しるし
飛虎が誕生日を迎えた。聞仲は前から飛虎が欲しがっていた大振りの剣を一振りと、大きなケーキを用意した。飛虎のイメージのせいか、皆は飛虎が辛党であると思うらしいが、意外と彼は甘党である。そのイメージのせいでなかなか甘い物を食べる機会がない飛虎のために、今日は心ゆくまで甘さを味わってもらおうと、かなり大きなケーキを用意してみた。
「おっ、でっかいケーキだな!」
「ああ、皆お前が食べて良いぞ」
「本当か? へへっ、悪いな、聞仲」
飛虎はいそいそとケーキに近づいていく。
「待て。私の贈り物はケーキではなく、その包みの方だ」
「あ?」
大きなケーキの陰に隠れて、もう一つの包みが目に入らなかったらしい。やっと飛虎はその長方形の包みを手に取った。
「お、この重み……」
「開けてみろ」
剣を箱に入れ、紙でくるみ、リボンを架けるなぞ気違い沙汰かと思ったが、今日は飛虎の誕生日である。このくらいの遊びがあっても良いだろう。
飛虎は嬉しそうにリボンに手をかけた。飛虎の瞳に合わせて、リボンは翡翠のグリーンを選んだ。飛虎はそんなことには無頓着な様子で、ほどいたリボンを床に落とし、包みの紙も乱暴に払いのけた。
「もー何でこんなにぐるぐるに包んでるんだよ!」
「誕生日だからな」
やっと箱を取り払うと、飛虎は目を輝かせてその剣を手に取った。
刃渡り一m五十pを越える剣である。柄にはやはり翡翠が嵌め込まれている。この巨大で美しい剣を使いこなせるのは飛虎しかいまい。嬉しげに口笛を吹くと、飛虎は剣を手にし、鋭い音を立てて空を薙ぎ払った。
「でかさといい重さといい、ぴったりだぜ! こいつはいいや!」
ぴったりでなければ困る。聞仲はこの日のために飛虎の身長と筋力のバランスを目で計り、自ら何度も工房に足を運んで作らせたのだから。
「でもなんか悪いな、聞仲」
照れたように飛虎が笑う。その足下に身をかがめ、聞仲は無惨に落とされたリボンを拾い上げた。
「いつも誕生日のたんびにこんな良いものもらってさ。俺お前の誕生日に何もやったことないのに」
「私はあまりにも多く誕生日を迎えすぎてしまったからな。今更祝ってもらおうとは思わんよ」
言いながら聞仲はリボンを人差し指に巻き付けた。飛虎の瞳のリボン。聞仲が選び、手づから結んだ翡翠のリボン。うち捨てられた、憐れな……。
「ならさ、お前の誕生日じゃなくて、こいつのお礼に俺がお前に何かプレゼントするってのはどうだ?」
「気を使わずとも良い」
「でもさぁ。何でも好きな物言ってくれよ」
上機嫌な頬の中にも気まずさを見せているその無垢な顔を見ていると、聞仲は自分の中で抑えていた物が頭をもたげるのを感じた。
「……何でも好きなもの?」
「ああ」
リボンを指先に絡めて弄んでいた聞仲が、音を立ててリボンをほどいた。
「私の欲しいものが何か、知っているのだろう?」
「え?」
飛虎の顔が瞬時に紅らんだ。聞仲が何を指して言ったのか、正しく理解したらしい。
「掌を上にして、両手をここに出すがいい」
聞仲はリボンから目を逸らさずに、飛虎に命じた。
「……聞仲? お前、その…、何考えてる?」
「欲しいものは何を言っても良いのだろう?」
「いや……」
「掌を上にして、両手をここに出すのだ」
飛虎はおずおずと言われたとおりに手を前にした。その両手をすかさず一つにリボンで結ぶ。
「聞仲、あの……」
「これは印だ」
「印?」
「お前が私のものであるという印だ」
聞仲が飛虎を見つめてニヤリと笑う。うろたえた飛虎が手を引き戻そうとしたが聞仲はそれを許さず、リボンで結ばれた両腕を押し戴くように両手で包むと、跪いてその結び目に口づけた。
「聞仲……」
そのままの姿勢で、聞仲は舌でそっと結び目をなぞり、手首を辿る。手首に浮かんだ腱を舐め、軽く歯を立てると、飛虎が紅くなった顔を小さく歪めた。
「聞仲、おい……、なぁったら!」
「そのままでいろ。何でも望むものをと言ったのはお前だろう?」
両手を戒めたまま襟元に指を差し入れ、そっと襟を抜く。下から飛虎の顔を覗き込むと、どうして良いのか分からずにいる飛虎が、必死で目を合わせないように視線を泳がせていた。
ゆっくりと腕だけを伸ばして抜いた襟を肩に落とすと、首筋と共に肩が露わになる。滑らかなその肌の肌理に、聞仲はうっとりと微笑んだ。
そしてこれからの展開に。
「両手がこれでは服を脱がすわけにもいかんな……。いっそ切り裂くか?」
「聞仲!」
慌てたように飛虎が聞仲に視線を戻す。服をそんなにされては、周りの者が何と言うか……。
飛虎の思っていることがありありと分かっていながら、聞
仲は意地悪く「何だ?」と訊き返した。
「飛虎よ、先ほどから聞仲としか言っていないではないか。 名前を呼んでくれるのはありがたいが、一体何が言いたい のだ?」
「……お前、まさかここで…その、こ、こないだみたいなこと、する…のか?」
うなじを伝って胸元まで朱に染まっている。何という眺めだろうか。
「こないだみたい、とは?」
「だから、その……。お……れのこと、裸にして…、ああもう……! 分かってるんだろう?」
「……」
あれはちょうど一月くらい前のことだったろうか。飛虎から一つの告白を聞いた。「聞仲が俺をどう思ってるのかは知らないが、俺は聞仲のことが好きだぜ?」と。それはどうとでも取れる台詞だったが、多分聞仲が望んでいた意味とは違う意味の台詞だったのだろう。だが聞仲は、それを知っていながらあえて意味を取り違えた。
そしてその場で飛虎を床の上にと押し倒し、驚いて叫びそうになった飛虎の口をふさいで、思う様長年の想いをその体に叩きつけたのだ。
飛虎は恐怖のためか恥辱のためか、いや、きっと怒りのためだろう、小さく肩を震わせていた。
そして、翌日には何事もなかったかのように振る舞った。聞仲の行為を完全に理解した上での黙殺だった。
それからの一月は、聞仲にはまさに地獄の苦しみだった。
そのことを忘れたわけでもないだろうに、飛虎はたった今「何でも好きなものを」と言ったのだ。飛虎も己の迂闊さをさぞ恨んでいるだろう。だが聞仲は、その迂闊さを、この気持ちを黙殺できる残酷さを、そしてそのことを忘れてしまえる幼さをすら愛していた。
「飛虎、私が欲しいのは、お前だけだ」
「お……俺は物じゃないぞ! 聞仲なら、いくらだってこんなことさせてくれる奴いるだろう?」
飛虎は泣きそうな顔をしていた。だが泣きたいのは聞仲の方だった。
「何ということを言うのだ……! 私はお前でなければ駄目 なのだ! そんなことも分からないのか?」
飛虎がびくりとして聞仲を見つめた。飛虎に対して滅多に声を荒げたことのない聞仲である。飛虎は聞仲の苦しげに歪められた顔を確かめようと、そっと聞仲に顔を寄せた。
「……どうしてそんな顔するんだよ。今ひどい目に遭わされてるのは俺の方じゃねぇか」
「お前が私を傷つけたからだ」
「だって聞仲がこんなことするから……。それに……」
「それに?」
飛虎は眉を寄せて、悲しげに首を傾げた。そんな仕草までもが愛おしい。そんな顔をしているのが聞仲のせいだと思えば、聞仲の心もまた残酷な歓びに満たされた。
「だって聞仲は、俺の……その、何か言いづれぇな……。おれの、か…らだが、欲しいんだろ?」
「……何故そうなる」
「だって、俺は欲しい物って言ったじゃんか! 聞仲は俺のこと、物だと思ってるんだろ?」
「ばかな!」
あまりの飛躍に聞仲は怒ったものか笑ったものか分からなくなったが、結局現れたのは泣きそうなほど真剣な表情だった。
「私が欲しいのは飛虎だ! 体などではなく、飛虎そのものが欲しいのだ!」
「……俺そのもの……?」
「お前のその体にお前の心と魂が入って、初めてそれはお前なのだ! 私が欲しいのは、そんなお前自身なのだぞ!」
「だってこないだあんなことしたし、今だってこんなことしてるじゃな いか!」
「それは……」
どう答えて良いのか分からなくて、聞仲は跪いたまま飛虎の膝にしがみついた。もちろん心と魂さえ手に入ればいいなどと、きれい事を述べるつもりはない。この体を持ってこその飛虎なのだ。聞仲は飛虎の心や魂と同じくらい激しく、飛虎の体を渇望していた。
ごつごつと堅い膝が聞仲の頬に当たっている。言葉を探しながら、聞仲は飛虎の膝に頬を押しつけた。その頭を飛虎がそっと抑える。
「そんなにしたら頬っぺたが痛くなるぞ」
「その方が頭が冴えて良い」
「お前らしくもねぇことを……」
手首をリボンで縛られたまま、飛虎は聞仲の頭をそっと撫でた。ぎこちない無骨な指の感触に、聞仲は泣きたくなる。
「お前のことが好きなのだ」
「うん……」
「心や魂は目には見えないから、……だから……」
「うん……」
そのまま飛虎はそっと聞仲の前に腰を下ろした。
「俺のことが好きなんだな?」
「ああ……」
「俺も、聞仲が好きだ」
驚く聞仲に照れたように笑うと、飛虎はそっと聞仲の涙を舐め取った。
そこから先は夢のようだった。
聞仲はゆっくりと飛虎を床に横たえ、その頬を掌で辿った。無精髭のちくちくとした感触が、こんなにも心地良い。ほつれてしまった前髪を丹念に払いのけ、額にそっと口づける。
そのまま服を脱がせようとして腕のリボンに手をかけると、飛虎は小さく首を振った。
「飛虎?」
「これは、いい……」
思い詰めたような飛虎の顔に、聞仲は服を脱がすことをあきらめ、肩だけを上着から抜き、シャツをたくし上げた。
それは思ったよりも扇情的な姿だった。
思わず喉が鳴る。とがめるように聞仲を見る飛虎の視線に気づいて、慌てて聞仲は口づけをくり返した。
甘い口づけ。何度も夢見た。
「聞仲……」
「ん?」
額の次は瞼に。瞼の次は尖った顎に。柔らかな耳の付け根、しなやかな首筋に。
「聞仲、なぁ」
「何だ?」
先ほどと同じように名を綴る飛虎の声が甘い。何という幸せだろうか。
「なぁ、何かこないだと違う……」
「こないだのような方が良いか?」
「そうじゃねぇけど…その……」
飛虎は困ったように視線を泳がせた。
「なぁ、こういう時って俺、どうしてたら良いんだ?」
「どう、とは?」
「だからその……お前は色々やることがあるから良いだろうけど、俺は何してたら良いんだよ……」
初めて飛虎を抱いたときとは確かに違う。飛虎は嫌がって身をよじり、聞仲の腕といわず頭といわず、そこかしこを殴りつけ、何とかその痴態をやめさせようと必死に抵抗したのだ。
「確かにこの前とは違うな」
自嘲めいた笑みを口に上らせると、聞仲は飛虎の唇を軽く噛んだ。
「聞仲……」
困ったように飛虎が顔を赤らめる。何につけ積極的で、能動的な飛虎だ。こうして受け身に回ることには慣れていない。
聞仲はそんな飛虎の腕を取り、自分の顔にそっと当てがった。
「ならば飛虎、私を抱いていてくれ」
「抱いてって……」
「文字通り抱きしめられても困るがな」
「じゃあどうしろってんだよ」
「自分で考えろ。私は忙しい」
そのまま鎖骨に唇を這わせ、肩に歯を立てる。みずみずしい弾力が聞仲の唇を刺激した。
「聞仲…なぁ、俺こうしてるだけか?」
「だから私を抱いていろと言っただろう」
「だってそんなどんどん下の方に行っちまうのにどうしろってんだよ」
「自分で考えろ」
「なぁ……聞仲、なぁったら」
拗ねたように飛虎が聞仲の髪を引っ張る。
聞仲は頬がほころぶのを抑えられなかった。愛おしさが体中を満たし、幸せな気分になる。
「あ、お前笑ってやがるな」
「ああ、笑っているかもしれないな」
「どうせ俺はこういうことには慣れてねぇよ」
「そこが良いのだ」
体を起こして飛虎の唇にそっと触れる。手持ちぶさたな風情の飛虎が困ったように辺りをうかがうが、勿論助けになるようなきっかけはない。
仕方がないので、とりあえず飛虎は聞仲の背中にリボンで結ばれた手を窮屈そうに回した。
大きな背中だと思った。勿論背中の広さだけでいえば、絶対に自分の背中の方が広い。
だがこういう時に聞仲の背中が大きく感じるというのは、やっぱり自分が少し怯えているからだろうか。
勿論怖いのだ。この間とはまるで違うというだけで何だか余計に恐ろしい。だからこそ、何かをしていたのだ。
「おい聞仲、こういうときに何も考えさせないのも男の甲斐性とやらじゃないのか?」
「何も考えられないように?」
聞仲が唇の端でにやりと笑う。その顔にしまったと思ったときには、もう遅かった。
「なるほど、飛虎は意外と積極的だな」
「ちょ、っ聞仲……!!」
聞仲はいきなり飛虎の腰を抱え込むと、その中心を口に含んだ。
勿論、飛虎だとてそういう行為を受けることが初めてな訳ではなかったが、それをしているのが聞仲だと思うと激しい羞恥心に襲われた。
まさか聞仲がそんなことをやらかすとは思っていなかったのだ。
いや、この間もそういえばこいつはこんな事をしやがったな……。でも待て、何かすごい調子が違う……。
ゆっくりと、聞仲が深く口の中に含み、そのまままたゆっくりと絞り出すように口から吐き出していく。じれったいようなその圧力に、飛虎は目を瞑った。
「ぶん、ちゅう……」
飛虎のその声に、聞仲は飛虎を口に含んだまま何ごとか答えた。
不規則に動く舌の動きにきつく目を閉じる。瞑ったままの目の前が紅い。
「ぶん……」
両手で顔を掴むようにして覆う。何かしていないと本当に変な声を出してしまいそうで、飛虎は自分の長い前髪を思わず握りしめた。
軽く歯を立てられる。根本を荒々しく揉みほぐされて、飛虎の腰はびくびくと震えた。
「飛虎、達っても良いのだぞ」
涼しい声が耳に届いたが、飛虎にはその言葉の意味がよく分からなかった。
達っても良い? だって元々こういうことしてるわけで……。
聞仲がもう一度深くくわえ込むと、飛虎はやっとその言葉の意味を理解した。
「いい! 聞仲、いいから、もう達くから放してくれ……!」
聞仲はまた口にしたまま何かを言った。今度は何を言われたのか見当がついた。このまま出してしまえと言っているのだろう。
聞仲の口の中に! そんなことが出来るものか!!
必死になって聞仲の頭を引き剥がそうとするが、もとより力の抜けた腕で、ましてや両手をきつくリボンで結ばれたままで、聞仲をどうこうできるはずもない。
「放してくれ! 聞仲、頼むから! もう俺……!!」
聞仲は許さなかった。この機会を逃すまいと思っているのだろう。きつく吸い上げられ、裏側を柔らかく揉まれると、飛虎はあっけないほど簡単に達し、聞仲の喉の奥深くに放った。
「 !」
ごくり、と飲み下す音がやけに大きく響く。飛虎は思わず泣きそうになって、聞仲を見つめた。
「てめぇ……」
「どうした? 良くなかったか?」
頑張ったつもりなのだがと聞仲が真顔で嘯くが、目が笑っている。
聞仲はずるい。何がどうずるいのかは良く分からないが、とにかくずるい。余裕ありげに自分を見下ろしている瞳が本当にずるい。
聞仲が唇を寄せてきた。自分の放った物のにおいがするので飛虎はイヤそうによけたが、聞仲は構わず飛虎の顎を掴んで唇を合わせた。
ひどく深い口づけだった。口を大きく開かされ、唾液が顎を伝い、首を汚す。自分のにおいで、否応なしに聞仲が今まで何をしていたのかを思い知らされる。飛虎は羞恥に顔を染めるが、聞仲は構わずにいつまでも飛虎の口の中をかき回した。
「ん……ふっ、はぁ…」
顔を背けようとしても、どこまでも聞仲は追ってきた。舌が痺れる。こんなに長いキスは初めてだ。頭の芯が霞み、体が感覚だけでできているような、そんな変な気分になる。
その鋭くなった体がびくりと震えた。
後ろに鈍い痛みが走る。
叫びそうになったが、舌が絡め取られているので声を挙げることができない。
鈍く、だがぞっとする痛み。耐えられないわけではないが、その非日常的な痛みに気分が悪くなる。
ゆっくりと内部を掻き回す指が、ある一点をきつく抉る。そこを嬲られると、飛虎の体が粟立った。
「いっ……」
嫌悪感に反して体が反応する。そのメカニズムが信じられない。
……人間の体というのは、ずいぶんシステマティックに出来ているらしい……。
きつくきつく嬲られながら、飛虎はそんな色気とは無関係なことを考えていた。
痛みにやっと慣れてくると、またもう一本指が増えたらしい。低温度の快感に替わって、また熱い痛みがぶり返してきた。
いや、痛みというのではないのかもしれない。飛虎は職業柄、痛みには慣れているし、そういった物ならば耐えられる。
だが、これは……。
「うん……」
必死で名前を呼ぼうとしているのに、舌の根が合わないのではどうすることも出来ない。聞仲は飛虎から抗議を奪うつもりなのだろう。なんて奴だ。俺は聞仲のものになっても良いと、確かにさっき言ったのに。
「んん、ぐっ……!」
下半身が痺れて、どうにも気持ちが悪い。なんだか胃の腑その物が出てきそうだ。たった指二本のなのに、その二本の指に胸の辺りまでかき混ぜられているような気がする。
待てよ、指二本でこれだというと、この先一体、自分はどうなってしまうのか……。
不安が頭を掠めた瞬間だった。
「ん……っ!!」
指などとは比べ物にならない質量が、飛虎の体を穿った。
突き上げられて暗くなりかけた視界が、引きずり出されて白くなる。
「ぶん……あぁ……!!」
それはあまりにも圧倒的な力だった。今まで自分の体の中を、こんなにもすさまじい力が暴力的なまでに支配したことがあっただろうか。
唇が自由になり、大量の酸素を求めて呼吸をすると、呼吸は叫び声になった。
しかも、その叫びはどこか甘い。
黄飛虎はとっさに逃げ場を求めるように体全体でずり上がろうとしたが、聞仲の腕が頭を抑えてそれはかなわなかった。
四肢が痺れるような感覚だった。頭の中まで聞仲でいっぱいになっているような、自分の体の中には皮膚一枚隔てて全て聞仲がいるような、そんな感覚だった。
一つになる、というのはこういうことか……。
まさしく、今飛虎は聞仲とひとつだった。
指の先にまで聞仲がいる。
肩にも、頬にも、全て聞仲がいる。
聞仲で詰まった顔を聞仲の指が捕らえ、もう一度唇が合わされた。
呼吸を通じて聞仲が肺の中にまで入り込んでくる。
黄飛虎はどこか自分だけの場所がないかと慌てて探してみたが、そんなところはもう自分の体の中には残っていないような気がした。
いいや、一つだけ。
熱く熱く、一番強く聞仲を感じているそこだけは、確かに飛虎だけの場所だった。
そこを穿つのは、聞仲なのだから。
そこに熱を、鋭い痛みを、そして甘い快感を与えているのは聞仲なのだから。
耳元で聞仲が何か囁いている。
おかしいな、いつも冷静な聞仲の声まで熱くて、ずいぶん甘いじゃないか。
これが聞仲なのか、と飛虎は思った。これが俺なのか、とも。
眩暈がする。頭がぼうっとして、何か考えるのももう億劫だ。
その眩暈は渦を描くように、飛虎の思考を食い破っていった。
その渦の先に何かが見える。
眩しいほど輝いているそこに向かって、黄飛虎は一気に駆け上がっていった。
「聞仲……!!」
そして、黄飛虎は意識を手放した
気持ちがいい。誰かが頭を撫でている。
時々その手が頬を撫で、額の髪を払い、顎を捕らえていく。
ずっとそうしていて欲しい。目を開けたら、この手はどこかへ消えてしまうのだろうか……。
眠りを手放したくないと思えば思うほど、飛虎の両目は悲しく開かれていった。そして、その目に聞仲の愛おしげな顔が映る。
「……聞仲……?」
「ああ、気がついたか?」
飛虎にはここがどこだか分からないようだった。軽く目をすがめて周りを見つめている。
「気がついたかって……」
体を起こそうとして眉をしかめる。何だかひどく窮屈だ。体の奥も鈍く痛い。
「起きない方が良い」
聞仲が肩を押さえて寝台に押し戻す。
聞仲の顔が目の前にある。白い、陶器のような頬。
「あ…、そっか……」
「辛くないか?」
「……大丈夫だ」
ずっと飛虎の寝顔を見ていたのだろうか。……きっと見ていたのだろう。飛虎は少し顔が火照った。
そんな飛虎の髪を、聞仲が優しく撫でる。腕を首の下に回し、しっかりと飛虎の頭を抱えて、愛しくてたまらないとでも言うように。
小さな溜息。飛虎はやはり辛そうだった。
「あ……」
「ん?」
何故これだけ窮屈なのかやっと思い当たった。飛虎の二本の腕は、まだリボンで結ばれたままだったのだ。
「……結局、最後まで結んだままだったな」
「ああ、良いんだ」
聞仲が気にしてはずそうとしても、飛虎はその手から逃れた。自分が寝ている間にも、きっと無意識のうちにこんなやりとりをしたのだろう。
「これは、印だからな」
飛虎がそっとリボンに唇をつける。
驚いたように聞仲の目が見開かれた。では、飛虎はやはり私のものになると、その気持ちは今でもあると……。
体が震えているのが分かった。何ということだろう。この様な歓びがこの世の中にはあったのか。
聞仲も飛虎に倣って、リボンに唇を寄せた。
この世で最も神聖な、そのリボンに。
それから二人は、ゆっくりと、本当にゆっくりと唇を合わせた。
お互いがお互いの物であるという、その証に。