◎SF&幻想ホラー小説家への道


牧野 修 【経歴を見る】



牧野「はっきりとは覚えてないんですが、小説を書きはじめたのは小学校の頃だったと思います。グリム童話を毎夜、片目で読んでおりました。その影響だったと思います。ぽつぽつと、奇妙な小説を書くようになってました。ショートショートや長編の冒頭だけみたいな、短いものばかりですけど」
岡本「なぜにまた片目で本を?」
「身体損傷というのがカッコいいと思ってたんですよ。そしたらみるみる片目だけ視力が悪くなりまして、これがまた左右で倍ほどちがうようになりました。遠近感が狂ってボールが取れないようになったりして、不便なだけなので、すぐやめましたけど」
「今でも左右の視力は、そんなに違うんですか?」
「今はだいぶ近づいてます。いい方の眼が悪い方に合わせてどんどん悪くなってきましたもので」

 牧野修さんはとても気さくな大阪人である。同じ関西の田中啓文さんとの会話は、きまってアドリブ漫才となる。
 しかるに、幻想作家にふさわしい、幼少時代であった。
 今回のインタビューは、牧野さんがまったく酒を飲めないので、日本SF大賞受賞パーティ前の待合室と、翌日の喫茶店でのインタビューとなった。喫茶店では、田中啓文さん、田中哲也さん、我孫子武丸さんなどがホテルを出されて同行していた。昨日はだいぶ遅くまでみなさん飲んでいたらしく、あまり寝てないという。とくに我孫子さんの飲み過ぎがひどく、トイレに行ったまま、なかなか帰ってこなかった。

牧野「小説が初めて商業誌に乗ったのは、ネオヌルがきっかけでした。高校の時にSFマガジンで筒井さんの主宰するネオヌルの広告が載ったのを見て、ネオヌルに作品を出すようになったんです。いくつかボツになって2本ほど載りました。それが徳間書店から出された1974年日本SFベスト集成に転載されたんです。そのあとは大学1年のときに、奇想天外の新人賞もらいまして、頼まれて短篇を3つ4つ書きました」「それで小説家になる決心がついたわけですね」
「いえ、あまり考えてませんでしたね。ただ、長編を書こうという気にはなってました。それで長編を書きはじめて、ちょうど書き上げた頃、奇想天外社がつぶれました」
「そのあとは?」
「そのあとは大学を卒業しまして、あまり務める気がなかったので、実家の酒屋の倉庫を店にして雑貨屋をはじめたんです。これを2年ほどやり、広告会社でコピーライターとして2年ほど務めました。そのあと結婚することになりまして、親に酒屋をつぐように言われたんです。私、長男ですし。まあしょうがないかなーと思って、それでも一年ほどプーをしてから、実家の酒屋を10年ほど手伝うことになります」
「その間、小説の方はどうなってるですか? ぜんぜん書いてなかったわけですか?」
「いえ、ボチボチ書いて投稿し、幻想文学新人賞を取ったりしてます。でも、小説家になろうという気はあまりありませんでした。出した小説がすべてなんらかの賞に入選するわけですから、まあ、作家ならいつでもなれるだろうと……間違いだったわけですが」
「小説家になると決心したことに、どんな理由があったんですか?」
「酒屋の仕事が嫌で嫌で、親を説得して仕事をやめるには小説家になるしかないと考えたわけです。酒を配達しながら投稿用のヤングアダルト小説をかきました」
「配達しながらってどうやるんですか?」
「配達先のカウンターや倉庫で伝票を書くふりしながら、ちょこちょこと小説を書くんです。夜もかきましたけど。それでまず、大陸書房のネオファンタジーに投稿しました。これがボツで、書き直したものをハヤカワハイ!に、別の新しいものを富士見に投稿したんです」
「それでハイ!に出した『王の眠る丘』が入選となるわけですね?」
「実質上のデビュー作だと思っています。富士見の投稿作品も最終選考にまで残ったのですが、その時にはハイ!の受賞が決まっていまして、富士見の担当の方に相談して結局その時点で辞退しました。でもこの作品は書き直してソノラマ文庫で出しました」
「それで酒屋をやめて、専業作家となるわけですね?」
「継ぐ者がいないので、親も酒屋をやめてしまいました。その後、ハイ!はすぐにつぶれてしまいましたが、SFマガジンの方へ少しずつ書くようになってました。その中で好評だった『マウストラップ』を連作短篇にして出したのが『マウス』です。ソノラマで『プリンセス奪還』が出て、そのあとはオリジナルの方はさっぱりです。アスキーのノベライズの仕事を5本ほどやりました。一番、辛い時期でした」
「ノベライズのあとがきにあったように金銭的に大変だったことですか?」(『クロック・タワー』のあとがき参照)
「それもありますが、あちっこちっちに何本も持ち込んだオリジナルのヤングアダルトの作品がまったく受け入れられなかったんです。ヤングアダルトは奥深いものだ、それなりのノウハウやテクニックが必要だとわかりました。物語性とわかってもらえるキャラクター造形というのは絶対に必要ですよね。それがわかっているのにできない」
「肌にあわなかった、ということですか?」
「そうなるのかもしれません。でもその時の私はエンターテインメント小説というものが書けないのだと思っていました。今も多少その時の気分を引きずっています。私は元々みんなに喜ばれる小説を目指してましたし、自分のコアな部分をだしたマニアックな物を書こうとも思ってませんでしたので」
「ホラーを書くようになった経緯はどのようなことですか?」
「ヤングアダルト作品が受け入れられない反動もありましたが、井上さんに誘われて異形コレクションに書いたことも影響してます。書いてみて、ホラーが自分にあってるというのに気づきました。ホラーが好きというのもありますが、SFだと世界をすべて造れてしまうわけで、それだと読者から遊離してしまう傾向が自分にあるんです。ホラーだと現実に根ざした部分に読者が恐怖を感じるわけですから、遊離しにくい」
「なるほど。それで『屍の王』が出るわけですね」
「その前に持ち込んだホラー原稿が二本ほど他社でボツになってますけど」
「その作品はどうなったんですか?」
「これから続けて出版される予定になってます。もちろん書き直してありますけど。『屍の王』が注目されたということもありますが、『異形コレクション』『マウス』の評判がある程度良かったことも影響していると思います。最近になってようやく長編の依頼や、中間小説誌からの短篇の依頼が来るようになりました。なんのかんのと忙しくなってます【経歴の予定参照】。忙しいけど、お金が入って来るのはもう少しあと、という状態です」
「ブレイク寸前ですね」
「その言葉、嫌だなー。昨日のパーティでも、あっちこっちでそればっかり。ブレイク寸前ですね。ブレイク寸前ですね、って。そう言われ続けてもう24年ですよ」(笑)

 文句なく実力があり、高い評価も受けながらながら、なぜか売れないSF作家のひとりだった牧野修さん。インチキ宗教本や便乗本が売れるのはまだ我慢できるが、牧野さんのような作家が売れないことに僕は強い苛立ちを感じていた。
 けれど今回、ホラーという水を得て泳ぎだした牧野さん。ブレイクは確実である。
 溜飲をさげ、今後の大活躍を見届けてゆきたいと思います。

(1999-3)