茨城交通の車両のページ

車両番号

車両画像

記 事

キハ205

1997年入線の元水島臨海鉄道キハ210、その前は国鉄/JR西日本のキハ20524(キハ20のラストナンバー)。茨城交通の旧型車の中では唯一別機関駆動の冷房装置を搭載しているため、運用に入る頻度が比較的高い上に、ファンには人気の国鉄色(朱/クリームのツートン)の塗装を纏う『主役』的存在です。

キハ2004

1968年入線の元留萌鉄道の同番号車。閉山によりお役御免となった僚友の2005、湘南窓の1001・1002・1103の5両が北海道から入線し、当時の旧型車を置き換えています。ワンマン対応化改造を受けており、車端部座席のロングシート化、出入台の仕切の撤去等が行われています。元羽幌炭鉱鉄道の車両と比較すると耐寒装備は比較的軽いものに留められています。

キハ2005

2004と同様、1968年入線の元留萌鉄道の同番号車。数年前に発生した踏切事故での損傷の復旧工事の際に、合わせて腐食した車体裾部分の外板の取換など丁寧な補修が行われており、ベンチレータの交換等も実施されています。塗装も他の車両と若干異なる塗り分けとなっています。

キハ222

1970年入線の元羽幌炭鉱鉄道の同番号車。閉山によりお役御免となった僚友の221・223と供に合計3両が北海道から入線し、当時の旧型車を置き換えています。本州の気動車には珍しい運転室旋回窓のいかつい顔が特徴。デッキ付き二重窓と耐寒装備テンコ盛りの車両でしたが、キハ223と供にワンマン化改造を受けており、出入台の仕切壁は撤去され車端部はロングシート化されており、二重窓も撤去されています。

キハ223

キハ222と同様、1970年入線の元羽幌炭鉱鉄道の同番号車。こちらもワンマン化改造を受けており、出入台の仕切壁は撤去され、車端部はロングシート化されており、二重窓も撤去されています。北海道2社からの転入車は全て、客室に扇風機が設置されていないのも特徴で、昔は夏の海水浴輸送時には窓を全開にして3〜4両で走る道産子気動車の姿が見られました。

キハ3710

−01

1994年、茨城交通があのケハ601以来、実に30余年ぶりに導入した新潟鉄工製の待望の新車。新潟鉄工の標準型気動車であり、類似車両は全国に存在しています。オールロングシートのためか導入当初は一部に不評が聞かれましたが、利用者の違和感が払拭された後は数少ない冷房車ということもあり、歓迎されているようです。入線当時は1両のみということもあり、在来車との混結での運用がなされていました。

キハ3710

−02

1998年に増備されたキハ3710の同型車。利用実績を反映してか運転席窓上への雨樋の追加等の小変更が行われ、それは−01にも適用されました。本車両の導入でキハ3710が2両体勢となったことで、基本的に2運用のうち1運用に同形式が重点的に投入されることになり、在来車との混結の機会が激減しました。新型車は、その馬力を買われてか、新車入線時やその他の車両の回送時に牽引車として利用されることが多いようです。

キハ37100

−03

2002年に増備されたキハ3710の発展型?形式に0がひとつ増えた明確な理由は今のところ不明です。外観にはこれといって差異が無いようにも見えます。最近では2003年5月のスハネ14(北陸ソロ)の甲種回送の際に牽引車として同車を勝田=那珂湊間で牽引しています。新潟鉄工に縁の深い茨城交通ですが、同社としては最後の新潟鉄工製気動車となりました。(今後もほぼ同形の車両が存続会社であるIHI傘下の新潟トランシスから供給されるものとは思われますが)

キハ112

1980年に真岡機関区から入線した、元国鉄キハ1126。日本に残された唯一の営業運転可能なキハ10系気動車として、復元された国鉄色、バス窓・オリジナル台車も含め大変貴重な存在です。映画「ぽっぽや」への出演など話題にも事欠きませんが、近年のJRや他民鉄のリバイバルブームで「塗装復活」の本家は霞みがちな印象もうけます。2003年夏に茨城交通が売却の意思表明をし、俄然今後の去就が注目されます。

キハ202

元は鹿島臨海鉄道が開業時に導入したキハ2003、その前は国鉄キハ20。1992年に鹿島臨海鉄道の新車導入により余剰となっていたものを導入しました。朝のラッシュ時の増結用として運用されていましたが、新車の入線と生徒数減少による編成短縮(従来4両→3両)などから、現在は余剰車両に近い状態となっており、ここ最近はほとんど本線走行していません。

キハ203

キハ202等と同様元は鹿島臨海鉄道が開業時に導入したキハ2002、その前は国鉄キハ20。1992年に鹿島臨海鉄道の新車導入により余剰となっていたものを導入しました。朝のラッシュ時の増結用として運用されていましたが、同系の他車同様、現在は余剰車両に近い状態となっており那珂湊に留置されています。鹿島臨海鉄道時代に存在した汚物処理装置付きのトイレは、汚物処理装置は撤去の上、車内の扉を閉鎖されています。

キハ204

キハ202等と同様元は鹿島臨海鉄道が開業時に導入したキハ2004、その前は国鉄キハ20。1992年に鹿島臨海鉄道の新車導入により余剰となっていたものを導入しました。朝のラッシュ時の増結用として運用されていましたが、現在は廃車となり那珂湊に留置されています。キハ201〜キハ204の4両は鹿島鹿島臨海鉄道導入時に移設された前照灯が外観上の大きな特徴です。

キハ201

キハ202等と同様元は鹿島臨海鉄道が開業時に導入したキハ2001、その前は国鉄キハ20。1992年に鹿島臨海鉄道の新車導入により余剰となっていたものを導入しました。朝のラッシュ時の増結用として運用されていましたが、新車の導入で余剰車両となり、廃車された後、キハ111の代替の海水浴客向けの『無料更衣室』車両として、阿字ヶ浦駅構内に留置されています。

キハ221

キハ222と同様、1970年入線の元羽幌炭鉱鉄道の同番号車。ワンマン化改造を受けておらず、出入台の仕切壁もそのままです。羽幌炭鉱鉄道当時の塗装に復元されてイベント運行された事もありましたが、ワンマン化されていなかった事もあって新車増備により廃車となり、那珂湊に留置されています。既にエンジン等の部品は撤去され、ほとんどの窓ガラスは投石が原因と思われる損傷を受けており、かなり可哀想な状態となっています。

ケキ102

新潟鉄工製のロッド式機関車で、元々は茨城交通茨城線用として導入されたものです。ひところのイベント運行の主役でもありました。ほぼ同型の機関車には、ストーブ列車で名高い津軽鉄道の2両の機関車があげられます。

ホキ7

通常那珂湊に留置されている、バラスト散布用の車両で、東武鉄道から譲り受けたもので、車籍はなく機械扱いです。茨城交通は昼間にバラスト散布を行えるような列車間合いはありませんし、勝田方では営業列車の退避も不可能ですので、バラスト散布は夜間に線路閉鎖をかけての作業となるので機械扱いでも不自由はないのだろうと思われます。

ホキ8

ホキ7と同様、通常那珂湊に留置されているバラスト散布用の車両です。1999年5月に阿字ヶ浦でのイベントで展示された翌日に、他の展示車両であったホキ7とキハ221との編成で阿字ヶ浦から那珂湊まで、ケキ102の牽引で白昼堂々回送された事がありますが、これは非常に珍しい例で、昼間本線上に現われる事はほとんど無い車両です。

トラ15

通常は阿字ヶ浦に留置されている無蓋車です。ケキ102と連結しての展示などのイベントが行われた事もありましたが、現在は車籍も無く、使用実績もほとんどありません。

トラ16

通常は阿字ヶ浦に留置されている無蓋車です。現在は車籍も無く、使用実績もほとんどありません。

モーターカー

保線用のモーターカーです。除草作業などの場合はこの車両がタンク車を牽引する場合が多いようです。

除草剤タンク車

97式軽貨車の荷台部分に除草剤用のタンクを搭載し散布用のノズルを取り付けた茨城交通御手製の作業用車両、通常は那珂湊に留置されています。その形態は年を追って変化しており、近年は金属製のハシゴの追加装備がなされました。

97式軽貨車

那珂湊の車庫に7〜8台車分は存在すると思われる戦前生まれの軍用簡易車両。軍用として国内標準の1067mm以外のゲージにも対応可能な機構を備えてます。

 


 

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