思い出の美術館61 - 70

思い出の美術館61:ウィーン市歴史博物館(ウィーン、オーストリア)

ウィーン旧市街の南部、リング通りの外側のカールス・プラッツ、カール教会の近くにウィーン市歴史博物館があります。ここには、ローマ時代のウイーンの成立から始まる、ウイーン市の歴史が展示されています。

しかし、ここに来る一番の目的は、クリムトの絵です。ここには、”パラス・アテネ”や”エミーリエ・フレーゲの肖像”があります。このほかに、シーレや作曲家のシェーンベルグの絵もあります。

私達が行った時には、残念ながら、美術館が工事中で、クリムトの絵を見ることができませんでした。古代の建築遺物や、石像を見て帰って来ました。

この美術館の近くには、オットー・ワーグナー設計のカールス・プラッツ駅があります。金色の装飾の美しいこの建物は、現在は一種の博物館として使われています。
思い出の美術館62:上野の森美術館(上野、東京)

上野駅の公園口を出て、西洋美術館とは逆に、南に向かって歩いて行くと、上野の森美術館があります。この美術館もBunkamuraと同じで、企画展専門の美術館です。以前は日本美術協会美術展示館と呼ばれ、おもに公募展をやっていました。

ここでは、ときどき大規模な展覧会をやります。以前には、ダリ回顧展を見に行きました。フロリダのセント・ピータースバーグのダリ美術館とスペインのダリ劇場美術館の収蔵品が来ていました。ダリの全生涯にわたった展覧会でした。”焼いたベーコンのある自画像”や、”記憶の固執の崩壊”が来ていました。映画の”アンダルシアの犬”の上映もありました。

ただ、残念なことに、あまりにも混んでいて、他人の頭越しにしか絵が見られませんでした。
思い出の美術館63:鏑木清方記念美術館(鎌倉)

鎌倉駅を降りて、人ごみの小町通りを通りぬけ、細い道に左折すると、趣の有る古民家があります。ここが、雪の下の鏑木清方記念美術館です。

鏑木清方は、明治末から昭和初期の日本画家で、美人画で有名です。ここは、清方の晩年の家を美術館にしたものです。挿し絵作品を中心とした、彼の作品を収蔵しています。

私が行ったときには、”清方の卓上芸術”と題して、彼の挿し絵作品を展示していました。泉鏡花の小説の挿し絵である”註文帖”、東京の下町を描いた”朝夕安居”などがありました。さらっとした描線で、下町の”いき”を描いています。

帰りには、鳩サブレーの豊島屋でお茶をして行きました。
思い出の美術館64:ヨーテボリ美術館(ヨーテボリ、スウェーデン)

スウェーデン南西部の中心都市が、ヨーテボリです(思い出の美術館37)。街の中心であるクングスポーツ通りをまっすぐ行くと、行き止まりに、ポセイドンの噴水のあるヨータ広場があります。広場の正面に建つクリーム色の重厚な建物がヨーテボリ美術館です。

ここには、スウェーデン出身の画家を含む、近現代のヨーロッパ画家の作品が収蔵されています。この中には、モネ、ゴーギャン、ゴッホからボナール、セザンヌ、ピカソなどの作品が含まれます。スウェーデン出身の画家としては、カール・ラーソンの作品があります。彼は、19世紀末の画家で、パリに留学して、フランス・アール・ヌーボーの影響を受けています。

美術館にもカフェはありますが、ヨーテボリの街にはおしゃれなカフェがいろいろとありました。オープン・スペースのカフェで、通りを行く人々をながめながらお茶をしました。
思い出の美術館65:神田日勝記念館(鹿追町、北海道)

帯広から北西に20kmほど行くと、鹿追町の国道274号沿いに神田日勝記念館があります。神田日勝は十勝の牧場で、農業を営みながら絵を描き続けた画家です。その絵は高い評価を得ましたが、若くして死んでしまいました。ここは、彼の絵を収蔵・展示するこじんまりした美術館です。

彼の絵には、農村や農作業を題材としたものが多く見られます。作風は大きく変化しており、表現主義的なものから、リアリズムのものまで幅があります。遺作である”馬”は馬の上半身だけが描かれています。上半身だけでも実に生き生きとしています。

美術館の一角では、この地方の画家による新作展もおこなわれていました。 帰りには、近くの牧場でアイスクリームを食べました。
思い出の美術館66:弥生美術館・夢二美術館(弥生、東京)

千代田線の根津駅を降りて、東大に向かって坂を上って行きます。東大の手前で、左に行く道にV字形におれてしばらく行くと、2つならんだ建物、弥生美術館・夢二美術館に着きます。

弥生美術館は、高畠華宵、蕗谷虹児などの大正から昭和初期の挿し絵画家の作品を収蔵しています。私達が以前に行ったときには、松本かつぢ展をやっていました。松本かつぢは昭和初期の挿し絵画家で、少女漫画の先駆といえる漫画作品も描いています。その絵は、私も子供の頃見たおぼえがあります。

建物の中を通って、となりの夢二美術館に行くことができます。伊香保の夢二美術館(思い出の美術館27)よりは小規模ですが、優品がそろっています。”セノオ楽譜”の表紙のシリーズが印象に残りました。

美術館の中は、オバサマ達で混んでいました。ここには、小さなティー・ルームもあったのですが、残念ながら混んでいて入れませんでした。
思い出の美術館67:分離派展示館(ウィーン、オーストリア)

ウィーン旧市街の南部にあるカールス・プラッツから、広いフリードリヒ通りを南西に行くと、金に輝く球体をのせた白い建物が見えてきます。これが、ウィーン世紀末建築の華、分離派館です。ここは、典型的な美術館とは言えませんが、1つの注目すべき作品があるので、とりあげておきます。

この建物は、ヨーゼフ・オルブリヒの設計によって、1898年に建てられました。クリムトやヨーゼフ・ホフマンらウィーン分離派が、かれらの作品の展示の場として作りました。建物の正面には、"VER SACRUM(聖なる春)"と金の文字で書いてあります。

中に入って、地下室に降りると、ここの一番の見物であるベートーベン・フリーズ”があります。これは、ベートーベンの第9交響曲のイメージに基づいて、クリムトが描いた壁画です。壁面の上半分に一面に、苦悩とそれを克服した喜びの世界が展開されています。

ここをさらに南に行くと、オットー・ワーグナーのマジョリカ・ハウスがあります。
思い出の美術館68:白樺文学館(我孫子、千葉)

我孫子駅を降りて、南にまっすぐ行くと、手賀沼に平行して走る道路にぶつかります。ここで左折してしばらく行くと、手賀沼公園があります。この中に、バーナード・リーチの窯跡があります。このあたりで、北に折れて、細い道をしばらく行くと、白樺文学館http://www.shirakaba.ne.jpがあります。

ここには、白樺派に集った作家たち、柳宗悦、武者小路実篤、志賀直哉、バーナード・リーチなどの、原稿、書翰、絵画、陶芸などが、収蔵・展示されています。芹沢けい介装丁の雑誌”工芸”、濱田庄司の花瓶などが、印象に残りました。

地下には、音楽鑑賞室があって、柳の妻で声楽家の柳兼子の日本の歌曲のCDを聞くことができます。兼子は、コンサートを開いて、その収入で夫宗悦のコレクションを助けました。

この近くには、志賀直哉邸跡や柳宗悦邸跡があります。志賀邸跡は庭園が残っています。柳邸跡は、石碑があるだけで、それを見つけるのにずいぶん迷いました。
思い出の美術館69:鎌倉国宝館(鎌倉)

鎌倉の鶴岡八幡宮の鳥居をくぐって、源平池を越えて進み、いわゆる流鏑馬道を右に入ると、お寺のようなコンクリート造りの建物があります。これが、鎌倉国宝館です。鎌倉にある数多くの寺院の仏像や仏画などを収蔵しています。

国宝としては、建長寺の”蘭渓道隆像”、光明寺の”当麻曼陀羅縁起”があります。重要文化財には、浄智寺の”地蔵菩薩像”、建長寺の”北条時頼像”などがあります。

このような仏像・仏画は、お寺にあるときにはなかなか見られないものですが、ここに一堂に会しているのはとても助かります。いつも、すいていて、落ち着いて見る事ができるのもいいですね。

流鏑馬道をまっすぐ東に行くと、金沢街道に出ます。萩で有名な宝戒寺も、この近くです。
思い出の美術館70:ナショナル・ギャラリー(ロンドン)

ロンドンの中心であるトラファルガー・スクエアに面した、列柱様式の入り口を持つ巨大な建物が、ナショナル・ギャラリーです。ここには、中世から20世紀までの、第一級の作品が収蔵されています。このコレクションは、19世紀の銀行家、アンガーステーンのコレクションを出発点とするものです。

ここは広大なので、めあての絵を絞って、他の絵は流して見るようにせざるをえません。最初の目標は、ルネッサンスの部屋です。ここには、ダ・ビンチの有名な”岩窟の聖母”があります。そこから少し歩くと、ファン・アイクの”アルノルフィーニ夫妻の肖像”のある部屋に来ます。

ぐるぐると回って行くと、フェルメールの”ヴァージナルの前に立つ女”があります。さらに行くと、イギリス風景画の旗手、コンスタブルの”干し草車”があります。

最後に出口近くに、印象派の部屋があります。ここでは、スーラの”アニエールの水浴”を見ましょう。

これだけ充実しているのに、入場料がただなのですから、イギリスの美術館には驚かされます。

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