・土足で入ろう!! 

 私、IMEにはATOK15を使っているのですが、関西弁対応ということで、結構重宝しております。
チャットなどをしているときは話し言葉が多いのでやはり助かりますね。
といっても限界も感じてめちゃくちゃな変換をすることも多いのですが。。
さらに言えば、こういった文章を書くときにはあまり必要性はないのですがね。。。

 話は変わって、仕事を始めると自宅のPC達もすぐに、OS入れ替えなどを行われてしまいます。自宅で疑似環境を作ってテストをしようなどと考えてしまうからですね。(結局しないことの方が多いのですがT_T)
そのせいで、HP(ホームページ)の作成環境もきれいさっぱり消えてしまいます。
こんな仕事(業界)をしているのだから、バックアップ、リストアということをいい加減考えればいいのですが、ウィルスチェックすらまともにしないkazyuには、ほど遠い世界ですT_T
さらに言えば手打ちでHP作成をしてもいい物なのですが・・・・やりません!!
更新頻度もすっかり落ちてしまっている言い訳でしたA--;。。
kazyuです。
お久しぶりですm(_ _)m

 プロフィールの100の質問(いつまで載せてるんだろう・・・T_T)ところにも書いているのですが、私の趣味の一つとして人間観察というのが入ってます(悪趣味ですね・・汗)。
 趣味と言うよりは「癖」なんですが、人の行動や考えてることを探ろうとしてしますのですね。露骨にやってるつもりはありませんし、人の気分を害するようにはならないよう、気をつけようとはしていますが。。(言い訳が長くて多いのも癖ですA^^;)

 先日、今の仕事場の上司(?)に
「kazyuさんが人をよく見る人だというのはわかりますね」
「kazyuさんの前だと〔片思い〕とかもできないと思います。kazyuさんにばれてしまう・・」
と言われてしまいました。
 そんな話をしている余裕があるなら働け!!と怒られそうなものですが、ま、世間話も必要と言うことで。。
 言われたときは少し焦ってしまいました。人のことを見て話すのは好きだけど、人から自分のことを言われるのは親しい人から以外はあまり慣れていませんから。
 なんか言い訳をするようにその後関係ないようなことも饒舌に話してしまったような気もします。
焦っていて余りよく覚えていないのですが。
 
 さて上記に言われたようなこと、20歳を過ぎてから少し親しくなった人にはよく言われます。
つい口に出して、「何でわかるの〜〜?」とかよく言われるし、相手が無意識に考えている〔意識的には考えていない←ニュアンスの違いわかりますか?]ことまで、口に出して、
「あ〜私そういう風に考えていたんだ(感じていたんだ)」など言われますね。
 学生時代は少し得意げに話したり、人の心に入り込んで嫌らしいまでにかき乱したりしましたね。
 相手が認めたくない事実(もう考えているというレベルではなく実際起こっている事実)を伝えて、男なら怒らせたり、女の子なら泣かしたりしたこともありますA−−;
 若さ上の失態でした。

 今ではそこまで人の心に入り込んで嫌がるような事実まで伝えたりしようとは思いませんが、知り合って間もない仕事場の人に言われている以上、見た目、「私が人を観察してる」というのは観察するまでもなく気づく人には気づかれてしまうようです。

 かといって人の心の中ってそんな簡単にわかるものだと思いますか?

事実(起こっている事象)なら、当然わかりますが(わからない人も多いようですが)、それに対して個人がどう感じているか、どう思っているかなんてことは決して心理学のProfessionalでも簡単にはわかるものではないと思います。特に深層なところまでは。。まして全くの素人なKazyuにそんなことがわかるわけがありません。
 ただ「こう考えているだろうな〜」ってことを口にすることが多かっただけなのだと思います。
私がわかることなんて他の人にもまずわかることでしょう。
 あとは、人を見るか、で、それを見て感じたことを口に出して表現するのかの差だと思います。

 で、私は結構表現しちゃうほうなんですね。
誰でも彼でも口に出して表現してしまうということはことはもうしませんが、受け入れてもらえそうな人には表現します。
「こう考えてるんじゃないですか?」とか

 稀に私自身がむかついているときには間違っていようが、
「おまえは〜考えてるからカッコ悪いんじゃ〜〜〜!!!ぼけ〜〜〜〜!!」
とか言ってしまいますが。。

 人の考えていることを勝手に推測して表現してしまうことは、何となく悪いことのように感じる人も多いと思います。また勝手な想像の域を超えないわけだし、相手に否定されてしまえば、それまでのような気もします。さらに言葉を気をつけないと相手を怒らせたり気分を害してしまうことが多いです。
(よくやってしまっていた事実は認めるところです)

でも人が一人で生きていけないのも事実だと思うし、他人と接していく以上、私は相手の感じていることを考えようと思うこと自体は悪いことだと決して思いません。
 で、そのことが勝手な推測である以上間違いが多いことも事実だと思います。
だから、間違っているのかどうか確認することもそれほど悪いことだとは思いません。
後は伝え方次第ですね。
 
 口に出して表現したことが間違っていようが、正しかろうが、言葉自体が真実かどうかはそれほど重いと言うこともないと思います。相手が否定しようが肯定しようが、「考えていること(感じていること)」は相当な訓練でもしない限りは、行動や態度のどこかにでてしまうと思います。なので、その場で、他人が考えていることを表現した「言葉」が真実なのかどうか、相手が受け入れようが受け入れまいが事実がある以上、その言葉が真実なのかどうかは意味はないと思います。

 ではなぜ表現するのか?

 これ先に答え言っていますよね。人が一人では生きていけないからです。そして他人と接する以上、他人を受け入れて、考えて生きていかなければいけないからです。
 ちょっと言葉足りませんね。

 人の考えってすごく難しいと思います。わかった気になるのは恐怖です。
でも言葉にすれば、それに対して何らかのリアクションがもらえるます。
 僕が言ったことが間違っていても、相手が「その方がいい」と思えば、「そう考えてたわ〜」といって今後考え方が変わったり、
 もしくは「そうじゃなくて、こう考えている」と自分の考えを伝えてくれたりします。
 お互いに伝えたことが真実かどうかはとにかくとして、表現すればさらに考えを深まらせることができるのです。
 時に相手を変化させたり、自分を向上させたりすることができる。
言葉、表現することはそういった力を持っています。
 また表現することにより、時には失敗することもありますが、相手が自分のことをそこまで理解してくれてると深い信頼を得ることへつながることも多くあります。
 一人で生きていけない以上、相手のことを思い、考え両者で表現していき、向上していこうという姿勢は大事なことだと思います。

 言葉が真実かどうかはいいのです。後は行動や態度に表れるのですから。

言葉、表現により自分の行動や態度、相手の行動や態度を変える機会を生み出すことができるのです。
そういった機会いろいろとあると思いますが、相手の考えを思うということも、その機会を意識的に増やせることの一つだと思います。

 僕と関わり合いになった人は遠慮せずに僕の心の中を土足で踏み回すようなことを言ってもらって結構ですよ。。 遠慮せずにかかってきてください。時には手痛い反撃をすることもありますが、それはそれ、両者向上の一助と思って受け入れてくださいーー;

 私もいまだに、人の心に土足で踏みいることも多いようですので。。。T_T