干 し 柿 |
最近の甘寧はちょっぴり機嫌が良いような気がする。別にどこがどう機嫌が良いのかと言われると少し困るのだが、何となく、何かしら機嫌が良いような気がするのだ。 「ねぇ興覇、最近何か良いことでもあった?」 「いや」 自分が訊くと絶対答えてくれない甘寧に、呂蒙は少し拗ねてみせた。しかし自分が拗ねようが泣こうがわめこうが、つれないときの甘寧は絶対につれないので、多分教えてはもらえないだろう。 「ねぇ、だって興覇最近絶対機嫌良いよ?」 「何でもねぇったら」 そう言って呂蒙の鼻を指でつついてブタっぱなにするところなんかが、どう考えても上機嫌だ。 「なぁ、教えろよ」 「あぁもう、本当に何でもねぇったら」 意地悪そうに笑うなり、甘寧は呂蒙にキスをした。 「で、お前の機嫌の素は、公績か?」 張昭が鼻の先で返事を促す。それには答えずに、甘寧が何でそう思う?と眉を上げてみせた。 「お前が子明に理由を教えないということは、公績関係だろう」 張昭は机の上に並んでいる渋柿の皮を剥きながら、きっぱりと断言する。甘寧も腰の短剣で器用に皮を剥きながら、返事をしたものかどうか少し考えているようだった。 「俺そんなに機嫌良い?」 「あぁ」 「……へぇ」 机の上には柿が二十個以上並んでいる。張昭の家で採れたらしいのだが、何でそんな物をわざわざ仕事場で剥いているのか。どうも「東呉に二張あり」とか言われている割に、この男の行動も謎である。 「いや別に、大したことじゃないんだけどさ」 「剥き終わったらそこの酒の入った樽に漬けておいてくれ」 「あいよ」 柿をどぼどぼと樽に入れながら、甘寧は横目で張昭を盗み見た。てきぱきと柿を剥きながら、それでも張昭は甘寧と目が合うなり顎で続きを促す。 「いや、サルがさ、最近どうも女を覚えたみたいで」 「ほう。あの歳でまだだったのか」 「あぁ…。もう一時はどうなることかと思った……」 甘寧は心底喜んでいるように、笑顔で溜息を吐いた。 「あいつも奥手っつーかガキっつーか、女にもてる割には興味がなかったみたいでさ。あの歳まで童貞なんだぜ? 跡取り作らねーといけないっつうのにどうする気かと思って冷や冷やしてたんだ、俺」 樽に沈んだ柿を指先でつつきながら喜んでいる甘寧に、張昭は冷たく「そりゃ勿論興味なんか無いだろう。奴の興味はお前にしか向いてなかったんだから」と返事をする。 「やな事言うな、ジジィはったくよー」 「本当のことだ。お前も分かっているから冷や冷やしてたんだろう?」 まぁな、と肩をすくめると、甘寧は酒の付いた指を上着の裾で拭った。 「そっちの柿、剥けたか?」 「後一つだ」 「じゃあもうこっちの柿、樽から出して拭いちまっても良い?」 「もう少し漬けておけ」 「ちぇっ」 手持ちぶさたになった甘寧が柿の皮を集めだす。どうやら甘寧は家の手伝いをよくする子供だったようだ。そのらしくない様子に張昭は口元を緩めた。 「で、どうしてそんな事が分かったんだ?」 「あぁ、あいつのセックスが変わったからさ」 「ほぉ?」 「まさか女とやるときもあんな調子でガシガシしてたらどうしようかと思ってたんだけど、こないだっから妙に丁寧なセックスするようになってさ」 「いいのか」 「どっちの意味? 丁寧っつっても相変わらずヘタだぜ?」 「そっちじゃない。そんな関係になっていいのか」 最後の柿の皮を剥きながら、張昭が甘寧を鋭い目つきで見つめた。 そう、勿論甘寧と凌統の間にある物は、「憎しみ」でなければならないのだ。 「ふ…」 思わず甘寧の口から笑みが漏れた。 「何だ?」 「あいつが怒鳴りながらセックスするのは相変わらずだぜ」 「……そうか」 どんなことをあの子供が言うのか少し好奇心ももたげたが、それを聞くのはあまりにも下衆というものだと、張昭は口を閉ざした。 甘寧は凌統とするとき、怒鳴られたり罵られたりしている方が落ち着くようだ。それは甘寧の困った性癖の為ではなく、その方が「凌統が自分を好きだと気づいていない」と信じられる為だろう。 「まぁこれであいつが俺離れしてくれりゃ万々歳だな」 「そういつはどうだかな」 「やなこと言うジジィだな、本当」 「ふん」 張昭が最後の柿を剥き終えると、待ってましたとばかりに甘寧はその柿を樽に突っ込んだ。 「興覇! 最近どうしたの?」 「別に」 「別にって興覇、最近メッチャ機嫌悪いじゃん!」 「うるせーなー、こっち来んな!」 呂蒙がハラハラと甘寧を見る。全く、甘寧の気まぐれには振り回されっぱなしだ。この間までの上機嫌はどこに行っちゃったんだ!? 「ね、何があったの?」 「ねぇっつってんだろ!」 「じゃあ何でそんなに機嫌悪いの!?」 「テメェがそうやって何があった何があったってうるさくするからだろ!」 怒鳴ってから顔を見ると、呂蒙は甘寧の八つ当たりには馴れているらしく、ひるんでいる様子がない。 「なぁ興覇!」 「うるせぇって!! こっち来んな!!」 甘寧は呂蒙を押しのけると、足早にその場を去っていった。 「っも〜!! 何だよ、興覇のバカ!!」 遠くで呂蒙の遠吠えが聞こえるが、甘寧は心の中で耳を塞いだ。 「……女を覚えたガキが、今度は何をしでかしたんだ?」 うるさい奴が来ないところに、と思って潜り込んだ張昭の執務室に入るなり、張昭はいきなり図星を指した。こいつは時と場合によっては本当に居やすい奴だが、時と場合によっては本当に嫌な奴だ。 張昭の後ろの窓に、先日剥いた柿がぶら下がっている。もう食べ頃のようだ。答えるのも面倒なので、甘寧はその柿を一つむしり取ってかぶりついた。 「こら柿泥棒。公績が何をしでかしたのか訊いてるんだ」 「柿ぐらいでうだうだ言うな。大体何でこんな所に柿なんか吊してるんだ」 「ここに吊しておけばいつでも食べられるからだ。さぁ、俺は答えたぞ。お前も答えろ」 ガブガブと甘寧がやけになって柿を食べるのを、しばらく張昭はさせるままにしておいた。今年の干し柿はひどく甘い出来になった。お茶も飲まずにそう食べれる物ではないだろう。案の定甘寧は三つ目を囓りかけて、嫌そうに口元を拭った。 「何か飲む物とかないのか?」 「欲しけりゃまず質問に答えろ」 むっとしたように自分を睨む甘寧を、張昭は更に顎で促す。促しておいてから、棚の隅から酒の瓶を取り出して、甘寧に見せつけた。 「……あんた、自分の執務室にそんなもん置いてんのか……」 「あぁ、寒い時とイライラする時には一番の薬だ。どうする?」 一瞬「その手に乗るか」と口元を歪めたが、とうとう甘寧は誘惑に負けたように瓶に手を伸ばした。 「ガキが女を覚えたところまでは聞いた。お前が念願叶って喜んでいたのも知ってる。その先は?」 聞こえているのかいないのか、甘寧は一気に酒を飲み干すと、「もっと無いのか?」と張昭に催促した。 「うちに帰れば死ぬほどある」 「じゃああんたんちに行く。今度は辛い肴を出せよ」 張昭は大仰に頷くと、まだ下城の時刻でもないというのに、さっさと甘寧を連れて城を後にした。 「俺あいつが何考えてんのかちっとも分んねぇよ」 張昭は杯では面倒だと言わんばかりに、最初から鉢になみなみと酒をついでいる。甘寧にしても張昭にしても、その細い体のどこに入るのか、というくらい大酒を喰らうから、こういうところは息があって良い。 「『分からない』って言うが、簡単だろう。あいつはお前が好きで好きで堪らないくせに、お前のことを憎んでいる」 「そんなの言われなくたって知ってるって! 俺が言いたいのはそういうんじゃなくて、あいつの精神構造が分かんねぇって言ってんだよ!!」 干した魚をあぶった物を、甘寧は奥歯でガリガリと噛んだ。さっきから、甘寧は堅い肴ばかりを抓んでいる。 「あいつ、女があいつにしたこと、そのまま俺にするんだぜ?」 「……は?」 一瞬何を言われたのか分からなくて、張昭は間の抜けた声で聞き返した。女が公績にしたこと? 「というのは、房事のことか……?」 「あぁ」 あの凌統が相手にしている女というのがどのくらいの女なのかも張昭には理解できないが(花も恥じらう幼い少女だと言われればなるほどなと頷けるし、何でもしてくれそうなお姉さんだと言われても、やはりなるほどなと頷いてしまいそうだ)、その「女がしたこと」というのはやはり普通は一応情人同士が行う睦みごとではないのか……? 「……下世話な事を訊いてすまないが、具体的に言うと例えばどういうことだ……?」 「一昨日なんか、しゃぶられました」 「…………しゃ……?」 唖然として甘寧を見る。勿論甘寧は怒髪天をつく面もちで肴の山を箸で崩しまくっている。 しゃぶるって、……房事でしゃぶるって言ったら、やっぱりなにか……? 「普通、女だってそうそう簡単にはしゃぶらないだろ?」 「……それは人によると思うが……」 「それをあいつ、言うに事欠いて『昨日教わったんだ』とかぬかしやがったんだぜ!?『教わった』だぞ、『教わった』!!! 俺なんか力ずくで仕込まれたって意地でも『教わった』なんて思わなかったぞ!!!」 「……それはお前の場合、力ずくだったから『教わった』と思わなかったんじゃないのか?」 「じゃああんた女に初めてしゃぶられた時、「良い事教わったから、今度試してみよう』って思ったか!?」 「思うか!」 「だろ!?」 甘寧はしたりとばかりに箸で張昭を指した。普段ならそんな不作法な真似は叱りとばすのだが、今回ばかりは説教も出てこない。 「あいつは相変わらず俺のこと怒鳴ったり罵ったりしながらやってるけど、でも俺のこと歓ばせようとか、達かせようとか、そんな普通のセックスしやがるようになったんだ!! 俺とあいつはそういう関係か? ふざけんな!!」 驚きに馴れていくと、別にそれは当然のことに思われた。甘寧と凌統の関係は、端で見ていると面白いほど単純だ。 「お前、公績に向かって『下手くそ』とか言ったことないか?」 「……毎度言ってる」 「はぁあん?」 わざとらしく色目を使う張昭に、「だってあぁいう場合、普通言うだろ!! 俺がおとなしくやられっぱなしにする方が不自然だぞ!!!」とくってかかる。 「あぁいう時の返し文句って言ったら普通それだろうが!! 第一本当にヘタだし!!」 「バカが。公績のお前に対する対抗心は尋常じゃないだろうが。毎度ヘタだの何だの言われたら、お前を見返そうとムキになっても仕方がないんじゃないのか?」 「だからってしゃぶるか!?」 「俺は公績じゃないから分からんよ」 「あいつは俺に復讐するためにやってるんじゃなかったのかよ!!」 「でも基本的にお前に惚れてるんだぞ?」 「あいつはそれを自覚してないんだぞ!!」 ……何とまぁ、こうしてみると興覇の可愛らしいこと……。 あまりのバカさ加減に、張昭は声も出なくなってきた。これでは痴話喧嘩と大差ない。 「良かったじゃないか、気持ち良くしてもらえて」 「ふざけんな!!」 卓に手を突いた拍子に、皿が一枚大きな音を立てて床に落ちた。 ……興覇の言うことが、分からないわけではないけどな……。 この男の気持ちは簡単なようで複雑で、ひねくれているようで真っ直ぐだ。 そうした睦み合いの中からふと凌統が甘寧への気持ちに気づいてしまう瞬間があるのではないかと、甘寧が腹を立てているのは、つまりそのことへの恐怖心なのだろう。 甘寧が「こいつの仇でいなければいけない」と思う気持ちは、強迫観念にも似ている。本当ならば手をさしのべて慰めてやりたいのに、仇である自分にはその資格がないと、必死になって仇であり続けようと務めているのだ。その方が確かに凌統は楽かもしれない。自分の良心や、父親への思慕の気持ちと戦わなくても済むのだから。 だが、それで本当に凌統は気が済むのだろうか、と、張昭は疑問に思う。本当は、凌統はもう甘寧への気持ちに気づいているのではないか?とも。 そう、いつかもし凌統が甘寧への気持ちに気づいた時、そして自分の中でその気持ちに折り合いを付けてしまった時、甘寧はどうするつもりなのだろうか。どんなに甘寧が凌統のことを気にかけていても、所詮甘寧は呂蒙のものなのだ。呂蒙はそのことに関して自信が持てないようだが、だが甘寧の中で凌統が呂蒙より上に出ることはきっとないだろう。 凌統が自分の気持ちに折り合いをつけてしまった時、果たして甘寧は凌統をどうするのだろうか? 復讐は終わったと投げ出すのか、奴の幼い純情に流されるのか。どちらにせよ呂蒙という存在がある限り、甘寧が凌統に本気になることはあり得ないはずだ。 ……三人には悪いが、これって面白いよな……。 張昭はこの関係に興味があった。純粋な興味だ。若い頃に大概のことはあらかたやりつくしてしまったので、最近面白いと感じられることが少なくなっていた張昭にとって、この三人の関係は最高の娯楽だった。実は心密かな賭の対象にまでなっている。 凌統が甘寧の気持ちに気づいた後、凌統の方が懼れをなして後込みし、甘寧から離れる方に百点。 凌統が開き直る方に三百点。 凌統が開き直った後、甘寧が凌統を突き放す方に百点。 甘寧が凌統に流されて、ずるずる関係を続ける方に三百点。 途中でぶち切れた呂蒙が凌統にぶちまけてしまうのに五十点。 一生凌統が甘寧への気持ちに気づかないのに同じく五十点。 だがどう考えても自分の方が甘寧達より先に死にそうで、そうなるとこの決着を見極められないのがつまらないな、と、そこまで張昭は考えていた。まぁもっとも、ライフワークとして楽しむことの出来る観察対象が、死ぬまで傍にいてくれるのはありがたい。 「オッサン、何ニヤニヤしてるんだよ」 「ん? にやけていたか? それは修行が足りなかったな」 「どうせ面白がってるんだろ?」 「あぁ。率直に言わせてもらえれば面白い。私から言わせてもらえれば興覇もまだ青くさいな」 「ジジィの境地にはまだ到底辿り着けねぇよ。俺が今いくつだと思ってやがる」 茶化されたことに腹を立てているようにも、この話題を終わりにさせる目途が立ったことにほっとしているようにも見える仕草で、甘寧は鉢の酒を飲み干した。 「……全く、お前は本当に面白いよ」 張昭も甘寧に倣って酒を呷りながら、にやりと笑ってみせた。 「興覇、それで、あの機嫌の悪いのは何だったの?」 「お前も大概しつこい奴だな……」 最近やっと甘寧が落ち着いたようで、それでもまだ時々イライラしているようで、呂蒙は気になって仕方がなかった。 しつこいと言われようが何と言われようが、呂蒙にとっての最大の関心事は甘寧なのだ。甘寧の機嫌が安定していると呂蒙は嬉しいし、甘寧が精神的に不安定になっていると自分のこと以上に心配してしまう。 「もう平気なの?」 「何が…」 「だから、機嫌悪かった素はもう無くなったの?」 「お前がそうやって訊いてこなければ無くなる」 「もう…」 一緒に食事を摂りながら、呂蒙は向かいの席に座っている甘寧の頬に、手の甲で触れてみた。少しカサカサしている。甘寧の頬は皮ばかりついていて、呂蒙の頬の方がふっくらしている程だ。 甘寧はされるままにしていた。食事が食べづらいな、とは思ったが、最近八つ当たりばかりしていたので、少しは機嫌を取っておかないとさすがにまずいだろう。 「子明、お前が気をかけるべきなのは、何で俺の機嫌が悪くなるかじゃなくて、俺が機嫌悪くなった時にはどうしたらいいか、じゃないか?」 「またそういう我が儘言って……」 「優しくしろよ」 「すればしたで怒るくせに」 甘寧がいたずらを仕掛ける子供のような顔をしている。これが甘寧の手だと分かっていても、こうやって甘えられるとついつい嬉しくなって優しくしてしまう自分はもう充分終わりきっている。 「阿寧は甘ったれだ」 「甘やかしてくれるのが子明だからだ」 「……もう」 こんな言葉だけで嬉しい。 まさか甘寧の不機嫌の素が凌統とのセックスにあるとは思ってもいないらしい呂蒙は、全く単純なだけにありがたい。 不機嫌の元。正直なところ、今その話を呂蒙の口から詮索されるのは、本当に勘弁してもらいたかった。まじめに腹が立つからだ。 凌統との問題は一向に片づく気配を見せようとしなかった。だからここのところ、凌統と会えば甘寧の機嫌は即座に最悪になった。だがその最悪の機嫌でいることが、逆に凌統に嫌悪感を与えられると言えなくもないな、と、甘寧は努めて考えることに決めた。そう考えれば、いくらか機嫌も持ち直すのだ。 ましてや今は、目の前に呂蒙がいる。 「お前って本当に良い奴だよな」 「阿寧に比べれば大抵の人は良い奴だよ」 「好きなくせに」 「……好きだけどさっ」 頬杖をつくと、甘寧は珍しく満足そうな、嬉しそうな顔をして笑った。 「俺も好きだぜ?」 「そんな自分のことが?」 「お前のことだよ、バカ」 一瞬言われた意味が分からなくて、呂蒙はきょとんとした。それから盛大に朱くなると、もう呂蒙の頭の中には甘寧の不機嫌の素を詮索しようなどという考えはかけらもなくなってしまった。 「阿寧、ご飯お代わりする?」 「飯はもういい」 「じゃあお酒にする?」 「子明にする」 言うなり甘寧は呂蒙の顔を引き寄せて、唇にキスをした。 「……もう」 呂蒙の目が嬉しそうに笑っている。呂蒙がそんな顔で笑ってくれたから、甘寧も嬉しくなって笑った。 終わり |
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