茨城交通の歴史

 1907年(明治40)11月18日、に会社を設立した「湊鉄道」として、
1913年(大正2年)12月25日に開業した路線です。          

 計画当初からかなり紆余曲折が有った様で、路線の免許は1904年
(明治37年)に受けているものの資金調達等が進まず、また計画当初
は現在の勝田駅に相当する駅が無かったため、やむを得ず「水戸鉄道
(現在のJR水郡線)」の「常陸青柳」を接続駅に予定していたそうです。
その後日本鉄道の「佐和−水戸」間に「勝田」駅が1908年(明治41年)
に開業し、開業時にはここが接続駅となりました。              
当初から現在の3フィート6インチ(1067mm)軌間で開業しています。

  当初の開業区間は「那珂湊−勝田」でしたが、1924年(大正13年)
9月3日に「那珂湊−磯崎」を、1928年(昭和3年)7月17日に「磯崎
−阿字ヶ浦」を開業して現在に至っています。               

 1929年(昭和4年)8月からは「勝田−水戸」の常磐線に乗り入れ
水戸までの直通運転が開始されています。(途中休止期間はありますが
水戸乗入れは常磐線電化後の1963年6月まで30年以上続きました)
[現在も両者間の乗入れは可能であり、2003年にはJR東日本で不要 
    となったスハネ14が勝田から那珂湊まで甲種回送されています。]

 戦時の輸送機関の統合により、湊鉄道は、当時の「茨城鉄道(赤塚−
御前山)」、「水浜電車(袴塚−祝町−湊)」や他の自動車事業者と統合
されて、1944年(昭和19年)8月1日、「茨城交通」となりました。   

  1969年〜70年(昭和44〜45年)にかけ、北海道の廃止鉄道からの
ディーゼルカーを多数購入した同鉄道はこれで車両更新を行いました。 
これら車両の過半数は今も茨城交通の主力車両として活躍しています。

 また、1995年10月には待望の冷房付き新車が登場し、2003年まで
に3両の新車が営業に投入されています。                  
 ほかに他の鉄道で不要となった中古冷房車1両についても1996年夏から
稼動を開始しており、これに伴って1980年に入線した元国鉄のキハ11
形も姿を消しつつあります。現在最後まで残ったキハ112について、売却
先を募集する告知が茨城交通のホームページ上で行なわれています。

  

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