僕はしばしば、物事に対して「考えすぎ」だとか
「気にしすぎ」、「否定的」といわれる。
でもね。僕にとって、批判的思考でできるかぎり物事をとらえようとしてい
る過程にしかすぎないことが多いです。
批判的思考ってなんだろう??
僕なりの答えは
批判的思考とは創造的思考と置き換えることができる。
一つの解にとらわれず、多面的な考え方を促すことできる。
その現象に対して新たな側面を見いだしたり、
新たな可能性を想像することが出来る思考法だと考えてます。
僕は一つの現象に対して一つの解を出したとしたら、
まずその解を否定することから始めます。。
(そんなの当たり前という人にとっては基本中の基本ですね)
たとえば1+1=2というのは常識。
では2ではない可能性は???
ある一人の力と他の一人の力を足すだけで、
倍以上の実績が上げられることがある。
これは一人の力が「1」ではなく2以上の力があり、
もう一人の力も2以上であって、一人+一人で
「力はべき乗されている」場合発生するのかもしれない。
しかし一人+一人=1+1≠2になっていると考えることも出来ると思う。
これらの思考は1+1=2であると決めつけていれば生まれてこない。
そして往々にして1+1=2を否定(批判)するとそのことに対して、
常識はずれという中傷などの攻撃を受けることがある。
(この例はあまりにわかりやすすぎるので適切な例とはいえないが)
批判と否定の意味を考えみる。
辞書の引用
批判:(1)物事の可否に検討を加え、評価・判定すること。「学説―」「―を仰ぐ」
(2)誤っている点やよくない点を指摘し、あげつらうこと。「政府の外交方針を―する」
(3)〔哲〕〔(ドイツ) Kritik〕人間の知識や思想・行為などについて、その意味内容の成立する基礎を把握することにより、その起源・妥当性・限界などを明らかにすること
否定:(1)そうでないと打ち消すこと。いつわりであるとすること。
(2)〔論〕 提示された命題を偽であるとすること。また、弁証法においては、否定はあらゆる発展にみられる媒介とされる。
(3)命題「 p である」に対して命題「 p でない」をもとの命題の否定という。
(4)「打ち消し(2)」に同じ。⇔肯定〔negative の訳語〕
近いようで異なるようで近い。。
批判を(2)の意味で使いそのまま終わればそのまま否定でしかない。
否定を(2)の意味で使えば、「批判」につながるかもしれない。
でも
僕は「否定」は打ち消しであり破壊と認識し、
「批判」は創造への過程と考えています。
批判的という言葉に対して、今、否定的にとらえられた方は、既成概念に誤りがある事を認められた方がいいかもしれない。
「常識はずれ」という攻撃はよくありますよね?
果たしてその「常識」の適正は誰がいつ定めたものなのか?
批判的思考にはまず疑問を持つことから始めます。
否定することから始めるわけではない。
物事はとらえ方一つで否定的にも肯定的にも変わりうるものです。
それだけに物事に対して(出来ればしっかりとした)モノサシを以て批判することは、ひとつの物事に対して様々な可能性を探ることも出来ると思う。
私自身は特に批判的思考でありたいと考えていますが、往々にして、批判的思考に「否定的である」と感じる人が多いのか、批判的思考を否定されます。
彼らは批判的思考に対して、
「そんなに疑って、否定して・・・」
等言って、否定している。
多くは自分が批判的思考を勝手に否定的なことだと決めつけ、
それを否定している否定的思考に陥っていることに気づいていない。
その矛盾を感じれば、すでに「批判的思考」というモノに対して、
批判的思考が始まるのかもしれません。
否定して終わってしまえば、結論それは批判的思考とは言えない。
物事を一時的に否定し、そこに考察を加え、妥当性を探り出そうとすれば、一つの物事に対して多面的なとらえ方が出来る。
それが僕の持つ「批判的思考」であって、
「創造的思考」であると思ってます。
これらの能力が付けば、個人レベルでの現状打破の
一助になるものと思って実践を心がけるようにしてます。