読書メモ  

・「氷壁」(井上靖・著、 \705、新潮社)


はじめに:
 先日、NHKで「穂高の四季」とかなんとかいった短時間のドキュメント番組を見た。その中で、現在は一般ルートから離れ、最近はあまり人が行かなくなったという奥又白池(前穂高岳の東面にある)が映し出されていた。「氷壁」の舞台が穂高であったことから、作品発表後はこの池に大勢の人が訪れて、一時は環境破壊の怖れもあったというような話であった。その時は私のイメージでは井上靖と登山との組み合わせを意外に思ったが、やはり読んでみなければと思い、あちこちの本屋を覗いてみたがなかなか見つからない。注文するしかないかと思っていた所に、会社近くの本屋で山積みになっているのを見付けた。密かに再ブームが到来しているのかとも、ふと思った。

 文庫でも500ページを超える長編小説だが、一気に読み終えるくらいの勢いで読めた。連載だか単行本だか、最初の発表時の形態も時期も不明だが、どうやら昭和30年前後に書かれたものらしい。昭和24年には「闘牛」で芥川賞を受賞しているから、当時は既に脂も乗った人気作家であったであろう(1991年に亡くなっている)。

内容と感想:
 
本書は、冬の穂高に登攀中、学生時代からの山仲間を目の前で謎の墜落死で失う事故に、マスコミとの対決や人妻との関わりが絡んできて話を複雑にするという山男の話であり、また恋愛小説でもある。
 八代教之助の妻・美那子に思いを寄せていた小坂乙彦は、彼女との一度の過ちで思いを深めていたが、彼女はこれを迷惑に感じ、彼の友人である魚津恭太に自分の本心を彼に伝えて欲しいと頼む。美那子が自分をどう思っているかを知った小坂は一旦は諦めたかに見えた。なかなか思いを振り切れぬ様子で彼は魚津と年末、冬の前穂高岳東壁に取り付く。そこで事故は起きる。小坂の体に括り付けていたザイルが切れ、魚津の目の前で小坂が転落死してしまう。友を失い絶望の淵でなんとか下山し、救援を求めるが小坂の救出は困難を極め、捜索は打ち切られる。5ヶ月後、彼の死体が発見されるが、それまでの間、マスコミでは事故の原因をめぐって様々な憶測が囁かれ、残った魚津を責め立てる。なぜザイルが切れたか?自殺説、他殺説(魚津が切ったという)、ザイルの品質に問題があったという説など。八代教之助のザイルの性能評価実験の結果で極めてザイルは切れにくいと報道されると、徐々に魚津も追い詰められていく。しかし目の前でザイルが切れたのを見ていた魚津にしてみれば、実験結果は無関係であった。
 もし自殺だとすれば小坂の遺体の遺留品から何か遺書らしいものが出るかも知れないので、彼の遺体の収容を待つしかなかった。しかし遺体からは何も遺書らしいものは出ては来なかったため、魚津による他殺説も一部で語られるように。そのため位牌を遺族に届けるのも難しくなる。その魚津のよき理解者は上司の常盤であり(ユーモラスで魅力的な人物)、魚津を慕う小坂の妹・かおるであった。小坂の遺体に結ばれていたザイルの切断面を検証すれば、ザイルが故意に切られたのもであるか、そうでないかがはっきりすると考えた魚津は八代に検証を依頼するが断られる。後に、別の人間によってザイルは故意に切断されたものでないことが証明されるが、それを新聞に発表しようとした時には、世間には既にその話題は忘れ去られていた。
 その7月、魚津は上高地で、かおると落ち合う約束で一足先に北穂高岳の西、滝谷の斜面に独り取り付いた。かおるは魚津の顔を早く見たいと自らの足で穂高山荘に向うが、山荘には予定時間にも魚津は姿を見せていなかった。すぐに捜索隊が現場に向うが果たして、魚津は遭難死体で発見された。死の直前まで手記を記していた。

 皮肉にも、かおるは愛する兄と恋人を山で失い、一方では二人の男に愛されていた人妻・美那子は結果的に、彼らを死へと導いてしまう。美那子が彼らに対して必ずしも不貞を働いたわけではないが、彼らが純粋な青年であっただけに若い美那子の魔性が彼らを誘惑したのだろう(美那子の魔女的な面については解説の佐伯彰一氏も書いている)。
 井上氏が登山が好きだったどうかは知らないが、穂高の自然や、主人公らが岩に取り付いている姿の描写からは相当、山の知識は豊富と見えた。

更新日: 00/09/30