読書メモ

・「忠直卿御座船
(安部龍太郎:著、 \590、講談社文庫) : 2003.05.10

内容と感想:
 
「忠直卿御座船」を初め計9編の短編集。

・峻烈
 姉川の戦いから6日後から話は始まる。信長包囲網は各地で信長を苦しめた。浅井・朝倉軍も再び抵抗を見せ、軍勢は比叡山に立てこもる事態になった。信長に叡山焼き討ちを決意させたのは・・?

・玉のかんざし
 時は秀吉の世。朝鮮半島と九州の間に浮かぶ小国・対馬の出身の伊奈正吉は、朝鮮の釜山にある倭館(対馬の領主・宗家の貿易用の出先機関)で働いていた。朝鮮人の妻との間に子供ももうけていたが、秀吉の朝鮮出兵が決まり、妻子の身が危うくなっていた。宗家の依頼もあり、秀吉暗殺のチャンスを窺い密かに名護屋城で石切として働く。果たしてその企みは・・?

・伏見城恋歌
 木下勝俊は木下家定(秀吉の正室・ねねの兄)の嫡男で秀吉の小姓として仕え、今は若狭小浜6万2千石の領主となっていた。2年前に秀吉が死に、天下を窺っているのは家康。まさに家康は会津の上杉景勝討伐を理由に東に向かった頃。三成挙兵を誘う、陽動作戦。伏見城は秀吉の死後、家康が我が物顔で居座ったのだが、三成が挙兵したら第一に伏見城が攻められる危険があったが、秀頼の命で勝俊は留守役として城に入っていた。しかしそこには家康の古参の家臣・鳥居元忠が決死の覚悟で居座っていた。そんなところへ秀吉の側室であり、勝俊が昔、心を寄せていた女性・京極竜子が入城した・・

・佐和山炎上
 石田三成の三男・八郎(10歳)は、まさに三成が関ヶ原で家康と天下分け目の戦いをしている頃、居城である佐和山城にいた。八十島庄次郎は八郎の近習として、幼い彼に「戦国策」を講義していた。関ヶ原合戦は小早川秀秋らの寝返りでたった1日で東軍の勝利に終り、次にはその小早川秀秋を先鋒に佐和山に攻め寄せてきた。籠城戦となり本丸に移る八郎と庄次郎。しかし侍女お咲が八郎の懐中仏を取りに山を下ったまま戻らない。心臓が悪い庄次郎であったが重い鎧を着けたまま山を下る・・・

・忠直卿御座船
 忠直は結城(松平)秀康(家康の次男)の息子である。越前藩主の秀康が若くして亡くなり、後を継いだ忠直は大坂の陣でも徳川方として大きな働きをした。しかし、その後、気を病み言動がおかしくなり、幕府にも逆らうようになる。鎮西将軍として九州に向かう忠直であったが、実際には流罪の身。幼い頃の忠直の守役だった清水秀綱は流罪を隠して、忠直を船に乗せる・・。
家康の六男・忠輝(伊達政宗の娘婿)が家康の死後、改易されたのとだぶった。

・魅入られた男
 他の作品とは趣が異なる歴史短編。元・越前朝倉家の武士で出家した僧が京の都での奇妙な体験を、語り部として語る・・。

・雷電曼荼羅
 江戸時代に”雷電為右衛門”という怪力の力士がいた。実は彼、信州小県の出身。浅間山の噴火で村を出で江戸に向かった、雷電は体こそ人並み以上に大きいが気が小さかった。力任せに対戦相手を張り倒すため、怪我人が絶えなかった。師匠にも叱られてますます萎縮する雷電だったが、転機が訪れる・・

・斬妖刀
 幕末に”人斬り以蔵”と異名をとった土佐藩の侍がいた。尊皇攘夷熱が高まり、岡田以蔵も武市半平太らと京都にあった。尊皇攘夷派の侍たちは天誅と称して政敵を次々に暗殺していた。以蔵は”おいま”という女が店番をしている刀屋である刀に魅せられる。由緒ある代物と聞くと、すっかり虜になってしまう。尊皇攘夷を別として思想もなく、ただ人斬りだけが目的になる。剣の腕はあってもそこが彼の限界であった。

・難風
 江戸末期、黒船来航後、既にアメリカは領事館を構え、イギリスも日英修好通商条約に基づき日本に公使館を設けようとしていた。丸一伝吉は紀州出身の水夫であったが、船が嵐で漂流、アメリカ船に救助され、駐日イギリス公使の通訳として9年ぶりに祖国の土を踏む。しかし攘夷熱が高まる中、白昼に異国人が襲われる事件が続発。そして今はダンと呼ばれている伝吉の身にも・・。

更新日: 03/05/30