◎少女小説家への道


高橋ななを


 是方さんと同じくP出の作家さん。やはり、酒が強くてタフな女性。
 Pを離れてからの活躍がめざましく、ある意味で、P叩きあげで生き残った作家は、タフすぎるほどタフであることが立証されたのではないかと、僕は思う。


岡本「日本大学芸術学部の頃に小説で、吉本ばななさんや林真理子さんがもらった賞を大学から授与されたと聞いたんですが?」
高橋「ちがいます。彼女たちがもらったのは芸術学部長賞で私が頂いたのは、芸術学部賞です。私の頂いたのは、ひとつ下なんです」
「それは少女小説だったんですか?」
「いえ、150枚のハードボイルドでした」
「応募しはじめたのもその頃ですか?」
「ええ、S学館の雑誌Pの第一回から応募しました。それで、二次に残ったんです。すると、編集の方から電話があって、S学館の地下にある喫茶店で担当さんと会いました。がんばるように言われました。でもそうなかなかうまくいきませんでした。大学を卒業して就職しながら投稿を続けて、佳作をもらったのは第五回で、26才になってました」
「賞金はいくらだったんですか?」
「五十万です。それでシンガポールへ行きました」
「そのあとはどのような活動ですか?」
「賞をもらった短篇の続編70枚をPに掲載してから、最初の文庫を翌年の末に出しました」
「『志央美は作家志望』92年11月刊ですね。是方さんからいろいろS学館のうわさを聞いているんですが、やっぱりこれを出すまでいろいろと苦しいことがあったと思うのですが」
「はい。最初に230ページ書いてから、直してくれと言われて、30ページ残して、200ページを二週間で書き直しました。まあ、このくらいは普通だと思いますけど」
「……。次の本『ゴールはあなたの腕の中』の発行が翌年の3月ですので、とても順調なでだしですね」
「でも、そのあと担当の方が変わるなどして色々あって、3冊めの「サイドシートで眠らせて」が出たのが約4年後の96年(11月刊)です。ちなみにこの原稿のプロットは、担当を酒でへべれけ酔わせて了承させました」
「まるで、ヤマタのオロチですね。で、その本が出るまでの活動はどのような?」
「プロットのボツ山と完成原稿のボツ山です。雑誌Pが無くなってしまったので、短篇発表の場もなくなってしまいました。仕事をやめて完全にフリーになってからは、賞の下読みとかトリック集の原稿などで収入を得てました。両親といっしょなので生活にはこまりませんでしたが、フリーになることを両親に納得させるまで時間がかかりました」
「ボツになった原稿などを、他社に持ち込んだりとかしなかったのですか?」
「4冊めになるK文社のノベルズで出した『ダイヤモンドに輝いて』(97年9月刊)がそうです。もちろんそのままじゃなくて、全面改稿のすえですけど」
「『ダイヤモンドに輝いて』は書泉グランデの週間ベスト10に入ったりして、なかなかの売れ行きだったとおもうんですが」
「でも、再版かかってませんし、K文社の反応もいまひとつ鈍いです」
「5冊めになるK談社×文庫『18才の聖戦』98年5月刊が出た経緯はどのようなものだったんでしょうか?」
「篠田さんの紹介です」
「この作品はわりとすんなり出たんでしょうか?」
「S学館に比べると、すんなり出ました。校閲が厳しくてびっくりしましたけど」
「次回作の予定はどうなってるんでしょうか?」
「×文庫の2作めを担当氏に渡してあります。内容は宝石店勤務の実績をいかした、内部告発ふう小説になってます」
「おもしろそうですね。で、現在はなにを書いてるんですか?」
「K文社の続編です。まだ、書けとも、書くなとも言って来てませんので、書いて送ろうと思ってます。ダメなら、他へ持ち込むだけですので」



 彼女のタフさには、僕も頭がさがります。なぜそこまでして書くのかという質問はあえてしませんでした。答えは皆さんもおわかりのことと思います。
 この世界「売れないから」「みとめられないから」と言って、小説をやめられる方はある意味でしあわせな方であり、作家に必要な根本的な才能のひとつを有していないとも言えるのではないでしょうか?