甘い視線 |
「脱いでみせてよ」 月の明るい夜だった。格子を上げて窓辺で酒を呑んでいると、呂蒙が呟くように、うっとりとそう囁いた。 「何? ここで?」 「そう。阿寧が脱いでいるところが見たいんだ」 二人でゆっくりと時間を過ごせる事が珍しく、二人はゆったりと、本当に心のすみまでゆっくり酒を呷っていた。 どう応えたものか少しだけ考えたが、呂蒙の酒に染まった目元が愛おしくて、結局甘寧は少し笑うと立ち上がり、袍の襟に手をかけた。 ゆっくりと、その襟を肩から落とす。元々裸に袍を引っ掛けていただけの甘寧の上半身は、腕を抜いてしまえばすぐに裸だった。 呂蒙が自分を見つめている。口元に笑みを浮かべて、甘寧は誘うようにゆっくりと腰帯を解き、見せつけるようにそれを外した。するり、と錦で出来た袍は滑らかな肌触りで、足元に丸くなった。 「綺麗だね」 呂蒙が小さな溜息を漏らす。信じられないことに、呂蒙にとってこの体は賞讃の的であるらしい。どこがそんなに良いのかは、甘寧には少しも分からないけれど。 月明かりが眩しい。こうして窓辺に立っていると、日に焼けた甘寧の肌も青白く光って見えた。 「子明も脱げよ」 呂蒙の視線が体の隅々まで絡みつく。尖った顎に。浮き出た首筋に。くぼんだ鎖骨や、硬く鍛えられた胸に。晒に巻かれていても、それと分かるほど引き締まった腹に。 その一つも、逃がさない視線。 まるで目で犯されているみたいだ。 呂蒙の目は、甘寧の全ての秘密を暴き出す。甘寧から一瞬も目を離さず、呂蒙は自分の口元をペロリと舐めた。 ぞくり、と、背中に何かが駆け上った。呂蒙の舌。いつも甘寧の体を蕩けさせる、淫らな赤い舌。 「子明…」 だがあんなに情欲的な舌を見せておきながら、呂蒙の台詞は泣きたくなるほど意地悪だった。 「阿寧、まだ全然脱いでないじゃん」 「……脱ぐことの方が目的なのか?」 「そうだよ。見たいっていったでしょ?」 甘寧は急にそわそわと、困ったように呂蒙を見つめた。 「子明…」 「阿寧、晒」 「あ、ああ…」 急かされるように、腰に巻き付けていた晒を解く。普段、人前だろうと主公の前だろうと、上半身は裸に袍を掛けているだけのことが多い甘寧だが、腰からみぞおちにかけてはきつく晒を巻いていた。呂蒙はまだしも、他の人間にはセックスする時でさえ、滅多に晒を解いた姿を見せない甘寧である。 仕方なく晒を解くと、甘寧は所在なさげに腰の辺りを手でさすってみた。 切ない気持ちで呂蒙を見つめても、許してくれそうな気配ではない。 「阿寧のおへそ、小さいね」 「……普通だろ」 「本当に阿寧の体って見事だよねぇ。無駄な所が全くないよ」 「俺なんかよりお前の方がよっぽど手入れの行き届いた体してんだろ」 「俺は手入れして、ちゃんと鍛えてないとすぐだらしない体になっちゃうからね。阿寧は何もしないのに、完璧だよね。傷痕も全然無いし、肌も光ってるし、すごい綺麗だ」 「実用的って言うんだぜ、こういう体はさ。観賞用とは違う。……だから、子明」 甘寧の哀願するような声に、やっと呂蒙は腰を上げた。甘寧の傍までくると、そっと脇腹に手を這わせる。首筋に呂蒙の唇が当たって吸い上げられると、甘寧は安堵の息を漏らした。 「本当に綺麗な体だね。シミ一つ無いじゃん」 「傷痕だって結構あるぞ。暗いから見えないだけだ」 「無いよ」 右手を取られ、呂蒙がゆっくりと撫で上げていく。 確かに甘寧の体には、武将であることや水賊であったことが信じられないほど、傷痕が無かった。無敗というわけで無いのだろうが、勝ち方も負け方も巧いのだ。甘寧の体に残る小さな傷痕は、殆どが戦でできた痕ではなく、私刑の痕だ。 「……まぁ、お前よりは少ないかもしれねぇけどな。言ったろ? 実用的なんだ、このカラダは」 「戦の為の体?」 「そう」 首を反らせて呂蒙の唇に自分の唇を合わせる。軽く音を立ててその唇が離れると、呂蒙は反らされた首筋に再び唇を落とし、軽く歯を立てた。 「人を殺すためと、お前を歓ばす為の体」 「俺を歓ばす? 嬉しいことを言うね、阿寧」 大きな手のひら全体で、呂蒙はもう一度じっとりと甘寧の脇腹を撫で上げ、そして、甘寧から離れた。 「子明?」 「まだ全然脱いでなかったんだね、阿寧。全部脱いでよ」 「……何でだよ」 抗議の意味合いを含ませた甘寧の視線に、呂蒙は気づかない振りをする。 「阿寧の綺麗な体が見たいんだよ」 「綺麗じゃないって言ってんだろ!」 「俺にとって綺麗な体なら、二人の間では阿寧の体が世界で一番綺麗なんだよ。それに、阿寧が脱いでるところも見たいしね」 ゆっくりと元の椅子に戻ると、呂蒙はわざと袍の裾を払ってから椅子に座った。甘寧が悔しそうにその様子を見守る。 「ねぇ、脱いでよ、阿寧」 「……エロオヤジ!」 「はいはい、どうせ俺はエロオヤジだ。でも阿寧、こんなエロオヤジでも、俺のこと好きでしょう?」 甘寧は悔しそうに口元を歪めた。「俺のこと好きでしょう?」と言われてしまうと、本当に好きだからしょうがない。 ズボン ![]() 「なぁ、でも全部脱ぐ意味なんて無いじゃん。要るとこだけ脱ぎゃ事は足りるだろ?」 「元々こう言う事って、必要のあるなしでするもんじゃないだろ。したいからするの。それで良いじゃん」 「だけど…」 「なに阿寧、恥ずかしいの?」 甘寧は即座に顔を朱らめた。キスにしてもそうだが、甘寧はセックスに関して自分が恥ずしいと思うことを恥じている。自分はことその事に関しては誰よりも経験があり、どんなことでも出来るということが、彼のアイデンティティとして甘寧の中では確立されていた。 その知識が実はひどく偏ったものだということに、甘寧は全く気づいていない……。 「別に…恥ずかしいとか、そういうんじゃなくて、だって……、だってこういのって、見るもんじゃなくてするもんだろ……」 「でも俺は見たいんだ」 吃りがちな甘寧に比べて、呂蒙の台詞は腹が立つほど明瞭だ。甘寧は言葉に詰まり、もう一度恨みがましく呂蒙を見たが、呂蒙がぴくりとも動かないのを認めると諦めて、乱暴に ![]() 「ほら、これで良いだろ!」 呂蒙はそれでもじっと甘寧を見つめたままで、寸分たりとも動こうとしない。 「子明…?」 「まだ残ってるよ」 呂蒙はいつの間にか手にしたのか、先ほどまで二人で温めていた杯を手にし、中指だけで甘寧を指さした。 「生まれたまんまの阿寧を見せてよ」 「何でだよ!」 「見たいんだってば。考えてみたら俺、阿寧の部分部分はよく見てるけど、全体的にじっくり見た事って無かったことに気がついていたんだ」 「そんなの見る必要なんて無いだろ!」 「だから、必要のあるなしでする事じゃないでしょ。阿寧は本当に綺麗な体をしてるし、それにそうしてると阿寧、メチャメチャ可愛いよ」 あんまり当たり前の顔で呂蒙が言うから、腹が立って甘寧は今脱いだばかりの ![]() ![]() 「阿寧、髪も下ろすんだよ。何にも身につけないでね」 「お前何にも脱いでないじゃないか!!」 「なに? 阿寧も見たいの?」 呂蒙は挑むような目で甘寧を見た。口元が少し意地悪げに歪んでいる。 甘寧に「体を見たい」という欲求がないことを知っていて、あえてそう訊いたんだと、その口元が語っている。 「お前って最悪!!」 「でも俺のこと、好きでしょ?」 甘寧は再び足下に転がるいつもの鈴を取り上げると、力一杯投げつけた。軽やかな音が辺りに響く。だが、これも簡単に呂蒙が受け止めてしまった。 「ほら、阿寧、脱いで」 「……お前が脱いだら、脱ぐ」 「別に見たくなんてないくせに」 「俺ばっかりこんな格好すんのは不公平だ!」 「裸ってそんなに恥ずかしいもんじゃないよ、阿寧」 「だから恥ずかしいんじゃねぇって言ってんだろ!!」 怒りのためか羞恥のためか、甘寧の目元にはうっすらと涙が溜まっていた。それを見ると、呂蒙は小さく息をついて「分かった。俺も脱ぐから、見てて」と立ち上がった。 甘寧はほっとしたように呂蒙を見た。殆ど何も身につけていない甘寧に比べて、呂蒙は頭巾まで着けている。最初に、呂蒙はその頭巾に手をかけた。頭巾が外れると、髪の結び目も解き、肩より少し長いだけの髪が辺りに散らばる。 呂蒙はじっと甘寧を見つめていた。甘寧を射すくめるように。ただ甘寧の目だけを見ながら、ゆっくりと、今度は帯に手をかけた。帯を外すときも、袍を肩から抜くときも、小衫を脱ぐときも、呂蒙は甘寧から一瞬たりとも目を離さなかった。 甘寧は自分が今どんな格好をしているのかも忘れて、呂蒙のその姿をじっと見つめていた。まるで魔法にでもかかっているようだ。頭の中が白くなる。 小衫を脱ぐと、その下に呂蒙は単衣まで着ていた。今日はけっこう暑かったのに、呂蒙の衣装は薄物ではないようだ。よくあれで汗をかかずにいられるな、と、どこか遠いところで甘寧はぼんやりと考えていた。 「阿寧」 いきなり声をかけられて、甘寧は思わず狼狽えた。狼狽えた自分を自覚すると、尚更狼狽えてしまってどうして良いのか分からなくなる。 こんな事をさせられるのは初めてだった。裸を見たいだなんて、子明はきっとどうかしている。 「阿寧、阿寧も脱いでよ。後ちょっとじゃない」 「分かってる……」 甘寧は、仕方なく髪を解いた。甘寧の髪は細くて量も少なく、人並みに結おうと思うと腰の辺りまで伸ばさなければならない。 甘寧はこの細い髪を「将来絶対禿げるから」と嫌っているのだが、呂蒙はこれも綺麗だと言う。呂蒙にかかるとどこもかしこも「綺麗」にされてしまうのが、甘寧は少し腹立だしい。 その細く長い髪が背中全体をさらさらと覆い、ひどくくすぐったかった。 甘寧が髪一つ解くのに手間取っている間、呂蒙はもう ![]() 「ほら阿寧。全部脱ぎなって」 「……お前が脱がせりゃ良いだろ」 「阿寧が恥ずかしそうに脱ぐところが見たいんだ」 「変態…!」 「はいはい、どうせ俺は変態です。阿寧の嫌がることばっかしたがります。自覚しているから、早く脱いで」 すぐ目の前に子明が立っているのに、何で自分で脱がないといけないんだ。まぁ良い、子明が下帯を外す時はきっと俺から目を外すだろうから、その隙を窺おう。 だがそんな甘寧の考えなどお見通しなのだろう、呂蒙は甘寧から全く目を反らさずに、さっさと下着を取った。 「ほら、俺はもう裸だよ」 「分かってる…!」 裸と言われると、何だかひどく自分と呂蒙の体を意識してしまって、甘寧は呂蒙から目を反らした。 子明はあんなにガタイが良いから平気で裸になれるのだ。 ……あんな体だったら良かったのに……。 人よりほんの僅かだけ体が小さい甘寧は、それを補って余りあるだけの筋力とスピード、反射神経を持っている。実際甘寧に限っては、体の大小が戦には全く関係なかった。どれだけ体の大きな武将と戦っても、甘寧は互角以上に戦ってきたし、そうでなければ今頃こんな所にはいないはずだ。 だから、甘寧は自分の体が武人としての平均から少しだけ小さいなどと、意識したことはなかった。 なかった筈なのに、甘寧は呂蒙と出会ってから、「自分はこんな体になりたかったのだ」と思い知らされた。 呂蒙の高い背。広い肩。大きな手。盛り上がった胸……。 自分の体が今より少しでも大きければ、自分の人生は少しは違うものになったのかもしれない。そんなコンプレックスを持っていたことなんて、自分でも知らなかったのに。 そんな思いを巡らせていると、呂蒙が何を勘違いしたのか「恥ずかしい事なんてないよ」と声をかけてきた。 「だから、恥ずかしいんじゃねぇって言ってんだろ」 「じゃあ何で脱がないの?」 「脱ぐよ! うるせぇな!」 呂蒙が自分を見つめていることは分かっているが、それでも自分の視線に呂蒙が入らないようにそっぽを向いてから、甘寧は乱暴に下帯を外した。 「恥ずかしくないなら何で怒ってるの?」 「……お前無神経だぞ」 「うん、知ってる。ねぇ、月明かりの中に入ってよ。見たいんだ」 呂蒙の開き直った様子に、甘寧は小さく舌を打った。こんな部屋の中で真っ裸にされて、お互いに体を曝さないといけないだなんて。 目を伏せていても、呂蒙が自分を見つめているのが分かる。 舐めるような目。 「綺麗だね、阿寧」 「目ぇ腐ってるぞ。もう良いだろ?」 甘寧が袍を拾い上げようとすると、呂蒙が驚いたようにそれを止めた。 「何だよ」 「だってせっかく脱いだのに、何もしないで服着るの?」 「見たかっただけだろう?」 「したいに決まってるでしょ」 そのまま、甘寧の肩に長い腕が絡みついてくる。肌の感触がくすぐったい。今まで裸の胸と胸を合わせたことはあったけれど、一糸も纏わぬ姿で抱きしめられたのは生まれて初めてだった。 「…よせよ子明。くすぐってぇよ」 「ふふ……阿寧、すべすべだね」 脚の間に呂蒙が右脚を入れてくる。それだけでもうくすぐったくて、甘寧は身をよじった。 「止めろよバカ、くすぐったいって」 「阿寧の髪がくすぐったいんだよ」 「解かせたの誰だよ。や、よせったら」 呂蒙が動く度にくすぐったくて、逃れようと身をくねらすと、その動きが又むずむずとした感触を与える。 「阿寧、本当にくすぐったがりだよね」 「そんな乾いた手のひらで触るからくすぐったいんだろ」 「人のせいにして……。悪い子なんだから」 そっと胸に呂蒙の手が這う。 本当は、呂蒙の体はすぐに汗ばんでしっとりとする。いつも乾いているのは甘寧の方だ。さらさらとして、触るとするする滑る。この体が汗ばむのは、体を重ねて我を忘れている時と、剣を片手に暴れ回っている時だけだ。「実用的な体」というのも、あながち嘘ではない。 「なぁ、くすぐってぇから、服着ても良い?」 「駄目。これだと、どこでもすぐ囓れるもん」 「囓る?」 返事の代わりに、呂蒙が甘寧の肩胛骨の下側を囓った。その歯が背骨に向かい、背骨に沿って盛り上がる背筋を噛る。 「ん…、くすぐったいって……、はっ」 縺れるように、呂蒙は甘寧を抱きすくめたまま、床に体を倒した。経験の浅い呂蒙は、こんな時にそんな事も上手に出来なくて、甘寧は頭を床に叩きつけられた。鈍い音に呂蒙が謝ろうとしたが、こんな事で謝るぐらいなら、服を脱がすなんて意地悪にはもっと盛大に謝ってもらわなければ気が済まない。 そう言ってからかってやろうと目を上げると、自分の体の上に、裸の呂蒙が真剣な顔をして覆い被さっているのが目に入って、甘寧はほんの少しだけ脅えた。 怖い訳ではもちろんない。 単衣が一枚無いというだけで、呂蒙の体はひどく野性的な感じがした。なめらかな胸から引き締まった腹まで続く稜線の、その先の闇がりまで一気に見ることが出来る。呂蒙の男は、ひどく興奮していた。 何も身につけていないというだけで、それが目で確認できるというだけで、こうまで違うものだろうか。喰らい尽くされる。呂蒙の目には甘寧の体だけでなく、体の中まで曝されているに違いない。 恥ずかしいんじゃない。甘寧は、自分の全てを喰らい尽くされる恐ろしさを覚えていた。 「…嫌だ、子明。頼むから、今日はもう止めようぜ……」 自分の掠れた声が聞こえる。 胸が大きく上下する。その胸を、呂蒙がそっと手のひらで押さえた。「……怖いの?」 呂蒙の声も掠れている。これは、征服する者の興奮の証だ。 「……だって、こんな事、普通しないだろ……?」 「普通…?」 「あぁ…。こんな事、普通はしない」 「普通って、今までこんな事を、他の誰かにされたことがない、って意味だろう?」 甘寧はその言葉の違いに微かに眉をしかめたが、呂蒙の挑むような目の下にいると、ただ小さく頷くしかできなかった。 「阿寧」 「…何だよ…」 呂蒙の目。あれは、自分を喰らう目だ。 自分の全てを、見透かす目だ。 「阿寧。他の奴がどんなセックスしようが、俺達には関係ないだろう? 俺達は俺達だけのセックスをすればいい。俺は阿寧の綺麗な体も見たいし、恥ずかしがったり脅えたりしてる阿寧の可愛い姿も見たい。俺の中のどす黒い欲望を、阿寧にも知って欲しい」 「……んなこと言ったって……」 組み敷かれているだけなのに、心まで組み敷かれているような気がした。ましてや相手は呂蒙なのだ。甘寧には最初から分が悪い。 「怖いの、阿寧?」 怖い、なんて、そんな事を言えるはずがない。自分は甘興覇だ。こんな事よりひどい事を、いくらだって経験している。 頭ではそう思っても、呂蒙の目があんまり真剣で……あんまり欲情に燃えていたから、甘寧は気がつくとぎこちなく頷いていた。 「いい子だ、阿寧」 普段は情けないくらいに優しい呂蒙なのに。いつもへらへら愛想笑いばかりしている呂蒙なのに。こんな呂蒙が相手では、自分の調子が狂っても仕方がないじゃないか……。 呂蒙の唇が甘寧を安心させるように、そっと甘寧の唇を啄む。 どれだけ優しくキスされても、裸の感触が甘寧を脅えさせる。 呂蒙の前では、甘寧はセックスを知らない子供と同じだった。 混濁し始めた意識の中で、甘寧は無意識に何度も「恥ずかしいから、嫌だ…」と顔を覆った。そのたびに、呂蒙は顔を覆う腕を外し、甘寧の耳元で優しく、だがいつもより低く掠れた声で「阿寧に恥ずかしい所なんて、どこにもないよ」と言い続けた。 甘寧はその日、初めて呂蒙に抱かれた様な気がした……。 もう昼も近くなってから登城した甘寧を、刻限通りに働いていた呂蒙がすぐに見つけて近づいて来た。多忙を極めているはずなのに、呂蒙は本当にマメだ。 「こら興覇、こんな時間まで何してたんだよ」 「……寝てた……」 甘寧はまだ眠そうである。先に呂蒙が屋敷を出た後、また二度寝でもしたのだろう。 呂蒙は甘寧の悪びれた様子がない寝惚け面を睨みつけたが、馴れたもので甘寧には反省する色がない。 「ほら子明、お前忙しいんだから、とっとと行けよ」 軽口を叩く甘寧を、いつもならすぐに呆れたように叱りつける呂蒙の口が、今日は少し重かった。 「子明?」 呂蒙を見ると、まじめな顔で甘寧を見つめていた呂蒙と目があった。 「……何だよ……」 甘寧の喉がこくり、と小さく鳴る。 昨日の呂蒙の視線を思い出す。 甘寧の体の隅々まで絡め取り、心の中まで暴き出そうとしていた、あの視線だ……。 「……見るなよ……」 「なんで……?」 呂蒙の声が低く、微かに掠れている。 視線が甘寧の体に沿って、ゆっくりと舐めるように動いていく。 「やめろ。ここどこだと思ってる」 「見てるだけだよ」 呂蒙の視線に、心を裸にされていく……。 「子明、子明やめろ……」 「一人で寝てたの?」 「お前の家だぞ。他に誰と寝ろってんだ……」 「俺のこと思いながら寝てた?」 「よせよ……」 「ずっと、裸で?」 「子明!」 喘ぐように、甘寧が小刻みな息を吐いた。顔が朱らんでいる。 呂蒙はそっと辺りを窺い、誰もいないことを確かめると、甘寧の手首に浮き出た節を押さえるように、そっと握った。 「興覇、今日は忙しいから、興覇の所に行けそうもないんだ」 「……あぁ」 呂蒙の唇が耳に近づく。耳に、呂蒙の息がかかる。 「今日は、裸で寝てね」 「…何で…」 「裸で寝たら、俺としてるみたいでしょ? 俺も裸で寝るから。そうすれば、離れた場所にいても、きっと一緒に寝れるよ」 「……女じゃあるまい、何言ってるんだ……」 「冷たいな」 呂蒙の腕を振り払おうとしても、何だか体の力が抜けてしまったように、甘寧はただ立ちつくしているだけだった。 「必ず、何も着ないで寝てね。俺は阿寧のその姿を思い浮かべながら寝る」 「……ばかばかしい……」 ばかばかしいと言いながら、きっと甘寧がそうしてしまうことを、二人は知っていた。 呂蒙が小さく笑って、甘寧の手を離した。慌てたように甘寧はその手を胸元に引き寄せ、「俺、主公んとこ顔出してくる」と呂蒙に背を見せる。 まだ心臓は、大きな音を立てていた。 離れていても、呂蒙の視線を強く背中に感じる。その視線の中で、きっと自分は何も身につけていないのだろう。 甘寧は、湿り気を含んだ溜息をついた。 「興覇!」 呂蒙が呼ぶ声が聞こえる。甘寧は朱い顔のまま、怒ったように振り返った。 「約束だよ、興覇」 いつもより真剣な呂蒙の瞳。 息が上がる……。 甘寧は一瞬泣き出しそうに顔を歪め、それから返事もしないで大股でさっさとそこを後にした。 背中には、呂蒙の視線。 ……二人きりの、甘い視線……。 |
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