◎小説家への道


霧島那智【ホームページへ】←経歴その他はこちらにてご覧ください。


 今回は霧島那智というペンネームをもつ作家集団、その中心人物である若桜木虔氏へインタビューさせていただきました。


岡本
 小説を書きはじめたきっかけを教えてください。それはいくつの時だったのでしょうか?


若桜木
   小説らしきものを書いたのは高校生の時が最初です。
 触発されたのは『西遊記』と『水滸伝』。で、当然のことながら、最初は中国もの。これは短編。
 本格的に小説に取り組んだのは、東大に入ってからで、この頃はSFの全盛期。というわけでSFに取り組むことに(相当にミーハーの気あり)。
 ハインラインとかアシモフ、フレッド・ホイルなんぞを読みあさり、A・C・クラークはあんまり波長が合わなかったです。
 J・G・バラードなんかも好きだったけれど、ポール・アンダーソンみたいな俗っぽいのも大好き。特に『タイム・パトロール』は、後にシミュレーションを手がける遠因になりました。
 最初に、20歳の時に書いたSFが、東大の銀杏並木賞(東大新聞主催)に第1章だけ応募して落とされ(この時の受賞者が藤原伊織氏)、後に文化出版局から上下2冊で刊行になった『アンドロイド・ジュディ』です。
 2番目に書いたSFが、やはり文化出版局から刊行になった『タイム・トラベル3501』という作品。これが、21歳の時。どっちも古書でしか入手できませんが。
 デビューは29歳の時で、遅いんですが、以前の旧作をドカッと出せたわけで、結果的には、全く無駄書きしていないラッキーな執筆歴です。
 この当時から長編書きで、短編はまるで駄目人間でした。そのために、デビューが遅れました。理系で、研究と併行、卓球部もレギュラーだった、という多忙さもありましたが。

 短編が駄目でデビューが遅れた、というのがよくわからないのですが? 当時はそんな状況だったのでしょうか? それとデビューのきっかけを教えてください。

 これは、採用になるレベルの作品が書けなかった、という意味です。
 今でも短編は大の苦手で、最近は長編が向こう2年間ぐらいは詰まっているので、短編の依頼が来ても断っています。引き受けているのは、随筆とか『公募ガイド』の連載のような、小説ではないものばかりです。
 博士課程の途中で身体を壊し、研究生活を続けられなくなったので、プロを志したのですが、その当時『赤銅鈴之助』の著者・武内つなよし氏(同じ同人に属していた)から「漫画の原作が手っ取り早く金になる」と言われて持ち込みを始めました。
 しかし、新人が連載枠を貰えるわけもなく、取れても25〜30Pぐらいの読み切りで、短編の苦手な私としては悪戦苦闘を強いられました。
 この時に鍛えられたのが、当時『週刊漫画』にいて後に大陸書房の社長になった塚田氏。その次が、今のコスミックの担当者の笠原氏。そして、現在は東京アニメーター学院の院長の鈴木氏。
 当時の恩義があって、この3人に依頼されるとNOと言えません。今コスミックで無茶書きしている(させられている)のは、そのためです。
 これで多少は短編の起承転結の付け方も覚え、その後は三流小説誌で短編を書きまくって小遣い稼ぎすることもやりました。しかし、あくまでも可能になったというレベルです。
 最初の頃は採用も穴埋めで「誰それが急病で倒れたから、原作のピンチヒッター」という感じで依頼が来ました。で、たいてい締切は翌日。速筆は、ここで鍛えられたからですね。
 大ヒットした『宇宙戦艦ヤマト』のノベライズも、元々は作者の松本零士さんが「自分でやる」と言い張り、結局、忙しすぎて書けず、締切が過ぎた状態になって「最も速いヤツ」という理由で私のところに回ってきた、という経緯です。
 あのシリーズは、だいたい5日で書き上げています。

 早いですね。最初にお会いしたとき、たしか一日、40〜50枚を四時間ほどで書くとお聞きしたと思うのですが? 今まで、数行しか書けない日とか、スランプとか無かったのでしょうか? 早く書けるコツとかあったら、ぜひ教えてください。

 これまでの最高は、月産で2800枚、日産で150枚です。
 月産2800枚は30代の半ばで記録。
 翌月はダウンしましたから、無茶書きするもんじゃありません。
 数行しか書けない日というのは、記憶にありません。
 高熱で唸っていたりして超体調不良とか、旅行に出ているとかでゼロの日はありますが、執筆に着手すれば最低でも10枚は書きます。
 腎臓結石でぶっ倒れて入院した時も、ノート・パソコンを持ち込んでベッドの上で10枚は書いており、同室の患者さんに何業かと不審がられました。
 スランプは、あります。ホームページにもいずれ書き込みます。
 ただ、書けなかったスランプというのは過去において存在しません。
 書いた物が不出来で、書いても書いても採用されない、という形のスランプです。
 早く書くコツは、「どれほど文体に凝っても、全く凝らなくても、読者の受け止め方に大差がない」とドライに割り切っていることでしょうか。

 なるほど。
 では「霧島那智」についてお聞きしたいと思います。詳細については、【ホームページ】の方で読んでもうこととして、現在の瑞納さんとの執筆分担について教えてください。



 瑞納さんとの執筆比率は、全体的に見て4:1です。
 ただ、彼女が1巻全てを書いてしまったもの、私が1巻全てを書いてしまったものもあり、前後半を分けて執筆したものもあります。
 それから、人物を分けて別々に書き、後でパソコン上で時系列順にジグソーのように填め込んで完成、というものもあります。
 但し、リレー形式の執筆はありません。前後半分担の時も、同時執筆スタートでした。これは、締切が切迫している時にやります。
 現在は彼女が『武田信玄の野望』第4巻を単独執筆、私が『イージス空母ムサシ出撃』を執筆しており、それぞれ1巻を丸ごと仕上げる方式のちょうど半ばに差し掛かっています。

 今後、霧島那智としての活動はどのようになってゆくと若桜木さんお考えですか? ホラーや推理小説といったジャンルの執筆もありえるのでしょうか?


 ホラーは、その才能がある助っ人が加わらないとダメでしょうね。その素質がないので。
 もっとも、自分自身には分からないもので、コスミックから出している『北朝鮮・日本侵略』(目下のところ5巻までで、以下続刊)は「怖い、近未来パニック・ホラー」だという人がけっこういます。 (「オリジナル蘭」のホームページを参照されたし)
 推理小説は、既に何社にも「書かせてくれ」と言っているのですが、GOサインが出ません。
「売れるか売れないか分からないミステリーより、とにかく必ず一定数は捌けるシミュレーションにしてください。シミュレーションが売れなくなったら、その時点で考えますから」
 と、各社とも判で捺したような返事です。SFの企画を出しても全く同じです。
 シミュレーションが売れてくれるのはありがたいのですが、不自由な話です。
 実は、太平洋戦争から戦国シミュレーションに移ろうとした時も、なかなかOKが出ませんでした。
 有楽など、今もって戦国シミュレーションはOKが貰えません。

   たとえシミュレーションものがすたれても、「霧島那智」は柔軟に生き残ってゆくのが予想できますね。けれど、若桜木さんご自身、一番書きたいのはどのジャンルなのでしょうか?


 これは、非常に難しい質問です。
 私としては「ワクワクするような面白い物語を書きたい!」というのが根幹にあるのです。
 だから、ジャンル問わず、です。
 デュマの『ダルタニアン物語』『モンテ・クリスト伯』
 中国伝奇の『西遊記』『水滸伝』
 SFだったら、アシモフの『ファウンデーション』とか。
 純文学的な方向に走ったSFは好きじゃなく、通俗的で肩の凝らない、あくまでも読んでリラックスできる物語、ですね。
 こういう想像力は自分にないなあ……という点では、フィリップ・ホセ・ファーマーの『階層宇宙』シリーズ。
 あれって、完結してませんよね?
 自分が生物系なので感心したのが、ハル・クレメントの『重力の使命』
 ああいうSFが書けるといいなあ、という思いはあります。
 出鱈目な話では、バローズの『火星シリーズ』の頭の3部作部分も好きです。
 後のほうはジリ貧の印象で気に入りませんが。
 チャンバラ小説だと、『龍馬が行く』的なのは二の足を踏みます。
 司馬さんだったら、『梟の城』『風神の門』ですね。
 きっちりした考証の本は、資料としては読みますが。
 本音としては、考証を度外視の出鱈目本のほうが好きです。
 山田風太郎の『忍法帖』シリーズとか。

 最後に、今までの作家生活の中で、特に非道い目にあった話しと、逆に良かった話しをお聞きしたいのですが?


 非道い目というのは、特大級のヤツが3つあります。
 良かった話というのは、平素の執筆生活がそうですね。好きな道に入って、それで生計が成り立っているわけですから。
 自分が手塩に掛けた作品が、本という具体的な形になって誕生してくるのを見るのは、何にも増して快感です。
 これ以上の喜びは、そうそうないですね。
 ですから私は、ストレス発散に飲み屋に通ったり倶楽部に行ったり、あるいは女に……などという作家がいることが信じられんのです。
 何と言ったって、原稿を書くことが最高のストレス発散ですからね。
  そんなことを言う私のほうが文壇では異常でしょうが、こういう受け止め方だからこそ速筆になるんでしょうね。

 で、その特大級の非道いヤツといのは?(ドキドキ)


 その1。これは以前、ニフティのFBOOKCでも公開した話。
 作品が映画化されたりして、まだ私が人気絶頂?だった頃、松×館(仮名)という版元から、
「今度、ノベルスを立ち上げたいので、できれば棚を確保するために、どかっと纏めて書いて欲しい」
 との依頼で、5点を各50000部という約束で引き受けました。
 他社からの依頼もあって、月産2800枚も書いたのは、この時です。
 ところが、ゲラも終わり、責了も過ぎ、イザ刊行という段になって、社長の大馬鹿野郎が「金がないので5000部しか刷れない」なんぞと言い出しやがったのです。
 今の出版大不景気の時代だって、ノベルス5000部じゃ誰も引き受けませんよ。定価2000円のハードカバーならまだしも。
 販売部が慎重なので1割削られるって話は、よくあります。だけど、10分の1ってのはねえだろう!

 一冊800円のノベルスとすると、五冊で1800万円ほどの印税がチャラですか?


 あー、今、思い出しても、腹が立つ。
 おまけに5冊の内の1冊は、カバーを見たら「訪問者」が「訪門者」になってるって酷い誤字で、刷り直せって要求したんだけれど、それも「金がない」ってんで、そのまま出され、まるで私が無知みたいで大恥ですよ。
 この松×館って会社、まだやってるみたいだけど、もしも依頼が来たら、事前にちゃんと契約書を交わして、違反した時の条項もきちんと取り決めなくちゃ駄目ですよ。
 同業の皆さんに警告しておきます。
 もしまた私の所に依頼が来るようだったら、まず、その時の“未払い分”に利息をくっつけて、2000万円は先渡しで払ってくれなくちゃ引き受けません。
 まあ、依頼が来ることはないだろうけど。


 いやー、怖いですね。ほとんど詐欺にあったようなものですねそれ。
 これがひとつ目とすると、もっと非道いことが?



 その2。これは、私に人を見る目がない、ということの証明でもあるんですが……。
 私にも出版バブルで、ジュニア小説ですが、初版10万部なんぞという、今となっては夢のような時代もあったわけです。
 で、そういう時には俗に「親戚が増える」なーんてことを言いますが、全国各地から弟子入り志願者がけっこう来たものです。
 それが、不意の押し掛けじゃなくて、全て古い知人の紹介状を持って来たもので、お人好しの私としては断れなくて。
 最終的に、その中でデビューできた人間は1人もいなかったわけですが、いくら出版バブルの時代でも、そう簡単には行かんもんです。
 で、その中でも最も文才がなかったKという男。
 使い道がないので、マネージャー的な仕事をさせました。
 これはまあ、熱心にこなしたんですが、そのうちに実績が上がってくると、法外なマネージメント料を要求するようになったわけです。
 それは拒否したんですが、後になって思い返してみると、これを深く根に持ったらしい。
 私は結局、この男のために数千万円の負債を背負わされたばかりでなく、各社から干される事態になりました。

 具体的にどのような?


 面従腹背という言葉がありますが、そのとおりで、従前どおり熱心にマネージメントをしている振りを装って、各版元に対する私の信用を失墜させる行動のみを採っていたんです。
 この当時、こいつと付き合いがあった編集さんは、大多数が「2度と若桜木に仕事はさせん!」と今もって声高に言っているそうです。
 そういう情報は、まだ私の耳に届きます。
 私の仕事先が量産なのに限定されている理由は、こいつの陰湿な報復も一因です。

 
 数千万円の負債というのは?



 各社から干されますから、何かしら他の手段を採らなければ会社が維持できません。(当時はプロダクションにしていましたから)
 そんところへこの男、言葉巧みに上手い話、TV番組製作などを持ってきて、その投資資金を金融機関から借りさせたんです。
 要するに私を経済的に破滅させようという報復です。
 もちろん弁護士に依頼して告訴も検討したんですが、その弁護士さんが先方の資産状態を調べて「間違いなく勝訴しますが、向こうに賠償する能力がありません。裁判費用の分だけ持ち出しになりますが、勝訴で気が済むなら、裁判しますか?」と言ってきたので、馬鹿馬鹿しくて止めました。
 だから、よけいに腹が立ち、今も収まっていません。
 口が巧みで、当時の経緯から業界に顔も広いので、ひょっとしたら同業者の間にマネージャーとしてでも潜り込もうと企てている可能性があります。
 K文社の編集さんに聞いてもらえば私の言葉が事実だと分かりますが。

 同業者の皆さん、マネージャーを雇う時には気をつけてください。


 その3。これも、弟子がらみの話です。
 私は東大卓球部の監督をしていた時代があるのですが、その卓球部の後輩に、文筆業に入ってみたいという男がいて、弟子にしたわけです。
 この男、文才はまあまあのところだったのですが、ゲームブックの才能があって、ちょうどGBブームの時だったものですから、GB作りをやらせてみたわけです。
 版元も私の名前でなければ出させてくれませんが、内側に当人の名前を出して、よく見ればそいつが実際の制作者だと分かるようにしてやりました。
 ところが、そういう温情を掛けてやったのが仇で、名前入りの本が出た途端に天狗になり、締切は守らないわ、手抜きをするわ、です。
 テレビ・ドラマなんかで人気作家のところへ編集者が訪れる、その大家の原稿が欲しくてへーこらする、ああいう状態に自分がなったと、途方もない勘違いです。
 手抜きというのは、全く同じ文章が1Pくらいにわたって何箇所も出てくるという、誰が見ても即座に分かるようなヒドさで、それを責めると「**社(弱小の版元)だから手抜きをしようと思って」と、平然と言い放つ有様。
 どうしようもなくなって破門にしました。弟子を破門というのは、後にも先にも、こいつが唯一です。
 ところが、事はそれだけでは済みません。関連してスケジュールを押さえていた画家さんとか、色々な所に迷惑が懸かります。
 で、そういった方々に謝罪させようとしたのですが、何と、こいつが私の先輩の総監督に泣きついて讒言したんですな。
 その先輩というのが、そいつの讒言を真に受けて、私がその馬鹿野郎から恐喝しようとしていると激怒したんです。
 しかも、「業界で生活できないようにしてやる」と。この阿呆な総監督は、業界最大手のD日本印刷の部長ですよ。
 D日本印刷と版元じゃあ、どれほど大手の版元でも経営規模は足元にも及びませんからね。
 だいたい、学生を恐喝して、いくら取れるっていうんですか。こっちは売れっ子のプロですよ。ちょっと考えりゃ、脳味噌のある人間なら分かることじゃありませんか。
 更に、その阿呆は馬鹿の讒言を真に受けて、私がその馬鹿にモルモン教の入信を強要したってんです。
 冗談じゃない! 私は当時(今でも)小説家たるもの、少なくともある程度の宗教知識は持っていなくちゃならない、って信念を持っていて、手元にはカトリックの聖書、プロテスタントの聖書、ものみの塔の聖書、仏典、イスラム教典のコーラン、モルモン教典と、種々雑多に取り揃えて持っています。
 そういったものを「読め」と言って渡しただけのことで、モルモン教の教会に連れていったことさえない。建物を見せたことすらない。
 それが「入信強要」ですからねえ。まあ、イスラム教を強要されたってんじゃリアリティがないんで、けっこう各所で宣教師を見かけるモルモン教の名前を持ち出したんでしょうが。
 挙げ句の果て、この阿呆は私に向かって「お前は弟子の育て方、教え方がなってない」なんぞと抜かしやがるのです。
 これが大作家と呼ばれるような人から忠告されたのならまだしも、いくら大手とはいえ、たかが印刷会社の部長ですよ。
 いくら大量の小説を印刷しているからといって、何でそんな門外漢が「小説家の育成法」をプロの私に講釈できるんですか。
 この時は頭に来て、D日本印刷に内容証明を送りつける、向こうは弁護士を立てて対抗する、って事態になりました。
 しかし、向こうが謝罪せんのだから、こういう問題は有耶無耶にしかなりません。
 私は、この時は頭に血が昇って、それから丸々2年くらい小説が書けませんでした。
 といって、生活費を稼がなくちゃなりませんから、速読術の本とか記憶術の本とか、英語の勉強法とか、色々と手当たり次第に書きまくりました。
 私に大量の速読術本の著作があるのは、こういう理由によります。
 今でも、こいつらに出会うようなことがあったら張り倒すと思いますよ、私は。
 弟子の問題で散々懲りたので、現在のように文化センターで教える方式に切り替えました。
 これだと、どんな義理のある知人に頼まれても「この講座の生徒になってくれ」で逃げられますからね。
 以上です。細かい非道い話なら、まだいくつかありますが。


 ながながとインタビューにつきあって頂き、誠にありがとうございました。


 小学校の時に若桜木さんの書いた「宇宙戦艦ヤマト」を数日かけながら、少しずつ読んだことを思いだしました。もしかすると、僕が読む速度より書かれた速度の方が早かったのかもしれません。
「筆が早ければいいというものじゃない」という反論もあるかもしれませんが、遅いよりは、早い方が絶対よいことは事実であります。
 せめて若桜木さんの5分の1の早さが欲しい、文章を割り切る度胸が欲しい、そう思う今日この頃の僕でした。

(1999.12)