◎SF&架空戦記小説家への道


青山智樹 【経歴を見る】


 吉祥寺のやけに空いた中華料理屋。二人の人物が向かい合って座っている。一方は小柄、小太り。どういうわけか白衣を身にまとい牛乳瓶の底のようなメガネをかけている。一方は長身でストレートのジーンズに、ダンガリーシャツというまともな服装であるが、その上に乗る顔は猫である。頭のてっぺんに猫耳がつきだし、ときおりぴくぴくと動かしている。薄い上品なめがねをかけているが、鼻もないのにどうやって止めているかは謎である。
 白衣が青山、猫が猫丸である。


猫丸「このたびはご令嬢のお誕生、誠におめでとうございます」

 (猫丸、丸めた手で顔を洗いながら言う)

青山「ありがとうございます」

「なまえは決まったんですか?」

「まだなんです。家内は駆逐艦の名前にするか、少女漫画の登場人物にするか悩んでいるようです。最近では子供を風呂に入れるのが……」

 (断ち切るように)

「では唐突ですが、小説家になろうと思ったいきさつからお聞かせください」

「本当に唐突ですね」

 (咳払いを一つして、一気にしゃべりはじめる)

「はじめはただの本好きだったんですよ。中1から3年ぐらいの間に、「星新一」「小松左京」「平井和正」さん等のハヤカワ文庫に填まるという、よくあるパターンでしたね。作家になろうと意識はありませんでしたが、高1のあたりから、「SFマガジン」のショートショート・コンテスト等や「奇想天外」に投稿するようなったんです」

「なるほど、意識するまえに書きはじめていたわけですね」

「中学生くらいまでは小説を書くというのは特別の能力を持った人だけで、自分が書けるとは想像すらしませんでしたから、職業作家など思いも寄らなかったわけです。ですが「奇想天外」の新人賞でデビューした新井素子さん(当時十五歳)が僕と同じ年齢だったことで「そうか、シロウトでも書いてもいいんだ」とびっくりしてからです」

「投稿と平行してSFファン活動や同人誌に参加したのもそのあたりですね」

「高3のころに参加した「小松左京研究会」がはじまりでしたが、高校生の頃は優等生で一年の頃から進学コースへ入れられて、まじめに受験生なんかやっていたんで、本格的には大学に入ってからですね。」

「そのころの人生を続けていたら、もっと偉くなっていたかもしれませんね」

 (猫丸、つまらなさそうに毛づくろいを始める。青山、蕩々と高校時代の自慢話を続けるが、猫丸は聞いていない。削除)

「宇宙塵に参加したのはどのへんなんでしょうか?」

「大学に入ってからです。そのころは作家よりも、マッドサイエンティストになって世界征服をしたかったので、理科系の大学に入りました。でもまあ、同人誌活動は続けていましたし、その当時に入っていた同人誌に飽き足らなくなって、ひとつもっと大きなところに行ってみようと考えたんです。それぐらいしないと世界征服なんてできませんからね。そのころ、同じ同人誌に伊吹秀明がいて、伊吹は「星群」(西で超有名なSF同人誌)に武者修行へ出ると言ったので、僕は「宇宙塵」(SF同人誌の最高峰)に入ることにしました。何しろ星群より遥かに掲載料も安かった」(笑)

「プロ並みの作品レベルを要求する宇宙塵の厳しさは僕もよくしってます。(猫丸、滂沱と涙を流す。暗い過去を思い出したらしい)最初に掲載された作品「故障」(184号掲載・ペンネーム:汐妙由)は何回くらい書き直したんでしょうか?」

「7回くらいです」(これまた泣きながら)

「評判のほどはどうだったんでしょうか?」

「下の下でした。(泣きながら鼻水を垂らす)宇宙塵から作品を転載してデビューするというのはよくあるのですが、ぼくの場合は何もありませんでした。当時、SFアドベンチャー誌には同人誌評があったけと、無視されました。まあ、評をやっているのは顔見知りなので、後回しにされたのかもしれませんが……」

「首を括りたいとは思いませんでしたか?」

「いかに前例が多いとはいえ、掲載一回でプロデビューできるとは思っていませんでしたので、別に落胆しませんでしたけど。暗くはなりましたね」

 (水餃子がでてくる。食い始める。急に機嫌がよくなる)

「作家になろうと心に決めたのはそのあたりですね?」

「大学も四年になると、さすがにマッドサイエンティストになって世界征服をするのは難しいと実感まして、モノ書きになりたいと思い始めたんです。宇宙塵で書いている人間の中には売り出し始めている人もいました。大場惑さんの「コンタクトゲーム」が宇宙塵からSFアドベンチャーに転載されたのもこのころです」

「小説をやめようとか、思わなかったんですか?」

「何度も何度もそう思いました。でも、やめられなかったですよ。気がつくと原稿用紙に向かってる。宿命なんだ、そう思いました。だったら、なんとかして別の方法で収入を得ながら書いていく方策を見つけなければならない、じゃあ、一番暇な職業は何だろうと世間を見渡して、高校の先生になりました」

「小説を書くため学校の先生になったんですか! 生徒たちこそいいツラの皮じゃ……」

 (青山、猫丸の反応を無視する)

「でも、もくろみはみごとにはずれました。死ぬほど忙しかった。休日なんか、もう寝こむみました。なおかつ生徒はワルばかりで、女とバイク以外には興味がない……」

「それで、デビューのいきさつですが」

 (無理矢理入ってくる)

「えっ、先生のころの愚痴は聞いてくれないの?」

「その話は、また後日おねがいします」

「けち」

 (と、誹謗しつつも延々と愚痴をこぼす。削除)

「90年頃というとSF・ファンタジー真っ盛りの時代だったんですよ。SF・ファンタジーと名がつけばどんな本でも飛ぶように売れ、それまで聞いたこともないような人たちの作品が次々と書店に並びました。いい時代でした」(遠い目する)

「そんな時代があったんですか?」

「あったんです」

 (二人して遠い目をする)

「それ、続けとばかりに様々な出版社がこの分野に進出ました。そこで、ぼくにもふたつ、声がかかったんです。
 ひとつがケイブン社のノベルスの新シリーズの話。この方とは今でもつきあいがあるのですが、ケイブン社の編集者、カサハラさんがある編集プロダクションに「若手を集めて欲しい」と声をかけ、それがたまたま伊吹が勤めるプロダクションだった。ほかの宇宙塵のメンバー、そしてプロダクション出入りのライターたちとともに編集さんに紹介され、ふたつのプロットを提出しました。ひとつはファンタジーじみた遠未来もの。もうひとつは、いわゆるスペースオペラ。こちらは昔から書きためていたもので、二百枚ほどできていました。ハードコピーを渡し、口頭で説明しました。後者にゴーが出て、それがデビュー作『赤き戦火の惑星』になります。
 もうひとつはゲームソフトを扱っていた会社が出版に進出するというものいうもので、宇宙塵経由で来た話です。僕の他にも何人か、塵のメンバーが集められました」

「それで先生をやめて、創作に専念したわけですね」

「書き下ろし長編二本のうち、どっちかものになると思いましたし、親と同居ですし、貯えもありましたから」

「それで、どうなったんですか?」

「まずゲーム会社の方ですが、先行して二冊出版されています。一冊はまるで聞いたことのない人。もう一冊が宇宙塵の梅原克文さんでした。ですが、出版社が無知だったため、売り上げは芳しくなかったらしいんですよ。僕も原稿を預けはしたものの、担当者が異動されて、引き継ぎはしたものの、連絡は全くなく、確認してみると部署まで無くなってました」

「よくある話ですね」

「そうなんですよ」

 (2人とも平然として続ける。この程度は日常茶飯時である)

「もうひとつのケイブン社のほうですが、こちらもすんなりとは出ませんでした。書き直しの連続で、なかなかOKが出なかった。今でこそ、長編のリテイクなど大した苦でもないですが、まだ慣れないこととて、指摘された場所の間違いを分析して書き直し、直した事によって生じるつながりの悪さを直すというだけで、何日も何週間もかかりました。リライトしたものを編集さんに渡すにしても、編集さんはもともと自分の仕事を持っている上に、面倒を見る作家は何人もいますから、一度渡したハードコピーに鉛筆が入って付箋紙がついて帰って来るには、また、何日も何週間もかかります。編集さんにしてもどこの馬の骨とも知れない、かつ、力のない新人の面倒をそうそう見てもいられない。何度も何度も書き直した。もはや自分の作品のどこが悪いのか、おかしいのか判らなくなってきて、作品の形も始め書き上げたときと、別物になってしまいました」

「90年に話が来て、92年発売ですから、およそ一年以上、軟弱な奴なら、とっくにやめてますよね。才能ないんじゃないですか?」

 (青山、君ほどじゃないよ、と猫丸に聞こえないようにつぶやく)

「で、やっとOKが出た」

「そう、しぶしぶという感じでしたね。後で判ったんですけど、誰かが落としたらしいですよ。原稿が落ちたからと言って、印刷所も、取次もルートは全部おさえてある。なにか流さなければ、小さくない損失がでる。そこに及第点ぎりぎりだったぼくの原稿がはまったというわけです。出版予定が決まったあとも、これを直す、ここをこうする、と最後の仕上げとばかりにチェックが入ってくる。ゲラが出てきても、それこそ真っ赤になるほど直しを入れさせられました」

「最初の本を手にした感想はどうでした?」

「さほどの感慨もわかなかったです。精も根も尽き果てていました。もちろん、嬉しくないという意味じゃないですが」

「売れ行きはどうだったんですか?」

「下の下でした。この頃には一時のSFファンタジーブームも終わり、本当に優れた作品ですら売れなくなってました。新人のつたない作品など見向きもされませんよ。何年も経ってカサハラさんが「あれねぇ、やっぱり売れなかったんだよ」と教えてくれました」

「その後はどうされたんですか?」

「干されました。次の本が出るまで、それから二年半かかりました。
 赤き戦火の惑星が出版されてすぐ、ぼくはこれに続く長編「白き砂漠の惑星」の執筆に取り掛かったんです。ケイブン社が採用してくれるという保証はなかったけれど他にできることはなかった。どれぐらいかかったか覚えてませんが、カサハラさんはぼくの持ちこんだ原稿を読んでくれましたが、結果はすげないものでした。
 それと同時に最初に提示したもう一つのプロットの「遠未来ファンタジー風」の作品も完成させ持ちこんだんですが、結果は言うまでもないでしょう(自嘲的に嗤う)。赤き戦火の惑星を上梓した時点ですでにSF・ファンタジー風の作品の売れ行きは頭打ちになってたんです。限りなく新人に等しいぼくの作品が受け入れられる余地は一層狭くなってました」

「すると次は出版社まわりですね」

「小説の好みは一人一人によって随分と違うように、出版社によって体質も違えば、出版傾向も違います。「人間の條件」をあげるまでもなく、没となったストーリーが別の社でベストセラーとなるのも珍しくありません。しかし、原稿のただの使いまわしではなんとなく申し訳ないので、ぼくは先の作品とは別に「現代スラプスティック」の長編を用意して、友達の紹介で大手出版社にもちこみました。驚いたことに初対面の編集さんは宇宙塵に掲載されたぼくの作品をすべて読んでいたんです。おかげで、その後の交渉は多少楽でした。でも、多少楽なのと、実際に交渉がうまく進むのとでは別です。この出版社でもつい先日、それまで続いていたファンタジーのシリーズを廃しており、最初の一本「遠未来ファンタジー風」は敢え無く望みを絶たれました。
 二本目の「現代スラプスティック」に関しては編集さん自身は気に入ってくれたようで、検討していただいたんですが、しばらく経って没となりました」

「このあたりからですか、シュミレーション戦記ブームになり始めたのは?」

「ええ、大ベストセラーとなった「紺碧の艦隊」や「ラバウル烈風空戦録」などがぽつぽつと刊行され始めて、伊吹が籍を置いていたプロダクションでも、大逆転第二次世界大戦史というタイトルで短編集を刊行し始めたんです。プロダクションが数人のライターを集めて、出版社側の担当者が傾向を決めて書かせたものなんですが、なかなかの好評を博したらしく、最終的には全五巻が発行され、一巻は十刷まで行きました」

「で、その仕事が回ってきた?」

「ええ。伊吹が会社を辞めて独立することになり、その後任として推してくれたんです。結局、ぼくはこの三巻と五巻に二、三本の短編を書きました」

「それで、次に長編となったわけですね」

「偶然ですが、この出版社がケイブン社で、ケイブン社側の担当者がぼくをデビューさせてくれたカサハラさんだったんです。シュミレーションものの持ちネタは幾つかストックしてあったので、短編には収まりきらない大きな枠組みのものをFAXしたんです」

「それが「英国艦隊撃滅す 第五航空戦隊奮戦録1」ですね。売れ行きはどうだったんですか?」

「聞きづらいこと聞いて来ますねぇ。また、干されたらどうなるのか、痛いほど分かっていましたらから、やけ酒飲みながら発売日前後を過ごしました。
 発売日から三日ほど経ってからニフティのFBOOKRの「売り上げ情報」にアクセスしたんですよ。そうしたら「英国艦隊撃滅す」が神田の書店で4位にランクされてた。酒を飲みすぎて幻を見たのではないかと我が目を疑ったんですが、数日して編集さんから増刷が決ったとの電話がありました」

「前後して、若桜木虔氏との合作シュミレーションが2本出るわけですが、これって霧島那智のはじまりだったんではないでしょうか?」

「ええ、そうなります。結局、KKベストセラーズでやった合作「帝国空軍の飛跡」がぼくの名前の入っている本で一番売れた作品になりました。初版二万五千で、増刷五千で……」

「じゃあ、この辺で」

 (猫丸、すげなく席を立つ)

「え? 食えるようになった頃の話は聞いてくれないの?」

「人が売れる話を聞いて、楽しいと思います?」

「いや、せめて宣伝だけでも、現在刊行中のバトル・オブ・ジャパンは7巻まで出る予定で……」

 (猫丸、青山に向けて猫キックをくらわす)

「ソ、ソノラマの方は売れればシリーズになるって言うけれど……うかが」

 (猫パンチ。延髄を断ち切られて青山、白目を剥く。両者、退場)



※(この文書は僕、岡本が作成したのち青山氏の手によって全面改稿されたものです)



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