乾いた大地 |
「仲華、暑くてかったるい……」 馬超がもたれかかってくる。二人で凭れ合っていては余計暑いではないかと思いながら、それでも馬岱は馬超の体を背で受け止めた。いつもは飄々として、それでいて隙のない従兄だが、時々こんな風に妙に幼く振る舞う時があった。 「何です従兄上、いつもは俺がべたべたすると怒るくせに」 「いいだろ、たまには。誰だよ最初に蜀に住み始めた人間って。人間の住むとこじゃねぇよ。毎日曇ってるし、夏は暑いし、喰うもんは辛いし、豚や鳥ばっかり喰ってあんまり羊喰わないし」 「夏が暑いのは、西涼も同じでしょ」 「違う」 妙にきっぱりと馬超は言い切った。西涼という言葉に、馬超の目の色は変わっていた。はっとして見ると、従兄はひどく真剣な目をしていた。 そう。西涼とここは、全く違う。 西涼は熱いのだ。 乾いた熱風が吹きつける、あの荒涼とした大地。 澄み切った空。 どこまでも続く砂漠に、時折羊を追う男達の声が響く。 ――― そう、あの大地は、この従兄とあまりにも似ていた――― 馬岱は従兄になんと応えて良いのか分からなくて、少しだけ口ごもった。口ごもってから気づいた。従兄が欲しいのは互いを慰め合うような言葉ではないのだと。 そう、そんな湿ったものは、この従兄の中には存在しない。従兄は熱く、乾いて、澄み切っている。切ない程に。 「従兄上、そんなに暑いとおっしゃるのなら、俺がその熱を奪ってさし上げましょう」 反論の間を与えずに、馬岱は馬超の唇を奪った。馬超は目を見開いたが、抵抗はしなかった。 静かだった。 こめかみも、首筋も、胸も腕も内股も、汗に濡れてひどくからかった。 時折堪えきれずに呻き声が上がったが、それが馬超の声なのか自分の声なのか、馬岱には分からなかった。 いつも女を抱いている従兄の手に口を付ける。女の髪を梳く長い指をしゃぶり上げる。 馬超のそばには、いつも女がいた。一人で寝るのが嫌いなのだと言っていた。いつも違う女。新しい臥牀と同じ事だ。女達も、従兄に臥牀以上のものを求めはしなかった。 従兄は、乾いている。 従兄の中には、乾いた熱い風が逆巻き、細く高い音を立てている。 いつか初めて従兄を抱いた時も、従兄は驚きはしたが、抗いはしなかった。そして何も言わずに、従兄は自分に応えた。何も言わず、必死にしがみついてくる従兄が愛おしかった。従兄が黙って涙を流すことが、堪らなく嬉しかった。 父を、家族を、一族を亡くし、曹操を生涯の仇と定め、そして曹操の元に父を行かせてしまった自分を許せずにいる従兄は、あの日から自らの涙を禁じてしまった。 その従兄が、自分の腕の中では泣いている―――そう思うと、馬岱はそれでけでもう何もいらないと思った。 「従兄上、まだ暑いとおっしゃいますか?」 「……暑いと言おうものならお前を取って喰うって、顔に書いてあるぞ……」 「えぇ、もちろん、まだ足りないようならいくらでも?」 「……最低……」 「何かおっしゃいましたか、従兄上?」 「……いや、なんでもない」 床の上で馬岱が剥いだ服にくるまりながら、馬超は大きく伸びをした。目が、まだ少し赤い。 「どうでも良いけど、今度する時はせめて臥牀に運んでくれ」 「すいませんね、従兄上と違って余裕がなくて」 拗ねたように床に伸びている馬超を、馬岱は軽々と抱き上げて臥牀へ運んだ。馬超は敷布に頬を押しつけながら、汗が気持ち悪いと呻いている。 「なぁ仲華、昔はさ、汗なんてめったにかかなかったよな」 「あぁ、何もしないのに汗をかくというのには驚きましたね。なんでも西涼は乾燥しているので、汗をかいてもかいたわきから乾いていくんで、気づかないらしいですよ」 馬超はその説明に、いやそうに眉をしかめた。 「じゃあ気づかなくてもかいてたのか」 「そのようです」 「ふぅん…」 手の甲で、馬超が頬の汗をぬぐった。そのままその手は首を伝っていく。骨張って、筋の浮き出た手の甲。少し伏せた目元。しなやかに伸びた首筋。 でも俺は、汗に濡れたあなたが嫌いじゃない――― 口に出しては言えないけれど。汗に濡れた従兄は、いつもよりもずっと艶めいて見えるのだ。 「何だ、仲華」 不躾な視線に気づいて、従兄が怪訝そうな顔をする。どう誤魔化したものか考えて、馬岱は少しだけ目を泳がせた。 「いえ、まだ暑そうだなと思って」 その台詞は狙い通りに命中したようで、馬超はすぐに顔をしかめて馬岱を追い払うように手を振った。 「ったく、このケダモノ! さっさと出てけ!」 「はいはい、じゃあ従兄上、ちゃんと上掛けをかけて眠って下さいね」 「子供じゃねぇぞ!」 馬岱は小さく笑って扉に手をかけた。 「お休みなさい、従兄上」 「……お休み」 それでも挨拶を返す従兄が可愛くて、馬岱はもう一度微笑んでから扉を閉めた。 乾いた砂漠に降る一滴の雨。 自分が従兄にとってそんな存在であったらと、そう願いながら。 |
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