どども・・・・ あっさり乗り切れるかと思いきや、なかなかプータロー生活に終止符を打つことができずにいるkazyuです。 現在、とある会社のヘルプデスクに応募しているのですが、「歴史ある会社」という売り込みがどうなのかわからず、とりあえず派遣社員一人とるだけにかなり慎重なようです。 元派遣斡旋会社の社員であったkazyuとしては、必要のない慎重さだなと感じております。 派遣という形で雇用をするのが初めてだそうなので、社員を採るような慎重さになるのはわかりますが、今までにそういう雇用を全くしたことがないというのも珍しい会社だなと思いました。ま、決まれば何とでもなるでしょうから、早く決めて欲しいものです。 で、その会社兵庫県にあるのです。 前の会社を辞めてからは、大学のシステム構築支援をしていたので、久しぶりに企業勤めだぁなどと思っているのですが、どうも会社のご近所に 女子大(女の子しかいない大学) があるようで、狭い駅は 女の子(20代前後) で溢れていました。 そんな彼女たちももうそれほどの時間もかからず社会にはでていくのでしょう。。卒業したらいきなり結婚だとか言う人はほとんどいないと思いますから。。 社会人になってはじめて社会の厳しい荒波にさらされる彼女達となるわけですが、最近はどうなんでしょうね?「厳しい社会」は本当に存在してるのでしょうか? 「がんばった自分にご褒美♪」 などといって、散財をする子が多いそうです。 「がんばった自分への(自分からの)ご褒美」というのは私もよくやります。 この休みの間にも結構な買い物をしましたねぇ・・・ PC,エアコン、机、DVDレコーダー、など・・ ま、それはいいとして、で、 「がんばった自分にご褒美♪は俺もよくやるで・・」 とその友達に話したところ、 「kazyuぐらいがんばってれば、いいんやろ。。問題はたいしてがんばってもないくせに自分で甘えてる馬鹿女どもだぁ。。。」 ということだそうです。。 自分(kazyu)に対しての過分な評価だなぁとは感じましたが、ま、それはいいとして、 上記の彼からすれば、 「彼の中で定義される【がんばる】」に対して、世間一般で言われる「ご褒美と称して散財する女」はご褒美を受けるほどがんばっていない。 ということなんですよね。。 その価値観は人それぞれであり、自分でがんばったと思うなら、で、がんばった分にご褒美を与えられるだけの財力も持っているなら、別にかまわないとは思います。 でも自分で自分を甘やかしていれば、本当にがんばらなければならないとき、がんばれなくなるんだろうなぁ。・・とは思います。 でも、上記の友人は「私ぐらいならいい」じゃないかと言っていたわけですが、私的には、おそらく私は戦場にたてば、簡単にリタイアしてしまうと思います。 すぐテンパる性質も直そうとはしていますが、なかなか直らないし、今だって少しうまくいかなかっただけで、相当悩んでいますしねぇ・・周りからすればそんなことで悩まなくてもいいだろと思うようなことでも、がんばれなくなることも多くあります。 それでも友人の目からすればがんばっている方には入れてくれるようです。 しかし、「がんばれる限界」であったり、「自分にご褒美をあげる」境界線てのはそれまでに育ってきた環境によって変わりますよね。。人それぞれの背景が今まで「がんばれる境界線」を高みに行けるようなものであったかどうかですよね。。 上記の友人が言ってきたことに関して言えば、自分(友人)の価値観や背景、過去を元に、今の「自分にご褒美をあげる彼女たち」を評価してるからこその結果(しかも彼女たちのがんばりというものまで推測)なわけです。つまり彼の今まで背景からでは彼女たちはがんばったことに値しないというわけです。 日本には「温故知新」という言葉があります。 どんなことでも自分の価値観だけで物事を計るというのは凄く了見がせまく、また危険な思考に陥ると思います。 |