・がんばった自分にご褒美を♪ 

どども・・・・
あっさり乗り切れるかと思いきや、なかなかプータロー生活に終止符を打つことができずにいるkazyuです。
 現在、とある会社のヘルプデスクに応募しているのですが、「歴史ある会社」という売り込みがどうなのかわからず、とりあえず派遣社員一人とるだけにかなり慎重なようです。
元派遣斡旋会社の社員であったkazyuとしては、必要のない慎重さだなと感じております。
 派遣という形で雇用をするのが初めてだそうなので、社員を採るような慎重さになるのはわかりますが、今までにそういう雇用を全くしたことがないというのも珍しい会社だなと思いました。ま、決まれば何とでもなるでしょうから、早く決めて欲しいものです。
 で、その会社兵庫県にあるのです。
前の会社を辞めてからは、大学のシステム構築支援をしていたので、久しぶりに企業勤めだぁなどと思っているのですが、どうも会社のご近所に

女子大(女の子しかいない大学)

があるようで、狭い駅は

女の子(20代前後)

で溢れていました。
おっさん的感想として「いいなぁ〜A−−」などと思ってしまいました。
(コレ書いたときまだ6月でした・・・今はとある官公庁システム構築に参画しております)

 そんな彼女たちももうそれほどの時間もかからず社会にはでていくのでしょう。。卒業したらいきなり結婚だとか言う人はほとんどいないと思いますから。。

 社会人になってはじめて社会の厳しい荒波にさらされる彼女達となるわけですが、最近はどうなんでしょうね?「厳しい社会」は本当に存在してるのでしょうか?
 これだけ不況下にさらされていればどこの会社も厳しいと思うのですが、家庭は「女の子」という存在に厳しくなれるのでしょうか?
 少し会社で残業が続いたというレベルで

「がんばった自分にご褒美♪」

などといって、散財をする子が多いそうです。
特に女の子に多いらしいです。
私は知りませんが、友達がそのことで文句をつけていたので書いてみようと思いました。
とある関西系お笑いタレントも公共の電波を使ってそのことに文句言っていたそうです。

「がんばった自分への(自分からの)ご褒美」というのは私もよくやります。
元々、女の子っぽいところが昔から目立つと言われていた私は特に抵抗無く服とかも女物を買いますし、ぬいぐるみなんかもあっさりゲットしたりします。
で、衝動買いなんかも多いですね。
ストレス晴らしに買い物と言うのは男はあまりしないそうです。。
最近は知りませんが。。
でも私は少し金持ち気分を味わってストレス解消ということで、無意味に散財します。

この休みの間にも結構な買い物をしましたねぇ・・・

PC,エアコン、机、DVDレコーダー、など・・
なんか家具みたいなものが多いので今回の買い物は
「無駄」
とは思いませんが。。
ついでに車の修理やら、諸々の税金の支払いもどかっときたし、結構厳しくなってきましたT_T

ま、それはいいとして、で、

「がんばった自分にご褒美♪は俺もよくやるで・・」

とその友達に話したところ、

「kazyuぐらいがんばってれば、いいんやろ。。問題はたいしてがんばってもないくせに自分で甘えてる馬鹿女どもだぁ。。。」

ということだそうです。。

自分(kazyu)に対しての過分な評価だなぁとは感じましたが、ま、それはいいとして、
「がんばる」という評価を誰がするかですねぇ。。。

上記の彼からすれば、

「彼の中で定義される【がんばる】」に対して、世間一般で言われる「ご褒美と称して散財する女」はご褒美を受けるほどがんばっていない。

ということなんですよね。。

 その価値観は人それぞれであり、自分でがんばったと思うなら、で、がんばった分にご褒美を与えられるだけの財力も持っているなら、別にかまわないとは思います。

 でも自分で自分を甘やかしていれば、本当にがんばらなければならないとき、がんばれなくなるんだろうなぁ。・・とは思います。
 普段から甘えて、少ししんどければご褒美などと言っていれば、おそらく相当きついときは、簡単にリタイアしてしまうのではないかなぁ・・とは思います。

 でも、上記の友人は「私ぐらいならいい」じゃないかと言っていたわけですが、私的には、おそらく私は戦場にたてば、簡単にリタイアしてしまうと思います。
 でも戦場にいる人たちからすれば「何甘ったれてるんだ!!」てなものでしょうね。

 すぐテンパる性質も直そうとはしていますが、なかなか直らないし、今だって少しうまくいかなかっただけで、相当悩んでいますしねぇ・・周りからすればそんなことで悩まなくてもいいだろと思うようなことでも、がんばれなくなることも多くあります。

 それでも友人の目からすればがんばっている方には入れてくれるようです。
自分としては簡単にリタイアしてしまいそうで、気をつけようとは自戒してるぐらいなのですが。。

 しかし、「がんばれる限界」であったり、「自分にご褒美をあげる」境界線てのはそれまでに育ってきた環境によって変わりますよね。。人それぞれの背景が今まで「がんばれる境界線」を高みに行けるようなものであったかどうかですよね。。
 今まで全く「走る」ということをしたこともないような人が、いきなり5KM完走しました。これはご褒美をあげてもいいのかもしれません。
 逆にフルマラソンランナーが5KM完走したと言っても、「で?だからなに?」ってものだと思います。

 上記の友人が言ってきたことに関して言えば、自分(友人)の価値観や背景、過去を元に、今の「自分にご褒美をあげる彼女たち」を評価してるからこその結果(しかも彼女たちのがんばりというものまで推測)なわけです。つまり彼の今まで背景からでは彼女たちはがんばったことに値しないというわけです。
 でも彼女たちからすれば今までに「したことの無いがんばり」をしたのであれば、さらに少しでも新しいことをしたならば「ご褒美を受ける」という環境にあったのならば当然の報いであるとなるんでしょうね。。。

 日本には「温故知新」という言葉があります。
詳しく言葉の意味は知りませんが、とりあえず「故きを温めて新しきを知る」というわけですから、彼女たちの今までいた環境、過去を知れば、なぜ彼女たちがその程度で自分にご褒美などというものを与えるのかということがわかるのかもしれません。。

 どんなことでも自分の価値観だけで物事を計るというのは凄く了見がせまく、また危険な思考に陥ると思います。
 
 もし彼が彼女たちを自分の部下として使う。上司として関わるとなったとき「許せない」という価値観に囚われてしまうと物事を円滑には進められなくなってしまうと思います。
 で、もしそのような状態になり、愚痴を言おう彼を私が見ようものなら「がんばれてないなぁ」と感じてしまうのだろうなぁと思いました。