艨 衝


 
「文波、文波いるか」
 工廠の入り口を覗き込んで、二番組頭の承久が声をかけた。工廠の中では数人の男達が壊れた船を直していて、皆忙しそうに立ち働いている。その工人達の間から、一人の男が顔を出した。背はそれほど大きくないが、腕が丸太のように太い。目がぎょろぎょろと大きくて、その目は船のどんな傷も見逃さなかった。工廠頭の文波は、錦帆賊の造船と修理の全て引き受ける、熟練の船大工だ。組頭ではないが、錦帆賊の幹部としての地位を得ている。
「何だ?」
「頭がこれ造ってくれって」
 承久がひらひらと、図面の描かれた帛をかざした。
「何だこれ。艨衝船みたいに見えるんだけど?」
「艨衝船みたいに見えるんじゃなくて、艨衝船だよ」
 艨衝船は小型の軍艦だ。小さくて小回りの効く船の先に、先を尖らせた柱状の破砕機を取り付け、船に体当たりをして土手っ腹に穴を開ける。だが船に突っ込みすぎると離脱できなくなるので、そうなるとこれを操る水夫も激流に飛び込んで、自軍まで戻らなければならない。水に飛び込んだ水夫を回収する役目も必要となり、回収班と水夫、双方に熟練の腕を必要とされる。
「軍隊じゃないんだから、こんなの要らんだろ?」
「頭が要るって言ってんだから、造れよ。何のために工廠あんだよ」
「だいたい、こんなもん造ったって、操れる水夫がいないだろ」
「それはうちの組がやるから」
「マジでやんの?何襲うつもりなんだよ。あんたらも命張らないと扱えないぞ?」
「知らねぇよ。頭に訊いてくれ」
「……まぁ、頭が造れって言うなら造るけどさ」
 文波があぐらをかいて帛を睨みつけるように眺めていると、いきなり背中に重みが乗しかかってきた。
「!?」
「小型なの造ってくれ。軍隊と違うから、八人くらいで扱えるような奴。小回りが効いて、そうだな、最低でも五隻くらい欲しい」
「頭!?」
 背中の重みは甘寧だった。気配を消して近づいて、いきなり抱きついてきたらしい。
「頭、寿命縮むからやめてくれ」
 文波が背中の甘寧を引っぺがそうとしても、甘寧は気にせずに先を続けた。
「でも破壊力が減ると困るから、船自体に速さが出るようにして、破砕機の先に鉄を巻いてくれ。できる?」
「何狙うんすか」
「軍隊の輜重船」
 さらっと言ってのける甘寧に、文波と、それと承久も思わず背中を引いた。
「輜重船!?」
「頭、本気で言ってる!?」
「何?本気だよ?大丈夫大丈夫、官軍の輜重船なんて大したことないから。そこらの商人の船より軽いだろ」
「最近この辺の水域って、揚州水軍が出張ってるぞ?あそこは他の官軍と一緒にしちゃダメだって」
「いや、さすがにそこのは狙うつもりないけど。揚州水軍は民を苦しめないからさ。そうじゃなくて、今度劉表のとこになんか輜重が入るらしいよ?それ、頂いちゃわない?」
「荊州かよ!」
「でかいとこ狙わないとつまんないじゃん?」
「そんなに名前を高めてどうすんの?」
「名前はどうでも良いんだよ。あそこの奴ら、ご大層に儒教を掲げてるくせに、民の扱いひどいんだぜ。ちょっと泡喰わせたいんだよ。いきなり艨衝船突っ込ませたら奴ら慌てるぜ?」
「襲うなら普通に襲えば良いじゃん」
「それじゃ俺がつまんねぇんだよ。普通にやったら大体襲撃成功しちゃうじゃん?そういうのつまんないし、下の奴らもたるんでくるからさ。頼むよ文波。艨衝船造ってくれ」
 甘寧が後ろから、文波の頬にキスをする。それだけでは足りないと思ったのだろうか、背中に貼りついたまま、思わせぶりに服の袷に手を突っ込む。工廠にいる工人達が、みんな揃って甘寧と文波をガン見した。そりゃ注目もするだろう。頭がこのままここで工廠頭相手におっぱじめちゃったらどうしよう!!
「造ってくれたら、手付け金代わりに今晩考えるけど?」
「プラス、仕上がったら成功報酬つけてくれます?」
「つけるつける」
 甘寧はもう一度文波の頬っぺたにキスしてやると、文波は頷いて、「まぁ頭が言うなら造りますけどね」と、甘寧の引いた図面を見つめ直した。
「頭、少し図面直すぞ。スピードと身軽さと破壊力……。頭の言うこと一つの船で表現できるかよ。俺神様じゃねぇんだから」
「文波ならできるさ」
 もう一度頬にキスすると、甘寧はやっと文波の背中から離れて立ち上がった。横を見ると、不満そうな顔をしている承久がいる。
「何?承久?」
「実際、それに乗って突っ込むのは俺らなんスけど。俺にご褒美は?」
「じゃ、成功報酬で」
「手付けは!?」
「贅沢な奴だなぁ。じゃ、とりあえず艨衝船できるまで、お前の隊の訓練に付き合うか」
 甘寧は承久の胸をトンと叩くと、工廠から外に出た。慌てて承久が後を追う。
「頭自ら江に飛び込む気!?」
「飛び込むよ?自分でできないことは手下にやらせないぜ?」
「待て!ちょっと待って頭!」
「んだよ。江に飛び込むくらい」
「今、冬!!」
「戦に冬も夏もねぇよ」
 甘寧はどかどか詰め所に向かって歩いていく。甘寧の剣幕に、何ごとかとその辺にいた奴らが集まってきた。
「おい、二番組の奴ら集めろ」
「どしたんスか。後ろに承久いるのに?」
 副頭の利斉が小首を傾げて二人を見た。二番組頭がいるのに、何故頭領の甘寧が副頭の自分に二番組を集めろなどと言うのか。何のための組頭だ。
「こいつがぐだぐだ言うから、俺が二番組に特訓をしてやろうと思って」
「やりますよ、頭!」
「うるせぇよ」
 こちゃこちゃとうるさい承久を目で制し、利斉が甘寧に続きを促す。
「特訓?」
「艨衝使って今度劉表んとこの輜重船から荷物巻き上げてやろうと思って」
「うは〜。頭、またすごいこと考えるね。艨衝?うち、どこの軍隊?」
 利斉がわざと大袈裟に言うと、甘寧は鼻を鳴らした。
「良いじゃん、楽しそうだし。で、今文波に艨衝船造るように指示してきたから、今度はそれ扱う奴らのマニュアル作らないと。って事で、俺が試しにやってみようかと思って。とりあえず先登出して、何人か乗せて。で、露橈に突っ込ませて、反転と、離脱できなかった時の水に突っ込むタイミングをちょっと計っておこうかと」
「……先登じゃ小さくて、反転のタイミング掴めないだろ?でかくても露橈くらいでやった方が良くないか?」
「いや、普通の艨衝より大分小さいのって言ってあるから、多分試作は先登で作ってくると思う」
「あぁそうか……。でも的が露橈はまずいな。的が小さすぎて、マジで沈むぞ」
「良いよ沈んでも」
「もったいないこと言うな」
 先登は先陣切って突っ込んでいく為の小型船だ。よその船に飛び移るための梯子や投げ縄なども用意されている。たいてい甘寧はコイツの先頭に乗って動き回っている。露橈は先登の倍はでかく、錦帆賊の中では奪った荷を載せる為に使っている。
「じゃあ、水に突っ込むタイミングだけでも」
「……頭、泳ぎたいだけだろ?まだ冬だぞ」
「何か動いてないとつまんねぇんだよ」
「暇潰しかよ……」
 水に慣れている甘寧だから言えることだ。艨衝船だと?水に投げ出された兵達が、他の船に潰されたらどうする気か。大体、長江もこの辺は流れが速いのに。
「俺が一番はしこいんだから、俺がマニュアル作って、下の奴らを鍛えんのが一番良いと思うんだけど。で、馴れてきたら二番組だけじゃなくて、他の組にも仕込んでさ」
「あんた、それ暇つぶしの範疇超えてるぞ」
「揚州水軍は当たり前にやってるぜ?」
「……負けん気強いなぁ……」
 そんなまともな軍隊と張り合ってどうするつもりなのか。こちとらはただの水賊なのだ。水賊がそんなまともな戦をしたってしょうがないだろうが。
 だが、甘寧がやりたがっている以上はやらせないと後が面倒だ。それに確かに艨衝船を操れたら、官軍に追われるときにも有利だ。やっておいて損はないのかもしれない。
「はいはい。じゃあ的は柵か何かを水中に建てて、それでやってくれ。輜重船ならその位のサイズで丁度だろ。艨衝船はいつできんの?」
「それは文波次第。でも成功報酬つけるって言っといたから、多分早いと思う」
「じゃあマニュアル作りは艨衝船できてからで良いだろ。その間に柵建てといてやるから」
「多謝、利斉」
 甘寧は利斉に抱きついて、頬っぺたにキスをした。まったく、このくらいのことで言うことを聞いてしまうなんて、と、利斉は内心憮然とするのだが、実際このくらいのことで何でもやらせてやりたくなるのだからしょうがない。
「あんた、今日は何にもしないで、その辺で大人しくしててくれ。あんたが動くとみんなが迷惑する」
「ちぇ。じゃあ今日は久しぶりに、撃ち合いでもするかな。利斉、 虎青、付き合ってくれる?」
「はいはい、喜んで」
「二対一だぜ?」
「はいはい」
 利斉はわざとなおざりに棒を手に取った。
 頭は、最近倦んでいるのだ。錦帆賊という賊徒でいることに、もうやるかたない物を覚えているのかもしれない。艨衝船を使いこなしたいと言っているのも、まともな軍隊に憧れている顕れではないのか。それならそれで構わないが、しかし頭の気に入るような軍門を探し出すのは難しいだろう……。
「頭、何でも良いから、普通の仕事しようぜ?」
 普通の仕事というのは、要するにそこらの商船を襲って荷を奪うことだ。しかし、甘寧はもう普通の商船を襲う事には何の魅力も感じていなかった。
「何だよ。うるせぇな。つまんないことばっか言うと、ぶっ飛ばすぞ」
 甘寧は棒を持つと利斉と虎青を相手に散々暴れまくってた。二人とも錦帆賊の中でも一、二を争うほどの強さだが、甘寧にかかると形無しである。甘寧の「ぶっ飛ばすぞ」は言葉だけでは済まないのだ。
「二人がかりでこの程度か!」
「ちょ待っ!!頭!死ぬって!!」
「溜まってんのは分かるけど、少しは手加減してくれ!!」
「ほざいてるとマジ殺すぞ!!」
 傍目に窺っている下っ端達は、普段副頭と一番組頭の強さに参っている分、その二人を一人で軽くいなしている甘寧を見つめ、「あの頭をどうこうは絶対にできない……」と、諦めたように頭を振るのであった……。



 艨衝船の試作品はすぐにできた。普段使い慣れている先登を改良して艪を増やし、そこに破砕機を固定してみただけの物だったが、威力はばっちりで、甘寧は大喜びして文波に「ご褒美」を約束した。
「俺と一緒に一番乗りしたい奴募集〜」
 甘寧が嬉しげに声をかけたら、二番組以外の奴らも手を挙げて、承久が「二番組の仕事だよ!」とど突き回っている。この寒空の下、嬉々として江に入りたがるこいつらの神経が、利斉には信じられない。若さなのか?これが若さなのか?利斉ほどの年になると、できれば水になど浸かりたくないのだが……。
 しかし、さすがに江で水賊なんてことを生業にしている野郎共なので、艨衝の扱いは初めてとは思えないほど巧かった。ざんざんと江に飛び込む甘寧が楽しそうで、すぐに他の奴らも「俺も乗りたい!」「俺も乗せてくれ!」と叫び、我先に艨衝に飛び乗った。試し乗りは結局希望者多数につき丸一日行われたが、承久の采配もあって、すぐに水夫と回収班の分担もできあがり、いつでも実践に使えそうな程の仕上がりを見せた。これも、普段から江に馴染み、江を知り尽くした錦帆賊だからこそだろう。
「あ〜。楽しかった〜!」
 甘寧は真冬の長江から上がると、白い息を吐きながら嬉しそうに笑った。濡れた肌から、湯気が立ち上ぼっている。
「頭、風邪引くなよ?」
「ん、大丈夫」
 渡された布で水を拭くと、甘寧はまだ艨衝船に乗りたそうにしていたが「あんた本番では先登で突っ込むだけだろ」と、利斉が無理矢理引っぺがした。
「どうだ、承久。やれそう?」
「思ったよりはいけそうです。で、頭。うちへのご褒美はいつ?」
「それは成功報酬なんだから、輜重船が無事襲えたらの話だな」
「なんだよ!!文波ばっかりずりいな!あいつは船さえ出来ればご褒美貰えんのによっ」
「なんだ、その成功報酬って」
 利斉が承久に尋ねると、承久は自慢げに答えた。
「艨衝に乗るのも初めてだから、巧くできたらご褒美がもらえることになってんだよ」
「……んだとぉ?」
「や、こればっかりは副頭でも邪魔させないんで」
 二人が火花を散らしているところに、呑気そうな顔で文波が現れた。
「じゃあ頭、このサイズのままで良いっスか?」
「ん〜。どうするか……。もう少しでかい方がやっぱり破壊力あるしなぁ」
「まぁ、元は先登ですからね。軍が使ってるのはこれより大分でかいっスよ」
「あそこまででかくなくて良いんだよ。でもやっぱもうちょっと……艪を二つ増やしてくれる?」
「左右に?」
「いや、左右に一つずつで良いや」
「了解です」
 頷いた文波が、甘寧の腰に手を回した。
「で、成功報酬は、改良が済んでから?」
「完成品を五隻仕上げたらな」
「寝ないでフル稼働で仕上げます」
 神妙に頷く文波に、利斉の額に我知らず血管が浮く。
「おい!」
「あれ?副頭、居たんスか?」
「居たんスかじゃねぇよ。頭も、すぐそうやってご褒美あげるの止めてくれる?」
「なに?利斉、もう俺のご褒美要らないの?」
「そうじゃなくて!あんたが気前よく褒美をあげると、貰えない奴らが後で大変なんだよ!」
「それはちゃんとご褒美がもらえるような仕事をしてくれないと」
 甘寧が案外マジメにそう言うと、脇で文波がニヤニヤ笑う。
「副頭は、自分がご褒美もらえてないのが不満なんでしょ?」
「うるせぇよ!」
 文波の台詞に、甘寧がなるほど、と頷いた。
「あ〜。確かに利斉とはちょっとご無沙汰してるかも?」
「副頭はいつもおいしい思いしてるから、その位で丁度ですよ」
「うるせぇっつってんだよ!」
 甘寧は笑って利斉の頭を叩こうとしたが、利斉は頭一つ以上甘寧よりでかいので、それは大分不格好な物になった。
「まぁそんなに怒るなよ。じゃあ下の奴らにもご褒美で、今艨衝船乗った奴らみんなで、いくつか妓楼借り切って来いよ。金は俺につけとけ」
 甘寧がそう言うと、今まで羨ましそうに眺めていた野郎共が、地鳴りのような歓声を上げた。
「さすが頭、太っ腹!」
「そうこなくっちゃ!」
 久しぶりに女を抱いて憂さ晴らしができると、男達は大喜びで我先にと街に出かけていった。これもまた、若さか。
 アジトの中はずいぶん味気なくなった。人が減ると、それだけで何となく寂しい。甘寧はまだ濡れている髪をほどきながら、脇に貼り付いている利斉を見上げた。
「……なに?利斉行かないの?」
「俺は艨衝に乗ってませんから」
「じゃ、俺で我慢しとく?」
「だから、そんなに自分を安く振る舞うなって」
 そう言いながら、利斉は甘寧の気が変わらないうちに、腰を抱いて引き寄せた。



 その半月後。噂通りに、劉表の元へ江稜から輜重船がやってきた。どうやら劉表が江稜に色々と貯め込んでいるというのは本当らしい。あっちへやったりこっちへやったり、忙しいことだ。どうせ民からむしり取った物だ、何の遠慮も要らないだろう。甘寧は造ったばかりの艨衝船を駆って、輜重船を徹底的に略奪した。まさかこんな襲われ方をするとは思ってもいなかった守兵達は、輜重もそこそこに逃げまどい、その無様な様子は余計に甘寧を怒らせ、逆に彼らの命を縮めることとなった。
「やっぱりお役所仕事の輜重船は大したことねぇな」
 荊州兵の血を頭から被った甘寧が、荊州軍のふがいなさに憤慨している。
「まぁまぁ、大入りだったんだから良いじゃないっすか」
 承久が甘寧の肩を揉みながら機嫌を取る。ここで機嫌を損ねたら、せっかくのご褒美がフイになってしまう。
「軍船が襲われないって考えがまずおかしいだろ」
「分かりましたから、ほら、まず血糊を落としてから獲物の分配しましょ?」
 獲物の分配は頭の領分である。戦功のあった者、家族のいる者、戦には出なかったが後方支援をした者、全く戦に関わらなかった者、その全てにバランス良く配し、全員が納得するように分配するのが重要な頭領の技能なのだ。これがヘタクソだと、その組織は不満が募ってそのうち瓦解する。錦帆賊ではここに貧民や農村に分け与える分が含まれるが、甘寧の分配はいつもぴたりとはまった。
 が、今回は艨衝の指揮を執った承久の分が思ったより少なかった。
「何で!?何か俺、少なくない!?」
「え?お前、成功報酬は別に貰うんだろ?こんなもんで良いんじゃん?」
 ニヤニヤと幹部連中が笑っている。
「え!?まじ!?だって文波こないだご褒美貰ったのに、今日だって結構貰ってたじゃん!!」
「そんだけ頭がサービスしてくれんじゃん?羨ましいなぁ、承久!」
「えぇ!?それはありがたいけど……」
「どっち選ぶ?」
「ど、どっちって……」
「どっちだよ」
「えぇえぇぇ!?」
 涙目になって真剣に悩んでいる承久に、甘寧が笑って肩を抱き寄せた。
「嘘だよバ〜カ!何真剣に悩んでんだよ!」
「え?嘘?どっちが嘘?サービスは!?」
「なんだよ、サービスの方が良いのかよ」
「……いや、金は別に使い道もないし、サービスの方が良いかなって……。だって頭、こんな気前よくさせてくれんのすごい久しぶりだもん!!」
 その台詞に一瞬みんなの時間が止まった。
 ……その気持ちはちょっと分かる……。
 いや、でも!
「バカかお前は!ここできちんと取り分貰っとかないと、下の奴らに示しつかねぇぞ!」
「お前なんで賊やってんだ!」
「頭、こんなバカにはご褒美いらねぇんじゃね?」
「お前ら、俺に頭からのサービスを受けさせたくないだけだな!?」
 半ば本気で言っているらしい承久に、甘寧が苦笑する。
「そんなにサービスが良いのかよ。安上がりな奴だなぁ。取りあえず、俺の取り分から一万銭追加な。そんで、サービスはどうするよ」
「いや、サービスは是非!」
「も、しょーがねぇなぁ」
 甘寧が笑いながら承久をその場に押し倒すと、一同は目を丸くして二人を凝視した。
「え、頭、ここで……?」
「何?嫌?」
「いやえっと……か、頭が良いならゴチになります……」
 甘寧が本気なのか冗談なのか全然読めない。本気だとしても全くおかしくないのだが、その場合、周りで見せつけられる奴らは手を出して良いのかどうかも判断に悩む。こういう時、憎まれ役を買うのは副頭の仕事だ。
「おら冗談はその位にして、やるならとっとと部屋に戻れ、このクソガキ共がぁ!!」
 利斉は甘寧の襟首を掴んで持ち上げてから、承久の尻を蹴飛ばした。
「いてっ!何すんだよ副頭!」
「こんな所でおっぱじめられたら、頭は全員の相手することになるぞ!ほら、頭もいつまでもバカばっかやるな!周りの奴ら前がつっぱらかって動けねぇだろうが!!」
「分かったから降ろせよ」
 今だ宙に浮いている甘寧が利斉に訴えても、利斉は降ろしてやる気配がない。
「ったく、何で俺が承久なんかと頭がやるのを手伝って、部屋に届けてやんねぇといけないんだよ」
 ブツブツ言いながら、利斉は甘寧を部屋に放り込んだ。慌てて承久が後を追う。
「ったく。頭、このモヤモヤは後できっちり払って貰うからな」
「溜まってんなら妓楼にでも行けよ」
「うるせぇよ」
 げんなりして戻ってくると、まだ衆議場では幹部連中がクサっていた。みんな、今頃承久が何して貰ってるのかを、悶々と想像しているらしい。
「……すげぇサービスって、何してくれんのかな、頭……」
「頭がすげぇサービスなんかしてくれたら、きっと死んじまうよ、全部吸い出されてさ」
「死ね死ね。承久の野郎、クソ羨ましいな……」
「大体艨衝船なんか、そんな難しそうにも見えなかったぜ。俺んとこでもできたっつーの」
 二番組は水の中の作業を得意とする奴が集まっているから、今回の任務が回ってくるのは妥当な線だと言えるが、船の扱いに関しては皆それぞれに自負を持っているだけに、あの程度の仕事で特別サービスとはどうしても納得できないようだ。しかしいつまでもむさ苦しい面を寄せ合って悶々とされると、見てるこっちが鬱陶しい。
「おいお前ら、そんなに溜まってんなら、金出してやるから妓楼にでも行ってこい」
 利斉が今し方甘寧に言われた台詞を告げると、みんなが一様に顔を上げた。
「マジ?」
「副頭の奢りで?」
「じゃあゴチになります!」
「さっさと行け。ったく、お前らと一緒にいると、こっちの胸が悪くならぁ」
 とっとと野郎共を追い出すと、一番組頭の虎青だけが腰を上げる気配もなく、そっぽを向いて座っているのに気付いた。
「何だよ、遠慮しないで行ってこいよ」
「いや、俺はいいや。承久相手だったら頭も満足できないだろうから、後でお声がかかるかもしんないし。つまみで腹一杯にしてたら、肝心のご馳走にありつけなくなる」
「意外とさっさと寝ちまうかもしんねぇぞ。あの人、子供だから」
「まぁそん時はそん時で。利斉こそ行かないの?」
「俺はもうそんながっつく年でもねぇよ。もったいないから、頭とする時のために精力温存してんだよ」
「ははは。ま、実際、今更女相手に勃たねぇや、俺」
 街を歩くと女が列を作って付いてくるほどの美貌を持ちながらこの言い種。虎青はまだ利斉が頭だった頃から、いち早く甘寧の存在を見抜いて、敵方ながら甘寧狙いで戦を仕掛け、まんまと舎弟になった男だ。執着の程も半端ではない。
「もったいねぇな。お前なら逆に貢いでも良いって言ってる妓娼、山ほど知ってるぞ」
「副頭に譲るよ」
「だから、俺はもうそんな年じゃねぇよ」
 何となく、二人で黙り込んだ。甘寧の部屋の様子が気になるのだ。甘寧が派手によがったりしないのは知っているが、それでも嬌声の一つも上がらないかとつい聞き耳を立ててしまう。
「……艨衝、意外と巧いこと働いたな」
 二人で黙っていても何となく寒いので、利斉が辺り障りのない話を向ける。
「いや、あれ船が沈むのと荷を奪うのの競争だから、そんなに旨味はねぇだろ」
「頭は、もう足を洗いたいんだろう。艨衝の訓練はさせておけ。軍に高く売れる」
「……なるほどね」
 普段甘寧の参謀役を買っている頭脳派の虎青だが、甘寧の心の機微までは利斉に及ばない。今更ながらに、甘寧と利斉の関係の深さを思い、虎青は珍しく溜息を吐いた。
「……妬けるねぇ……」
 虎青の台詞を利斉は違う風に取ったらしい。
「あぁ。ったく、承久の野郎、後で覚えてやがれ」
 案外真面目に返してきた利斉に、虎青は苦笑した。



 その日の夜、結局甘寧は虎青の言うとおり、承久では満足できなかったらしい。二人が残っているのを見つけて、「あ、ちょっとお前達、付き合う?」と声をかけてきた。
「どっちと!?」
「いや、どっちでも良いけど」
「どっち!?俺だよね、頭!?俺巧いよ!?」
「頭ももう一通り運動したんだから、俺くらいのにしとけって」
 テクニシャンの虎青と癒し系の利斉。どちらが良いのか悩んでいたが、二人ともあんまり熱心に勧めてくるから、結局甘寧は二人と一緒に寝室に行くことにした。
「……なんか俺達、思いっきり頭に踊らされてるよな……」
「良いんじゃねぇの?俺達らしくて」
 二人がこっそりぼやいているのも知らず、甘寧は満足そうに眠りについた。
 夢の中でも艨衝に乗っているらしく、甘寧は嬉しそうに寝言を言っている。この顔を見るためだったらどんな扱いを受けても構わないなと、つい思ってしまう、利斉と虎青だった。



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