日立電鉄の歴史

 1927年(昭和2年)7月30日に会社を設立した「常北電気鉄道」とし
て、1928年(昭和3年)12月27日に「大甕−久慈(現久慈浜)」が開業
した路線です。                                 

 その後「久慈−常北太田」間が1929年(昭和4年)7月14日に開業し
ています。開業後しばらくの間、常北電気鉄道は業績不振に苦しみます。
当時所有していた里美村方面への延長路線の免許は失効し、常陸大宮
方面への延長免許願、同じく日立方面への延長免許願も却下されてしま
います。                                      

 戦争の色が濃くなって来る1939年(昭和14年)頃から、沿線の日立
製作所の工場増設などにより、通勤需要が増加を見せ、常北電気鉄道
の経営状態は好転します。1940年(昭和15年)には、大甕から多賀を
経て日立に至る路線の免許が申請され、1942年(昭和17年)に免許と
なり1944年(昭和19年)3月15日に「大甕−鮎川」が開業しています。

 これに先立つ1941年(昭和16年)には常北電気鉄道は日立製作所
の資本傘下となり、戦時下の交通事業者の統合の流れにより周囲のバ
ス事業者の営業権を買収合併して、1944年(昭和19年)7月31日に
は「日立電鉄」に社名の変更を行っています。               
   
 1956年(昭和31年)には、閑散時間帯には交換駅の一部を使用せず
に閉塞区間をまとめ駅員を引き上げる併合閉塞を全国で初採用、1971
年(昭和46年)他に先駆けての電車のワンマン運転の開始と、合理化・
省力化の面で他をリードし続けて来ました。                 
 
 1997年5月に最後の旧型車両が引退し、現在はすべて営団地下鉄銀
座線を走っていた車両の車体と東西線を走っていた車両の台車を流用
して作られた車両に置き換えられています。                

  1998年5月から毎週水曜〜金曜日に、車内にテーブルを設け
カウンターを作り付けビヤホールに改造した専用車両が活躍する
ビール列車を走らせ話題を呼んでいます。

  2003年10月に鉄道事業の廃止検討中であることを表明した日立電鉄は、
2004年1月下旬に行なわれた記者会見で、2005年3月限りで鉄道事業を
廃止するとを発表し、2003年3月国土交通省に対し鉄道事業廃止届出書を
提出しました(廃止予定日は2005年4月1日)。2004年8月現在、路線の
存続あるいは廃止後の代替交通の確保に向けての地元自治体などとの協議
が続いています。

 

 

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