読書メモ
・「木に学ぶ」
(早川 謙之輔:著、新潮新書 \680) : 2010.09.29
内容と感想:
著者は岐阜県恵那にて40余年、木工として家具作りをしてきた。
既に還暦を過ぎた「今も木に学ぶことは少なくない」という。
本書はこれまで木に携わってきた中での驚きや感銘を手がかりに、「木に学びたい」という思いで書かれた。
木を材料にモノづくりをしてこられた職人さんだが、木を人間の思いのままにしようとか征服しようとか、そういう思いとは
真逆の木との向き合い方をされているのが本から伝わってくる。
「はじめに」でも、木を「敬う気持ちを忘れたことはない」と述べている。常に木と共にあるから言える言葉だ。
本書では山中での老木との出会いや、古代遺跡に残る人と木の関わり、法隆寺など歴史の古い建物に使われている柱、
鋸のない奈良時代にどうやって板を作っていたか、とか著者の関心のある木の話が収められている。
恥ずかしながら、木には生きている部分と死んでいる部分がある(W章-3)ことを初めて知った。
立ち木は樹皮の内側、師部(内側の内樹皮。養分のパイプライン)および木部外周の辺材(白太という)だけが生きているそうだ。
師部が死んで樹皮になり、辺材の内側のある心材(赤身という)は死んだ木部なのだ。ということは毎年、同じ木の中で生き死にを繰り返して年輪を刻んでいることになる。
人間が垢という形で皮膚を新陳代謝させているのと似ている。
「あとがき」では以前から漠然と思ってきたことが、本書を書くうちにまとまったと書いている。
「木があるから人があるのだ」と。
言い換えるならば「我々は木に生かされてる」、といったところだろうか。
立ち木の時には我々に酸素を供給してくれ、木材になってからは家や家具、食器になったりして生活に欠かせないものだから。
○印象的な言葉
・木曾檜は樹齢300年以上の大径材の木を特別にそう呼ぶ
・檜はそれだけで家が建つ。建具にも家具にも水周りにも使える
・能登半島・能都町の真脇遺跡にある環状木柱列(ウッド・サークル)
・根曲がりの梁は強い。豪雪地の山岳に生えた木は長期の降雪に押し倒されつつ育つため、強靭で折れない
・鉋(かんな)と鋸(のこぎり)を日本では引いて使う。外国では押して使う。日本では力で切らず、鋭い刃で切る
・木の心材は細胞が樹脂やタンニンで埋められることにより防虫や防腐の力をもつ
・胡桃や赤松などは葉などから出る化学物質を地面で活性化させ、雑草など他の植物の生育を妨げることがある。根から同様の成分を出し、他の植物を追い払うこともある。
そこでは自身の実も発芽できない。桜の下に桜は生えない。
・岐阜県加子母村の木造の芝居小屋「明治座」。今日も現役。小屋全体が鳴る
・広葉樹の薪は底力があり火持ちがいい。針葉樹は立ち上がりがよく、部屋がすぐに暖まる
<その他>
・間伐材でその場で木道や木の階段を作ってしまい、処分する。
-目次-
1 姿を仰ぐ
桧あるいは木曽桧について
大桧との出会い ほか
2 歴史に触れながら
縄文遺跡と栗
伊勢神宮の御木 ほか
3 「割る」と「挽く」
割って板にする
正倉院の厨子を手掛かりに ほか
4 根も葉もある話
目を見る
根の力 ほか
5 木の時代は過去のものか
コンクリートに変わっていく
小屋が鳴る ほか
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