読書メモ

・「若い人に語る戦争と日本人
(保阪 正康:著、ちくまプリマー新書 \780) : 2010.10.11

内容と感想:
 
戦争を知らない世代に戦争を語り継ぐという意図で書かれた本。 特に満州事変が起きた昭和6年から大東亜戦争終結までの動向が中心に語られている。 世界情勢の中の当時の日本の立ち位置がとんなものであったか、政治家、軍人、メディア、そして国民は何を考え、行動したかを分かりやすく書いている。
 著者は「おわりに」で「日本は安易に戦争への道を選ぶべきではなかった」と言っている。 しかし、昭和6年以降はずっと戦争をやっていたのだが、どの戦争のことを指して言っているのだろうか? 全てなのか、そこがよく分からない。議論を明確にしないと、戦争で亡くなった人すべてを否定することにもなりかねない。
 満州事変以降、満州国建国によって中国大陸での日本の権益を確保できると、 既成事実として当時の政治家もメディア、国民もそれを黙認した。たとえそれが軍部が暴走して行なったことだったとしても。 その後の戦闘拡大については、軍部の圧力を受けた政治家、メディアが歯止めをかけられなかったのは確かに問題だ。 容易に軍部に屈してしまった腑抜けたちばかりだったということになる。 著者のいう「私たちの国の国民性を知ること」とは、そのことを指しているものと思われる。 後先をよく考えずに感情に訴え、あるいは恫喝や暴力に訴える。国民に受けるような、売れるような記事を書く。 そうして作られた世論に皆、流されていく。
 満州国建国自体は当時は列強という国々が行なっていたことの物真似であり、仮想敵ソ連を防ぐ防波堤の役割も期待していたのだろう。 全て悪と断罪できるものではない。 問題とすべきは真珠湾攻撃以降の戦争であろう。国民の被害、そして他国民の被害も、 それ以前とは比較にならないものだった。もう少し何とかならなかったのかとも思う。
 著者は文民支配(シビリアン・コントロール)が機能しなかったのが問題だったという。 満州事変後は、テロ事件なども相次ぎ、政党政治も麻痺してしまった。メディアは軍部を期待するように世論を誘導した。 これでは文民支配など機能するわけがない。時代の空気が機能しないようにしてしまったのだ。
 歴史を知ることは、国民性を知ることになる。どういう状況に置かれると人間は変質してしまうのか、 そうならないためにはどうすればよいか考えさせてくれる。 「戦争を語る」のであれば、必要(必然)だった戦争、これから日本に必要な軍事力についても語らないと十分とは言えない。

○印象的な言葉
・政党・軍部・メディアの腐敗
・戦争は政治行動、政治の道具、政治の実行(「戦争論」クラウゼヴィッツ)
・日本の戦争に「政治指導者」の影が見えない。理性的判断の軽視。自己陶酔型だった。軍事指導者は自己中心的だった。
・国際連盟の創設。各民族には自決の権利がある。植民地主義への批判、自省
・第一次大戦でドイツが敗れたのは、ドイツで社会民主党などが勃興し、国王の政権を打破したこと
・大正デモクラシーの中心は旧華族などの有閑階級の運動。国民的な広がりをもてなかった。軍事への嫌悪。それでも成績優秀な者は海軍兵学校や陸軍士官学校を志願した。 (→将校らの歪んだエリート意識)
・昭和軍閥の芽:軍部を圧迫する政党や言論などにどう対応していくか検討。「人口食糧問題解決の困難は刻々として国民を脅威しつつあり」という苛立ち
・満蒙地区が日本の生命線。日露戦争で中国東北部の権益を確保
・外国の弱腰の清朝打倒をめざして辛亥革命が起きる。蒋介石による全国統一をめざす北伐も始まる
・昭和前期はたいていが戦争の期間。国防力とは国家の実力そのもの。国力ともいえた
・関東軍は政府方針を無視し、独断で満蒙地区に全面的に兵力を進めた
・第一次上海事変:満州国をつくるため、意図的に列強の目をそらすために仕組まれた。文民統制(文民支配)が全く欠けていた
・満州事変後、昭和7年からは右翼団体によるテロ事件が相次いだ。5.15事件により政党政治が停止。メディアが親軍的な立場で世論形成する。言論人は軍部の強圧的な空気に屈した。 農村の恐慌。暴力や恫喝が陰に陽に働いていた
・5.15事件は軍部への国民の同情を集めた。暴力肯定の風潮を加速させた
・内閣の生殺与奪をにぎる権利を手に入れた陸軍
・統一されていない中国に日本がつけこんで侵攻
・石原莞爾は仮想敵国はあくまでソ連で、中国での戦闘拡大は望まなかった
・昭和13年、近衛内閣は中国国民党政府との和平交渉を打ち切る。武力での解決を内外に宣言した
・日本の軍人にとって国に奉公するとは、戦争に勝って賠償金を獲得することだった
・昭和16年、アメリカは綿と食料以外はすべて対日禁輸、石油は全面禁輸とした
・主戦派の東條が首相になり、国際社会は日本は戦争の道を選んだと受け止めた。東條内閣組閣から真珠湾攻撃まではわずか50日余り。マスメディアは国民に戦争への道は必然と説いた。 攻撃を決めたのは大本営政府連絡会議というわずか十数名の密室。御前会議はこれを追認するだけ。
・戦闘を行ないながら外交交渉も行なうべきだったが、軍事指導者にはそういう考えはなかった
・戦時指導者が最も責任を問われることは玉砕と特攻。兵士を人間としてみていない不遜な態度
・戦争末期には論理はなく、感性も歪んでいた。神風が吹くと本気で信じるものも多かった。大本営は本土決戦も辞さなかった。ひたすら軍事で決着しようと考えるのみ。

<その他>
・北朝鮮はある意味賢明。どんなに追い詰められようとも過去の日本のような愚かな真似をしないだけ。

-目次-
第1章 大正から昭和の軍国主義への道 ―戦争への道をどう進んだか
 第一次世界大戦から昭和へ
 満州事変という名の戦争
 戦争を支える意識はどうつくられたか
第2章 日中戦争から太平洋戦争へ ―戦争を行う体制はどうつくられたか
 二・二六事件以後の戦争への道
 宣戦布告なき戦争
第3章 戦争目的のなかった戦争 ―戦争はどのように戦われたか
 真珠湾攻撃という選択
 太平洋戦争をどう考えるか