月を見る夜



 はっきり言って、甘寧が誰とでも寝れるということは知っていた。
 もう一つ突っ込んで、甘寧が「誰か知らない人に」「不自然な場所で」「無理矢理に」されるのが好きだということも。
 実際に「誰か知らない人」にされそうになれば相手を秒殺にする甘寧だが、気のおけない人に「誰か知らない人の振り」をして「不自然な場所」で「無理矢理っぽく」やられるのが好きなのだ。
 昔まだ役人だった時にそういうシチュエーションで男を覚えさせられたそうだから、無意識に体がそれを求めているのかもしれない。
 しかし呂蒙は、甘寧を「淫乱」だなんていう言葉で括りたくはなかった。呂蒙の前にいる甘寧は結構うぶで、未だに「キスをすると子供ができる」と信じているし、優しくするとすぐ紅くなったりなんかして、本当に滅茶苦茶可愛いのだ。
 だがきっと甘寧は、自分以外の男の前では淫乱に振る舞っているのだろう。それを考えると頭に来る。いやそれ以前に、三日とおかずに通っている呂蒙がいるのに、何故他の男と寝る!? 俺じゃ不満なのか!??!? っていうかお前その体   力っていうか精力っていうかはどこから来てるんだ?!??!?!?
 呂蒙は溜息をつく。憤りを通り越して、もう笑うしかない



 だが最近になって、笑うでは済まない事態になっているらしいことに気がついた。
 甘寧が今浮気している相手というのが、よりにもよって孫権なのだ。
 孫権、字を仲謀。呉国君主。まだ若くて、金髪碧眼で、可愛くて細くて我が儘で。そして噂によれば相当なテクニシャンらしい。嘘か本当かは知らないが、結構な数の女官や文官・武官に至るまでが主公のお手つきだという。そういえば以前、諸葛瑾や魯粛が主公のいたずらが過ぎると泣いていたが、あれはそういう意味だったのかもしれない。
 確かに孫権と甘寧は気があっている。孫権はあの任侠な孫堅の息子である。本命が周泰であることを考えても、甘寧みたいなタイプが嫌いなはずがない。
 甘寧の方は、数少ない友達というのが「何故?」と頭をひねりたくなるようなラインナップで、ざっと数えて三人。今は亡き都督の周瑜に、孫権のお目付役の張昭、それに「気が狂ったので帰る」で有名なあの朱桓だ。主公である孫権も、気があっているどころではない、それこそ「友達」に入れていいだろう。
 ……共通点がないではない。四人ともプライドが高く、そして基本的に柄が悪い。我の強さは天下一品で、何かあってこの四人が引いたところを見たことがない。この四人、本性を知らない人から見れば「どこが柄が悪い」と怒られようが、特にあの張昭など周泰や蒋欽よりよっぽどのやくざだ。
 そう、この四人のたちの悪いところは、人前では上手に猫を被って本性を隠しているところにある。だいたい、呂蒙だとて甘寧が投降して一緒につきあうようになるまで、まさか周瑜や張昭が(孫権や朱桓に関しては薄々気づいていたが)あんなに柄が悪いとは知らなかった。
 甘寧と一緒にいると本性が出せるのだろう。だから友達をやっているのだ。
 そう考えると孫権にとって甘寧というのは、一種身内のような気安さでつきあえる数少ない友達なのだろう。事実酒が入っているときに甘寧が「主公」と呼ぼうものなら「酒飲んでるときに主公とか言うな!!!」と字呼びを強要しているし。
 
 だからといって。
 
 だからといって何もわざわざ甘寧と寝なくても良いのではないか!??!? 他の「友達」を見倣って、興覇とはただの「友達」でいてくれよ頼むから!!!!!
 だいたい呂蒙は甘寧が「友達」と仲良くすることにも結構キてしまうのだ。下手をすると自分とよりも「友達」の方が仲が良いと思っている奴もいるくらいで、本当に内心では穏やかでないのだ。そこをぐっとこらえているのは、ひとえに「友達」と甘寧が「体関係」ではないからだったのに!!!!!
 

 
 呂蒙はイライラと爪を噛みながら、あっちへうろうろこっちへうろうろ、動物園の熊よろしく落ち着きのないことこの上もない。
 興覇が「友達」に恋愛感情を持たないことは知っている。自分が本気で嫉妬してしまうのは「友達」の四人ではなくてあの小猿(凌統のことらしい)だけだし、だいたい興覇の「浮気」は病気なのだからいちいち腹を立てていては身が持たない。
 だが何も主公と寝なくても!!!
 「いちいち腹を立てていては」などというのは勿論強がりで、甘寧が浮気をしていることを知れば相手に文句も言おうし甘寧にはベットの中でがっちり折檻もする呂蒙である。
 
 だが相手が主公では何も言いようがないではないか!!!
 
 先ほど甘寧の屋敷を訪ねたら、錦帆賊だった頃は副頭を勤めていたという甘寧の手下が出てきて(会うたびに音がしそうな程睨み付けられるので、かなり苦手な相手だ。まぁこれは甘寧の屋敷にいる手下全員に言えることだがそれはともかく)「頭は 今日は戻らない」と超絶怖い顔で教えてくれた。
 今日は一緒に月を見る約束だったのに。新月の頃から、「次の満月には一緒に月を見よう」って……。
 確かに新月の頃にそう約束しただけで、その後確認しなかった自分も悪いが、でもすごい楽しみにしてたのに……。
 超絶怖い顔をしたいのは自分の方だが、「ああそうですか、どうも……」とおとなしく帰ってきてしまう自分が、呂蒙は堪らなく嫌いだ。
 


 とぼとぼと情けなく家路に就きながら、きっと今頃甘寧は孫権の前で、呂蒙には見せない顔を見せているのだと思うと、余計に腹が立った。
 腹が少し納まってくると、今度はやっぱり哀しくなった。
 呂蒙が考えるに、自分は甘寧の友達の定義には当てはまらない。結構流されがちで、甘寧から見たら自分など簡単に言いくるめられるカモだろう。孫権に「学問しろ」と言われれば馬の上でも書を読んでしまうような、周りで喧嘩が起こればすぐに諫めに入ってしまうような、大っ嫌いな小猿(しつこいようだが凌統のことである)から「子明殿が怒っている所って見たことないです」とか「子明殿は優しいから大好きです」とか平気で言われてしまうような、それを甘寧に目撃されてにやにや笑われても凌統に向かって「ありがとう」と笑顔で礼を言えてしまうような、そんな性格である。
 友達の定義にはまらないなら恋人の定義にはまるのか?と思い返してみても、全然そうとは思えない。勿論二人っきりの時は甘寧も自分に甘えてくるし、ベットの中でなどとろけるように愛らしい。(これはなにも目が腐っているわけではないと呂蒙は信じている。今まで自分が関係した女と比べても、ベットの中の甘寧は超絶に可愛く、本当にうぶだ。まぁ、関係した女がべらぼうに少ないのは事実だが……)

 だが皆といる時は?

 勿論甘寧は呂蒙が他人の目を気にしている事を知っているから「その他大勢」に仕掛けるようなつれない仕打ちをするのだとは思う。だが甘寧のつれない仕打ちというのは本当につれなくて、つれないと言うよりはほとんどいじめである。そのいじめの中にいろんな含みが入っているのは知っているが、それでもやっぱり呂蒙は甘寧の気持ちを疑って時々ブルー入ってしまううのだ。
 俺って本当に興覇に好かれてるのだろうか……。俺はただ単に興覇を甘やかしてるだけで、興覇も自分を甘やかしてくれるから俺に寄りかかってるだけじゃないんだろうか……。

 要するに自信がないのだ。

 溜息を吐くとそこはもう自分の屋敷だった。家に帰る気もしないのでそのまま屋敷の周りをてくてくと歩きながら考える。
  本当に全く、何で主公なんだ。これが他の奴なら、夜中だろうと最中だろうと寝室まで押し入って、担いででも興覇を連れてくるのに!!!



 もう何度目の溜息か分からない溜息を吐く。
 なんで興覇は俺とつきあってるんだろう……。
 それこそ孫権と比べたら、呂蒙の顔は地味である。いや、だいたい甘寧の「友達」は四人とも嫌になるほど顔が良い。周瑜は勿論、張昭は五十代も半ばを過ぎているとは思えぬほど若く、ぞっとするほど整った顔をしている。朱桓にしても多少作りは細いが、涼しげな瞳に柔らかな髪をした「美人」だし、孫権に至っては黙っていれば天人のようだ。
 呂蒙は何につけ自分が中庸だということを知っている。
 ずば抜けて武芸に秀でていたわけではないから、主公も俺に学問を勧めたのだ。その学問だって結局は付け焼き刃だし。顔だって平凡だし服だって地味なのしか似合わないし、体格も細いわけでもでかいわけでもないし。
 それに決定的なことがある。この間、偶然甘寧が朱桓に向かって「子明のセックスって馴れていなくてたどたどしいところがいいんだよ」と言っていたのを聞いてしまったのだ。
 ……どうせ俺はセックスが下手だ。絶対数が圧倒的に少ないのだからしかたがないとはいえ、経験豊富な(とこの場合言うのかどうかは分からないが)興覇にしてみたら、どう考えても物足りないはずだ。「そこが良い」なんてのは一応立ててくれただけで、本当に「良い」と思ってたらたどたどしいと思うはずがない。
 ましてや「相当なテクニシャン」の主公と比べられては……。



 屋敷の周りを三周して表門にさしかかると、そこに人影を見つけて呂蒙はぎょっとした。こんな夜中に、と、手が自然に刀へ延びる。
「物騒なもんに手ぇかけるなよ」
 暗がりに立つ人影が、呂蒙の一番好きな声で話しかけてきた。
「……興覇!? お前、こんな所で何してるんだ?」
「それはこっちの台詞だろうが」
 見間違いじゃない。土塀に背をもたせかけ、甘寧が立っている。
「……主公の所に行ってたんじゃなかったのか?」
「はぁ?」
 寧はさも意外そうな声で呂蒙を見つめた。
「何言ってんだ、おめぇ……?」
「だってお前んとこ行ったら今夜は帰らないって」
「何で今夜は帰らないと主公ん所に行くことになんだよ」
「だって興覇が……」
 主公と浮気してるって、というのは口の中でもごもごと呟く。どうやら本当に主公の所に行っていたわけではなさそうだ。しかし、ではこんな時間までどこにいたのだ?
「……お前さぁ」
 甘寧が、わざとらしく大きな溜息を吐いた。こういうときの甘寧は本当に怒っている訳ではないので少し安心だが、その代わり本当に呆れている可能性が高い。
「今日は一緒に月を見ようって、お前の方から言ったんだろう?」
「え?」
 甘寧の方を慌てて見ても、甘寧ほど夜目の効かない呂蒙には、その表情が分からない。
「だからと思って来てみればお前はいねぇしさぁ。お前の家のもんが中で待ってろって言うから、俺ずっと待ってたんだぜ?」
 いくら待っても帰ってこない呂蒙を不審に思っていたところに、屋敷の周りを伺っている人がいて怖いと小間使いの少女に言われ、ははんこれはと外に出たのだという。
「どうせお前だと思ったけど、まさかそんな理由で家に入ってこないとはな……」
「だって……」
「だって?」
 ここで孫権の事を持ち出すと、甘寧は本当に怒って帰ってしまいそうだ。呂蒙は代わりに「俺の所に来るのなら、甘寧の家の人がそう言うはずだと思ったんだ」と、まぁそう外れてもいない言い訳をしてみた。
「……で、お前にそんなことを言ったのは、家宰か、それともあのごろつき共か?」
 はっとして呂蒙は甘寧を見、それから気まずげに下を向いた。甘寧はそんな呂蒙に向かって、いいから言ってみろと顎で促す。
「……家宰じゃない……」
  
 甘寧の屋敷にいるのは、家宰を除いて全員が錦帆の頃の手下である。さすがにそれでは何かと不都合だろうと考えた孫権が家宰を一人付けてくれたのだ。
 つまり甘寧の家にいる家宰以外の人間は全て、甘寧に心酔しきって賊から足まで洗ってついてきた甘寧のシンパなのだ。「甘寧の恋人」に対する嫌がらせは、小姑の嫁いびりよりよほどひどい。
「あいつらがお前に嫌がらせするのはいつものことだろう?」
「だけど…!」
「ああもういいよ」
 うるさそうに手を振る甘寧の腕を、呂蒙は咄嗟に掴んだ。この距離まで来るとさすがに顔色の見分けがつく。
 ……怒ってる……。
 すうっと背筋が冷たくなった。
「何だよ、この手」
「……帰る気じゃないのか?」
「帰る気にさせたのは誰だ?」
「帰さないからな」
「こんな時間まで俺を放っておいたのは誰だ?」
「だってそれは……!」
 言いかけて慌てて口をつぐむ。これ以上甘寧を怒らせたくなかった。怒っても二、三日すれば忘れてしまうと分かっていても、その二、三日が耐えられないのだ。
「……だってそれは、何だ?」
「いや……」
「俺が主公と……?」

 こういう時の対処の仕方は二通りしかない。ひたすら謝って機嫌を取るか、逆切れするか、である。そもそも今の甘寧が逆切れといえないこともないが、どちらを取るか迷っている暇はない。
 
「だってそんなのお前が悪いんだろ!」
 呂蒙は運を天に任せて逆切れする事に決めた。そもそも、今日のことは勘違いかもしれないが、浮気しているのは確かなのだ。
「興覇、本当は主公と浮気してるんだろ!? 俺、ちゃんと知ってるんだからな」
「浮気ってなんだよ!」
「寝たんだろ!?」
 怒鳴っているうちに、怒鳴っていることに興奮してどんどん頭に血が上る。今日一日の鬱憤が、全てここに吹き出してきたようだ。
「ああ、主公とは確かに寝たけど、でもそれと浮気は違うだろ!」
「なんだよそれ!!! 寝たって、寝たんだろ!? 枕並べてただ寝てました、とは言わせないぞ!」
 天下の往来である。屋敷の中からは主人の様子を息を潜めて伺っている家人の気配がする。こういう時、そういうことに気が回るのは意外と甘寧の方で、一度切れると呂蒙は何もかにもがどうでも良くなってしまい、後になって右往左往するのだ。
「ばか、てめぇ声がでかいぞ」
「誤魔化すなよ!」
「ああもう、後になって困るのはお前なんだぞ」
「誤魔化すなってば!!」
 呂蒙の声は絶叫に近かった。慌てて甘寧が呂蒙の口を手で押さえようとすると、呂蒙がその手を逆に捕らえ、甘寧を土塀に押しつけた。
「……子明…?」
「許さないからな」
 完全に目が据わっている。このままだとここで押し倒されそうな勢いである。甘寧的にはそういうのも結構好きだが、主が屋敷前の公道で男を押し倒しておっぱじめてしまったのでは、さすがに家人が気の毒だ。
「……おい、続きは必ず聞いてやるから、とりあえず門の中に入ろう。……な?」
 甘寧は呂蒙の耳に息を吹きかけるようにして、小さく囁いた。



 怒り心頭に発してしまった呂蒙は、怯える家人には目もくれず、甘寧の手をがっちりと掴んで寝室に向かった。途中で出迎えに来た家宰に、甘寧が目だけで小さく謝ると、家宰の方こそ申し訳なさそうに甘寧に頭を下げた。甘寧としては、この騒ぎを夫人が聞いていないことを祈るばかりである。
 甘寧は本気で怒っていたわけではなかった。呂蒙が孫権とのことを知ってしまい、悶々としていることを知っていたから、朱桓と男の品定めをしたのはまずかったかなぁ、まさか聞かれてるとは思わなかったもんなぁとちょっぴりだが反省もしていた。
 ただこんな時間まで放って置かれて、ちょっとばかりすねてみたかったのだ。
 男と寝るのは良いが、やっぱり子明には気づかれないようにやるべきだよな、とか、常日頃自分勝手なことを考えている甘寧である。呂蒙以外の男と寝ることが悪い事だからばれないようにやる、ではなくて、呂蒙がいろんな事を考えて余計な心配をするのは気の毒だから、だから呂蒙の耳には入らないように、というのが甘寧の考えだ。
 そもそも、甘寧には男と寝ることや不特定多数とやることに対する倫理観が欠けている。まだ故郷で役人をしていた頃に、そんな考えを持っていては死んでしまいそうなほどやられまくったせいだろう。
 呂蒙もそのことは知っているので、時々甘寧のことを「お前は病気だから」と言う。その通りだと思う。自分は病気なのだ。それを知ってて、どうしてこいつは俺のすることにいちいち本気で怒るのだろう。
 本当は、呂蒙に怒られるのが甘寧は好きだった。怒られたり叱られたりすると、こいつは本気で俺のことが好きなんだな、と嬉しくなる。だからこんな風に乱暴にベットに押し倒され、何ごとかうるさく怒鳴られながらされるのも、本当は密かに気に入っていた。なんだかすごく愛されているみたいな気がするのだ。
 いつものように優しくされると宝物にでもなったみたいでくすぐったいが、そうされるのももちろん好きだ。呂蒙は本当に優しくしてくれる。そんな風に抱かれたことは今までなかったから、まだ少し照れくさくてどうして良いのか分からなくなる。でもそんな風に扱われると、これが幸せって奴かな、と本気で思ったりする。
 呂蒙が経験不足を嘆いていることを知らないわけではないが、「こいつは本当に好きな奴しか抱かないんだな」と思えば嬉しさもひとしおで、それが甘寧の心の快感を深めていた。
 要するに、甘寧は呂蒙とのセックスは、それがどんなものでも相手が呂蒙というだけで満足なのだ。

 片足だけを捕まれて、肩の上に抱え上げられる。もっと苦しい姿勢にされても構わない。前戯もなしに押し入ってくる呂蒙の荒々しさにうっとりする。
  そういえば、呂蒙は孫権と寝たことを「浮気」と言っていた。どうしてそんなことを言うのだろうか。呂蒙以外の男と寝ていても、それは「呂蒙以外の男」が「体の上に乗っている」だけでしかないのに。例え孫権が主公であっても、どんなセックスをされようとも、自分の体の上に乗っている限りはただの「呂蒙以外の男」で、その行為には「体の上に乗られている」以外の意味はないのに。
「阿寧、阿寧、他の奴と寝るな! 俺じゃ駄目なのか!?」
 呂蒙が泣きそうな顔をしている。泣きそうな呂蒙の顔に傷ついて、甘寧まで泣きたくなった。
 窮屈な姿勢から手を伸ばし、呂蒙の頬に触れる。先ほどから激しく喘いでいるので、呂蒙に慰めの言葉をかけることが出来ない。こうして素直になれるのは呂蒙に抱かれているときだけなのに、どうして言葉はただの叫び声になってしまうんだろう。
「あもう、好き……、はぁ、す……っん! ふっ……」
 好きだ、以外の言葉を言いたいのに、好きだ、すらまともに言うことが出来ない。
 こんなに心の中には呂蒙への想いがあふれているというのに
 こんな風に抱いてもらっているときでないと気恥ずかしくて、心の中でだって何にも言えやしないのに。

 

 気がつくと甘寧は気を失っていた。無理もない、怒りにまかせてひどく突き上げてしまったのだから。もう嫌だ、とか、許してくれ、とか、そんな切れ切れの哀願は全て無視した。いや、そう言われれば言われるだけ自分の中の何かが刺激されて、よけいに手ひどく甘寧に押し入った。
「興覇、興覇、大丈夫か……? 興覇? 阿寧?」
 甘寧は眉をしかめたまま眠っていた。呂蒙の呼びかけに、ぴくりとも応えないで。
「……俺って奴は…、全く……」
 興覇の長い髪がほどけて布団の上に散らばっている。あまりにも細く柔らかな髪なので、自分達では結い直すことができない。だからいつでも甘寧の髪がほどけないようにと注意しているのだが、さすがに今日はそんなことに気を回す余裕がなかった。
「でも、阿寧が悪いんだからな……」
 つまんだ一房で甘寧の顔をなぞると眉がうるさそうにひくひくと動き、それがあんまり子供みたいで、愛しさにそっとキスをした。



 あれから二日、甘寧は呂蒙と口をきいていない。呂蒙は何度も声をかけているのだが、甘寧はするりとそれをかわして返事をしてくれないのだ。どんなお仕置きよりも、呂蒙にとってはこれが一番こたえる。
「興覇、悪かったから。なぁ、興覇ぁ!」
「まぁた子明殿が興覇殿を追いかけてるぞ」
「あの気まぐれの機嫌なんて、取ってやってたらきりがないでしょうに」
 周りの声には耳に蓋をしておこう。とにかく、今回のことは自分が悪いのだ。勝手に勘違いして、勝手に逆切れして。いや、勘違いではないぞ、だって興覇はやっぱり主公と浮気してたわけで、いや、だがやっぱりあの夜のことは俺の勘違いな訳だから……。
 ごちゃごちゃ考えたってしかたがない。とにかく謝り倒してしまった方が勝ちなのだ。本当に興覇のこと、ひどくしちゃったわけだし……。
 この辺が呂蒙の可愛いところである。訳知り顔が何人か、ニヤニヤとこの状況を楽しんでいる。が、これも見えない振り、だ。
「興覇!」
 逃げないようにと腕を掴むと、甘寧が嫌そうにそっぽを見ながらぼそりとつぶやいた。
「月」
「え?」
「月、結局見れなかったじゃねぇか」
「あ」
 言われてみれば、満月を肴に甘寧を誘ったのに月見どころの騒ぎではなかった。
「次の満月は、必ず一緒に見ようね」
 甘寧は応えないが、そのちょっとふてくされた顔に呂蒙が微笑む。呂蒙の笑顔があんまりにもいつも通りの優しい笑顔だったので、甘寧も僅かに口元を弛め、誰にも気づかれないように、小さく小さく頷いた。

宜しければ忌憚のないご意見をお聞かせ下さい。

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