読書メモ

・「秀吉の枷(上・下)
(加藤廣:著、日本経済新聞社 各\1,600) : 2010.09.04

内容と感想:
 
著者のデビュー作「信長の棺」に続く、二作目は秀吉が主役の歴史ミステリーである。 前作では主に本能寺の変を中心に話は展開したが、本作では変よりも前の中国攻めの最中の情勢から、秀吉の死までが描かれる。 本書は「あとがき」にもあるように、「光秀は信長殺しの未遂犯、秀吉がむしろ主犯に近いことを推理した作品」である。 勿論、本能寺の変に関しても前作と重ならない程度に書かれている。 本題はその本能寺の変の秘密を隠しながら、秀吉がどのように天下を取り、この国をどうしようとしたか。 結局、天下人に昇りつめた秀吉も、晩年は奇矯な振る舞いをし、国力を弱める朝鮮出兵を二度に渡って強行した。 今でも「太閤さん」と親しまれるが、権力を握った途端、信長と同じように何かが狂っていったしまったようだ。

○印象的な言葉
・逆取して順守す:劉備の軍師・ホウ統。天下を取るときは道義に背いてもよいが、取ったあとは道義に基づいて治めよ
・お天道様は敵も味方も同じように陽光をお授けになる
・信長の三白眼は覇王の目
・信長父子を備中に呼び寄せて、後は毛利に殺しの方策を練らせる(竹中半兵衛)
・北陸戦線離脱事件後、秀吉と信長の間に微妙なすきま風
・何かを信じないでは生きていけぬ頻闇の世界
・石山本願寺問題が片付くと、秀吉は織田家筆頭に大出世
・秀吉は丹波の山の民の出身。遠祖は藤原氏の最も高貴な血筋に遡ると信じている
・家康の長男・信康は家康の種ではなかった(今川義元の種?)
・情は必要だが、情では天下は取れない。恐怖は背面に背負うに留める。天下取りの正面には理が必要
・天正九年からの信長はいらいらの気晴らし行事や、八つ当たりと思われる事件が続発。感情の起伏が激しくなり、鬱と躁の表れ
・忍者・伊賀流の3つの服部家は織田の伊賀攻めに敗れて、残兵が家康のもとに亡命。服部半蔵
・秀吉も半兵衛も覇王の限界を見抜いていた。物欲の強さ、その裏腹にある吝嗇
・秀吉は半兵衛、官兵衛の二人の軍師の教えを素直に吸収。無学の勝利。半兵衛は秀吉に私欲の空しさを教えた。執着は禁物。封土は城は天からの預かり物にすぎぬ。
・秀吉は信長を腹の中で笑う余裕。信長の物心両面を完全に掌握
・人は己の分をわきまえずに権力の絶頂に上りつめれば、それと同じ早さで没落するもの(→バブルの発生と崩壊)
・信長は少数の兵力で上洛。要求は正親町天皇の退位、誠仁親王への譲位。武力を背景に強要したと言われないための少数での参内。
・光秀の反逆に便乗できないか
・忍びの上手、服部・藤林・百地の「上忍」三集団だ織田方にそっぽを向いた
・近衛前久が光秀に信長追討の綸旨を与える言質を与えた。前久は以後の政事を朝廷を忠臣とした「建武の中興」の再来にと望む
・本能寺の変後、光秀は秀吉に以降の政事のために話し合いのための親書を寄越した
・謀反した光秀を擁護するはずの前久は姿を消し、朝廷の姿勢も不鮮明。光秀の正当性を裏付けるものがなくなった
・光秀の行動は良識と勇気のある家臣なら、誰もが行なわなければならない人臣の道だった
・光秀の目は天眼。瞳孔がやや上に上がっている。仏教では神通力のある目と珍重
・桶狭間合戦のとき、藤吉郎は今川方に見せかけの和睦提案をし、桶狭間山に休息を取らせた
・今川義元の父は武田方との宴席で毒を盛られて殺された
・お市は浅井氏に嫁いだ後、竹生島を眺めては、天下に覇を唱えるお子を授けるよう願掛けした。兄・信長を差し置いて、天下取りの子を願ったのは兄への復讐か?
・家康は本能寺の変に隠された真実を知っている疑いが濃厚。前久は家康のもとに転がり込んでいた
・当時、天皇は一万石そこそこしか持たなかった
・関白秀吉、58歳の頃、彼の愛顧をいいことに千宗易は余計な口出しが多く、耳障りな存在になっていた
・秀吉には茶道の侘び、寂びもよいが、時には遊びのゆとりも必要という気持ちがあった。片意地な利休の茶の湯美学の押し付け。もっと気楽な開放的な茶。
・一期一会は、武将が殿様から茶を一服戴き、今生の別れとし、決戦に赴くという悲愴感あふれる儀式の流れを汲むもの
・商都・博多。堺に匹敵。南蛮貿易の地の利からすれば堺以上。切支丹王国と化した長崎一帯。長崎教会の土地だけでなく、長崎近辺の領土の年貢の一切が切支丹と教会の支配に帰していた。 大村純忠が竜造寺との抗争の折、軍資金をポルトガル人から年貢を担保に借りた。それを返済できなかった。切支丹による寺社破壊活動が目に余った
・信長は悪筆だった。気にしていなかった。誇りにすらしていた
・淀城:たった一人の女のための城作り。淀君は江戸時代に徳川方が遊女、姦婦の意味を含めて呼んだ蔑称。淀の方の不倫は公然の事実だった
・利休の死後、利休が茶聖へ神格化されるにつれ、秀吉は悪者にされる
・唐入り当時、日本には外洋船がなかった。せいぜい沿岸沿いを走る船。朝鮮の海軍力、造船技術の高さは日本を遥かに凌いだ
・当時、女性は鉛毒を知らずに鉛粉で化粧していた。体内に蓄積されると鉛の慢性中毒症状が起きる
・二度目の朝鮮出兵「慶長の役」は明皇帝に軽んじられたことに対する怒りが原因

-目次-
第一章 竹中半兵衛死す 
第二章 諜報組織 
第三章 覇王超え 
第四章 天正十年 
第五章 本能寺の変 
第六章 遺体は二度消える
  第七章 阿弥陀寺 
第八章 主をうつみ
第九章   心の闇
第十章   九州遠征
第十一章 淀の方
第十二章 家康追放作戦
第十三章 秀次殺し
第十四章 前野家千本屋敷
終章    秀吉・その死