ファンクラブソング |
実は呉国には、一部の人にだけ有名なファンクラブというのがいくつか存在している。意外なことにそれは公瑾様ファンクラブとか伯符様ファンクラブのような「あってしかるべきだろう」というものではなく、「魯粛夫妻ファンクラブ」とか「公績ちゃんファンクラブ」といった「誰が作ったんだそんなもん……」的ファンクラブだ。 だが「誰が作ったんだそんなもん」等と、口が曲がっても言ってはいけない。 確かに前者は会員数800人前後の、細々としたファンクラブだが(いや、当時の人口を考えたら滅茶苦茶多いだろう……)、「公績ちゃんファンクラブ」に至っては、実に会員数2,500人を越す、そりゃどう考えても呉以外の国にも会員がいるんじゃねぇかという大盛況ぶりなのだ。こっそりファンクラブの会費で国庫が潤っているとか、ファンクラブに睨まれた人間は必ず早死にするとか、様々な噂が飛び交っているにも関わらず、しかし当の凌統は「ファンクラブ」なる物が存在することをはっきり言って知らない。(当然だが、魯粛とその奥方も、自分たち夫婦のファンクラブがあるとは夢にも思っていない……) さて。公績ちゃんファンクラブの役員達は、呉の長老とか重鎮とか言われる人々で占められている。自称「公績ちゃんが凌繰の中にもいなかった頃から公績ちゃんを見守ってきたのだ!! お前らこわっぱ共とは年季が違うわ!!!」というコアなファンである。ちなみに、ファンクラブ会長は張紘で、副会長は黄蓋。どちらも怒らせたら三日は目の前に縛り付けられて説教食らいそうな、そんなジジイ共である。 こんな彼らの目下の敵は当然甘寧だ。まず何より横入りのくせして公績ちゃんの気を引きまくっているところが気にくわない。だいたい公績ちゃんも公績ちゃんだ。あんな甘寧みたいなヤクザもん相手に「ムキ〜〜、甘寧殺す!!」なんて可愛いこと言っちゃ駄目じゃないか!!! しょっちゅう「お前なんか死んじゃえ〜〜〜」などと愛らしい顔で泣きわめいちゃったりして、あの色々とヤバ気な噂のある甘寧が「可愛い奴め!」とその気になっちゃったりしたらどうするのだ!!! といわけで、ファンクラブのメンバーは交代でこっそり公績ちゃんの跡をつけ、大事な大事な公績ちゃんに傷がつかないよう、見守っているのである……。 「甘寧!! お前今日子明殿のおかず、盗んだろ!!」 食事が終わって兵練所に戻ろうとした甘寧を、凌統がいきなり呼び止めた。昼食の時、甘寧は朱桓と喋りながら手だけを向かいに座っていた呂蒙の元に伸ばし、そのおかずを意地汚くつまみ食いしていた。その様子を、凌統は離れた席からずっと見ていたらしい。 「俺が子明の飯を食ったら、お前になんか迷惑でもかかるのか?」 「子明殿が迷惑してるに決まってるだろう!?」 「はっ!! 子明に迷惑!! それがお前にどんな関係が?」 とりあえず、噛みつける理由さえあればそれで良い凌統は、「それで?」と言われた後の事なんか、勿論考えていない。 「お、お前は将軍としての自覚が無さ過ぎるんだよ!!」 「焼き餅焼かなくても今度はお前の飯を食ってやるぜ?」 「ふざけんなよ!!」 「何だ、それともサル」 甘寧は口元を意地悪く歪めて、凌統の顎を掬い上げた。 「お前を食った方が良いか?」 凌統の顔が綺麗な赤色に染まった。 「ふ、ふざけるな甘寧!! お前なんか俺にいっつも……!」 「俺にいっつも?」 凌統はその先を続けることが出来なかった。真っ赤になった頬っぺたがふるふると震えている。 「バカ甘寧!! お前なんか死ね!!!」 そうして凌統はいつもの捨て台詞を吐き捨てると、とっととその場から逃げ出した……。 その後ろ姿を、甘寧は楽しそうに見つめていた。これだからあのガキは面白い。あれで精一杯俺を嫌っているつもりなんだから、そりゃあちょっかい出しても俺のせいじゃねぇだろう。 にやにやしていると、いきなり後ろの茂みから人が走り去る気配がした。振り返るともう必死、という感じで全力疾走で去っていく……。 ……甘寧も当然「公績ちゃんファンクラブ」については何も知らされていないのだが、あれではばればれである……。 「いや〜、ご苦労さんなこった……」 甘寧は消えていく後ろ姿に、とりあえず敬意を払ってみたりした……。 「大変です、子綱様!!」 先ほど茂みから出ていった男が、張紘の執務室に飛び込んできた。張紘は静かに書き物をしていた目を上げて、ただならぬ様子の男を見た。 「どうした、何の用だ?」 「折衡将軍が!!!」 「なに!?」 張紘は椅子を蹴って立ち上がった。甘寧が何かして一大事というのなら、当然「目的語」が公績ちゃんであるのは、世の常識というものだ。 「公績ちゃんの身に何かあったのか!!!」 「はい!!」 男は切々と今見てきた場面を、半ば涙ぐみながら話した。 「折衡将軍はこ、公績ちゃんに向かって、あろう事か『お前のことを食ってやろうか』などとふざけたことを……!!!」 「なにぃ!? それで公績ちゃんはどうしたのだ!!」 「可愛らしく頬を染めて逃げてしまいました!!!」 「うぅむ、何という悪逆非道なことを言う男だ!!!」 「……おい」 声をかけられて、張紘と男は部屋の片隅を見た。そう言えば、先ほどからこの部屋にはもう一人、誰かいたような……。 「お前ら、それ本気でやってんのか……」 「当たり前だ、子布!!」 そうだった。内政について任されている張昭と張紘は、今日も2人で山積みになっている国内問題について話し合っていたところだった……。 「……いい年こいて何が公績ちゃんだ……。あのガキだっていつまでも子供じゃないんだから、いい加減お前が面倒見る必要もないだろう」 「何を言う!! さては子布、貴様興覇の野郎と仲良しなもんだから、あいつの肩を持つ気だな!?」 「仲良しってお前……。興覇が揶揄かってるって事くらい、お前だって分かるだろう……」 「あぁあぁぁ!!! なんて事を言うのだ!! そんなこと言って、もしも公績ちゃんに何かあったらお前どうする気だ!!!!!」 すっかり頭に血が上っているらしい張紘を、張昭は気の抜ける思いで見つめた。バカかこの男は……。 「子綱、一つ訊くが……」 「何だ!!」 「『何か』って何だ……?」 張紘はすぐさま真っ赤になった。どうやら頭の中ではすごい事を考えているらしい……。 「そ、そんな事が言えるものか!!! 恥ずかしい!!!!!」 「……ほう、恥ずかしいような事か」 冷静に張昭が突っ込むと、張紘は即座に張昭を睨みつけた。 「お前、今頭の中で公績ちゃんが人に言えないようなすごい事されてるところを考えただろう!!」 「何だそれは……」 「それは公績ちゃんに対する冒涜だぞ!!!」 真っ赤になって肩で息をしている張紘を、張昭は面白げに見つめた。 こいつら、本当はあのガキが興覇と何してるか知ったら、一体どういう顔をするのだろうか……。 「あぁ!! 答えないということは、やっぱり考えているな!!」 「俺が人に言えないような事っていったら何だ? 興覇があのガキを裸に剥いて、筆で体中に蜜でも塗りたくった上で、あのガキの方から腰を振るまでその蜜を舐め続ける、とか、そういう事か?」 「うわあぁぁあぁぁぁぁ!!!」 あくまでも冷静に、顔色一つ変えずに言ってのけた張昭に対して、張紘と見張りをしていた男は叫びながら身悶えた。 「なんて事を考えるんだ!!! 公績ちゃんに謝れ!!!」 「っていうか、子布様! 甘将軍はやっぱりそんなひどいことを公績ちゃんにしようと思ってるって事ですか!??!?」 男が詰め寄ると、張紘も一緒になって、もうそれが事実であるかのように慌てふためいた。 「……そんな訳あるか。今のは俺が……」 「これは早速総会を開いてみんなで協議せねば!!!」 もう2人の耳には張昭の声は届いていないらしい……。 悪いな〜、興覇……。ただでさえお前目の敵なのに、なんか拍車かけたかも……。 そう心の中で一応謝ってはみたものの、事の成り行きに思わずホクホクしてしまう、鬼のような張昭がここにいた……。 「甘寧! お前今日子瑜殿のこと『ロバ』って呼んでただろ!」 「おう、ロバだからロバって呼んだぜ? それがどうかしたか?」 「どうかしたかじゃないだろう!? お前失礼過ぎるんだよ!! 幼平殿を『クマ』って呼んだり子布殿や子綱殿のこと『ジジィ』って呼んだり、いい加減にしろよ!!!」 「分かった分かった、お前のことも忘れずに『サル』って呼んでやるから、そう羨ましがるな」 「なんだと!!!」 中庭でいつもの如く漫才を披露している二人を見ながら、張昭は孫権に向かって「平和ですなぁ」と声をかけた。 「……子布、平和ってお前、あそこで子綱達がすごい顔で睨んでるぞ……」 「いやいや、あんな事に気を割いてりゃいいんですから、やっぱりうちは平和ですよ」 張昭は「良いことですな」と 小さく頷いた。 「……良い事って……。そういえば子綱が興覇を夏口詰めにするか荊州詰めにして、京口から追い出せとか言ってきたぞ。どうする気なんだ?」 「ははぁ、子明の二番煎じですな。あいつらも芸がない」 「……子明の二番煎じって……」 「いやいや、揃いも揃ってうちの「お偉いさん」はそんな事しか考えてないんですから、全くもって住み心地が良い。笑いが止まりませんな」 あくまでも涼しい顔を崩さずにこの様子を眺めている張昭と対照的に、孫権はちょっとぐんなりした。何で主君の儂がこいつらの板挟みにならなきゃならんのだ……。儂のこの心労を、お前が替わってしかるべきだろう……。 「あぁ!! 興覇の奴、公績ちゃんのか、肩に手を回したぞ!!!」 「えぇい許せん!! 戦場で後ろにいるのが味方ばかりと思うなよ!!!」 「あ、子綱殿!! もう、こいつに説教してやって下さいよ!!!」 「おぉ、公績ちゃん!!! 公績ちゃんがこの儂に助けを……!!!」 ……何とも牧歌的な、東呉の風景である……。 |
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