幻惑の香
気がつくと、そこは見たこともない場所だった。レースや花で飾られた、だがどこか白々しいような部屋。
黄飛虎は何故自分がここにいるのか、頭を振って考えようとした。確か先ほどまで自分たちは朝歌に向かって進軍を開始しようとしていた所だったはずだ。それが急に目の前に妲己が現れたと思ったら、その後の記憶がない。
不自然な腕の痛み。この部屋の天井から、どうやら腕を吊られているようだった。この黄飛虎を拘束しようとは。腕に力を込めて自分の腕を戒めるリボンを引きちぎろうとしたが、だがそれは出来なかった。
「いくら君の力でも、そのリボンは切れないよ、黄飛虎君」
いきなり背後から男の声がして、飛虎は慌てて振り返った。全く気配を掴ませないとは、この男、仙道か?
「そのリボンは特別に君のために作らせた、強化宝貝だからね」
「……誰だ、おめぇ……」
「初めまして、飛虎君。僕は趙公明。聞仲君の友達だ」
「聞仲の……?」
ということは、金鰲島の……? ならば、この男は敵か!
飛虎がなおもリボンを引きちぎろうとするのを、趙公明と名乗る男は百合の花を片手に、笑いながら諫めた。
「僕は君と争うつもりはないよ。君は聞仲君の大切な友達だし、聞仲君の話を聞いていて、僕も君にはとても興味があったんだ」
百合の花を飛虎の目の前に差し出し、男は優雅に笑った。
「君と、お友達になりたいんだよ」
百合のきつい匂いが鼻をつく。
「……ふざけるな。何のつもりだ」
「あぁ、飛虎君。君と友達になりたいと言っているだろう? 僕は君には本当に興味があるんだよ」
言うなり、男は飛虎の体を百合の花で打った。何度も、何度も。百合の花弁が飛び散ると、また新しい百合の花を手にして、それで飽くことなく飛虎の体を打ち据える。
しかし、薔薇の花ならともかく百合の花である。男もそれで飛虎に傷を負わせようとしているわけではないらしく、その力は弱い物だった。だが黄飛虎には、この男の意図しているところがまるで読めない、ということがひどく不快だった。何のために百合の花で自分を打つのか。何のために?
どれだけの時間が経ったろうか。部屋の中には濃厚な百合の匂いが充満し、飛虎の体は、服から覗いているところで百合の花粉がついていないところはほとんどなくなった。
「お前、さっきから一体何を……」
言いかけたとき、その花粉に彩られた箇所が微かに疼くのを感じた。軽い目眩と、体温の上昇。
「……その花、宝貝か……!」
「ご名答、飛虎君。でもこの百合は君が思っているような物とは違って、とても素晴らしいものだよ」
男が百合の花を使って飛虎の上着をはだける。身をよじって逃れようとしても、天井から腕だけを吊られている飛虎にはどうしようもできなかった。
花粉の蹟にそっと男が指で触れる。熱い。何という熱さだろうか。
「どうだい、飛虎君? そろそろ効いてきたかな?」
「なに……」
体が震える。体中が熱く、そして疼いていた。何という熱。飛虎はなんとかその熱を耐えようと唇を噛みしめた。
「おや、さすがに飛虎君は話に聞いていたとおり、自制心の強い男だね」
男は笑いながら、一気に飛虎の服を鞭で切り裂いた。
「何を?」
「本当に分からないのかい? それとも、分からない振りをしているのかな?」
男の唇が、飛虎の首筋についた花粉に触れる。首筋の疼きが体中に広がっていった。更にねっとりと舐められ、きつく吸い上げられる。飛虎は唇を噛みしめた。体が熱く、それ以上に、そう、飛虎は感じていた。
「やめ……」
「やめろ? この状況で?」
趙公明は笑いながら飛虎の下半身に手を伸ばした。まだ首筋にしか触れていないというのに、飛虎のそこはもう堅く勃ち上がり、透明な密を溢れさせていた。
男は満足そうにそれを弄びながら、少し離れてその様子を眺めた。
「素晴らしい眺めだね、飛虎君。聞仲君はいつもこんな素敵な眺めを楽しんでいるのかな?」
「聞仲……?」
飛虎は訝しげに男を見つめた。何故ここに聞仲が出てくるのかが分からない、という顔だ。
「おや、分からないのかい? これは聞仲君も気の毒だ。聞仲君こそ、この光景を一番求めているというのに」
「何を……」
男はにやりと笑うと、百合の花を黄飛虎の鼻先に押しつけた。百合の香り。目眩がする。
「よせ……」
頭の中まで、百合の香りで一杯になっている気がする。聞仲。そう、男は確かに聞仲といった。聞仲がこの光景を一番に求めている?
「聞仲は、おまえとは違う……」
「へぇ?」
「聞仲は……」
「本当に知らないのかい、飛虎君? 全く聞仲君は鉄の自制心を持っていると言えるね! あんなにも君のことを求めているというのに>」
百合の香り。体中が痺れている。男が飛虎をきつく握りしめると、我知らず口から甘い息が漏れた。
聞仲は……。
「聞仲は、俺の親友だ。あいつを侮辱することは、許さない……!」
何故こんなにも息が甘く揺れるのか。聞仲。あぁそうだ。聞仲の白く美しい顔が瞼の裏に甦る。潔癖な聞仲。この世の汚いことなど何も知らないような、その高潔な横顔。
「飛虎君、君は自分の理想の聞仲君を描いて、それだけを見つめているのではないのかな?」
「何を……」
「聞仲君こそが、君にこうしてみたいと思っていたのだよ?」「聞仲を侮辱するな>」
飛虎を握りしめる男の腕が、緩やかに、だが確実に飛虎の快楽を搾り取ろうと蠢いていた。そんなことはさせないと四肢を強張らせても、だが飛虎の自制心は、百合の香りに絡め取られていた。
「聞仲君はいつも君を見ていた」
「あいつは俺の親友だ。俺たちは共に誰よりも大切な…!」
「親友だと思っていたのは君だけかもしれないよ? 少なくとも聞仲君にとっては、君は親友などではなかったのだ」
「違う!」
「聞仲君の君を見る目に、欲望はなかったのかい?」
「やめろ>」
趙公明は飛虎の花粉に彩られた胸板を這うように舐め、その突起を口に含んだ。飛虎の躯がそこを吸い上げられるたびにびくびくと震える。
「素晴らしいよ、飛虎君。この麗しい百合の香りにも耐えられる自制心。聞仲君が君に夢中になるのも頷けるね」
「聞仲のことは言うな!」
「何故? あぁ、飛虎君。君はなんて残酷な男だろう。君のそんな態度を前にしては、あの聞仲君が親友でいなければならなかった理由が分かろうというのものだよ」
「やめろ! 聞仲は俺の親友だ! あいつを言葉で穢す事は許さない……>」
きつく男を睨みつける目が、しかし甘く揺れていた。趙公明に押さえつけられているそこは、飛虎の意志を裏切って、解放を願っている。
「でもきみは、そんなに大切な聞仲君を捨て去ったんだね?」
「俺は…!」
「聞仲君を親友親友と言いながら、君は聞仲君を裏切ったんだ。そんな君のことを聞仲君が裏切ったって、君に文句を言う権利なんてないんじゃないのかな?」
……飛虎は、呆然と男を見た。
俺ガ聞仲ヲ裏切ッタカラ、聞仲ガ俺ヲ裏切ル?
「飛虎君、これは罰なんだよ。君は聞仲君を裏切った。だから、君も聞仲君に裏切られなければならない」
俺ガ聞仲ヲ裏切ッタカラ、俺モ聞仲ニ裏切ラレナケレバイケナイ……。
男の手が飛虎の先端を優しくなで上げた。
俺モ聞仲ニ裏切ラレナケレバイケナイ……。
そう思ったとたん、飛虎は男の手の中に、白い飛沫を放った。
「あ、…っく……」
押さえようとしても声が上がった。長いリボンで天井から拘束されている飛虎は、それ以上に百合の香りにその身を絡め取られ、自分の意志すら手放してしまっていた。
「飛虎君、君は素晴らしいよ……」
背後から飛虎を嬲っている男の声も弾んでいる。ピッタリと背中に男の体が密着し、手が飛虎の胸や腿、そして体の中心で存在を誇示している部分を丹念に撫で上げていた。
嫌悪感に唇を歪ませても、それでも飛虎にはもう己の体をどうすることもできなかった。
「あ、っく、う……!」
口は何かを求めるように開き、その唇からは先ほどから哀願の呻きが途絶えることがない。
その時、今まで誰も触れたことのない後庭に、鋭い痛みが走った。背後にいる男が細く長い指に百合の花粉を鳥、それを飛虎の中に埋めていく。
体の中が熱く疼き、飛虎は力無く頭を振った。そのうちに、そう、息をつく間にも、痛みは快楽へと変わっていった。
誰かにそこをきつく撫で上げてもらいたい。きつくきつく締め上げ、突き動かし、自分を滅茶苦茶にして欲しかった。もう黄飛虎は、背後にいる男が誰なのか、ただの快楽だけの体にされている自分が誰なのかすら理解できなかった。
聞仲君ニ裏切ラレナケレバイケナイ……。
聞仲君ニ
聞仲ニ……。
「聞、ちゅう……」
目の前に聞仲が立っているような気がした。この浅ましい姿を、聞仲が見つめている。あぁ、ではこれが聞仲の報復なのか? 聞仲を裏切った自分を、聞仲はここまで許せないと……?
「あ…>」
ゆっくりと、体の中に何かが突き入れられた。生木が裂かれるように、この身が裂かれていく。
「うぁあぁぁ>」
灼けるような痛みと、それを上回る甘い熱に、それでも飛虎は耐えようとした。だが、その痛みと快楽には耐えられても、これが聞仲の意志なのだろうかと思うと、その恐ろしさに飛虎の心は耐えきれなかった。
何故聞仲が。
聞仲が俺を……。
幻の聞仲に縋ろうとして、惰弱な自分を諫めるように頭を振った。俺が招いたことなのだ。俺が聞仲を裏切ったのだから。ここまで聞仲を追いつめたのは、俺なのだ。
「聞仲…!」
声に出して名を呼ぶと、自分を穿っているのが聞仲自身であるような気がした。
聞仲でないはずがない。
自分を犯し、辱めるこの男が、聞仲でないなどと、そんなことがあって良いはずがない。
「聞仲、おれは、おま、え、を……」
百合の香り。きつくきつく、飛虎の理性を絡め取る百合の香り。
その香りの中に、聞仲の姿が見えた。白く、気高いその姿。
あぁ、自分を今抱いているのは聞仲なのか。そうだ。俺は今、聞仲に抱かれているのだ……!
その瞬間、飛虎は聞仲の名を叫んだ。甘く切なく、誰よりも愛しい人の名を呼ぶように
そろそろ揚任が敗れている頃だろう。早く最上階に戻り、太公望を迎える準備をしなければ。
趙公明はぐったりを意識を失った黄飛虎をちらりと見た。
苦しんでいるような、それでも満足しているような、そんな不思議な涙を滲ませている。
愛しげに黄飛虎の頬を撫でながら、趙公明はそっと囁いた。
「飛虎君、君は本当に素晴らしかったよ。君のような人を聞仲君に渡してしまうのは少し惜しい気がする。だから飛虎君、今あったことは全て君の夢の中に封じ込めておこう」
召使いに飛虎を余化の元に運ぶように指示すると趙公明はふふ、と短く笑う。
「まさか飛虎君が聞仲君をあんな風に呼ぶなんてね。この素晴らしい思い出は僕だけのものだ。飛虎君にも、もちろん聞仲君にも内緒にしておこう」
百合の花に囲まれながら、趙公明は満足げに微笑んだ。
華麗な戦いは、もう目の前。