読書メモ
・「サバイバル登山家」
(服部 文祥 :著、みすず書房 \2,400) : 2009.10.31
内容と感想:
「サバイバル」と「登山」。真の登山家から見れば、それは同義である。
生還しなければ登山は完結しないからだ。ま、そんなことは置くとして、
久しぶりにわくわく、どきどきしながら読んだ本である。
血湧き、肉踊るとはこのこと。著者が実践するのはタイトルにある「サバイバル登山」。
それは食糧が現地調達、というところから来ている。しかも危険な場所を選び挑んでいる(知床や日高、南アルプス)。
本書はその彼の数々の登山記録である。
自らを実験台にした「人間の研究」記録とも読める。案外、人間という生き物がそんなに「か弱い」ものでないことを知らしめる。
彼は山に入るにあたって独自のルールを自分に課している。
電池で動くもの(時計、ヘッドランプ、ラジオなど)、コンロや燃料、マットもテントも持たない。
荷物といえるものは地図、タープ、シュラフにわずかな食料、調味料と釣り道具くらい。
勿論、無線機など連絡手段も持たない(行き先によって若干、装備は増減するようだ)。
怪我でもして動けなくなったら野垂れ死にすることになる。
川で岩魚を釣ったり、蛙や蛇を捕まえる。
フキ、サルナシ、キイチゴ、キノコなど山菜、木の実などを採って食べる。
燃料は草木。
悪天候で何日も身動きできなくなったりすることもあり、常に死を意識している。
摂取カロリーの不足で身体がだるくなることもあるし、単独行だから孤独である。
特に著者は渓流釣にはこだわりがあり、その描写も興味深い。
山で調達したいろんなものの調理法や生きるための工夫も具体的で、サバイバルの参考書にもなりそうだ。
「生き残るために人間の根本的能力が問われるのは登山の世界くらいである」、と自身の登山スタイルを自負している。
しかし、ちゃんと家族がありながらも、こうやって時々山に篭ってしまう。勝手な人だと思いながらも、憧れてしまう部分もある。
気持ちが分かるから仕方がないとも思う。
○印象的な言葉
・美しいだけではすまない奥深い山
・「生きている」を実感するために山に向かう
・自分で奪ってくるものをなにひとつもっていない
・環境が満ち足りているのに、何もできないというのは恐ろしい
・大自然に近いところで生きる人々の美しい姿
・人類が穀類や家畜肉を食べ始めたのは、ここ2、3千年にすぎない。それ以前の主な蛋白源は昆虫。
・無知とは余計な労力
・道具を否定した登山は自分の力を発揮しやすくなる。荷は軽くシンプルになる。
・ケモノたちが感じることのほうが僕よりもずっと深く澄んでいる
・「なんとなく」という感覚は大事にしたほうがいい。勘は言葉に還元できない総合判断。体全体で考えている。
・森の糧になるかもしれないリスク。森のゲストからケモノへ近づく。
・森に生かされながら旅する
・強くなりたい、自由になりたいと思って山に向かう
・生活のレベルを下げると登山はつまらなくなる
・大自然で自分の力を試して帰ってくる。身体からは毒が抜ける
・助けてもらえる、と思いながら山に入るのは登山ではない
・自然の掟のなかに入り込めたような気持ち、世界が広く大きくなったような気がした
・自己責任。それが登山の悲しく美しい魅力
・自然には意志も過ちもなく、純粋な危険があるだけ。危険に身を晒す厚意に情緒と感傷をくすぐる甘い香りが漂う
・数千年前、数万年前にサバイバルしてきた人たちが本当に存在する。その血が確実に僕のなかに流れている
-目次-
知床の穴
1 サバイバル登山まで
2 サバイバル登山
3 冬黒部
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