読書メモ
・「武士ズム」
(小林 よしのり、堀辺 正史 :著、小学館 \1,300) : 2010.07.30
内容と感想:
本書は「わしズム」にて掲載された対談を再構成した本。
小林氏が「侍」と呼ぶ、武道家・堀辺氏に今の日本が抱える問題について問いかけ、教えを請い、また語り合っている。
対談の根底にあるのは「武士道精神」。
それをベースに現代日本の資本主義社会や、国防・外交、天皇論、いじめなどをテーマに語られている。
堀辺氏は巻末の「日本人の劣化現象に警告を発す」という文の中で、小林氏のことを「平成の武士」と讃えている。彼の言論活動の中に闘う姿勢、武士の魂を感じていたからだそうだ。
第三章に「武備恭順」という言葉が出てくる。江戸時代、各藩は武装解除して徳川幕府に恭順していたわけではなく、武装を維持していた。
現在の日本が米国による実質的な占領状態を終結させ、真の意味で独立を果たすためには、単なる恭順だけではいけない、という話をしている。
「武備」が必要なのである。「恭順」だけでは「理念も信念も身を滅ぼす覚悟もない、単なる保身」と小林氏は言う。
それが意味するものは「武装中立」といったところだろうか。
また、いじめによる自殺に関しては、「親も教師も、弱者が戦いを通じて自力救済することの大切さを教えていない」と堀辺氏は嘆く。
また、昔の教師は「みんな平等」と言いながら、強者と弱者がいるという現実を把握していた、とも言っている。
いじめられる本人には闘う意欲もなく、周りはいじめに無関心で、黙って見過ごす、狡さがある。どうしようもない劣化ぶりだ。
巻末で堀辺氏は、幕末の武士たちは西洋の脅威を前に、「公のためなら自分の命さえ捨てる」という自己犠牲の精神によって、自らの特権を捨てることで、明治維新を成し遂げた、
と書いている。言い換えれば。武士たちの「集団切腹」だったと。
多くの問題を抱えている現在の日本。「平成維新」を求める声も長らくあるが、心の底ではなかなか日本人は変化を望まない、動かない。
既得権を握るものたちがなかなか、それを捨てられないのだ。危機感が足りないのだ。真の改革にはそうした特権を捨て去る「公心」が求められるのだが。
いま、大河ドラマ「龍馬伝」が人気だ。幕末志士のような志をもつ人が増えるのを期待する。
○印象的な言葉
・自分の「身を殺す」のが武道の真髄。捨て身。「いつも死んだつもりでいろ」。本能的な欲望を捨てさせる
・骨法:東国の武士の「武者相撲」が元になっている。戦場での実践のため。寝技もある。骨は奥義、コツの意味。
・柔術:嘉納治五郎が柔道を作るときに削ぎ落とした部分を保ち続けている
・武道が野蛮性を失うのは実用性を失うこと
・本物の武士は神や仏に頼らなくてもよいほどの精神をもっていた。自力救済の精神。独立自尊の精神
・日本刀が手元にあると神と共にあるような気持ちになる
・靖国神社に最初に合祀されたのは、討幕運動や尊王攘夷運動に関わって命を落とした志士たち。西郷隆盛は政府に楯突いた反逆者と見なされ、合祀されていない
・武士とは「構えている人」。常に敵の存在を予想して生きている。最悪に備えて、いつでも戦える状態にしておくのが武の本質。
・武備恭順が武士社会特有の平和論
・武士には強い権力と共に重い責任が伴った。商人や農民は心から服従した
・国家と国民の間に信頼関係がない、説明責任が果たされていない。説明を求める姿勢も弱い。納得させるだけのコミュニケーション能力が低い。
・二つの目付(伊東一刀斎):相手だけを見るのではなく、自分を見ろ
・幕末は大塩平八郎の乱から始まった。ギリギリの状態で我慢に我慢を重ね、努力をした末に怒り心頭に発して決死の行動に出た。身を挺した幕政批判が志士たちの共感を得た。
・自分が強者であることを誇示するのは武道の精神に反する。侍は戦うこと自体を悲劇と考える
・天皇の私的な個人的見解に国民は従うべきではない。それに従うと立憲君主ではなく専制君主になる
・安永8年(1779年)、田沼意次が財政破綻を招き幕府の力が弱まったとき、天皇自ら復権を図り、即位したのが光格天皇。古代からの儀式を全て、復活させ、天皇本来の姿を
復権しようとした。当時は天皇という呼称も廃止されて、「○○院」と呼ばれていた。
・武士的な心情をもつ人間は忠誠の対象を持たないと落ち着かない。自分のために生きることは何ら幸せを感じない、何者かに献身することが生きることへの情熱を燃やしてくれる
・学者が抱える問題:生き方と学説が必ずも一致していない。学説が脳みその表層にとどまり、血肉化していない。魂のこもった言葉が出てこない。人生観が込められていない
・沈黙は金なりを信条とし謙遜は美徳を教養せられたる日本民族
・近代日本は幕末のテロリズムから始まっている。革命のために要人暗殺が必要だった。当時、民衆は物価高に苦しんでいた。
・偉大な武将には部下に試練を与える強い父性と、「この人のためなら死んでもいい」と思わせるような献身的な愛情(母性)を兼ね備える
・憲法九条が、戦うこと自体がいけない、子供の喧嘩も抑圧されてしまった。かわりにイジメという目に見えない形で他人を攻撃するようになった。国家の姿が学校に蔓延した
・北朝鮮の国民の惨状。それを見て見ぬふりをするのはホロコーストを放置しているのと同じ。同胞を救いたいなら、あの体制を潰すために手段を選ばないはず
・生命尊重のみで魂は死んでもよいのか。生命尊重以上の価値の所在。それは自由でも民主主義でもない。歴史と伝統の国、日本(三島由紀夫)
・命を懸けなければ美しいものは実現できない。命以上の価値
・キリスト教のヒューマニズムには大切なもののために命懸けで戦うという、戦闘的な意欲を秘めている
・郷土を守るために戦った日本兵たちが、戦後、平気で人殺しをした悪人としか扱われていなかった
・武士には「何のために生きるか」は「何のために死ぬか」と同じ意味だった。命が一つしかないことを知り尽くしているため、命を無駄に使いたくない。ある意味、臆病にならざるを得ない。
・米国は重税を課す英国に対して鎖国をし、攘夷戦争を仕掛けたことで独立を達成した
・薩英戦争と馬関戦争の後、英国人は「自分の国と同じ素質を持った者にアジアで初めて出会った」と感じた。そのため彼らは日本の軍事占領を諦めた
・幕末志士が攘夷をやれたのは、自分たちを辱めるものに対して敏感だったから。恥に耐えられないという心性。日本には狼もいるから気をつけろと警告するために一発かましたのが攘夷。
・国士は国家全体の運命を担っている
・地方巡業にこそ本来の相撲の伝統が脈打っている
・学問とは自分の頭で考えて、自らへ向けて問いを発するところから始まる。自分なりの答案を書く。何が間違っていたのかを問い直す。いろいろな立場から物事を考えてみる。
<その他>
・漫画だが単なる風刺に終わらない。提案型。ユーモアを交えながらもシリアス、真剣
-目次-
第1章 日本の武士は「世界一の首狩り族」である
第2章 我らが失明体験、「心の目」でこそ見えるもの
第3章 武士道究極の処世術「武備恭順」とは何か
第4章 「天皇と武士」の考察なくして「美しい日本」を語るなかれ
第5章 「いじめ自殺」と「恋愛」、ひとつしかない命の使い方
第6章 世界に武士を知らしめた!これが「ハラキリ」だ!
第7章 あえて言う。「相撲の歴史」は「八百長の歴史」である
第8章 遂に明かされる「壮絶の半生」、我が「テロルの決算」
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