新作能 道真    

日時:2002.12.01(sun) 15:00- NHK教育放送
(収録:福岡県太宰府天満宮(2002.09.28) 菅原道真忌・1100年大祭より)
出演者:
前シテ(老人)、後シテ(道真の霊):観世銕之丞
ワキ 菅原為理(ためさと。道真の曾孫):森常好
アイ 味酒ノ某:野村与十郎
笛、小鼓、大鼓、太鼓:各1
地謡:8名


作:高瀬千図
演出:観世銕之丞

内容:
 (前場)
 為理が登場(烏帽子を着けた役人の衣装)。曽祖父・道真が死んで100年になると語る。時の天皇・一条帝が亡き道真に太政大臣位を送りたいと、曾孫でもある為理を勅使として太宰府へ派遣した。太宰府の近くまで来ていて、まずは回向をと言って舞台(向かって)右手に座す。(囃子が入る)
 ゆっくりと老人が杖を手に登場(長い顎ひげの尉面)。そこは荒れ果てた寺であったが、実は道真の最期の地でもあったのだ。老人は菅丞相(道真)を慕い、御霊を慰めんと朝な夕なと回向に来ていると言う。為理は老人に感謝の気持ちを伝える。また晩年の道真の話を聞かせれくれるように頼む。老人は流罪となり太宰府に来てからの道真の困窮ぶりを語る。
 舞台中央やや奥の一段高い台の上で老人は一つ舞って、杖を打ち捨てると、幕が閉じて老人の姿が消える。
 その後、アイが登場。自分は安楽寺に使える者だと言う。落ちている杖を拾って言う。それは菅公の形見の品に違いない。なぜこんな所に落ちているのかと不思議がる。為理に老人のことを聞くと、そんな老人は知らないと言う。アイは中央に(客席に向かって)座し、菅公死後に都で起きた禍々しい出来事を語る。そしてアイは為理が一条帝の勅使として遣わされたと聞くと、菅公が眠る安楽寺へと為理を案内する。

(後場)
 為理とアイは一旦、幕が閉じた中央奥に(客席を背に)並んで座り、為理は身支度を改める。幣(ぬさ)を手に立ち上がった為理は、拝殿に向かって幣を左右に振り、道真の御霊に帝より太政大臣位が追贈されたと報告する。すると幕が左右に開き、後シテ登場(凛々しい表情の男面。烏帽子、直衣を着け、長い髪を左右に垂らす)。自分は道真の霊だと言う。正面少し前に出て、椅子に腰掛けると、太宰府に流された後の話をする。一時は世を恨み、自分を失う時期もあったが、それも天が与えた試練だと語る。
 扇を手に舞う。舞い終わって、今は心は晴れていると言う。道真が「守りの神となる」との謡いが続くと、霊は幕の向こうへと消えていく。

感想:
 天満宮の拝殿を能舞台として利用しているため、見慣れた能楽堂での演劇とは趣きが異なる。
 没後1100年を経ても、天神様、菅公様と呼ばれ信仰の対象として親しまれて来た道真。彼の死後、都では凶事が続き、菅公の怨念のせいだとも言われたという。
 道真が題材の能には「雷電」があり、その中では雷神となった道真が報復のため都に現れるそうである。本作とは全く正反対のイメージの道真像が描かれるらしい。
 霊となって曾孫の前に現れるのはいかにも能らしいが、それが太宰府天満宮で演じられたことで、大いに菅公の供養になったことであろう。道真の霊に全く恨みの念はないと語らせ、災厄をもたらすようなこともない、神となって五穀豊穣、国家安泰を念じているとも言い、その舞台を見て現実に生きている我々にも希望を与えるような演出となっている。
 本作は新作能と呼ばれるもので古くから伝えられたものではないが、これ以外の能でもよく霊が登場するのはなぜだろう。昔の人は霊の存在をより身近に感じていたのだろうか。能はその幻想的な演出によって見る者に、霊の存在を感じさせる効果をもっていると思われるが、逆に能作者が感じたものを表現したのが能なのかも知れない。

参考資料:
「能楽ハンドブック」 戸井田道三・監修、小林保治・編(\1,500 三省堂)

更新日: 02/12/29