読書メモ

・「ゴーマニズム宣言 EXTRA 〜パトリなきナショナリズム
(小林よしのり :著、小学館 \1,300) : 2009.10.05

内容と感想:
 
津本陽が描く吉田松陰の伝記である。
 西暦1850年、当時21歳の松陰は「日本の前途を憂い、外圧に対抗するにはどうすればよいか、考えを重ねていた」。 東北遊歴の際、友人との約束を優先し、長州人・日本人として恥になることを恐れ脱藩を決意。 その行為は「世俗の栄達をすべて反故」にするものであったが、それが彼の人生の方針を定める大きな力になった。
 松陰は江戸の佐久間象山に師事し西洋兵学を学んだが、小林虎三郎とともに「象門の二虎」と呼ばれた。 もとは攘夷論者だったが、アメリカの実力を知り、主戦論を捨てた。戦っても負ける。 「まず西洋文明をとりいれ、国力を養い、海陸の戦力を養わねば、日本の存立は危ういと見ていた」。
 1854年、アメリカ艦隊に乗り込んでアメリカへの密航を企てて失敗、自首し投獄される 象山もそれに関与したとして投獄された。 萩に戻って獄中で囚人相手に孟子を講義した。 「絶望のなかで無為に日を過ごしていた囚人たち」は松陰に導かれ勉強を始めた、とその教化力を讃える。 彼の存在で獄内の乱れていた風紀が一変したという。
 翌年には病気保養を理由に、身柄を実家に預けられた。松陰が藩の許可を得て松下村塾を開いたのは1858年。 塾生には久坂玄瑞や高杉晋作、伊藤博文らがいた。 「読書をおこない議論をする」というスタイル。 教育方針は「自らの信念を火のように語ってやまない」。 そんな松陰を塾生が信頼していたのは「天下万民のために、いつでも命を投げ出す覚悟をきめている男」と認めていたから。 「自分が師匠で、門人に学問を教えるという考えがなかった」ようだ。 教え教わる師弟の関係でもあり、 同じ興味に向かって切磋琢磨する仲間でもある。
 明倫館派と呼ばれる守旧派に対して、藩の家老など要人は松陰の意見を積極的に藩政に生かすようになった。 塾の名声も高まり、入塾希望者が相次いぎ、諸藩にも噂が広まった。 門人は京都に出て、政治活動を行なうようになった。
 大老・井伊直弼が天皇の勅命を奉じず勝手に開港条約を締結したことに対して、それをなじる密勅を朝廷は発した。 それを知った幕府はついに尊攘派の徹底弾圧を開始。安政の大獄である。既にその前には松陰は「革命の実行をする意志をはっきりあらわした」。 しかし長州など勤皇諸藩が束になっても幕府に勝てる見込みはなく、討幕の機は熟していなかった。
 幕府が力を盛り返すと、ますます松陰は世情を憂うるあまり過激化し、塾生も暴発しようとする彼を守りなだめることに懸命だった。 幕府老中・間部要撃を企てた松陰は自宅で幽囚の身となり、後に再度投獄される。 京都などで活動する門下生からの書状は彼の暴発を諌めるものばかりで、孤立感を深めた。 絶望し、気も狂わんばかり。
 1859年、大獄の手は長州にも広がり、松陰は江戸送りとなる。 「一命を捨てても国家のためになれば本望だ」と3人の妹に別れの挨拶状を送った。 幕府評定所で訊問が始まると、彼の「憂国の熱情が、突然はじけ、炎を噴いた」。 政情を批判し、とるべき方策を語った。しかし幕府も知らなかった間部要撃の企てまで自ら白状すると、死罪が決まる。 維新を見ることなく死を迎えることになる。
 教育者というよりも「行動する人」であった。それが過激すぎて、身動きが取れなくなってしまったところがあった。 しかし、彼の思いは門人たちにしっかりと根付き、維新に導いた。 翻って自分に問う。松陰ほどの志があるか?危機感をもっているだろうか?このままでよいのか?自分に何ができるだろうか?

○印象的な言葉
・獅子の心、獅子の道(志士)
・他郷に遊歴することが精神を刺激し、新たな思考を発展させる端緒となる。新たな見聞が思考の領域を伸長させる。
・自分の蒙をひらいてくれる良師、先覚の人との出会い
・体内にある侍としての筋を立てねば生きているのさえ恥ずかしいとする魂
・国難を見て見ぬふりをする卑劣なふるまいをしたくない
・司馬遷は獄中で「史記」を書いた
・中国の史書や幕府の外交文書などを読んで、感想や自分の判断、批判など抄録を書いた。
・社会の既成通念が、国民の真実の希求を阻害しているのを追及
・「松下村塾記」には、教育により日本を興隆に導き、松陰の志を継承し、衆人を奮起させる人物を作り出したいと記した。国士養成の教育観を記した。
・虚偽刻薄のみふるまいのみ行なわれる世になり、誠実、質朴をもって、世状を矯正したい
・国力をすみやかに養いつつ、海運をおこし、貿易の実力が備わった上で対等の条約を結ぶ
・時勢に疎い田舎の風習を一洗し、戦場にいるような心構えをする
・異体同心の盟友
・利害成敗を考量することなく、先覚者の道を歩む
・自然の勢いに身を任す「自然説」
・門人たちは松陰の躍動変転する個性に直接触れ、彼が発する思想、感性を、植物の種子を地に植えるように心に植えつけられた。 自分の心の断片を門人たちに惜しみなく分け与え、彼らの心の中で共生しようとした
・学者になってはいかん。人は実行が第一。
・はるかな遠方をのぞむ達人の識見

-目次-
樹々亭
兵学師範
脱藩
東北遊歴
遊学の旅
海外脱出ならず
下田踏海
雄図挫折す
入獄
野山獄
火を点じる者
杉家の日々
国士養成
皇天后土
獅子の心
獅子の道
死ぬべきとき
涙松
評定所
露の命
志士の魂