戻る

鯨の目


皆さんは「鯨の目」という詩集をご存知でしょうか。この詩集は成田さんが生前書かれていた句を死後詩集としてまとめたものです。成田さんの趣味と言えば将棋が有名ですが(「座頭市・地獄旅」でも将棋は有効に使われていますね)、詩の方も相当なものでした。その中から私が特に気に入った詩をいくつか載せたいと思います。
その前にこの詩集には序文として成田氏の奥様である温子さんの文が掲載されています。これは成田さんと温子さんのお人柄を偲ばせる文章で私もとても感動させていただき、ぜひ皆さんにも読んでいただきたいと思いここに転載します。なお本文は1991年頃に書かれたものだと思います。


序にかえて

成田温子

今から五、六年前からでしょうか、成田が賀状に俳句を書くようになったのは。

どちらかと言うと筆無精な人でしたが、その罪滅ぼしの気持ちもあったのでしょう。賀状だけは毎年全部手書きで出しておりました。

ある時知人より頂いた暑中見舞いの葉書に爽やかな緑の葉に白い花を付けた野草の押し花が添えられてありました。成田はその葉書を嬉しそうに眺め、

「心遣いが・・・・・・いいねェ」

と一人悦に入っていました。

そしてその翌年の賀状から俳句が書かれる様になりました。

最初の頃は単に賀状用にその時期が来ると句作をしておりましたが、もともと若い頃かなり詩の世界にのめり込んでいた人ですので少しすると句作がおもしろくなって来た様で、京都への行き帰りやロケ先などでも書いて来る様になりました。

その様にして少し書き溜めてあった句でしたが一昨年の十二月半ばより入院生活に入り、まだ状態の良い頃、自宅から持って来させた野鳥や植物の写 真本、またその頃丁度発売された鯨の写真集を取り寄せたりして句作を重ねておりました。それに病室の窓から僅かに見える神宮の森、もう緑の葉も落ち裸の冬木立でしたが、そこへ鳥とか遠目では名前も分からない小鳥が結構飛んで来たそうです。

昼過ぎ病室へ行くと、

「昨日また書いておいた。手帳見ていいよ」

と言ってそれを見せてくれていました。

そんな様子を成田の兄にも話し相談をしまして成田の気力を奮い立たせる為にも、来年米寿を迎える母への贈物として句集にまとめるのはどうかと持ち掛けてみました。すると、

「そうだねェ、出来るかどうか分からないが・・・・・・、ま頑張ってみるか」

という返事でした。

その中には、もしもの時の覚悟も有ったでしょうし、母や二人の娘への想い等も有ったのではないかと思います。

非常にシャイな面のある人だけに娘達に何かを伝えるとか特別 話し合うとかは、あまり無かったのです。割合黙って感じ取れというタイプでしたから。それだけに句を通 して娘達には父親としての又母や友人達には一人の男としての、言ってみれば”生きた証”の様な事を伝えたかったのではないかと想っています。

成田とは共通の知人を通して知り合いました。成田が三十二歳、私が十九歳でした。

その後時々電話が来る様に鳴り、食事をしたり映画を観に行ったりお酒を飲みに連れて行ってもらったりと可愛がってもらっていました。私は三姉妹の末子として育ちましたので私にとっては良いお兄さんができたといった感じでした。

ある日日比谷へ映画を観に行き、その帰りに食事をしていた時です。

「温子はどんな本を読んでる?」

と突然聞かれ、焦りながら今まで読んだ数少ない本を挙げました。

その中で太宰治の名前が出ると、

「太宰は僕も好きだよ。あとね、ドイツの作家なんだけどハンス・カロッサと言う人の本なんか温子にいいんじゃないかなと思うんだ。透明感があってサラッとしている文章で読み易いよ。何と言う事ない様でいて読後が清々しいんだ」

帰ってから早速本屋さんへ行ったのですが、絶版と言う事でしたので古本屋さんへ回ってみました。

三軒目のお店で『ハンス・カロッサ全集』を見つけ買い求めました。それは今でも私の大切な本となって時々読み直したりしています。カロッサの本でもう一冊大事にしているのは成田の叔父の訳した本で、その叔父から私へと頂き感激した事を覚えております。

十年位前になると思いますが、ある女優さんへの結婚祝として地方の出版社に有りましたカロッサの在庫を取り寄せてお送りさせて頂いた事もありました。

「何でも一生懸命読まなきゃ駄目だ。詩でも小説でも作者は命懸けで書いているんだ。だから読む方だって命懸けで読まなきゃ失礼なんだ」

そして、

「そうでなければ字面ばかり追うだけで本当の宝物は作者は見せてくれないんだよ」

言われている事は分かるのですが、私などには到底そういう読み方はできそうにもありませんでした。

結婚してから初めて京都へ行った成田から手紙が届いた事がありました。その手紙の中に非常に成田らしい個所が有りますのでそれを書き出してみます。

・・・中略・・・カロッサも毎日少しづつでも続けて下さい。そして人並みはずれて誠実な人間がどんなことを考え続けどんな具合に生きていったかを少しでも分かって欲しい・・・中略・・・。僕もこの辺でもう一つ腰をおとして勉強の仕直しをするつもりです。

とにかくもっと自分をいじめてみます。男が余裕を持って生きているなんてこの上ない醜態だと思う。ぎりぎりの曲芸師のようなそんな具合に生き続けるのが男の務と思っています。色気のない便りになって御免なさい・・・後略・・・。

今、この古い手紙を書き写しながら、成田は、こういう本質の部分を最後まで持ち続けていた人だと思います。

人並みはずれて一生懸命、真正面から何かを見つめ、考え、その為に苦しんだり、傷ついたり悲鳴を上げながらも自分に鞭を打つ。

これが成田の聖域なので決して触れない部分だと思っていますし、私などには計り知れない世界でしょう。私の様な俗人から見ると何故そんなに自分を痛めつけなければならないのかと思いますが、これはそういう感性を持って生まれた成田の業のようなものではないかと思います。

葬儀後、親しい友人の方々が成田の遺骨と共に何となく我が家に集まりました時、その中のお一人がしみじみと、

「何でこんなに成田さんに拘るのかと考えたけど、結局僕は理屈抜きで成田三樹夫という男が好きだったんだ。それだけなんです」

その言葉を伺って私も全く同じ気持ちでしたので嬉しくて涙が出て来ました。そして成田に対して、この上ない言葉だと思いました。

東北人らしく非常に腰の重い人でした。それがやっと仕事に、そしてライフワークに欲が出てきて今まで蓄積して来たものをまとめ上げて行く行く段階でした。

その成果を出せなかった事を無念に思います。

しかし探求心の旺盛な人で天体等にも興味をそそられていましたので今頃はのんびりと、こちらの世界からは見えなかった星や宇宙空間を楽しんでいるかも知れません。

成田が本を通して語り合って来た方々とも時空を超えてお会いしているかも知れませんし、そうであってほしいと思います。

こちらの生臭い世界より成田にとっては黄泉の国の方が過し易い様にも思います。

男として真っ当な事を考え、真っ当に生きた人、そして人一倍の厳しさ、人一倍の優しさを生き抜いた人、肉体よりもむしろ神経の方が寿命ではなかったかと感じています。

<あなた、おつかれ様でした。又会える時まで>


男、いや人間ならばすべからくこうありたいものである。
続いて「鯨の目」に寄せられた渡瀬恒彦さんの文です。


成田三樹夫さんの事

渡瀬恒彦

困っています。原稿用紙を前にして、困り果 てています。成田さんの事を書かなければならないのに、書けることがないのです。

成田さんと共演した映画を調べてみました。

仁義なき戦い・代理戦争

安藤組外伝・人斬り舎弟

実録外伝・大阪電撃作戦

赤穂城断絶

影の軍団・服部半蔵

以上の五本のはずです。ですが、面と向ってカランだ記憶がないのです。

成田さんと酒席を共にした事も、たった一度しかないのです。

成田さんと食事をした覚えもないのです。ただの一度も。

成田さんは酒が好きでした。

成田さんは犬が好きでした。

成田さんは当然映画が好きでした。

東映京都撮影所でお会いすると、野太い声で「元気?」「飲んでる?」後は犬の話し。格別 何かの話をしたという事もないのです。

ですが、いつも何か気になる存在でした。この人には「イヤな奴」と思われたくない。ブザマな所は見せられない。そう思ってしまうのです。

私が成田さんと共有できた時間の短さに驚きながら、私にとって成田三樹夫さんは何だったのか、どうして成田三樹夫さんの事が気になったのかを考えてみました。

答えは簡単でした。

私は成田三樹夫さんのファンだったのです。古武士を思わせる風貌と失われつつある日本人の原点を持っていた成田三樹夫さんに魅了された一ファンだったのです。先輩として見たこともなく、いつもファンという立場で、成田三樹夫さんの事を見ていたのです。

残念です。


渡瀬さんの気持ちは分かります。上の文を読んで「なんだ渡瀬恒彦って成田三樹夫と仲が良いわけじゃないんだ」と思う方がいるかもしれませんが、私はそうは思いません。おそらく渡瀬さんはファンとしてなら原稿を何枚でも書く事はできたと思います。しかし、同時期に同じ仕事をした役者として成田さんの事を書こうと思った時に、驚くほど成田さんの事について書けない自分に驚いておられるのではないでしょうか。



病中の詩

このような死の直前に書かれたという詩を最初に持ってくる自分の神経の無さに憤りを感じたりするのですが、やはり人間というものは死を感じた時は本当に純粋に自分の心情を吐露するような詩を書けるのかもしれないと考え、あえて掲載しました。


鯨の目人の目会うて巨星いず


散歩のたびにつと青年の樹にさわりおり


痛みとともに掌宙を舞いはじめ


時計の音それはピノキオ妻来る日


咳こんでいいたいことのあふれけり


目あくれば晒した顔をまだ見ている妻


あさき眠りに影立ち悲鳴あぐ


なお成田さんの遺稿句集『鯨の目』は無明舎出版から1991年に出版されたものです。秋田県の出版社なので本屋さんで注文をされると2週間程度で着くはずです。
なおこの本からの転載によりご迷惑がかかった方がいらっしゃいましたらお手数ですが、メールまたは掲示板までご連絡下さい。早急に対応させて頂きます。