永遠の花(番外編)

 凌統が去った後。

 瞳を閉じていた甘寧が、不意に目を開けて背後に声をかけた。
「おい、こそこそしてねぇで出てきたらどうだ。気になって眠れないじゃねぇか」
 後ろの茂みがガサガサと鳴り、それでも暫く間が空いてから、ゆっくりと呂蒙が顔を出した。
「……興覇……」
「何も言うな」
「でも……」
 呂蒙は眉間にしわを寄せ、凌統の消えていった方角と甘寧の顔を交互に見比べた。声が震えている。
「興覇、でもいくらなんでも……」
「あいつのことは言うな!!」
 呂蒙の顔をもっと厳しく睨みつけてやろうと思っても、その怒っていてもどこか優しい顔を見ていると、どうしても唇が震えてしまう。
 呂蒙がそんな甘寧を見逃すはずはなかった。
 甘寧が何か言うより速く、呂蒙は甘寧を抱きしめた。それは甘寧が思っていたよりもきつい抱擁で、その抱擁の激しさが呂蒙の感情の激しさを物語っているようで、甘寧は息がつけなかった。
「しめ…」
「興覇が何も言うなって言うなら、俺は何も言えないし言わないけど、でも俺はやっぱりこういうのは嫌だ!!」
「……離せ、誰か来て困るのはお前だぞ」
「誰も来ないよ、今みんな忙しいんだから」
 いつもならすぐに引き下がるはずの台詞にも動じず、呂蒙は甘寧の体をさらにきつく抱きすくめた。
「……お前が泣くな。俺にこれ以上どうしろって言うんだよ!」
「何もすることなんてないじゃないか!」
 そう思ってみればまだありありと分かるほどの指の痕に、呂蒙は口づけた。最初はそっと。だが次第に我慢できないとでもいうように、その唇は熱を帯びてきた。
「やめろ。俺に今優しくするな」
 きつくきつく首筋に口づけられる。まるでこの指の痕を消し去ろうとするかのように。
 甘寧は思わず唇をかみしめた。呂蒙があんまり必死に抱きしめるから、涙が出そうになる。だがそれは凌統にこそ許された権利で、自分は一閃の弓矢とともに、それを投げ捨ててしまったのだ。
「興覇…、俺の阿寧」
「優しくなんて、するな……!」
 言葉とは裏腹に、甘寧は呂蒙の背にしがみつき、指先にまで力を込めて恋人に抱きついた。

 この男のことだけを考えられたら、自分はどれだけ幸せだろう。
 誰よりも愛しているのに。こんなにも、呂蒙のことが好きなのに。

 首筋に、顎に、頬に、呂蒙の熱い唇を感じる。
 こうしてもらうだけで、こんなにも自分は癒されていく。こんな安らぎを自分に与えられる呂蒙という存在に、甘寧は驚かずにはいられなかった。

 それでも。

 こんなにも甘寧の心は激しく呂蒙を求めているのに、それでも自分は誰よりも愛しい恋人を置き去りにしてでも、凌統にこの身を供物として差し出してしまいたいのだ。
 2つの想いに身を切られ、この体が無くなってしまえばどれだけ楽になれるだろう。あるいはこの相反する2つの心のどちらかが死んでしまえば。
 だが甘寧は、そのどちらの考えも、叶わぬからこそ甘く心にわき上がるのだということを知っていた。

「阿寧、阿寧、頼むから自分を傷つけるのはやめてくれ! 凌統なんてどうでも良いじゃないか……!!」
 呂蒙の声があんまりにも悲痛で、それが甘寧には辛かった。
「お前が泣くな、このバカ野郎が……」
 腕の強張りを解いて、呂蒙をそっと抱きしめる。
そうだ。抱きしめられるよりも、抱きしめる方がどれだけ楽だろう。甘寧は今までそんな生き方しかしてこなかった。

「阿寧……」
 呂蒙の涙を拭ってやる。せっかくいい男なのに、こうなっては台無しじゃないか。
 丁寧にその涙を拭いながら、甘寧は心の底から囁いた。
「……ごめんな、子明……」
 自分のこの勝手な振る舞いのために、いつでも傷つくのは呂蒙なのだ。

 そう、もしも本当に凌統に殺されたなら、この呂蒙がどれほど悲しむだろう……。


 それでも――――


「阿寧、ごめんって思ってるなら、今日は一緒にいよう?」
「あぁ……」
「ずっと、ずっと俺と一緒にいよう? 他の奴になんか、阿寧を見せたくないよ」
「泣くなよ、子明……」
 小さな子供をあやすように、甘寧は呂蒙を抱きしめた。自分にしがみついてくる呂蒙の腕が心地良い。
 きっと、この男が泣いてくれる。自分の胸に溢れる涙を、きっとこの男が代わりに流してくれる。

「ね、阿寧。ずっと、一緒にいよう?」
「あぁ、分かった子明。一緒にいよう。ごめんな、子明。ごめん……」

 それでも2人は、甘寧が凌統にその命すら差し出してしまうだろうことを知っていた。

「ごめん…」

 それは遠い日の約束に似て、漠然と、だが確実に2人の前に横たわっている。

「ごめんな、子明。ごめんな」
 甘寧は何度も何度も呂蒙にキスをした。

「でも、俺の魂は子明のもんだから……」

 口の中でそっと呟いたささやきは、風に乗って飛ばされていった。


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