鹿島鉄道の歴史

  開業は「石岡−常陸小川」が1924年(大正13年)6月3日、その後
は、「常陸小川−浜」を1926年(大正15年)8月15日、「浜−玉造町」
を1928年(昭和3年)2月1日、「玉造町−鉾田」を1929年(昭和4年)
5月16日に開業し、開業から5年をかけて全通しています。       
他の鉄道と同様、やはり資金調達に時間がかかり苦しんだ様です。

 計画当初の常磐線との接続予定駅は現在の「石岡」では無く「高浜」で
したが、高浜での資金調達等が不調だったため、現在の石岡へと変更さ
れたとのことです。当時の高浜は、「加波山鉄道」が「高浜−柿岡」の鉄道
免許を得ていた他、霞ケ浦の水運の拠点でもあり交通の要衝でした。  

  1944年(昭和19年)3月27日に戦時統合の推進により竜ヶ崎鉄道を、
買収合併し、その後「鹿島参宮鉄道」は1965年(昭和40年)6月1日に
「常総筑波鉄道」と合併し現在の「関東鉄道」の「鉾田線」となりました。 
1979年(昭和54年)4月1日「鹿島鉄道」として「関東鉄道」から経営を
分離され、現在に至っています。                       

  石岡よりの区間では駅や交換設備の増設により運転本数が増やされ、
ベットタウンへの通勤鉄道として新たな道程を歩きはじめた雰囲気があ
りますが、列車本数の減る常陸小川以東の路線は、ローカル色を濃く
残し、近年は新車のKR−500型の投入は有ったものの、戦前の生れ
の車体を持つ貴重な車両も在籍し、する特徴有る路線として、ファンの
注目を集め続けています。                          
 特に旧型車については新車と同様の塗装で有ったものが、レトロな
クリームと朱のツートンカラーの新塗装に変更されて、人気を集めて
います。                                    

 同鉄道の経営の屋台骨を支えていた、石岡から榎本までの、航空
自衛隊百里基地への航空燃料輸送は、パイプラインの老朽化等によ
り、2001年度までで廃止されたため、鹿島鉄道の収支は極端に悪化
し存続が危ぶまれる状況となりました。周辺各自治体により組織された
鹿島鉄道対策協議会により、2002年度から5年間の公的支援が決定
され、現在に至っています。                          


 

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