教育制度・・・ 

以前より友達がドイツと日本の経済事情についての違いを結構言ってきてました。
 僕はヨーロッパの経済・景気がどうであれ、あまり気にするタイプではないのでまともに勉強したこともないのですが・・・
でも少しはふれないと悪いかなと思い、昨今始まった「ゆとり教育」について少 し言及してみよかとおもい、そこにドイツの(一部の)教育制度と比較を持ってみようかと。。。

すっかりはやりになりました、「ゆとり教育」。。
みなさんはどう思われますか??
私の周りは反対という人が多いです。
感情的に「自分らができたことができないわけがない!!」という人が多いのですが、 彼らは今の勉強内容を把握してるかどうかわかりません。「自分らがしてきたこと」と「今の勉強内容」が同じと思う方がおかしいとは思うのですが・・・

 そういう私も「ゆとり教育」にはあまりいい印象はないんですがね。。
よく言われることですが、円周率の曖昧さを増やすとか台形の面積の求め方は教えないなど、確かに「削ったからどうなの?」と思うところが多いです。で、授業時間を減らしましょう!!っていったって、どっかにしわ寄せがくるのは見えてますよね。
  本当に「ゆとり教育」というものを実施使用と思うなら、今の教育制度、小中高校制すらも見直すところから始めないといけないです。
 でも本気でそんなことした日には教師の雇用はどうなるの?とかまさしく教師の質自体から作り直ししなくちゃいけないし、今の日本ではそんな構造改革に取り組む体力はないでしょうね。。

 で実際には取り組まずにとりあえずの「ゆとり教育」をでっち上げたわけですが、 こんな手先のものに走って根本問題解決に対して後手後手を踏んでいって、将来の日本はどうなるのでしょうかね?
てか、すでに今も相当危険な状態には違いないのですがね。

 でそのゆとり教育、どこでしわ寄せがくるかというと、一般的に中学をでた時点でくるみたいですね。
 今の高校教育は大変なことになっているようです。ゆとり教育というために自由選択(受けるかどうかも自由)という授業も作成しなくてはいけないし、高校卒業段階では今までと同等の学力がないといきたい大学にも行けない。まして中学卒業した後に就職となると相当日本での常識もないということになります。勉強を放棄してしまった子供たちにはいいのかもしれませんが、勉強する、しなくちゃいけない子供たちにとっては百害ありな制度といえるようです。
 
 これらどこに問題があるかというと、「なぜ日本では子供は勉強しなくてはいけないのか?」にあると思います。
「勉強がしたい子供たち」はほっといても勉強します。必要なことを学んでいきます。
  しかし、圧倒的に「したくないのにしてる子」が多いと感じています。
  なぜ「したくない」のでしょうか?そら一部の子供はどんなものであれ、したくない子はでるでしょう。でも私の所感、必要以上(?)に「したくない子」が多いように感じます。 考えられる理由はまず勉強そのものにおもしろみがないから「したい」と思わないというところですね。「ゆとり教育」といっても個人の能力を伸ばすという自由教育ではなく、従来の「詰め込み教育」の量を減らしているだけ(しかも最終的には減らない)。。「したくない勉強」にとどまらずおそらくは「一生必要ない勉強」も多いでしょう。そんな中では「したくないと思う子」は多くなると思います。
 では次になぜ「したくないのにする」のでしょうか?
  これは日本経済の根底から問題になりますね。わかりきっているところ、日本がいまだに「学歴偏重社会」から脱出できないでいるからです。
 実際社会人になって、だいぶん持っていたイメージよりも学歴偏重はないなと感じましたが、それでも勉強しなくてもいい会社に入れて、と考えるには無理があるでしょう。実際k大学(有名国公立大学〔たぶん日本で2番目にかしこい)出身の某超有名アパレル会社に入社した知り合いがいますが、明らかに「馬鹿!!」ぽいですもんね。馬鹿でもまだまだ学校ブランドで入れるし、私ならその学歴だけで入社拒否されるものですもん(新卒なら)。。
 この学歴偏重社会という構造から改革の必要があるでしょうね。

 さてここでドイツの教育制度について少し言及をしてみたいと思います。
---引用---
 日本と根本的に違うところは、小学校が4年制で、10歳で進路が決まる、ということです。
 日本のように、とりあえず高校へ行ってそれから大学に行くかどうか考えよう、などというのんきなことは言ってられないわけです。入学する年は日本と同じ6歳なので、10歳(小学校4年生)で、進路を決めなければなりません。

 大学へ行くためには、9年制のギムナジウムへ行くことになります。大学へ行く必要を感じなければ、5年制の中学へ行って義務教育を受けます。もっと勉強したいけど、大学へ行くほどではない場合は、専門技術も学ぶ6年制の中等実科・商科学校へ行くことになります。
これらの進路は基本的には小学校での成績で決まります。ギムナジウムへ行きたくて も、一定の学力がなければ、ギムナジウムへは行けないわけです。
 ギムナジウムへ行けない子供達はどうなるのだ、10歳で大学への進路を閉ざされてしまうのはひどいじゃないか!と思う方もいらっしゃるかもしれません。
けど、心配はいりません。ドイツは日本のような学歴偏重社会ではないので、学歴だけで人間を見るということはしません。その人がどのような知識や技術を持っているか、が大切なのです。
  だから、職業に繋がる技術を習得する学校が充実しており、大学へ行かずにマイスターを目指す人も多いのです。
---ここまで---
 想像の範囲でしかないのですが、小学校における教育の中身も日本とは相当違うものでしょう。10歳で進路決定する力を身につけさせなければいけないのです。そうなると単なる「詰め込み教育」ではなく「自分の哲学を生み出すための教育」が必要になると思います。
 この違いを感じるのは、簡単なところで言えばたとえば遠足などで動物園に行くとしましょう。日本であるならば規則正しく男子と女子が並んで、先生の後に従い順番に動物を見て回るという管理から、お昼になって、いきなり「自由行動」という教師権限を放棄したような放置プレイになります。
 ドイツではまず生徒に「何がみたい?」と教師が訪ねるところから始まります。生徒が「〜をみたい」と答えたものを見に行くのですね。その後にみといた方がいいというものを教師側から提示されるかもしれませんが、まずはじめに自分がみたいものなどを考えさせる環境というものを作っています。
  明らかに日本とは違うと感じてしまいますね。。

 さらにドイツでは昨今もてはやされているシュタイナー教育が最も進んで取り入れている国でもあります。(てかシュタイナー教育が生まれた国ですね)

 シュタイナー教育はより自由度の高い教育制度のようです。日本でも幾分かは注目はされているようですが・・・
 12年間一つの学校で8年間同じ担当教諭、教科書がない(エポックノートの採用)、期間毎のテストというか、テストというものがない、そして通信簿も点数による評価ではなく教師からみた人物像や普段の行動の観察記録などが年に一度最後に渡されるだけです。
なにより
------引用-------
「子供が、自分で自分をしっかりとらえ、一番深い内部の欲求から、自覚的に行動すること」、これを「自由」と捉えて、その「自由への教育」をおこなうのがシュタイナー教育なのです。
-------ここまで------
と表されているところ、そしてそれを実践に写した、この教育システムはおそらくは素晴らしいと考えられるでしょう。。

 はたしてシュタイナー教育のようなシステムが日本で受け入れられるか?
  答えはNOでしょうね。やるとしても相当な時間が必要でしょう。
  なぜなら、通信簿もない、学校のレベルもない。そんな状態では、現在、日本経済を動かしている「おじさんたち」が、子供たちを評価することができないからです。
 一番問題なのは社会を動かしている実権力者たちが、今の制度の問題とその打破のために自分たちの質を上げることをしないことです。
 
 「ゆとり教育」自体は必要と感じても、真の個人のゆとり教育を行うと困るのは、それを評価する側。
 学歴偏重社会はそれを信奉している学生が問題なのではなくて、それを信奉している実社会の実権力をにぎる「くそじじぃ」どもが問題なんでしょうね。
 ドイツのような民族性があるからこそ、シュタイナー教育も取り入れがスムーズに進んだのでしょう。日本では民族性というレベルより、「おじさんレベル」でまず改革が必要だと思います。
 「次の世代に託す」なんてことができない今ある自我の評価システムに(無意識にでも)こだわる「おじさん」が実社会権力を握り続ける以上、日本での本当の「ゆとり教育」というのはいつになることやら・・・・

 実際、僕は今の「ゆとり教育」ならば「僕たちの時の方がよかった」と思ううちのひとりですので・・・・

(ちょっと世間のことにふれてみました。。。こんなのはどうでしょう??)