思い出の美術館131 - 140

思い出の美術館131:ペルガモン美術館(ベルリン、ドイツ)

ベルリンの美術館島の中で、 旧ナショナルガレリーの北にあるのが ペルガモン美術館です。ただし、ここに行くためには、いったん橋をわたって向こう岸に出て、また橋をわたって島にもどらなければなりません。美術館島を代表する美術館です。私たちが行ったときには(2009年12月)、雪が降って足下が悪かったにもかかわらず、入り口には行列ができていました。

ここは、ペルガモン神殿を中心とする、ギリシャ、ローマ、メソポタミア古代美術の美術館です。19世紀に活躍した、ドイツの考古学者たちの発掘の成果を、収蔵・展示しています。

コの字型の建物で、南北の両翼の正面は、ギリシャ神殿風の列柱があります。入り口は、中央の棟にあり、だいぶ待たされたあと、入館できました。中央棟の展示室に入ると、幅40メートル近い巨大なペルガモンの大祭壇に圧倒されます。小アジアの古都ペルガモンにある神殿をそのまま持って来て、組み立ててしまうことには驚かされます。ヘレニズム期の躍動的な浮き彫りが、見事です。ギリシャ神話の神々を表しています。

南翼に入ると、また巨大なミレトスの市場門があります。そして、次の部屋に入ると、この美術館の華である、イシュタルの門があります。バビロンから持って来た門です。濃紺のタイルの美しさは、感動的です。このタイルによって、牛と怪獣が浮き彫りされています。さらに進むと、もう1つの見物である、スフィンクスの門があります。アッシリアのスフィンクスは、男性の顔が付いています。

再び中央棟にもどって、今度は北翼に入ると、この時は、”ディオニソスの神々”という特別展をやっていました。ディオニソス神を中心とするギリシャ、ローマの神像が展示されていました。なかなか全部は見きれません。
思い出の美術館132:新博物館(ベルリン、ドイツ)

博物館島の 旧ナショナルガレリーの隣にあるのが、 新博物館です。”新”博物館とは言っても、ここにあるのは、石器時代や、古代エジプトの美術です。ここは、しばらく改装中でしたが、つい最近(2009年)、改装が終了して再開されました。

この美術館は、美しい”ネフェルティティ像”で有名です。この像は、しばらく南隣にある旧博物館にありましたが、最近、ここにもどってきました。

ここでもやはり、寒い中、入り口で並ばされたあと、美術館の中に入ることができました。時間がなくなってきたので、”ネフェルティティ像”に直行です。2階のかどにありました。この像だけのための部屋に安置してあります。ネフェルティティは、エジプト新王国のアマルナ時代の王妃です。ツタンカーメンの義母にあたります。ネフェルティティ像は、アマルナ美術特有の自然な写実性を持ち、彼女の美しさを生き生きと表しています。このほかに、エクナトン王とネフェルティティ王妃のレリーフもあります。

ここには、旧石器時代、新石器時代、青銅器時代の美術、シュリーマンのトロイ発掘、ローマ時代の美術なども展示されています。ただ、疲れてきたので、このあたりはざっと流して見ました。

この後、博物館島の対岸の、アンペルマン・レストランでお昼をたべました。ここには、旧東ベルリンの信号機のキャラクターである、アンペルマンのグッズがあります。
思い出の美術館133:郡山市立美術館(郡山、福島)

猪苗代湖のそばにある郡山市は、南東北の中心都市です。阿武隈川ぞいに発展した、宿場町です。郡山駅からバスに乗って、東に十数分行くと、 郡山市立美術館があります。木立のなかの、静かな美術館です。小さな市の美術館にしては充実した、イギリス美術のコレクションを持っています。

美術館の前庭は、石を階段状に敷き詰めた一種のオブジェになっています。これを左に見ながら、美術館に入ります。この日は(2010年2月)、常設展だけやっていました。常設展示場は2階です。

第1室はイギリス美術です。ホガースの風俗批判の版画のシリーズ、レイノルズの肖像画がありました。そして、この美術館が誇る、ラファエロ前派の2作品が、バーン=ジョーンズの”フローラ”とウオーターハウスの”フローラ”です。いずれも、春の女神、フローラの美しい単身像です。世紀末美術特有の、ものうい表情です。ターナーの風景画、”カンバーランド州のコールダー・ブリッジ”もあります。 第2室は、明治期の日本美術です。高橋由一、浅井忠、和田英作、山本芳翠などの、人物画、風景画があります。第3室には、現代美術で、バーバラ・ヘップワース、ヘンリー・ムーア、難波田龍起などがあります。このほかに、郡山出身の作家、鎌田正藏、土橋醇などの作品も収蔵しています。

ここには、美術関係の図書室や、ちょっとしたレストランも付いています。
思い出の美術館思い出の美術館134:ピカソ美術館(バルセロナ)(バルセロナ、スペイン)

バルセロナの旧市街は、ゴシック地区と呼ばれます。この地区の、カテドラルの近くにある、地下鉄のジャウマ・プリメの駅を出て、プリンセサ通りを北東に進み、右折して細い道に入ると、石造りの古い建物があります。この中に、 千点近い収蔵品をほこるピカソ美術館があります。

ピカソ美術館は世界各地にあり、私たちも、パリ( 思い出の美術館22 )や箱根( 思い出の美術館115 )の ピカソ美術館に行ったことがありますが、ここバルセロナの美術館は特別です。ここはピカソが青春時代を過ごした地ですので、最初期の作品が充実しています。収蔵品は、ピカソの母や妹など、一族の寄贈品を中心としています。

この美術館の建物は、かつての貴族の館を改造したものです。最初の部屋には、ピカソの少年時代の作品があります。このあたりの風景を描いた、10cmくらいの小画面の絵が、多数あるのが目を引きます。また、16才のとき描いた写実主義の大作”科学と慈悲”は、美術展で賞をとりました。

思春期になると、バルセロナのカフェ”クアトロ・ガッツ”に通うようになります。このころの作品、たとえば”画家の妹、ロラ”は、アール・ヌーボーを思わせる作風です。

パリに移ると、”青の時代”が始まります。“寄るべ無い人々”(母子像)、”帽子の女”が注目されます。その後、ばら色の時代を経て、キュービズムが始まります。

彼の成熟期の作品としては、ヴェラスケスの”ラスメニーナス”からインスピレーションを得た一連のシリーズが展示してあります。彼がオリジナルをいかに解体し、再構成していくかが明らかになります。

このあたり、ゴシック地区は、見所やおもしろいお店が、いろいろとあって、散歩が楽しめます。
思い出の美術館135:ダリ劇場美術館(フィゲラス、スペイン)

フィゲラスは、バルセロナ北東、フランスとの国境近くの、小さな町です。バルセロナから特急で1時間半くらいと言うことですが、私たちは遅い列車に乗ってしまったので、2時間くらいかかりました。駅を出て、感じの良い町の中を西に20分ほど歩いて行くと、商店街の一角に、あの特徴のある彫刻の立つ階段が見えてきます。階段を上ると、 ダリ劇場美術館の入り口に出ます。入り口には、入館を待つ人たちが行列を作っていました。

ここ フィゲラスは、ダリの生誕の地です。1960年に、 フィゲラスの市長がダリに作品の寄贈を依頼したとき、ダリは作品を寄贈するだけでなく、彼のデザインによる美術館を作る事を提案しました。昔の劇場であった建物を利用して改装し、1974年に開館しました。美術館全体が彼の芸術であるので、”劇場”美術館というのでしょうか。

美術館の建物については、青いガラスのドームと、屋根の上のたくさんの卵が目につきます。また、随所にダリの彫刻が設置されています。

館内に入ると、円い中庭にあるオブジェ、”雨降りのタクシー”と”ガラの船”にまず驚かされます。実物の自動車と船を使ったオブジェです。中庭から入る大きなホールには、”リンカーン大統領”、”バレエ「ラビリンス」のための背景”があります。

1階には、”ガラの肖像”、”焼いたベーコンのある自画像”、”原子時代のレダ”など、おなじみの作品があります。このうちのいくつかは、上野のダリ展にも来ていました。印象派やアールヌーボーを思わせる、最初期の作品もあります。

2階には、”アパートとして使えるメイ・ウエストの顔”があります。風景画が目となり、ソファが唇になっている、有名な作品です。

3階には、”回顧する女性の胸像”があります。パンを使って作られた作品で、長いバゲットを頭の上にのせた女神像があります。パンはかびで覆われていました。

”風の宮殿”と呼ばれる部屋には、ダリと妻ガラの足の裏が見える天井画があります。ここに限らず、美術館全体で、ガラは女神のような位置にいます。地下には、金工芸、装飾品類があり、奥にはダリの墓石がありました。

美術館の外観を見るためには、入り口の反対側に回らなければなりません。美術館北西の交差点からは、赤い壁や、屋根の上の卵が良く見えます。また、美術館のとなりにある聖ペール教会は、ダリが洗礼を受けた教会です。
思い出の美術館136:アムステルダム国立美術館(アムステルダム、オランダ))

アムステルダム中央駅から、2番か5番のトラムに乗って、街の南西に進み、ホッベマ通りで降りると、すぐ、 アムステルダム国立美術館のわきに出ます。レンブラントやフェルメールの名作で有名な、世界屈指の美術館です。

この美術館は、私たちが行った時(2010年8月)には、改装中でした(現在は、再開しています)。でも、大丈夫。美術館の前には、大きく、”美術館は開館しています”と書いてあります。改装中でない1棟で、展示が行われています。展示の規模は縮小されていますが、有名作品はもれなく展示されています。

この美術館は、オランダ王室のコレクションを納める美術館として、18世紀末に、ハーグの王宮内に設立されました。その後、19世紀初めに、ナポレオンが占領していたとき、彼の弟のルイ・ボナパルトが、この館をアムステルダムに移しました。このとき、アムステルダム市が所有していた、レンブラントの”夜警”がコレクションに加わりました。

美術館裏の美しい庭園から、館内に入ります。美術館1階では、海洋国家オランダの黄金時代である17世紀の歴史についての展示がされています。オランダの軍艦、各種交易品、歴史画などが展示されています。なかでも、精巧なドールハウスや、デルフト焼の陶器が印象に残りました。

2階に上ると、いよいよ有名絵画の展示です。最初の部屋は、肖像画のフランス・ハルスです。”男女の肖像”は、裕福なオランダ商人の結婚肖像画です。屈託の無い笑顔は、ハルスの特徴です。

次の部屋から、レンブラントが始まります。”若き日の自画像”と”聖パウロに扮した自画像”は、彼の20代の時と、50代の時の自画像です。彼が若い時から、光と影について実験していたことがわかります。

次に、”ユダヤの花嫁”、”アムステルダム布地ギルドの見本監査官達”があります。これらは、彼の最晩年の作品です。

次は、フェルメールの部屋です。有名な”牛乳を注ぐ女”は、思ったよりも小さい絵でした。絵の具は厚塗りで、パンの質感を良く表現しています。そして、デルフトの街角を描いた”小路”です。フェルメール作品をじっくり見るということは、日本の展覧会では不可能ですね。

そして、細い渡りろうかを渡ると、待望の”夜警”です。アムステルダムの市民軍の依頼で描かれたこの絵は、集団肖像画の常識をひっくり返したと言われます。”夜警”の反対側には、比較のために、ハルスの集団肖像画がかけてありました。ハルスの絵と比べると、”夜警”は、肖像画というよりは、演劇の1場面のようです。
思い出の美術館137:ゴッホ美術館(アムステルダム、オランダ)

アムステルダム中央駅から、2番か5番のトラムに乗って、街の南西に進み、ヴァン・バーレ通りで降りると、 ゴッホ美術館の前に出ます。 アムステルダム国立美術館( 思い出の美術館136 )からは、公園をはさんだ隣になります。ゴッホの、全生涯にわたる作品を収蔵する美術館です。

この美術館は、ゴッホの遺族が所蔵していた作品を中心としたコレクションを持っています。そのせいで、初期作品、オランダ時代の作品が充実しているのが特徴です。

私たちは、開館時間前に行ったのですが、すでに入館待ちの長い列が出来ていました。この美術館には、本館と、黒川紀章設計の新館がありますが、この時は、新館はなにもやっていませんでした。

館内に入ると、1階には、ミュージアムショップとカフェがあって、展示は2階からでした。2階に上がると、まず、オランダ時代の作品です。ゴッホは、独学で絵画を始めましたが、ミレーの影響を受けて、素朴な農民画を描いていました。”じゃがいもを食べる人たち”は、後の彼の絵とはまったく違って、暗い色彩の画面です。

次は、パリ時代の絵です。パリに出たゴッホは、ポスト印象派の画家たちと出会い、色使いが劇的に変わります。”パリ時代の自画像”、浮世絵の模写作品”梅の開花”などがこの時期の作品です。

続いて、彼は、南仏、アルルに行きます。”ひまわり”、”黄色い家”など、ゴッホの黄色が印象的です。 しかし、ゴーギャンとトラブルをおこし、サン・レミの精神病院に入院します。最後は、パリ近郊のオーヴェールで自殺することになります。最後の絵、”からすの群れ飛ぶ麦畑”は、不安感を感じさせる絵です。

3階では、モネの特別展をやっていました。モネも、アムステルダムに来て、風車の絵を描いていたのですね。

4階では、再びゴッホの絵が、彼と同時代の画家たちの絵と並べて展示してありました。セザンヌ、ピカソ、ルドン、ホイッスラーなどの絵がありました。ここだけ取り出しても、近代絵画の美術館として、十分成立する質の高さです。

外に出て、美術館の隣の公園を散歩すると、ロイヤル・コンセルトヘボウのコンサートホールが良く見えました。
思い出の美術館138:マウリッツハウス美術館(ハーグ、オランダ)

アムステルダムから、特急で1時間弱南西に行くと、古都ハーグに着きます。ハーグ中央駅で降りて、西に向かって歩いて行くと、お堀に面した美しい宮殿が見えてきます。かつてのオラニエ家の王宮です。この王宮の一角にあるのが、 小規模ながら質の高さで世界的に有名な、マウリッツハウス美術館です。

この美術館の収蔵品は、オランダ国王のウィレム1世のコレクションを出発点としています。その後も、歴代の館長は、収蔵品を拡大してきました。コレクションの中心は、15から17世紀の、オランダ・フランドル絵画です。なお、ここの名は、この建物が17世紀のマウリッツ伯爵の居館であったことによります。

1階は、北方ルネッサンスの画家の作品から始まります。ロヒール・ファン・デル・ワイデン”キリスト降架”を始めとして、ホルバイン、クラナッハ、メムリンクなどがあります。バロックの部屋では、ルーベンス”聖母被昇天”、ブリューゲル、ルーベンス共作の”アダムとイヴの堕落と地上の楽園”が注目されます。

2階に上がると、いよいよ、レンブラント、フェルメールの部屋です。 レンブラントでは、”テュルプ博士の解剖学講義”が、まず、眼を引きます。若き日の彼が、その名声を確立する機会となった、集団肖像画です。”スザンナ”、”(63才の)自画像”も、実に印象的な作品です。この、彼の最晩年の自画像は、なんとなく寂しげですが、このころ彼は経済的に苦境にありました。

フェルメールでは、あまりにも有名な”真珠の耳飾りの少女”、”デルフトの眺望”、そして”ダイアナとニンフたち”があります。”デルフトの眺望”は、意外と小さな絵でした。ラッキーなことに、ちょうど、”若き日のフェルメール”という特別展をやっていて、エジンバラの”マルタとマリアの家のキリスト”と、ドレスデンの”取り持ち女”が来ていました。これらの有名作品を、一人じめして、いつまでも見ていることができるというのは、上野のフェルメール展では、考えられないことですね。

ライスダール、ホッベマのオランダ風景画も、忘れてはいけません。

この後、トラムでデルフトに行って、”デルフトの眺望”が描かれた地点に立ってきました。少しだけ、フェルメールの当時の面影が、残っていました。
思い出の美術館139:サグラダ・ファミリア地下博物館(バルセロナ、スペイン)

ガウディの代表作、サグラダ・ファミリアは、 バルセロナの地下鉄2号線のサグラダ・ファミリア駅を降りたところにあります。聖堂を見学した後、受難のファサードの西の入り口から地下に入って行くと、地下博物館があります。ここには、ガウディの生涯と、サグラダ・ファミリア建設の過程が、展示されています。

サグラダ・ファミリアの建築は、始め、他の建築家に依頼されていましたが、教会側との不和によってその建築家は辞任しました。そのあと、若きガウディが、2代目の建築家として就任しました。結局、この大聖堂は、彼の一生の(一生を越えた)プロジェクトとなりました。

この博物館には、彼のいくつかの建築設計図が展示されています。ただし、この大聖堂に関しては、ちゃんとした設計図はなくて、石膏模型だけが残されたそうです。しかも、その模型は、スペイン内戦中に、破壊されてしまいました。その破片が、ここに展示されています。そして、その石膏模型の研究は、現在でも続いていて、その様子をここで見学することができます。

面白いのは、彼が、設計のために作った、ひもとおもりのモデルです。おもりを付けたひもの作る曲線を、重力に対抗する自然な曲線であると、彼は考えました。そして、それを上下ひっくり返した曲線を、アーチとして採用しました。

彼のデザインが、植物や、動物の骨、幾何学曲線などから、いかにして発想されたかも、展示されています。奇抜と思われるデザインも、彼にとっては、ある種の合理性に基づいているのですね。

博物館の奥の1部屋から、下をのぞくと、ガウディの墓があります。ちなみに、彼は、路面電車による交通事故で死去しました。彼の死後も、ここの建築は100年以上続いています。最近になると加速しているので、あと10数年で完成するという説もあります。
思い出の美術館140:ガウディ博物館(グエル公園)(バルセロナ、スペイン)

グエル公園は、バルセロナ北部にある公園で、ガウディの代表作の1つです。地下鉄3号線のレセップス駅を降りて、十数分、坂道を歩いて行くと着きます。この公園の一角にある、塔のある、ピンクのかわいらしい建物が、 ガウディ博物館です。

この公園は、もともと、実業家のグエル氏によって、住宅地として計画されました。しかし、住宅地は2戸分しか売れず、しかたなく、公園に変更されました。2戸のうちの1戸は、ガウディ自身の邸宅で、彼はここに20年近く、住みました。この家が、現在の ガウディ博物館です。

この建物の外観のデザインは、ガウディにしては、おとなしいほうです。この地方の伝統的な家屋のデザインに準じています。壁面はピンクで、窓の格子と屋根が緑です。ただし、とんがり帽子の小塔や、低層部分の波形の屋根には、彼らしさが、見られます。

ここには、彼の作品とともに、彼の日常生活の様子が展示されています。1階のダイニングルームには、彼のデザインした、木製の椅子があります。独特の曲線的なデザインです。ガレやマジョレリなどのナンシー派アールヌーボーの植物的曲線とは違って、動物的な曲線です。

2階には、彼が使っていた寝室と化粧室があります。ベッドの背の部分は、草の芽生えを思わせるような独特のデザインです。洗面台は純白で、円形の鏡が特徴的です。そして、居間には、また、彼のデザインした椅子と食器棚があります。こちらも、のたうつような曲線です。角の部屋には、サグラダ・ファミリアの部品の模型も展示されていました。

博物館を出て、グエル公園の上のほうの段に上ってみると、サグラダ・ファミリアの塔が見えました。

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