最低な恋人 |
風が入ってきた。その瞬間、甘寧は即座に体を起こし、幕舎の入り口を見た。 夜中である。緒戦を明日に控え、呉軍陣内は緊張感の中にあった。 「……驚いた。起きてる気配はなかったのに。眠ってたんじゃないの?」 間延びした声をかけてきたのは呂蒙。この戦の軍権を与えられた、甘寧の情人である。 「寝床が違うんだ、目ぐらい覚めるさ。何だ?急変か?」 「ちょっと気になることがあって、それを確認してきたところ」 呂蒙はそう言うと、甘寧の布団の上に腰を下ろした。 「オレの出番か?」 「違う違う。戦の方は予定通りだよ。ただ目が覚めちゃったから、ここに来ただけ」 急襲や埋覆といった単独行動の多い甘寧の部隊は、作戦の変更を直前に知らせれることも多い。どんな無茶を上に言われようが、それをこなせるだけの力量があるのだ。それは甘寧の矜持でもある。だからこんな時間に総大将が忍んでくれば、甘寧が任務と思っても仕方あるまい。 が、そんな甘寧に呂蒙は苦笑する。 「私用だよ」 呂蒙が一言そう告げると、甘寧は太いため息をついて、布団の上に身を投げ出した。 「なら眠っちまうけど、良い?」 卓の上には細かな書き付けに埋められた帛が無造作に置かれている。遅くまで部隊長達と細部を詰めていたのだろう。別に何日眠らずにいても戦うことのできる男だが、眠れるときには一秒でも長く眠って体調を作っておくのだ。 戦に面すれば、甘寧は戦のためだけの男になる。今彼の皮膚の下には、戦を迎える高揚感だけが渦巻いているということか。 すぐに、甘寧は軽い寝息を立て始めた。本当に戦仕様に切り替わっているのだと知って、呂蒙は何となくおかしくなった。普段の彼なら夜中に呂蒙が忍んできて、そのまま眠るはずがない。 しばらくそうして甘寧の寝息を聞いていた。 いつだったか主公である孫権から、甘寧は決して他人の寝床で眠るような男でないと言われたことがある。寝首をかかれることを警戒して、決して眠ることはないのだと。 呂蒙は最初驚いた。自分の横ではいつだって寝汚く眠る、この男が? だが、そうなのかもしれないとすぐに思った。甘寧の過去を思えば、それも当たり前のように思えた。 その甘寧が、俺にだけは正体もなく眠ってみせる。こんな陣中の中ででも自分の脇で寝息を立てる甘寧が、愛しくも嬉しくも思えた。そっと頬に触れると、甘寧が小さく身じろいだ。 ―――それを見た途端、愛しさはそれによく似た、だが全く違う感情にすり替わった。 「ん……」 頬に触れた指が、そのまま首を伝い、胸を這っていく。うるさそうに振り払おうとする甘寧の抵抗をうまくかわして、呂蒙はそっと甘寧の深いところをまさぐった。 「っ! …な、んだ……?」 「興覇…」 指を、ゆっくりと沈めていく。思いもしなかった行動に、甘寧が上ずった声を上げた。 「静かにして、興覇。外に聞こえる」 「……何? やるのか……?」 「いや、しない」 「あ?」 そのまま中をぐるりとかき回すと、甘寧は声を殺して静かに深い息を吐いた。 「子明……?」 「なんだか、興覇の喘ぎ声を聞かないと眠れない感じがして」 「…ちょっと待て…、ふ……、しないって今、言わなかったか……?」 「しないよ。今しちゃったら、多分明日の指揮に障りが出ると思うから」 「……やってる事と言ってる事が、合ってなくね……?」 「イヤ、だから、喘ぎ声が聞きたいだけ」 呂蒙はゆっくりと指をかき混ぜながら、甘寧の夜着を開こうとした。咄嗟に前を合わせようとする甘寧の指に、そっと口づける。 「見せて、興覇」 「……イヤだ」 「駄目だよ、興覇。見せてくれないと、俺、帰らないよ?」 「……明日、緒戦だぞ……?」 「このくらい、興覇にはなんてことないでしょ?」 「しないんだろう?」 「しないよ」 全くの戦仕様になっている甘寧を、今だけで良い、自分のモノに取り戻したい。自分の我が儘に翻弄される甘寧が見たい。自分だけにそれを許すのだと、体中で感じてみたい。 「ヘタに火つけられて、後はほったらかしか?」 「甘寧はいくらでもイって良いよ?」 「お前は?」 「俺は少しくらい悶々としてる方が、戦の時には良いみたい」 「初耳だぞ」 「そりゃ戦の間にしたことないもん。いつも悶々してるんだって、分からない?」 「……ごめん、分かんねぇ」 「まぁ分かんなくても良いから、見せて」 「……イヤだ……」 裸を見せる見せないは、いつもの問答である。いつまで経っても裸にだけは馴れない風情が、呂蒙には堪らないのだ。 「その嫌がってるところがそそるよね……」 「そそるならやれよ」 「それは、しないってば」 幕舎の中である。甘寧の声は小さいし、抵抗も小さい。呂蒙はまんまと夜着を剥ぎ取り、裸の甘寧を抱きしめた。 「……ここまでされて、やらない訳……?」 「だから、興覇はイって良いんだって」 「……俺だけ?」 「そう」 「お前のソレはどうすんの?」 「後で自分で適当に処理するから良いよ」 「……しないってんならしなくても良いけどよ、ソレは俺がしてやった方が良くね?」 「いや、興覇に何かされたら、きっと俺我慢できずにやっちゃうと思うから、それは遠慮しておく」 「……やれよ」 「ダメ。明日の戦に響く」 戦と言われれば、甘寧は黙るより他にない。言葉に詰まった甘寧の唇に呂蒙は口づけた。 最初は触れるだけ。でもこらえきれずに、結局かぶりつくように口腔に押し入った。指は相変わらず甘寧の中にある。 甘寧は軽く混乱しているようだった。 こんな扱いを受けて、ここで放ったらかしにされるのかと思うと憤りもこみ上げてくる。いや、こんなに激しく求めてくるのだ。さすがの呂蒙の気も変わって、このまま最後までするかもしれない。……でも明日は緒戦で……あぁ、も、何が何だか……! 結局、甘寧は呂蒙の指やら舌やらで三回はイかされた。今すぐしてくれないと気が変になると思ったのに、呂蒙は結局「ごめんね、眠ってるとこ。じゃ、俺もう帰るわ」と、本当にその後何もしないで幕舎から出て行った。 しばらくして頭が冷えてくると、甘寧は呂蒙の出て行った方を見つめて「最低…」とだけ呟き、そのまま寝た。 翌朝、作戦の確認のための短い軍議の後、それぞれは持ち場についた。空が高く、遠くの土埃までがよく見える。緒戦としては良い戦日和だ。緒戦は味方を鼓舞するためにある。力押しに押して敵の出鼻をくじき、その後の展開を固めたい。 突撃の銅鑼を待ちながら、偉そうな顔をして檄をさばく呂蒙と目があった。呂蒙は何となく満足そうにも、苛ついているようにも見えた。 悶々してる方が戦には良いとか言ってたよな。確かに悶々してそうな面だぜ。でも、どう考えたって悶々してるのは俺の方だろう? 今度あんなことしやがったら、すぐ他の奴幕舎に連れ込むから覚えてやがれ……! そう心の中で毒づきながら、あぁ、確かにこの悶々って奴は戦で暴れるくらいでしか晴らせねぇ、戦の時には悶々としてるくらいの方が丁度良いってのは本当かもしれねぇな、と、何となく甘寧は納得した。 |
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