で、今度こそ「内側をのぞいてみよう」です。
前回は書く気でいたんですけど、何となく書き始めたことが思った以上に長くなってしまったんで・・・
「内側」ってのは「自分の内側」のことで、今の自分がどういう経緯で成り立ったかな?ってところを復習がてらに見てみようと思い、少し自分の過去を懐古(重複?)してみようかなと・・・
もともとはこないだ掲示板に友達が「あのころは駄目な頃だった」って書いてて自分も駄目だったと思える頃があったなぁとか思い返したことからなんですが・・。
僕にとって一番「駄目だったなぁ・・」と思える頃は高校の一・二年時代ですね。。
でも、「駄目だったとき」っていうのも含めて「今の自分」で考えると(現状の自分に満足しているならば)、それは「必要な時」だったということになりますよね(結果論ですが)。
さて、自分にとって「自己形成」という点で、転機というか、節目になった出来事を懐古してみようと・・・
ちなみにこのコンテンツ、基本的にプロットのような物はたててません。。
思いついたままに書きます。なんでこれも適当に思いついた文章で書いていきます。書きながら懐古しながらですすめるので、はじめから内容は決まってません。
よろしく。。
では、
・幼稚園に上がるまで
まず幼児時期、兄弟・家族と幼なじみと呼べる友達ですね。。
あのころはまだ普通の子供(イヤ、今も普通のひとですが・・・)でした。
ただ、幼少時代よく遊んでいた男の子達ってのはみんな年上だったと思います。
その年上タチのなかでもウチの兄が一番年上だったせいで、結構はばきかしてたんですよね。。。一番年上の子の弟で最年少ということで、とにかく自分勝手だったんだと思います。みんな兄がいるせいか、はたまた元々優しい人たちが多かったせいか、最年少の我が儘に結構付き合ってくれていたんだと感じます。イヤなことが有れば泣き叫んで我を通していたのをよく覚えていますしね。。
で、兄より年上ってのは少し萌えな感じの「隣のお姉さん」でした。。
これまた美人だったような気がします(はっきりはおぼえてないんですけどね)。
姉妹で二人とも兄より年上だったんですけど、特に妹さんは美人だったとおもうんですよね。結構甘えていた覚えが・・・・(恥ずかしいです(T^T))
で同い年の友達ってのは女の子になるわけですが、これまた可愛らしい子です。小学校は途中で離れたんですが中学でまた一緒になりました。それほど(というか全く?)仲良くはなかったんですが、カワイい方に入っていたと思います。恋愛相談がてらに学校さぼってデートとかしたのは楽しかったなぁ・・・青春でした。。。(おれは彼女いたし、ついでにデート相手(幼なじみ)の恋愛相談だったんですけどね(^◇^;)
とまぁ、「幼稚園」というところに行くまではそんな思いっきり甘えれる環境にいたわけで、そんなところで、すでに自分勝手というか「裸の王様」的な性格はできあがったんだと思います。
・幼稚園時代
で、そのまま幼稚園にあがって、ほとんど年上とかとは遊ばなくなったんじゃないかな?幼稚園でできた友達と遊んでいたんだよね。たぶん。
ま、それはたいしたことじゃないけど幼稚園の時(かな?その前かな?)、その可愛らしい幼なじみ(ていうのも知ってる人間が聞けばどうかとおもうけど)の家の隣に同い年の女の子が引っ越してきました。これまた可愛らしい子で、結構三人もしくは幼稚園でできた親友?の四人で遊んでいたと思います。親もその時はそれなりに仲良く(おばちゃんづきあい?)してるんだと思っていたし。。(後から聞けば関係たいがい、特にウチの母親はなにしてくれとんねん!!て感じのようですが)
その引っ越してきた子とは中学で別々になったんですが、しばらくしてから会っても(見ても)幼稚園時代から顔が変わってなくて、「それは童顔すぎるだろ!!てか顔丸すぎるだろ!!」とかつっこみたくなりましたが・・ま、決して不細工ではなかったと思います。
んで、もう一人。なんか昔からウチの近所に住んでたんだと思うんだけど、ウチの前は川なんですね。。で、川にボールを落として困ってた女の子がいたそうで、その落としたボールを俺が拾ってあげて、ついでにその子の家までついて行って、たぶん友達になったそうです(母親談)。
ま、知り合った経緯は俺には全く身に覚えがないんですが、なぜか昔から友達(知り合い?)の女の子がいました。この子は本当にかわいかったんですよね。。
結局中学一杯まで一緒の学校で過ごしていたんだけど、結構な男が惚れていたと思います。今もなかいい男友達はその女友達のことがよかったみたいな話をちょっと前に聞きましたしね。
とまぁ、何が言いたいかという幼少時代は自分勝手がとことんまかり通り、かつ美人に囲まれて過ごしていた→とことん我が儘で欲望に素直な初期性格の形成ということですが・・(T^T)
・小学校時代(低学年〜中学年)
さて小学校に入り、母親がちょっと「ヒス」入ってきました。
時々台所で泣いてるのを見かけるようになって少しおろおろ気分を味わったものです。。
そこらへんから母親の外泊も多くなってきたと思います。兄はわかりながらさめてる感じでしたが、俺は本気でそんなものだろうとか「用事があるんだろう」と思っていました。ま、大概な母親ですがね。。
で、小学校では「いじめっこ」てのがいますよね。。
一年の時、一度俺が風邪引いて、体育の授業やすんでるときにその「いじめっ子」てか「ヤな奴」の一人が絡んできたことがありました。プールの授業でそいつ自身はプールが嫌いだからそぼってるてのが休みの理由なんでしょうが、こっちは本気で風邪引いてしんどかったんですよね。で「いらんこと」してきたんですが、そんなたいしたことじゃなかったのに俺はブチギレて、授業休んでる連中が喧嘩始めてるみたいな感じなりました。
印象的だったんで鮮明に覚えてるんですが、その後の経緯はよく覚えていません。よく覚えてないんだけど、なぜか「すんごいなかよく」なったんですよね。
で、仲良くなればわかる相手の「寂しがり屋」なところとか、「弱さ」とかが。。またそれを埋めるための人とのコミュニケーションの取り方が苦手なんだなってところとかが・・
学校から帰ってからもよく一緒に遊びました。その幼稚園でできた親友てのが、そいつとも近所だったんで、三人であそんだりしてたんですよね。また、小学校の入りたての時は女の子と遊ぶってのが恥ずかしかったのか初期の女幼馴染みってのとはほとんど遊ばなくなりました。ここら辺は普通の小学生かな?
で、その「元ヤな奴」で、友達になった奴の家ってのも大概な環境で、「父親はほとんど帰ってこない」っていってたけど、今考えれば離婚してたんだろうね。で、母親一人で子供二人をまかないながら暮らしてたんだけろうけど、たぶんそんなに強い人じゃなかったんだろう。「あまりいい環境とはいえないな」と小学一年ながら思っていました(もっと漠然とした言葉というか感覚でですけどね)なるほど、コミュニケーションの取り方に難ありになる理由がわかるというかんじでした。。親から受ける影響てのは強いですよね。やっぱり幼少期てのは・。。
で、小学三年か四年の時(すまん。はっきりおぼえとらん!!)
そいつの母親が電車への飛び込み自殺を図り、見事に成功しました。
残された友達はこれまた絵に描いたような図式で、施設送りになりました。ここら辺、あっさり施設送りになってる点でたぶん父親てのも既に死んでいたか、「ろくでなし」であった可能性が高いと思うし、親戚一同てのも冷たかったんだろうなぁ。
俺は自分の母親と一緒に葬式に参列したんだけど(葬式してる時点で親類縁者てのはいたわけだよね)、そいつ(その友達)は一つも涙を流していませんでした。冷めた人間て意味じゃなくて、そいつには弟がいたんですけど、弟が横でめちゃ泣いてる中で、兄である自分はしっかりしなくちゃと考えているのが伝わってきた気がします。俺は自分の母親の手をめっちゃ握りしめてたし、ウチの母親もその友達の姿を見て、友達の母親が亡くなった事実より、その友達の姿に泣きそうになってました。
そいつのしっかりした目線がとても印象的で、「自分がしっかりしなくちゃいけない」なんて事をその年で考えなくちゃいけないというのを植え付けられた気がします。
思い返したてもやっぱり俺に対して影響を与えた出来事の一つだったと思います。
また、その友達が施設送りになるということで俺にとっては仲良かった友達が強制的に会えなくなるという初めての状況だったわけだしね。(小学校に上がる時点で幼稚園の友達とわかれてるだろ!てのは有るんですが・・・(¨;))
そんな風にいつ友達で会えなくなるかわからないということも考えたかどうかは忘れましたが、その子がいなくなってからかな?また、幼馴染みの女の子ともよく遊ぶようになったのを覚えています。
なくなるより恥ずかしさに耐えるほうがいいと考えたかどうかも定かではないけどね。。
で、そんな友達の姿を見てるはずのウチの母親はちょうどその頃にウチを出て行きました。
元々外泊の多い母親だったし、俺はほとんど見てないけど、たぶん父親とも派手に喧嘩はしてたんだと思うしね。俺自身はずいぶんと長い間「長い外泊だな?」とか考えていたんだけど、帰ってこないということがいつ頃わかったのかは覚えていません。そこから両親の長い別居生活が始まりました。
で、ついでに(ついで?)小学四年の終わりに、一番初期の女幼馴染み(そんな言葉有るんかな?)が転校になって、なんかどんどん「人がいなくなる」というのに慣れた気がします。
もちろん同じ様な環境にいる人は多く「何いってるんだか?」と思う人もいると思いますけど、同じ環境で同じように感じるとは限らないし、おれはこの時点で色々感じてたんだと思います。
まだ思春期を迎える前だし、深く考えるとか多感に物事が影響を及ぼす前に「慣れちゃった」てのはこの後、影響を明らかにくらってると思っています。
小学校五・六年、露骨に俺に変化が出ましたしね。。
なんか人と話すのが苦手になりました。
急に思い切って人と話すことができなくなりました。
声変わりもしましたね。。他の子より早かったんです。二次成長期迎えるのが。。
身長も急激に伸びて急激に止まりました。
それまでチビの部類だったのにいきなり「背の順」てやつで並ぶと後ろの方になったんですよね。。
で、ほんとに人とどう接したらいいのかわからなくなり結構無口系になったと思います。それほどひどかったわけではないですが。。ベースには「裸の王様」があるし、内気になっても「負けん気」は強かったし。
ただウチの中の環境も変わって、仲良かった子達がいなくなって、また別に新しく「何故か」仲良くしてくれる子ができて、環境の変化に対応仕切れなくなってたと思います。その頃から元々持っていた「喘息」もひどくなりました。
薬を使うのがすごくイヤで、どんなに苦しくても学校休んでも薬は飲まなかったんですよね。それは大学出る(辞める)まで続きました。
ていうのもあって、ちょくちょく学校休んだり遅刻したりが増えたりもしはじめました。
他より早く思春期を迎えたわけですが、長い思春期てやつになりましたねぇ・・たぶん高校出るまで続いたんだとおもいます。
やっぱり今考えても暗い奴になってたと思うし、ほんと人と話すのがイヤというか、苦手だったわけですが(結構必死にごまかしてた気がするし)、それでも小学校のクラスって奴で幅を利かせてた男達てのがその時新しく仲良くなった友達なんだよね。
女の子と話すのはホントに駄目になってて、下手したら「ドモリ口調」になってたし、はっきりした話し方はできなくなってたけど、男友達てのは幅きかせ組だったから、気楽に過ごせてたかもしれません。
でも何故か(というか今考えたら結構学校休んだりもしてたしなぁというのもあるんだけど)教師には嫌われてたんですよね。。
思春期てのを迎えてたし、多感だったから、人の悪意も感じ取るようになってたんですね。教師も露骨俺にいやがらせしてきてたし。しかも適度に陰険な・・・(無視するとかね)中学校に入ってから聞いたんだけど、その頃何故か俺は有る程度「モテてた」らしいです。思い出しても二人ぐらいからは告白はされましたが(マセたガキですよね)「モテた」なんて実感はなかったんですが(それ以上に人間づきあいが・・・)。。
で、ちょっとおかしな教師だったもんで、俺がモテるてのが納得いかなかったのかなぁ?とか中学に入ってからは考えたのを覚えてます。一度その時のクラスの幅きかせ組が先生に「先生、kazyu嫌いなん?」とかって直球で聞いてたことがあって(俺の前で)先生が焦ったような顔してたのを覚えてます。それからは少しマシになったかな_?でもはっきりも否定していなかったし、たぶん肯定だったんだろうねぇ。。とんでもない教師だ。なんとなく人から嫌われるのにもまず一段階目の慣れだったと思います。
ま、こうやって懐古してみると小学校時代ってのも「別にたいしたことなかった」とおもっていたけど、ろくなもんじゃないですね・・・・(T^T)
ま、みんなそれぞれ色々あるんだろうけど、同じような環境にいても何も感じないし、何も考えない人、考えることができない人てのはいると思います。それでも俺は必要以上に一つの出来事とかに色々感じる人だったのかもしれません。
ま、小学校時代はそれほど悪いものでもなかったんだけどね。
て感じでここからどんな自分ができていくのかはまだわからんけど、少し長くなったので続きはまた次回に・・・・
でぁでぁ(、・・)/◇ハタハタ
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