みたいに、まず収録をやってしまってその後でテキストを作ったんだろうな。あと、いきなりナレーション遠藤泰子、ピアノ小泉源兵衛(でんべえさんだとばかり思っていたがげんべえさんだった。)であり、遠藤さんとのクロストークもあったりして、「これは「誰かとどこかで」かい!!」とか「これは「二×三が六輔」かい!!!」とか突っ込みまくりであった。正直、エンディングは「お話は、永六輔と、遠藤泰子でした。「人間講座」また来週です!!」と、「誰かとどこかで」と同じようにやってもらいたかったくらい。
 内容がまた、三線の話の時に「レとラがないのは米軍基地も関係している」とか言ってみたりしていて、テキストをみると今後、君が代を調子を変えて唱ったりするみたいなので果たして右翼とかが動かないかと心配。民放ならいいんですがね、NHK、ということになるとどうなのだろうか?
 今日はシルクロードを録画していたので録画できなかったが明日の再放送を録画する予定。これは通して録画します。

 というわけで、寝ます。

2003年2月2日(日)午後10時43分。武蔵境の自宅にて。

 結局3時くらいまでスペースシャトルのニュースを見ていて、うとうとしたかと思ったら5時にまた目が覚めてまたもや服装も同じの阿部アナのニュースを見て(途中は別のアナが替わっていたようだ。)、NASAの記者会見とかブッシュの会見を観て、再び眠った。
 起きたのが11時くらいか。中途半端に眠ったので眠気がなかなか醒めない中、NHK杯の将棋を観て、羽生竜王が勝ちそうだったので別のチャンネルにして、12時直前に戻したらなんと相手の富岡八段が勝っていた。どうも終盤で間違えたような気がするなあ。確かこの収録の日は羽生さんは午前中解説、午後対局、だったような気がするので、まあお疲れだったのだろう。
 それにしても、スペースシャトル。残骸が燃えている映像は本当にこっぱみじん、という様子であり、これでは遺体も何もとっちらかってしまっているの出はないかと思う。燃えたヘルメットが映像の中に出てきたが、おそらく誰かのヘルメットだったはずで、ああやっぱり亡くなってしまったんだなあ、と思うと非常に痛々しかった。
 その中でも、ブッシュの会見は非常によかったのではないかと思う。痛切な気持ちを語りながらも、我々は未知の世界への旅を続ける、というような内容だったが、旅を続ける、という中にイラクの問題も含まれているのかもしれない。そういう含意をにじませながら、それでも遺族の方の苦衷を労りながら怒りをなだめる、というような演説だった。小泉総理だとちょっとこういう感じではできないのではないか、というのも、スピーチライターがいないような気がするため。あと、日本だとこれほどスピーディに対応できたかどうか。今回、非常事態宣言から4時間くらいでブッシュの会見が行われていたのだが、日本だと、まず関係者に連絡がつかない、戻ってくるまでに時間が掛かる、状態の分析及びスピーチまでに時間が掛かる、ということになるように思う。思い浮かんだのがえひめ丸事件のことだが、これはそんなにトップがどうのこうのというものではない、という反論があるのであれば、阪神大震災が日本の対応例に挙げられるかもしれない。あまり日本を貶す類の論調は好きではないのだが、どうも今回ばかりはそんな感じがしますね。

 今日は2時からなので、12時15分くらいに家を出て、クリーニング屋に寄って武蔵境から四ッ谷へ。途中、境のヨーカ堂の下の若鯱家でカレーうどんか、吉祥寺のぼてぢゅうで焼きそばか、などと昼の予定を考えていたのだが、座れたこともあり、結局四ッ谷まで行ってしまって駅ビルのおにぎり屋でおにぎりを買ってそばのベンチでもそもそと食べた。ちょっと高いが大きいし、おいしいのでよく愛用している。しそわかめが好物。
 南北線で溜池山王で降り、サントリーホールまで歩く。いつものコース。ただ、サントリーホールは本当は六本木一丁目の方が近い。ぼくの場合は定期券の都合があり、溜池山王では乗り降りできるが六本木一丁目ではできないという事情があるので溜池山王から歩くが、ほかにも結構同じように歩く人たちがいる。サントリーホールを含むアークヒルズと六本木一丁目の駅が地下で繋がっていればもうちょっと六本木一丁目を使う人も増えるのだろうが、駅を出てちょっと歩くし道を渡ったりしなければいけない(案内も不十分)ので、もうちょっと設計を考えてもらえなかったかと思う。泉ガーデンなんかは改札を出るとすぐなので非常に便利なのだが。

 1時半過ぎにサントリーホールに着いた。当日券はA(6000円)、B(5000円)、ということで、1000円しか違わないなら、評判は高いが一度も座ったことがないLBで聴こうと思い、A券でLBの最後列をとった。
 今日の演目はモーツァルトのハフナー(交響曲第35番)、モーツァルトのモテット「踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ」、ドヴォルジャークの交響曲第9番「新世界より」で、指揮はバルシャイである。バルシャイは昨年ブリリアントクラシックからショスタコーヴィッチの交響曲全集を4000円くらいで出して(輸入盤)、吉田秀和が朝日新聞で絶賛したこともあってか大ヒットとなった。おそらく今回呼ばれたのもショスタコ全集のヒットと無縁ではあるまい。
 やはり眠く、ハフナーはいい音だしてるなあ、と思いながら熟睡。拍手もせず。
 次のモテットがよかった、というのも、ソプラノの森麻季が非常に自然な発声で無理のない声を聴かせてくれたからだ。なんというか滑らかな、でも単調ではない唱いぶりで、かなり引きつけられた。で、結構この人謙虚な挨拶振りだったりしたので大層気に入る。たぶん、いい人なんでしょう。前にも何回か聴いてはいた(3大テノールのときのビデオも観ている。)のだがこれほどいいとは思ってもおらず、よい収穫であった。
 休憩後、ドヴォルジャークの新世界より。今月、ドヴォルジャークについてはヴァイオリン協奏曲、8番、9番についてはそれぞれ2回ずつ聴くことになったが、これほどドボルジャークばかり聴いているのも珍しいことだ。まともにドボルジャークと向かい合うような形になったわけだが、8番、9番なんかは非常に構成的にもよく、9番はもともと有名であるが、やっぱり有名なだけあるなあ、と感じた次第。
 今日のバルシャイはなかなかきびきびしていてよかったと思う。特に第4楽章が非常に感動させる出来であった。
 座席の問題は、そんなにLBだからといって音がよかったかというとそうでもなかったように思う。むしろぼくにとっては指揮振りをじっくり眺められるLC、RC辺りの方がいい、というか、普段その辺りなので落ち着くように思う。

 アンコールはシューベルトのロザムンデから。モーツァルト、ドヴォルジャーク、シューベルト、と全く脈絡がないような気もするのだが。

 終わったあと久々に休日出勤して机の片づけ。まあまあ片づく。今日はほかにも人がきていたので、笑点を観ることができなかったのだが、ふだんのようにテレビをみながらやっていると時間を食ってしまうので、ひょっとするとテレビを観なかったので集中してできたのかもしれない。
 7時過ぎに撤退。武蔵境の大戸屋で夕食、9時からのN響アワーにも間に合ったし、11時15分からのシルクロードの録画にも悠々間に合った。

 では寝ます。

2003年2月2日(日)午前1時19分。武蔵境の自宅にて。

 今週はほとんど更新できなかった。別に時間がなかったわけではないが、書くことがいろいろありすぎて頭を悩ませてしまったのと、前にも書いたとおり更新するより先にダイヤルアップ接続をしてしまって、インターネットを使用したあとは眠くなっていた、ということが理由である。

 スペースシャトルが空中分解したようだ。「チューボーですよ」を見ていたらニュース速報が出て、今もNHKで特別ニュースをやっている、のだが、今日が宿直らしい阿部アナウンサー、服のセンスが妙にいいように思うのだが・・・・黒のジャケットに濃いブルーのワイシャツ。眼鏡も高そうだ。(ネクタイは大したことがない。)
 テロ、ということはたぶんないのではないかと思うが、航空機といい、どうも物騒である。まあ、最近は毎日のように鉄道でも人身事故が起きている(中央線は今日2件、ほぼ毎日のように起きている。)ので空飛ぶものだけには限らないが。

 中央線であまりにも人身事故が多すぎることに業を煮やして武蔵野市長に対して(武蔵野市ウェブから投稿できる。)「JR東日本に対してホームドアをつけるよう要望しろ、また、吉祥寺と武蔵境は市からも補助を出して是非とも作るようにしろ」と申し入れたのだが、先日返事があった。(御苦労様である。こういうメール対応をやったことがあるが、担当としては結構面倒なものなのだ。)それによれば、「JRによれば、中央線はいろいろな列車が走っていてドアの位置とかも違うので、ホームドアの設置はできない」そうである。まあ、武蔵境なんぞは、オレンジ色の快速電車か、レモン色の緩行電車しか止まらないような気もするのだが・・・・・。ともあれ、中央線は人身事故が多すぎる(三鷹以西が地平、また列車の発車頻度が高いことも原因としてあるのだろう。)ので、なんとかしてほしいと願うのみ。

 ぼくの場合、大体月末月始の土日は暇なことが多い、というのも、音楽会も芝居もこの時期には開催されないことが多いからだ。歌舞伎は1日か2日から25日興行なので月末は稽古のためやらないし、オケの定演も大体5日以降くらいから入ってくる。
 というわけで、この土日は暇であって、今日は海外に行くので前倒しになっている読響の定演が午後7時からサントリー、明日は都響の演奏会(モーツァルトのハフナー、ドヴォルジャークの「新世界から」など)が2時からサントリー、しかない。
 どちらか一日は会社に久しぶりに行って、机の片づけをやろうと思っているが、今日は年賀状をいただいてお返事を出していないので、寒中見舞いの作成を行った。「一月吉日」とかなっているので本来なら手遅れなのだが、まあ文面を印刷したのは1月20日過ぎだった、ということで御了解いただきたい。

 プリンタを久しぶりに稼働させたのだが、相変わらず具合が悪い。もともとすぐエラーが出たり、印刷品質が悪かったりして使い物にならないものだったのだが、なんとか最近復旧させた。だが、コンピュータとの接続が悪いのか、ドライバがおかしいのかは知らないが、印刷を指示すると、その分についてはしっかり印刷するのだが、その印刷指示がいつまでたっても消えないのである。普通なら印刷終了と同時に消えて次の指示を待つものだと思うが、いつまでも消えない、キャンセルをやっても消えないので、再起動をさせない限り次の印刷ができない。
 というわけで、40枚近い寒中見舞いの宛名を、一枚一枚電源を切りながら作成したのであった。もっとも、あまりに面倒くさくなり、一部は手書きで宛名を書いた。これで3時間近く、11時に始めたのだが終わったのは2時過ぎだった。同時に手書きで近況報告とかをする。これは自宅の人、独り者の人、などそれぞれの状況を踏まえて書く必要があるが楽しい作業だ。
 プリンタはやっぱり買い換えないといけない時期だと思う。一つはファックスがほしいこと、もう一つはスキャナがほしいこと、最後は今のプリンタの画質などが使えない水準であること、が理由になる。狙いはデジタル複合機で、ブラザーとかキャノンから5万円強で売っている。最近は新製品も出たみたいだ。ファックスとプリンタとコピーとスキャナがついているので便利そう。残念なのは電話機がついていないことくらいだろうか?
 夏までには買い換えようと思う。

 プリント終了後は洗濯を2回やる。かなり溜まっていた。黒い斑点がついてしまったものもあり、洗ってしまってから気づいたのだが、干し上がったら捨てなければいけない。そんなのが何枚か、洗う頻度が少ないのでどうしてもこうなってしまうが遺憾なことだと考えている。でもまあ、シャツはむちゃくちゃたくさんありますからなあ。できるだけスリム化を図ってはいるのだけれども・・・・。
 併せてゴミをまとめる。これまた大量に発生。
 3月までに部屋をあらかた片づけてしまおうと考えており、そのために本棚を買ったり、今週割れ目が入ってしまった洋服掛けも新しいものにしたり、粗大ゴミ(布団とか腐ったゴルフバッグとか)は捨てるために市に連絡をしたりする必要がある。少しずつ着実にやっていかなければならない、そしてこういう場合は思い切りが肝心なので、使ってないものは思い切って処分することにしていきたい。
 一番の課題はズボンの尻のところが破れてしまっている背広(大量にある。)を捨てる勇気だ。

 3時半過ぎに家を出て、マイスタームラカミでヒレカツ他を買い、駅のホームで食べる。武蔵境から新宿へ。新宿で寒中見舞いを投函。罪滅ぼしに風景印を依頼する。併せてお金をおろす。
 ビックカメラでビデオテープのラベルを捜す。ずっとラベルを貼らないできたのだが、あまりにも多くなってしまい、何に何が入っているのかわからなくなってしまった。ラベルに目盛りだけでも印刷して、何分から何分まで何が入っているか、書き込めるようにしたいと思う。例のプリンタなのでうまくいくかはわからないが、やってみるしかない。
 購入後、下の「くくる」(愛用)で明石焼を食べ、サントリーホールへ。

 今日はサントリーホールも混雑していた。読響の定期演奏会なのだが、普段は芸劇でも翌日くらいにやるのに今回はサントリーだけなので、人が群がった模様。当日券もあるにはあったが、B席7000円、RD一列目の端、というところをとった。最近はRA、LA、Pといったブロックが多く、これらはオケの横とか裏であるのだが、今日みたいに真っ正面からオケに向かい合うのは非常に久しぶり、という感じがする。
 演目はモーツァルトのフィガロの結婚序曲、ドヴォルジャークのヴァイオリン協奏曲(ソリストはベンダー)、休憩を挟んでベートーヴェンの7番、指揮はゲルト=アルブレヒトである。
 フィガロはあっさりと終わり、すぐにドヴォルジャークのヴァイオリン協奏曲が始まる、が第1楽章はつい寝てしまう。実はこの曲は水曜日にオーチャードホールでN響が定期(オーチャード定期)をやったときに樫本大進のソロで聴いているのだが、ここでも第1楽章は寝てしまった。どうも安らかにさせるような響きがあるのではないかと感じる。今日も第2楽章途中で起床。
 ベンダーは、月曜日にコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲のソロをやったのだが、まず最大の感想は「尻がでかい」ことである。月曜日は後ろから見ていたのでまさに御辞儀をするたびにビッグな尻が突き出されるのを目の当たりにした。なんというか、妄想をしてしまうほどの尻である。今日もそれを考えたのだが、前からなので尻そのものは観られず。ただ、彼女は御辞儀をするときに顔を上げたまま腰を曲げて、その後頭を下げるので、どうしても尻を自然に突き出すようなフォームになってしまっているようだった。
 演奏についても触れておくが、水曜日の樫本はひどい出来だったのに比べればよかったと思う。非常に情熱的な演奏を聴かせてくれた。音も濁りはなかった。なかなかテンポの速い曲なので弾きこなすのは大変なのではないかと思い、実際樫本は失敗してしまったわけだが、今回は成功だといってよいと思う。
 休憩後、ベートーヴェンの第7。テンポが速いかな?アルブレヒトの熱意溢れる演奏、といってよく、タイミングがいくつかずれるところはあるが、情熱的でよかった、のだが、ホルンがヘタレ気味。これはドヴォのときも同じだった。
 アンコールはグリーグのペール・ギュントの一部とブラームスのハンガリー舞曲第1番。月曜日と同じ演目であり、たぶんヨーロッパ遠征の時のアンコール曲として準備しているものだろう。ハンガリー舞曲第1番が非常によかったと思う。

 新宿で寿司をたべて帰宅。

 どうやらスペースシャトルは空中爆発した模様だ。こわいなあ、としか言いようがない。