優しいキス |
ゆっくりと、キスが降ってくる。 そっと唇を開いて、柔らかな舌が入ってくる。 まるでそれが宝石ででもあるかのように、舌が、ゆっくりと歯をかすめていく。 じれったいほどゆっくりと、舌が舌に絡みつき、緩く吸い上げていく。 もっと酷くしてくれればいいのに。 息もできないくらい、何も考えられなくなるくらい、酷くしてくれればいいのに。 甘寧は少しだけ目を開けてみる。目の前にいるのが呂蒙だということに安心して、その姿が幻になってしまわないよう、急いでまた目を閉じる。 呂蒙のキスはいつも優しい。キスだけじゃない。唇を合わせながら髪を撫でてくれる手も、囁くように名前を呼ぶ声も、体重をかけないようにとずらして合わされる胸も。 全てが優しすぎて、甘寧はどうして良いのか分からなくなる。 もっと酷くしてくれればいいのに。 こんなに優しくしてもらえるほど、俺は子明に優しくしたことなんかないのに。 顔が火照っているのが分かる。こんなに優しいキスなのに、どうして興奮してしまうんだろう。 呂蒙の背中をきつく抱きしめて、自分から腰を押しつける。 呂蒙はこんなに優しいのに、どうして自分はこんなに浅ましいんだろう。 「しめぃ……」 呼吸が浅くなっている。声が弾んで、自分でも嫌になるくらいいやらしい声が出る。 呂蒙はこんなに優しいのに。 俺のことを、何よりも大切に扱ってくれるのに。 「阿寧? 阿寧、気持ち良い?」 耳に舌を這わせながら呂蒙が囁く。 呂蒙に「阿寧」と呼ばれるのが好きだなんて、一度も言ったことはないけれど。 もっと「阿寧」と呼んでもらいたい。 誰も呼ばないその呼び方で、もっと自分を呼んでもらいたい。 胸元に手のひらが押し当てられる。呂蒙の手は乾いてサラサラとしている。 「……いい?」 何を訊かれたのか分からなくて、それでも呂蒙にされることなら何でも良いと思って、必死に頷いてみせる。じれったいほどゆっくりと上着の袷を広げられ、手のひらが潜り込んでくる。 唇が、頬に触れる。 「阿寧?」 呂蒙と一緒にいると、自分はこうして呂蒙に愛される資格のある人間のように思えてきて、そんなことを考えてしまう自分があんまりにも恥ずかしくて、呂蒙の目が見られなくなる。もしも目があってしまったら、きっと呂蒙には自分が何を考えているのか分かってしまうに違いない。 こんな時、自分の細い目がありがたい。視線を鎖骨のくぼみに合わせていても、きっと呂蒙には分からない。 「阿寧? どうしたの? いや?」 呂蒙が心配そうに甘寧を見つめる。うろたえて、甘寧は視線を泳がせる。だが、呂蒙の指が甘寧の顎をとらえ、甘寧の視線を奪ってしまう。 「阿寧? なに?」 無理矢理に押さえつけられるのなら、甘寧はどんなことでも上手にやることが出来た。どんな姿勢も受け入れることが出来るし、何人の相手でもしてやることが出来る。 でも、こんな風に優しくされると、本当にどうして良いのか分からない。見られているその視線すら恥ずかしくて、甘寧はきつく目をつぶった。 まるで、そうすれば呂蒙の視線から逃れられるとでも言うように。 「阿寧、どうしたの? 少し休む?」 甘寧は急いで首を振る。こんな時に休まれては堪らない。きっと呂蒙は自分を胸の中に抱きすくめ、優しく撫でてくれたりするはずだ。そんなことは恥ずかしくて、消えてしまいたくなる。 本当はそうされたいのに。 誰よりもそうされたいのに。 「……いい、続き、しろよ……」 顔を覆ってしまいたいのに、呂蒙はそうさせてはくれない。 きっと顔を覆っても、その手をはがすような真似はしないと分かっている。でも呂蒙は驚いて呂蒙自身を責めてしまうだろう。 呂蒙はいつだって自分を責めている。甘寧が他の男の所へ行くのも、こうしてベットの中で恥ずかしがるのも、全部自分に落ち度があるから甘寧がそうするのだと信じている。 そんな訳ないのに。 全部俺が悪いのに。 呂蒙が優しく甘寧の額に口づける。腰の後ろに両手を回し、しっかりと甘寧を抱きしめる。 まだ着物すら脱がされていないのに。 「いいって、子明。続き、しよう?」 「うん、でも興覇、何だか困ってるみたいだから」 「……こんな所でやめられた方が、もっと困る……。なぁ、続き、しよう?」 呂蒙が優しい手で甘寧の頭を撫でる。ほどけかけた髪を撫でつけ、額に落ちた髪を払う。手のひら全体で頬を包み込み、ゆっくりとその手を首に這わせる。 それは情事で使う愛撫ではなく、甘寧を落ち着かせるためのものだ。 胸が痛む。 「なぁ、早く……」 額にも耳にも頬にも顎にも、呂蒙がキスをしていないところを探す方が難しいくらい、丹念に丹念にキスをされる。指先が疼くような気がして、その疼きを鎮めようと力を込めて呂蒙の襟元を握ると、指先にまでキスをされた。 こんなに優しいキスなのに、どうして胸が痛むのだろう。 呂蒙に優しくされるのが好きなのに、呂蒙の優しさが嬉しいのに、優しくされると堪らなく不安になるのは何故だろう。 優しい呂蒙。大好きな呂蒙。 いつまで子明は俺に優しくしてくれるんだろう。 「阿寧、何考えてるの?」 「え?」 心配そうに呂蒙が甘寧をのぞき込む。 優しい呂蒙。 甘寧は慌てて頭を振り、呂蒙の首筋に顔を埋めた。 「早く、続きしねぇかなと思って」 「興覇、したくないときはそう言ってもいいんだよ?」 「早くしたいって言ってんだろ……?」 ほら、と腰の昂ぶりを押しつける。その半ば勃ち上がった物を柔らかく包みながら、それでも呂蒙は心配そうに甘寧を見つめた。 「でも興覇、何だか今日は本当に変だよ?」 「いつもこんなだろ……」 「違うよ」 こんな時だけきっぱりと、呂蒙が否定する。 甘寧の事なら、例え甘寧が気づいていないことでも自分には分かるのだ、と、言わんばかりに。 そうなのだろうか。呂蒙があんまりはっきりと決めつけるので、甘寧は急に自信を失った。自分はいつもと違うのか? もしも違うというのなら、それは呂蒙が優しすぎるせいだ。 怖くなって甘寧は呂蒙にもう一度しがみついた。 「今すぐしよう、子明。早くしないと、泣く」 「阿寧」 笑いながら呂蒙が甘寧を抱きしめる。 「そうだね、泣かれたら困るな」 優しいキスが降ってくる。 首筋に、胸に、ひじの内側の、柔らかなくぼみに。 甘く苦しげな呼吸が耳に障る。なんていやな息づかいだろう。 「阿寧、また何か変なこと考えてないか?」 「……変なこと、して、んだから……、変なこと考えてて…ん、おかしくな……だろ……」 胸が痛い。掻きむしって鎮めてやりたいが、呂蒙がいるので憚られる。 「阿寧、大丈夫だから。大丈夫、俺がずっとここにいるから。阿寧は何にも考えなくていいんだよ。ね? 大丈夫だから。阿寧?」 体中を呂蒙でいっぱいにしながら、優しい言葉を何度も何度も心の中でくり返す。 大丈夫。子明がずっといてくれる。俺は何も考えなくて良い。子明がいる。大丈夫。子明がいる。 呂蒙の唇が右の目の端に触れた。今度は左に。 唇に触れてくれればいいのに。 呂蒙の動きに合わせながら、甘寧はただ心の中で呂蒙の言葉をくり返していた。 大丈夫。子明がずっといてくれる。俺は何も考えなくて良い。子明がいる。子明がいる。子明いる。 他のことなんて、何も考えたくない。 「いいんだよ、我慢しなくて。哀しいことがあったら、泣いてもいいんだよ? ここには俺達しかいないんだから。ね?」 甘寧はぼんやりと呂蒙を見た。 泣いても良い? どうしてそんなこと……? ゆっくり首を振る。 「きもち、いい……な」 「そう?」 「ああ……、もっと、もっといっぱいにしてくれ……」 甘い声で笑いながら、呂蒙が甘寧の目をまた舐める。 呂蒙がどこかに行ってしまわないように、甘寧はその首にしがみついた。 体が不自然に折れ曲がって、呼吸が苦しい。でもその分だけ、体の中も頭の中も、肺の中まで呂蒙でいっぱいになっているようで、甘寧はうっとりと目を閉じた。 けだるい甘さに体を浸していると口元に何かが触れた。 目を開けると、呂蒙が剥いた葡萄を甘寧の口に運んでいた。 「……子明……?」 「喉、乾かない? 美味しいよ」 口の中に葡萄が滑り込んでくる。甘くて、まだ少し酸っぱい。 「どう?」 「ああ……、旨い」 嬉しそうに葡萄を剥く呂蒙を、甘寧は少し熱を持って腫れてしまった目で見つめた。 「今日、嫌だった?」 「さっきもそう言ってたな……。俺、そんなに嫌そうだった?」 「ううん。ただ、泣いてたからさ」 「そうだったか? 最中って何考えてるのかよく分からねぇな……」 「覚えてないの?」 「お前は覚えてんの?」 「うん。興覇は可愛いなぁ、とか、どうしたら興覇が歓ぶかなぁ、とか、そんなことしか考えてないけど」 また葡萄を一粒。 「お前らしい……」 仰向けになって、呂蒙の腹に頭を乗せる。その口にまた一粒。 甘い汁が唇を伝い、顎を濡らす。その汁を呂蒙がぺろりとなめ取った。 「……優しすぎるのも、考えもんだと思うけどな」 「そう? 嫌?」 「嫌じゃねぇけど……。お前は俺を甘やかしすぎ」 「甘やかしたいんだもん」 また一粒。ベットの上でこんな風に物を食べるのが、癖にでもなったらどうする気だろう。 「そしたらいくらでも俺が剥いてやるって」 「だから、それが甘やかしすぎだっつうの……」 呂蒙が笑いながら葡萄を寄越す。顔をしかめて見せたら、葡萄の代わりにキスが降ってきた。 優しいキスが降ってくる。 ゆっくりと、ゆっくりと、優しいキスが降ってくる。 いつまでも、この唇に、優しいキスが降ってくる。 かなしいくらい、優しいキスが。 |
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